きっかけは犬
本連載は誠に思いがけないことがきっかけで始まることになった。
犬なのである。
そう言ったら、犬を不浄と見なすイスラム教徒のソマリ人は眉をひそめること間違いないが、本当なのだから仕方ない。
うちの妻は私と同業のノンフィクションライターだ。動物関係を得意とし、特に動物愛護・福祉については日本で最も詳しいライターの一人だろう。単行本も数多く書いているが、この数年、「いぬのきもち」という雑誌にて隔月で連載記事を書いている。題して「犬のために何ができるのだろうか」。飼い主から捨てられた、あるいははぐれてしまったなどして、保健所に収容され、「殺処分」されてしまう犬は毎年2万頭以上にものぼる。少しでもそのような犬たちの命を救うため、現在全国各地の行政や市民が犬の里親探しを行い、彼らが幸せな生活を始められるよう努力している。そういった活動を取材・執筆するのだ。
下調べを行い、取材先を見つけてアポイントをとり、強行軍で取材を行う。相手が犬なので真夏でも真冬でも野外での取材が欠かせないし、けっこう労力がかかる。書きためて単行本になるというわけでもない。
私はしかし、彼女の連載が羨ましかった。
自分の知識をアップデイトできるからだ。いくらその分野に通じているとはいっても、状況は常に変わっている。新しい方法や考え方が生まれる。地域差もある。連載となれば、他の仕事が忙しくても、ときに自分がそのテーマに疲れていても(書き手にはそういう時期が必ずある)、必ず2カ月に1回はきちんと取材し、文章を書かねばならない。そうすることによって、知識と経験が更新され深まるのである。
「いいなあ」と思った。私はライフワークの一つに「ソマリ人の研究」を掲げている。7年前、“崩壊国家”ソマリアの中で、そこだけ平和だという「ソマリランド」なる謎の国について聞き、実像を求めて探索した。以来、西洋民主主義的な考えとはかけ離れた、ソマリ人独自の伝統的な氏族社会や「掟」にたいへん心惹かれている。日本では私の他に調査研究している人はいないし、世界的にもひじょうに少ない。それこそ私がやらねば誰がやるという気持ちなのだ。将来的にはアフリカ東部に住むソマリ人の言語(ソマリ語)を習得し、ソマリ人の住む場所を全域踏破することが目標だ。そしてソマリ人という民族を可能な限り、広く深く理解したいと思っている。
でも、もはや単行本を2冊も書いてしまっているし、ソマリ(ソマリ人と彼らが住む土地)をテーマにした次回作などそう容易く書けるとは思えない。かといって、自分の興味だけで続けるのはしんどい。どうしても他の「仕事」が優先になるし、やはり自分が知り得た新情報を読者に伝えたいという本能が抑えられない。逆に言えば、発信しない情報の取得には気合いが入りづらい。
といったわけで、ある日ツイッターにこうつぶやいたのだ。
「妻が羨ましい。『ソマリ人のきもち』という雑誌があればそこで連載するのに」
すると、どうしたことだろう。新潮社のSさんから翌日電話がかかってきた。
「うちの雑誌で今度Webを始めるので、そこで『ソマリ人のきもち』という連載をやりませんか」
別に決まったテーマがなくても、随時、私が知り得たソマリ人に関する知識や新情報を書いてかまわないという。
なんというラッキー! ダメ元でもなんでも言ってみるものである。
しかし、犬とソマリ人ではわけがちがう。犬に興味をもつ人は全国に1000万人以上いるだろうが、ソマリ人に興味があるという人は私の他にいったい何人いるだろうか。10人かそこらじゃないか。まあ、いい。私が面白ければ。
かくして、誰が読むのかわからない謎の連載が始まったわけだ。
日本に持ち込まれるソマリの氏族対立
ソマリ人ほどユニークな民族は世界的にも珍しい。人口は1500万人くらいいると思われ(誰もちゃんと数えていないので正確な数は不明)、アフリカではソマリア、ソマリランド、エチオピア、ケニア、ジブチの5カ国にまたがって暮らしている。また、難民として世界中に移り住んでいる。決してマイナーな民族ではない。なのに、独特な行動様式や伝統をいまだに維持している。
それが面白さであり付き合ううえでの大変さでもある。
例えば、私が苦しみつづけているのは、日本に暮らすソマリ人と気軽に付き合うことができないことだ。
在日ソマリ人は東日本大震災の前には20人近くいたらしいが、震災後は減り、今は推定5、6名しかいない。私にとっては少子化問題より“少ソマリ人化問題”の方が深刻である。さらに厄介なことに、これらのソマリ人は全て首都圏に暮らしていながら、食事会やホームパーティなどを一切行わない。もしそのような集まりが定期的に開かれれば、私もそこへ行き、気軽におしゃべりを楽しんだり、情報交換したりできるはずだ。ところが、現実にはパーティどころか、ろくに付き合いもない。
