試しに「方言&人気」「方言&モテる」でネット検索すると、軽く百万件以上ヒットしてくる。高度経済成長期の上京青年たちを悩ませた、「方言」を「恥ずかしい」「隠したい」と感じる「方言コンプレックス」は今や昔。テレビの普及によって「共通語」が誰でも使えるフツーのことばとなったのが一九八〇年代。インターネットの普及に伴いメイルやSNSなどの「打ちことば」が一般化し「話すように打ちたい」というキブンに火が付いたことにより、文字化されることの少なかった「方言」が急速に見える化したのが二〇〇〇年代。今や「方言」は「誇らしい」「使いたい」ものとなっており、昨今の「地元ブーム」とも相まって、各種方言コンテンツも花盛り、加えてご当地キャラやご当地ヒーロー、観光キャッチフレーズなどなどの貴重な地域資源にもなっている。そんな方言プレスティージの時代をわたしたちは生きているのだ。
人気の方言の定番は、おおむね「関西弁」「九州弁」「広島弁」である。その理由は、「女らしい」とか「男らしい」とか「かわいらしい」といったものである。こういった「○○弁」と結びつくイメージは、「方言」そのものの言語的特徴に基づくものではない。それは「方言ステレオタイプ」に拠るものなのだが、これらは日本語社会の中に蓄積されてきた小説やドラマや映画、マンガやアニメなどのコンテンツ類でどのように表象されてきたのか、ということと深く関わる。
つまり、わたしたちが「方言」と捉えているものには、少なくともふたつの水準があるということである。日々の生活の中で使われている「素の方言」すなわち「リアル方言」と、それを何らかの水準で編集加工した「ヴァーチャル方言」である。コンテンツ類に現れる方言はすべてヴァーチャル方言である。頭の中に刷り込まれるものであるために、気づきにくいが、ヴァーチャル方言や方言ステレオタイプも移り変わる。リアル方言やリアル社会がヴァーチャル界に反映されることもあるし、逆にヴァーチャルなコンテンツのありようがリアル界に逆流することもある。両者は、無限の往還関係にあるわけだ。
さて、人気の高い方言のひとつである「九州弁」の方言ステレオタイプといえば、「ザ・男弁」である。みなさんの頭の中に格納されている「九州弁キャラ」を思い浮かべていただきたい。西郷隆盛をはじめ、『巨人の星』の左門豊作などなど男気あふれる熱き血潮の九州弁キャラが次々と思い浮かぶであろう。そもそもこの九州弁ステレオタイプがどのように形成されてきたのか、ということも興味深いのだが、マンガに現れる九州弁キャラに焦点を絞り、その変遷のさわりをたどってみよう。
「方言マンガ」が群を成して登場してきたのは、高度経済成長がスローダウンした一九七〇年代である。「三大九州弁マンガ」(『男おいどん』『博多っ子純情』『まんだら屋の良太』)が登場してきたのもこの時期である。このうちもっとも早い時期に連載が始まった松本零士『男おいどん』は、九州のどこかの故郷(クニ)から上京したガニマタ・メガネの縦縞サルマタ愛用者である勤労少年「おいどん」の「金ない モテない 勇気ない」(第一回扉キャッチコピー)情けない日々を、これまたどこのものともいえないパッチワーク九州弁で描くペーソス・ギャグ。なんたって「おいどん」のキメゼリフのひとつは「すまんでごわすバッテンタイ」と九州各地のごちゃまぜ方言なのである。 「おいどん」のパッチワーク九州弁を、マンガ研究者の吉村和真は「田舎者」のことばとしての「方言」と捉え、九州弁ステレオタイプを打破するような「美男子キャラ」ははたして登場するのだろうか、とかつて嘆いた(といっても二〇〇七年のことである)。
そう。「かつて嘆いた」のだ。
二〇一四年、ついに? 気に病むそぶりもなく九州弁(筑豊弁)をしゃべる「腰パンヤンキー系美少年」の登場するマンガ『チクホー男子☆登校編』(美月うさぎ)が現れたのである。ボーイズラブ系の絵柄で描かれるW主役の男子高校生たちは、じつにちゃらちゃら、すらりとしたキレイめ男子。うちひとりは人妻キラーのモテキャラとして造形される。「ちくほうくらて」「ちくほうむろき」などといったリアルな地名由来の駅名に加え、注記なしに遠慮なくリアル度の高いチクホー弁でしゃべり倒す。一九七六年に連載が開始された長谷川法世『博多っ子純情』も、リアル度の高い風景描写と九州弁(博多弁)が用いられた「九州弁マンガ」としてよく知られるが、その際の「方言」には多種多様な形式で注記が添えられたものである。
リアル度の高い九州弁を使い、これまでの「ザ・男弁」ステレオタイプとそれに伴うずんぐりむっくり容貌をさらりと踏み越えたモテ系ちゃらキャラの登場は、方言プレスティージの時代の象徴といっていい。その背景にはこの間に生じた日本語社会全体における方言の価値の上昇と、それに伴うリアル方言話者たちの抱く蓄積された方言ステレオタイプへの書き換え欲求が見え隠れする。
ヴァーチャル九州弁は「ザ・男弁」から「モテ弁」へと守備範囲を広げた。さて、次はどの「方言」にいかなるニュータイプが現れるのか。そしてそのきっかけは何で、どのような展開を見せてくれるのだろうか。リアルとヴァーチャルの往還関係、じつに楽しみで目が離せない。ツクリモノの方言はいいかげんでいけない! などと目くじらを立てるばかりではなく、こんな楽しみ方もあるのである。案外深い。ぜひ、お試しあれ。
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田中ゆかり
1964年神奈川県生育。日本大学文理学部教授。専門は日本語学。著書に『「方言コスプレ」の時代―ニセ関西弁から龍馬語まで』(岩波書店)、『首都圏における言語動態の研究』(笠間書院)、『ドラマと方言の新しい関係』(笠間書院、共編)、『方言学入門』(三省堂、共編著)など。(雑誌掲載時のプロフィールです)
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 田中ゆかり
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1964年神奈川県生育。日本大学文理学部教授。専門は日本語学。著書に『「方言コスプレ」の時代―ニセ関西弁から龍馬語まで』(岩波書店)、『首都圏における言語動態の研究』(笠間書院)、『ドラマと方言の新しい関係』(笠間書院、共編)、『方言学入門』(三省堂、共編著)など。(雑誌掲載時のプロフィールです)
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