湯川遥菜さん、後藤健二さんの追悼集会の場では、人質となっていたモアズ・カサスベさんの写真を掲げる人々の姿もあった。


 忘れたくない日がある。2015年2月1日、ジャーナリストの後藤健二さんがISによって殺害されたとされる映像が流された。寒い朝だった。その日は元々、シリアの隣国、ヨルダンに飛ぶことになっていた。事件の緊急対策本部が置かれていたのもこの国だった。混乱したまま、浅い眠りのうちに、褐色の大地が覆う地に降り立った。暮れかけた日を背に、首都アンマンの日本大使館前に向かう。
 そこには既に、小さなキャンドルを手にした人々が100人以上集っていた。「日本の友人たちのために祈りましょう」と、ヨルダンの人々がSNSで追悼集会を呼びかけてくれたのだった。ヨルダンの人々だけではない。この国で避難生活を送るシリアの人々にも、「日本人?」「大丈夫?」と何度声をかけてもらっただろうか。何よりもまず、悼む心を忘れてはいけないと、私はいつもこの地で教えられてきた。この声がどうか少しでも、犠牲になった二人の大切な人たちに届きますように。そう願わずにはいられなかった。
 けれどもこの数日後、今度はヨルダン人パイロットのモアズ・カサスベさんが、ISの手によって生きながら火に焼かれる映像が流された。テレビもラジオも、そのニュース一色となった。「ヨルダンは危なくないの?」と度々知人たちから届くメッセージを眺めながら、複雑な思いを抱いた。あの日、彼らが祈りを捧げてくれたときと同じくらい、私たちはこの地の平和を願うことができているのだろうか、と。
 あの日から、2年あまり。問いかけられた“宿題”は、まだ私たちの前に残されたままだ。

追悼集会が開かれた同じ日に再会したシリア人家族の元には、新しい命がすくすくと育っていた。