なぜか。最大の理由は「氏族」である。
ソマリ人は氏族という枠組みの中で生きている。大きな意味での“ファミリー”である。日本の歴史でいえば、源氏とか平氏のようなもの。源氏の中にも清和源氏とか嵯峨源氏などいろいろあり、時代が下れば清和源氏内でも新田氏や足利氏などに分かれる。ソマリの氏族も同じように細かく分かれている。ソマリ人は常に氏族で結束をかためている。誰か氏族のメンバーが殺されたり拉致されたりしたら、たとえそれが面識のない人であっても、復讐や反撃に馳せ参じることも多々ある。
1991年に崩壊したソマリア共和国は、以後、無政府状態に陥り、大小さまざまな氏族がおりなす戦国時代と化した。混沌としていると思われがちだが、氏族単位で見ればほぼ理解できる。
旧ソマリアは現在では大きく三つの地域に分裂している。
まず、北西部の有力氏族が独自に内戦を終結させ、“建国”した前述の「ソマリランド」。国際社会では認められていないが、驚くほどに治安と秩序を維持しているばかりかアフリカでは珍しく高度な民主主義を実現しているので、私は「国家」と見なしている。
いっぽう、その隣の北東部には「プントランド」という国がある。こちらは独立した政府と軍隊を持ちながらも、いちおう「ソマリア連邦共和国内の独立政府」を標榜している。ソマリランドの「独立」など絶対に認めないし、領土をめぐって激しく争っている。というより、ソマリランドを建国した北西部の諸氏族と昔から敵対していた北東部の諸氏族が、ソマリランドに対抗するためにプントランドを立ち上げたというのが真相に近い。
そして残りの南部ソマリアは、いちおう4年前に中央政府が20年ぶりに誕生したものの、イスラム過激派との激しい戦闘やテロが続いている。南部では大きく二つの有力氏族があり、片方が主に政府を支持し(大統領もその氏族出身)、もう片方が主に過激派を支持するという構造である。他にも各地方レベルで、小さな氏族単位で戦闘が絶えない。
海外に出ても氏族ごとの結束は変わらない。例えば、難民となったソマリ人が世界で最も多く集まっているのはアメリカ・ミネソタ州のミネアポリス。10万ものソマリ人が暮らしているというが、ソマリ語のFMラジオ局が20以上あるという。同じ街に住む同じソマリ人なのに、氏族ごとに別々のラジオ局を運営し、それを聞いているらしい。
まあ、10万人もいれば、同じ氏族が相当数いるわけで、だからFM局を開設できたりもするのだろうが、日本にはたった5、6人である。氏族の仲間はそうそういない。それどころか、敵対している氏族だったりもする。
ファイサルとマハムドが典型例だ。ファイサルはお父さんがソマリランド独立の英雄の一人である。若くして旧ソマリア独裁政権下で財務大臣を務めたが、政権による北西部(ソマリランド)の弾圧や虐殺を告発し、アメリカに亡命。反政府活動に入った。80年代後半、最初に「ソマリランド共和国独立宣言」を読み上げたことで知られる。
そんな偉人があろうことか千葉県東金市にある城西国際大学で経済学を教えていた。アメリカでこの大学関係者と知り合い、招聘されたらしい。ダンディーな人だったが、残念ながら5年ほど前、大学付近の自宅で心臓発作のため亡くなった。遺体は千葉県からはるばるソマリランドの首都ハルゲイサまで運ばれ、「国葬」に付された。息子のファイサルは父のあとを追うように来日し、今でもまだ東京に住んでいる。当然ながら、ソマリランドの有力氏族に属している。
かたや、マハムドはソマリランドが「宿敵」と見なす、隣のプントランドの氏族出身。ソマリランド系の氏族も、プントランド系の氏族も、日本にそれぞれ彼ら一人ずつしかいない。なのに、その二人が狭い極東の島(しかも東京都内)でいがみ合っている。
二人とも、人間的にはいい人だ。でも、氏族的に相容れない。私が会いに行くと、どちらも「あいつとは付き合わないほうがいい」と言う。
プントランド系のマハムドには「ソマリランドなんか危ないから行くな」と警告されてもいた。でも、ソマリランドは治安がよく、危なくない。危ないのはプントランドの方なのだ。いわゆる「ソマリアの海賊」は8割方プントランドの氏族が行っていたし、プントランドでは外国人は護衛なしでは一歩も外を歩けない。すぐに拉致されてしまうのだ。私は実際にそれを確かめたうえ、本に詳しく書いてしまったので、彼の怒りを買った。新たにソマリ人が来日すると、マハムドは「タカノとは付き合うな」とわざわざ忠告してくれているらしい。
