認めたくはないが、もう6月である。1年が半分終わろうとしている。すでに全国的に梅雨入りしたとのニュースが流れたが、私が住む滋賀県ももちろん例外ではなく、ジメジメとした日が続いている。天気が悪いと汚れた洗濯物は溜まる一方で、男性が3人いるわが家にとって、それはもう、ちょっとした事件のようなものだ。これだから引っ越しの時に、ケチらず乾燥機つきの洗濯機を買っておけばよかったんだよ……などと、愚痴も出やすい。
私にとって6月は、慌ただしい4月と5月が終わり、やっと一息つける時期でもある。自宅で仕事をしている限りは、しとしとと降る雨も悪くない。道端に咲く花を愛でる感性には乏しい私でも、雨に濡れる野生の紫陽花は美しいと思う。たっぷりの雨に勢いを増す庭の雑草は憎らしいけれど、青々とした葉をつけた庭木を眺めていると、梅雨が終わればやってくる夏が待ち遠しい気持ちにもなる。
そしてもうひとつ、私にとって6月が多少特別な意味を持つ理由がある。6月9日、私はひとつ年をとる。巷では6月9日はロックの日とされるようで、若い時はこれが自慢で「私の誕生日はロックの日! イェーイ!」とかなんとか言っていたが、この年になって自分の誕生日がロックの日だなんて嬉々として言ったら、痛々しいだけというのは理解しているつもりだ。今年も無事にその日は訪れ、そして私はまたひとつ年をとった。
46歳。微妙すぎる。
朝、いつも通り5時に起きて、まずはメールのチェックをした。「お誕生日おめでとうございます!」という件名のメールが何通も届いていた。全部、セールスメールだ。私に何かくれるのではなく、むしろ何か買わせるのかとうなだれつつ、さっさとゴミ箱へ移動させた。仕事関係のメールに紛れるように、もう20年以上前、同じ寄宿舎で生活を共にしていた友人から、誕生日を祝うメッセージとともに、去年出産したという娘の写真が送られてきていて心底驚いた。やるねえ! と感心しつつコーヒーを飲み、そこでふと気づいた。あ、そうだ、今日は資源ゴミの日だ! 慌ててゴミ置き場に向かい、溜まっていたゴミを出して小さな達成感を得た。記念すべき46回目の誕生日は、こうやってなんの特別感もなく始まった。去年もそうだった。そして一昨年も。
「ホテルにランチでも食べに行くの?」と、友人に聞かれたのは5月の終わり頃だ。「いや、とりあえず予定なしだけど」と答えると、また今年もかと呆れられた。特別なことは何もしない誕生日を迎えるようになってどれぐらいになるかわからない。ケーキなし、ディナーなし、何もなしの誕生日を毎年過ごすわけだけれど、特にそれが寂しいとも思わない。家族は、ケーキぐらい買ったらいいのにと言うけれど、ケーキよりも明太子の方が好きだ。健康で暮らしてくれるのが何よりのプレゼントだと家族には伝えてあるし、彼らもそんな私に慣れたようだ。
結局今年の6月9日は、家族を職場へ、学校へと見送ってから、溜まっていた仕事を片付けることにした。まずは締め切りの迫っている原稿を苦しみつつ書き、焦って入稿。次は書籍翻訳だ。書籍の翻訳は作業が長丁場なだけに、自分を厳しく管理しないと、簡単に抜けられない沼に足を取られ身動きが取れなくなってしまう。まずは翻訳しなければならないページ数を割り出し、1日のノルマを決め、それを淡々とクリアしていくしかない。私の場合、翻訳作業に集中できる時間は1日3時間程度。それを上回ると、集中が続かなくなり、訳文の品質が著しく落ちてしまう。翌日読み返し、すべて削除するときのやるせなさは相当なものだ。結局、書籍を翻訳する上で最も恐れなければならないのは、難解な英文でも、それを日本語にしていく苦しさでもなく、怠惰な自分自身なのである。これからの1年もきっと、この怠惰な自分と戦うことになるのだろう。結局、翻訳作業が終わったのは午後2時で、息子達の帰宅までは1時間しか残っていなかった。
息子達は私の誕生日を一応記憶していたようで、学校から帰宅してきた長男が「ママ、お誕生日おめでとう! いくつになったの?」と聞いてきた。「46歳だよ」と答えると、とても大人しい彼は静かに微笑んで、「すごい年だね」と言った。いつも通りの直球だ。やんちゃな次男は、遊びに来る予定の友達の到着が待ちきれない様子でそわそわしつつ、「おめでとう! 50歳まであと3年やな!」と大声で言うと、外に飛び出して行った。いや、あと4年やで……。
何事もなく1年が過ぎたと思えることは、実はとても幸運なのだろう。悩みや苦しみはあっても、元気に暮らせたのだから、それで十分じゃないか。こんな気持ちになれるのだったら、年をとるのもそう悪くはない。確かに、シワも白髪も増え、年齢相応の姿にはなってくるのだけれど、ヘレン・ミレン先輩と草笛光子先輩のおかげで、そちらの心配もそう深刻ではない。
そうだ、全然悪くない。年をとるのも、悪くない!
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 村井理子
-
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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