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長崎ふかよみ巡礼

 西洋から見れば東洋。東洋のアジアの中でも、さらに「東の果て」に、日本はある。その「東」度の高さから、「日出づる国」という「朝日はこちらから昇るんですからね。ふふ」とでも言いたげな名称もあったが、これから巡る長崎は、そのいちばん、西の果て。時として「東」ということにプライドを見出した国においては、町はずれどころか、国はずれである。

 まずは、見慣れた日本地図を、ひっくり返してみよう。

 

 長崎に相当するのは、北海道の網走「番外地」。江戸時代までの「日本」の概念を思えば、青森の「恐山」である。かつて囚人たちが「中央」から遠く流され、あるいはこの世にいない人たちが「そこまでならばやってくるかもしれない」と信じられている場所。日本における長崎の「はじっこ絶対値」は、それとおなじレベルにある。いまでこそ、飛行機に乗れば「中央」の東京までは2時間弱だが、出島のオランダ商館長が将軍にご挨拶に行く「江戸参府」は、徒歩と船で、ひと月以上もかかった。

 「はじっこにある」ということは、「別のお隣に近い」ことでもある。大正から昭和にかけての20年ほど、長崎と上海の間には「日華連絡船」が行き来していた。所要時間は26時間。旅券も要らず、上海に暮らす日本人の半数を長崎県人が占めたこともあり「長崎県上海市」とまで呼ばれるくらいの「ご近所」だった。

 

 16世紀から17世紀ごろの、東南アジアの地図を広げてみよう。船による交通が主だったころ、アジア圏内の行き来はもちろん、ポルトガルやスペイン、オランダの船も、ヨーロッパからの「ノンストップ直行便」ではなく、マカオやマニラ、ジャカルタを経由して日本に着いた。
 長崎にはやたらと「事始め」が多く、「オランダ船に乗ってやってきた」ジャガイモもそのひとつだが、その出所はオランダではなく「(中継地の)ジャカルタからやってきたイモ」なのである。アジアからにせよ、ヨーロッパからにせよ、長崎は日本の最前線だった。

 東の国の、西のはじっこの、ひっくり返せば最前線。中心はおろか本体の主要部分ですらないが、中心や本体だって辺境や末端があってこそ成り立っている。

 中心ならぬ「虫垂」になら、よく似ているかもしれない。内臓のはじっこにチョロリとくっついているのが、なんとも長崎っぽい。炎症を起こすと切られがちな虫垂だが、長崎もまた、1885(明治十八)年、コレラが流行った時には「長崎ごと焼き払えば解決!」と切り捨てられる寸前だったとか。長年、外国船を受け入れるという特別な役割を果たしてきたはずが、いざとなれば「焼いちゃう?」である。日本という国の中でこの町が持っている、悲しいまでの辺境性。ひょっとして半分くらい「よその国」と思われていたのかも…というのは、いきなり「ふかよみ」しすぎかもしれない。

 

 西のはじっこの長崎の町は、三方をぐるりと山に囲まれつつ、海に開けている。と同時に、外海からはかなり入り込んだところにある。よく「天然の良港」と称されるが、中国や東南アジアに近いながらも、16世紀後半になるまで「開港」されなかったのは、あまりに奥まっていたからでもあろう。1571(元亀二)年の開港以前、港の入り口付近にある“使い勝手のいい”入り江には、船も操る豪族がいくつも居を構えていたが、長崎甚左衛門が治めていた、元からある長崎の町は、そこからは少し離れた場所に、こぢんまりと開かれていた。

現在の町並みに、開港前の陸と海を描いてみた。

 元からの長崎の町と港のあいだには、長い岬が延びていた。当時は草原か麦畑で、先端部分だけが森になっており、その名も「森崎」の神さまの社があったとされる。現在は諏訪神社に祀られていて、長崎くんちでも「諏訪」「住吉」の神さまとともに神輿渡御される。ここにはその後、教会やイエズス会本部が置かれたので、「森崎の神輿に乗っているのは、本当はキリスト教の神さまなのだ」との説もある。どちらにしても、きっぱり割り切れるものではないだろう。
 森崎の神の正体はさておき、開港前の「長い岬」には、あまり人の気配が感じられないが、死者の気配ならある。しかもずいぶん古い。弥生時代の石棺や、古墳時代の鏡、室町時代の五輪塔や中世の埋葬跡などが発掘されているのだ。元々の長崎の町がここに作られなかったのは、現実的な防衛上の理由などとともに、「長い岬」が日常生活より葬送の場、海の向こうのあの世に続く道のように思われていたことが、ひとつ、あったのではないかと想像している。

 そして、開港。
 どちらかといえば神や死者のテリトリーだった「長い岬」に、生者がなだれ込んできた。南蛮貿易の拠点として、まずは岬の先端に6つの町が作られる。
 開港の立役者・有馬氏が治める島原の名を冠したのは、一番町の島原(しまばら)町。平戸(ひらど)町は、ザビエルが布教した地の名。当時すでにキリシタンの迫害が始まっていた。大村(おおむら)町を建てたのは、日本初のキリシタン大名・大村純忠。長崎甚左衛門は彼の家臣だった。横瀬浦(よこせうら)町は、長崎の前に開かれていた港の名。外浦(ほかうら)町には、福田、手熊などの長崎周辺の浦々の人たちが移住した。残るひとつは文知(分知)町で、「文知房」という唐人の屋敷があったとされる。
 「開港前に唐人さん?」とも思うが、唐船は来ていた。ただし、錨を下ろしたのは港の外の浦。「ご近所」の船は比較的小型だったから、わざわざ奥の奥まで入っていかなくても、浅い入り江で用は足りていたが、中国のもっと向こうの、はるか西の彼方からやってきた南蛮船は大きかった。
 やってきたのは船だけではない。南蛮船がもたらした信仰を守るために故郷を逃れ、新天地を求める人たちがいた。より深く安全な港と、自分たちだけの町や家を建てる土地が必要だったのである。
 東の果ての国の、西のはじっこの町に突き出た長い岬には、異国の船と故郷を離れた人たちが、新しい港と町を作りはじめた。

 「長い岬」は、距離にしてみれば1キロほど。第二次大戦後、劇的に発展した沖縄の国際通りが「奇跡の1マイル」と呼ばれるが、開港後の「長い岬」の変貌と発展は、まさに奇跡に近かったのではないか。1マイル(約1.6キロ)どころか、たった1キロの岬の上に、新しい町の、貿易、生活、信仰に関するあらゆるものが作られた。土地はすぐに足りなくなり、岬の波打ち際から埋め立てが進んだのだが、開港後の町の中心は、もうすぐ450年が経とうとする現在にいたるまで、「長い岬」の上にありつづけている。
 ひとくちに450年と言っても、この土地の450年はなかなか密度が高く、たった1キロの間に、ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅうと、いろんなものがひしめき合い、畳み込まれてしまった。

 次回は「長い岬」を貫くメインストリート沿いに、いくつかのスポットをご案内しよう。(写真・イラスト ©Midori Shimotsuma)

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

下妻みどり

しもつま・みどり 長崎のライター。1970年生まれ。著書『長崎迷宮旅暦』『長崎おいしい歳時記』『川原慶賀の「日本」画帳』。TVディレクターとして長崎くんちを取材した「太鼓山の夏〜コッコデショの131日」は、2005年度日本民間放送連盟賞受賞。


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