かといって、ファイサルと仲良くなったかというとそうでもない。こちらはあまりの「ソマリランド愛国主義者」で、ソマリランドのいいことしか話さない。例えば、大統領の氏族に権力が集中しすぎているんじゃないかとか、野党やマスコミに不当な圧力をかけているんじゃないかと訊いても、「いやいや、それは大した問題じゃない。みんなソマリランド人なんだから。それより問題なのはプントランドと南部ソマリアだ」などと矛先を変えてしまう。ソマリランド政府報道官の公式コメントを聞いているようで虚しくなる。本当は彼にこそ、ソマリランドの氏族しか知らない内部事情を教えてほしいのだが……。
彼らは当然、交流を絶っていたが、思いがけず、日本の公的な場で激突することになってしまった。「海賊の取り調べと裁判」という形で、である。
日本にやってきたソマリの海賊
2011年3月、商船三井の船舶がソマリア沖で海賊に襲われたが、駆けつけた米軍らによってあっけなく海賊の方が捕獲された。日本国籍の船だということで、捕まった海賊4名は日本に引き渡された。国際協力の名の下に「海賊対処法」なる法律が制定されており、アフリカで起きた事件を日本の国内法で裁くというシュールな展開となったのである。
しかし、日本の当局が困ったのはソマリ語の通訳がいないこと。しかも通訳は最低二人必要だった。一人は警察と検察側、もう一人は弁護側である。同じ人間が両方の通訳を兼ねるわけにはいかない。
具体的に誰が探したのか知らないが、結果として発見されたのが、上記のファイサルとマハムドだった。彼らは英語が達者なので、英語と日本語の通訳を用意すれば、二重通訳という面倒くささはあるものの、用は足りる。
ファイサルは弁護側へ、マハムドは警察・検察側へ付いた。図らずも、ソマリランドとプントランドの代理戦争が、マスコミも注目する史上初のソマリア海賊逮捕→裁判にて勃発したのだ。
ところがである。あろうことか、立場が反対になってしまった。というのは、前述したように、ソマリアの海賊というのは8割方がプントランドを拠点とし、プントランドの氏族(つまりマハムドの氏族)が行っている。この海賊4名も同様だ。
しかし、本来なら「仲間」であるはずのマハムドは警察・検察の通訳、そして彼らの弁護側通訳は「宿敵」ソマリランドの氏族であるファイサルなのだ。
もちろん、通訳はあくまで通訳でしかなく、何か便宜をはかったり、邪魔だてしたりできないとは思うが、心理的な作用は大きいだろう。実際、ソマリランド・ラブのファイサルは、私に「守秘義務があって詳しくは話せないけど、海賊連中は『通訳を変えろ!』って騒いでいて参るよ」とこぼしていた。無理もない。ソマリ人は一緒に何か仕事をするようなとき、必ず相手の氏族を確認する。当然元海賊の人たちもそうしただろう。訊かれればファイサルは自分の氏族名を答え、すぐにソマリランド系だと知れる。そしてプントランド系の人間からすると、ソマリランド系の人間など絶対に信用できないのだ。
いっぽう、私が裁判を傍聴に行ったら、検察の通訳としてプントランド系のマハムドが同じ氏族である被告を問い詰めており、初めのうち笑いをこらえるのに苦労した。
この話をソマリ人にすると、(プントランド系の氏族以外には)たいてい大受けする。誰もがその対立を知っているからだ。
ああ、なんて面倒くさいソマリ人。でも、これほど面白い民族もないのである。
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高野秀行
1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記』『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉』など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 高野秀行
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1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記』『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉』など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。
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