1年前、鼻腔内に悪性の腫瘍があることがわかり、闘病を続けていたわが家の老犬トビーが、先日、静かに旅立った。13歳と6ヶ月だった。本当に安らかな最期で、家族の誰も、朝になるまで気づかなかったほどだ。

 

 前日の夕方、夜中に痛みを感じることがないように、動物病院で痛み止めの注射と点滴を打ってもらった。その日は朝から少し食べ、薬も飲むことが出来ていたし、表情を見ても普段通りだった。落ち着いた様子を見た獣医師は、週が明けたら痛み止めの座薬を試し、一日置きの通院を検討してみましょうと提案してくれた。私も連日動物病院に通う生活に少し疲れを感じていたので、その提案はありがたかった。

 動物病院から帰宅してしばらくすると、トビーは静かに眠りはじめた。少し居心地の悪い表情をして体の位置を変えたり、時折鳴いたりしていたものの、それでもちゃんと眠ることができていた。その様子を見て、苦しい日々も、きっとあと数週間だろうと思った。ソファの上で静かに眠っているトビーを起こさないように、体には触れずにしばらく見守った。でも、最後の夜ぐらいちゃんと撫でてやればよかったと、今はとても後悔している。

 結局トビーはその晩に、眠ったまま死んでいった。朝、トビーと一緒の部屋で寝ていた夫が、もしかしたら死んでいるかもしれないから見てくれないかと言い始めた。こういうこともあるだろうと考えていた私は、さほど驚かなかった。むしろ心の中で、これが終わりであって欲しいと願った。眠るように死ねたのだったら、それ以上のことはない。私がこの1年間、ずっと願い続けてきた理想の最期だ。

 様子を見に行くと、トビーは穏やかな表情をしていた。少し目を開いた状態で手足を伸ばし、横になっていた。リラックスした表情で、いつものお気に入りの場所で、静かに眠っているだけのように見えた。少し神経質なところがあったトビーは、小さな音にもすぐに反応して起き上がるのだけれど、私が呼びかけてもまったく動かない。胸のあたりを触ってみると、息をしていないようだった。目をのぞき込むと、そこにはもう光がなかった。

 

 13年間、雨の日も風の日も欠かさず散歩に連れ出していた夫は、肩を落としていた。息子達はショックを受けてしばらく泣いていたが、横たわり、動かなくなった姿を間近に見て、死を受け入れたようだった。私は、やっと終わらせることができたと考えていた。鼻腔内の腫瘍は体中に転移し、トビーを苦しめていたはずだ。できる限りの治療はしていても、決して楽な日々ではなかったと思う。痛みも徐々に強くなっていただろう。食べる量も、日に日に減っていた。毎日たくさんの薬を飲まなければならず、うんざりしていたかもしれない。そんな闘病生活もついに終わった。悲しさよりも安堵の気持ちが強く、涙は出なかった。淡々と、市の運営する斎場に電話し、火葬の予約をした。すでに何ヶ月も前から、電話番号は控えてあった。見るのが辛いから、使っていた食器などは、その日のうちにすべてきれいに片付けてしまった。

 これまで13年間、楽しく暮らすことが出来たはずだ。いろいろな場所に連れて行ったし、いつも一緒だった。思い返せば、楽しい記憶ばかりだ。小さかった子供とよく遊んでくれたことには本当に感謝している。仕事をする私の足元に座って静かに待つような、さりげない愛情表現をする犬だった。ここのところずっと、「もう無理しなくていいんだよ」と声をかけ続けた私に気を使って、トビーは最後に駆け足で逝ってしまったのではないか。1年という長い期間闘病をしたのは、私に心の準備をする時間を与えてくれたのではないか。亡くなる日の2日前、横に座っていた私の膝に頭を乗せ、めずらしく甘えてきたのは、彼なりの別れだったのかもしれないと今は思う。

 もっとやさしい言葉をかけてあげればよかった。もっとちゃんと触ってやればよかった。呼吸が止まる瞬間に、隣にいてあげることができなかったことが何より残念だ。苦しかったのでは、寂しかったのではと考えると、胸が痛んで仕方がない。子供が成長して手がかからなくなり、これからたくさん遊んでやることができると思っていた矢先に、なぜあんなに重い病に罹ってしまったのだろう。

 湖の上に広がる空のどこかにトビーはいて、今も私を見守ってくれていると思う。重くて苦しかった体を捨てて、自由に走り回っているだろう。13年もの長い間、私達と暮らし、喜びを与えてくれたことに、今は心から感謝している。長い闘病生活となってしまったけれど、最後まで諦めずに私と共に歩んでくれたことを、決して忘れない。寂しいけれど、振り向かずにまっすぐ行くんだよ。

 もう叶わないことだとはわかっているけれど、いつかもう一度会いたい。あのボサボサの頭を思い切り撫でてやりたい。きっとどこかでまた会える。その時まで、さようなら、トビー。