先日の休みに夫が突然、数年前にそう遠くない場所に出来たアウトレットモールに行きたいと言い出した。人混みが嫌い、行列が嫌いな夫が珍しいと理由を尋ねると、自転車を買いたいと言う。最近、夫は休みに時間を持てあましているようだった。老犬が生きていた頃は、休みといえば一緒に釣りに出かけていたけれど、その相棒がいなくなった今、かつては楽しかった釣りも少々退屈になってしまったようだ。琵琶湖一周を自転車で走る、通称ビワイチをする人が最近は爆発的に増え、その姿を見て夫がその気になっているのは、私も薄々気づいていた。ちなみにわが家にはすでに自転車が4台とバイクが2台ある。それでも買うのかと喉まで出かかったけれど、普段あまり浪費をしない夫が買いたいと言うのだから口を出すのも野暮だと思い、何も言わなかった。

 私自身も人混みは嫌いだし、行列も苦手だし、何よりブランド品に強い興味を持っていたのは遠い過去のことだ。それでもあの日は珍しく、行こうと即答した。なぜなら、随分前にママ友から、アウトレットモール内にある回転寿司が美味しいと聞いていたからだ。色気より食い気、まさにそれだ。施設内の回転寿司に行きたいと伝えると、夫はやっぱりそういうことかという顔をして納得した。早速双子を引き連れて、意気揚々と(夫も私もまったく違うものを求めて)、アウトレットに向かったのである。

 アウトレットに到着した時はすでに午後1時を過ぎていて、駐車場も拍子抜けするほど空いていた。滋賀県はこれでなくっちゃ! と言いつつ巨大なアウトレットの建物内に入った。まっすぐに回転寿司に向かう私に、「え? いきなり?」と夫は言ったけれど、ランチを我慢して来ていた双子が、お腹が空いたとうるさく言い始めていた。とりあえず店内に入ると15分待ちだという。それを聞いた夫はしめたとばかりに、「ちょっとジーンズだけ買ってくる」と言い残し、さっさと店から出てしまった。

 まあ、いい。15分ぐらい、あっという間だ。双子と3人、待合のイスに座っておしゃべりをしながら待っていた。しばらく経つと、ニッコニコの夫が戻り「安いジーンズが買えたよ! 2本も!」とうれしそうだった。よかったねえと言ったのだが、夫の次の言葉を聞いて背筋が凍り付いた。「そういえば、さっき会社のUさんに会ったよ!」 

 夫と私は、私が大学を卒業して初めて勤めた会社で出会った。いわば職場結婚だ。Uさんとはその時勤めていた会社に今も勤めている人で、つまり、夫の同僚であり、私の25歳ぐらいから30歳ぐらいまでをよく知る人物なのだ。何十回も飲みに行ったし、下らない話をしたことも何度もある。とてもやさしくて楽しくて、私も大好きな人なのだが、絶対に会えないという気持ちが先に来る。ヤバイ、あの頃の私を知る人には、会いたくても会えない! 血の気が引いた。やっとのことで席に案内されるも、頭の中は「会えない」の一点張り。寿司ネタが入り込む余地などこれっぽっちもない。

 夫が私に気を利かせて、お店イチオシ赤身三点盛りとかいう高い皿を注文してくれたのに、目の前に置かれてもまったく箸が進まない。今考えても味が思い出せない。店の出口にちらちらと視線を送っては、あの陽気なUさんが久々に私の顔を見ようと店に入ってくるのではと落ち着かない。結局、一皿をやっとのことで食べて、店を出た。店を出てからは忍びのごとく存在感を消しまくって、顔を上げずにモール内を黙々と歩いた。ジーンズを買って自転車を見たら夫はもう満足してしまい、私も一刻も早くその場を離れたくて、1時間程でそそくさと家路についた。

 私が自分の20代の記憶を完全に黒いものにしている理由はたくさんある。とにかく私は自暴自棄で、勝手で、わがままな人間だった。仕事もロクに出来ないのに、自分は出来る人間だと勘違いしていた。友達なんて沢山いると思っていたのに、そう思っていたのは自分だけだった。ここのところ3年ぐらいは、つまり子育てが新しいフェーズに入り、ある程度人間らしくなった双子と対峙するようになったあたりから、自分自身の過去の行いを反芻する機会が増え、ますます自分に対する「お前ってやつは」という気持ちが膨らんでいる。我が子を見つめながら、自分の過去を振り返らずにはいられない。私が小学生の頃、中学生の頃、高校生の頃。大学、留年、アルバイト時代……のあたりで心に暗雲が立ちこめる。あのときこうしていれば、あのとき、あの人がこう言ってくれたからこそ……強い後悔に頭を占領された瞬間は、思わず声が出てしまう。

 子育ては自分育てなんて言うけれど、自分育てというよりは自分を鞭打つようなものだ。ビシバシと全身に響いて痛くてたまらない。これもまた親のエゴだとわかっていながら、息子達に私と同じような過ちを冒して欲しくない。人に親切にしてもらったら必ずお礼を言いなさい、自分が悪いと思ったら素直に謝りなさい……私が日頃子供達に言い続けていることは、すべて20代の自分自身に言ってやりたいことなのだ。そうだ、お前だよ!

 ああ、人生とはなんてやっかいなものなのだろうと、今日もため息をつきながら、色が変わり始めた山を眺めている。遠くから聞こえる、鹿の鳴く声。山に響き渡る、高くて大きな声だ。まさかお前も何か辛い過去でも思い出したのかい? と、鹿にまでシンパシーを感じている。