シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
知の楽しみにあふれたWebマガジン。
 
 

村井さんちの生活

滋賀はもう秋、琵琶湖畔には誰もいない。このあたり特有のどんより灰色の空が出てきた。

 家族内の男性三人が、朝の8時前に全員家からいなくなるという、夢のような日々が続いている。息子達は、一旦登校すれば午後4時を過ぎるまで帰宅することはない。夫に至っては、いつ戻るか皆目見当もつかないので、私の中ではノーカウントでよしとしている(本人がそれに納得しているかどうかは知らない)。夏休みが終わり、新学期が始まれば、私には自分の仕事を進め、家事をこなし、その上、趣味に費やす時間までも十分与えられるというわけだ。素晴らしい。長い間生きていると、いいこともある。

 数ヶ月前までは、男性陣が出払ってしまえば私と老犬の静かな時間がはじまっていた。えさを与え、薬を飲ませ、しばらくすると眠りはじめる老犬の邪魔をしないように、静かに床を掃き、申し訳ないと思いつつ洗濯機を回し、音をたてないように茶碗を洗っていた。しかし老犬がいなくなった今、やりたい放題である。

 自分一人になるやいなや、いきなり掃除機をかけまくり、洗濯機と食洗機を同時に回し、晩ご飯の下ごしらえまで一気に済ませてしまう。おっしゃ! よっしゃぁ!と、意味のわからないかけ声で自分を叱咤激励しつつ、掃除、洗濯、食事のしたく、ゴミ出し、PTA、エトセトラ。何から何までせっせと済ませて、朝の9時には呼吸を整え、パソコンの前に座るようにしている。それは何のためか。もちろん仕事のためである。

 ただひたすら翻訳原稿を書くために、私は必死になってすべての家事を朝9時までには終わらせて、そしてデスクに向かうのである。そう、翻訳をするために。だって私は、一応、翻訳家なんだもの。私には、著者が全身全霊を込めて書いた本を、日本語に訳して読者に届けるという使命がある。でも…うぐぁ、ダメだ! 集中力が!

 仕事はよくフルマラソンに例えられるが、私の場合、42.195キロを走る前に、10キロぐらいは助走しているのではないかと思う。助走が終わった後も、長々とストレッチをしている。その上、走り始めてすぐに歩いたりする。助走が無駄に長いから、体力はすでに消耗しているし効率も悪い。その10キロ、無駄じゃないか!? その10キロ、なくても大丈夫なんじゃない!? そう考え始めて、たぶん10年ぐらいは経過している。

 集中できない。気づくとソーシャルメディアで見た同級生の娘の晴れ姿に涙したりしている。仕事仲間の訳書が出版されたと聞くと、そそくさとネット書店で購入する。ついでに関連書籍をしばらく眺め、これもいいなあ、よし買おう、この作家さんも好きなんだよね…え? 新刊!? 買うね、当然だ、はい、購入! こんな感じで、気づくと30分ぐらいは経過しているのだ。

 仕事仲間で、私のように「朝ご飯食べた~」だの、「今から授業参観。女装がツライ」だの、「朝からスーパー混みすぎ!」なんてことを、いちいちTwitterでつぶやいている人なんて一人もいない。「あー、疲れた。今日は何ページ進んだかなぁ」とか「そろそろノルマ達成」とか、微妙な、仕事してますアピールをしている人なんて皆無だ。とても恥ずかしい。その時間があれば仕事をすればいいのにと自分でも思う。みなさん本当にすごい。プロだ。反して私はダメ人間だ。自分に勝てない。自分が強すぎる!

 …と、こんな感じで夏休み明け直後は集中力を欠いていた私だったけれど、実は、ここしばらくはしっかりと仕事に向き合うことができている。子供達が毎日きちんと登校してくれる喜びが、夏の終わりのセンチメンタルな気持ちをかき消したことも、仕事に向き合うきっかけとなった。そして、一行、一行、ひたすら訳していくことが楽しくてたまらなくなってきた。心の中で、メラメラとやる気の炎が燃えている。一旦このモードに入ればもう大丈夫、あとは最後まで突っ走るだけだ。

 特にジャンルを決めていないこともあって(飛び抜けて得意なジャンルがないとも言える)、多種多様な文章を次々と訳して行くのは、とても骨の折れる作業だが、それでも書籍翻訳の醍醐味はここだと思っている。自分の知らない世界を毎日探検しに行くようなものなのだ。たった一行で数時間悩むこともあれば、膨大な量の訳文を書ける日もある。アップダウンが激しくて、仕事が終わると呆然として、頭が真っ白になってしまう。それでも、この仕事は好きだ。苦しいから寄り道ばかりしてしまうけれど、結局は必死になって作業をしているのだから、やっぱり好きなのだろう。

 さて、仕事に集中できるようになったのは喜ばしいことだが、先日作業している私の後ろから、双子のこんなヒソヒソ話が聞こえてきた。

 「いま近づいたらアカン。殺されるで!」
 「ひいっ」

 背中から殺気を出さずに仕事する方法も、習得すべきなのかもしれない。

 

 

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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