たった2人の「在日ソマリ人」
日本でソマリ人とふれあうのがいかに難しいか前回書いた。在日ソマリ人が5、6人しかいないうえ、彼らが互いに交流しようとしないからだ。
おかげで私が常時会って話ができるソマリ人は早稲田大学に留学していた南部ソマリア出身のアブディラフマン(通称アブディ)だけである。彼は「ほんとにソマリ人なのか?」とときどき疑いたくなるほどに物静かで真面目な男だ。「イスラムの教えに反するし、お金を使うのももったいない」という理由で、飲み会にもディスコにも行かない。日本人や他の留学生の友だちとも親しくならない。ソマリ人の友だちもいない。おかげで常に孤独感にさいなまれていた。
私は4年前、彼が日本に来たばかりの頃、ネットニュースで彼の存在を知り、以来ソマリ語を習ってきた。やがて、彼はうちにちょくちょくやってくるようになり、年末年始に2週間過ごしたこともある。
彼が来ると私はソマリランドで習い覚えたソマリ料理を出す。羊の骨付き肉のスープとか、羊のバラ肉の炒め物とか。
「いやあ、ここに来るとソマリアに帰ったみたいだ。ソマリ語が話せてソマリ料理が食べられる」とアブディは満足げである。
なんだか奇妙な感覚だ。ふつう、ソマリ人が日本人にソマリ料理を作って出すものだと思うが、逆なのである。なんだか私は彼の親戚のおじさんかおばさんになったような錯覚にとらわれる。
実際、私たちはほぼ毎週土曜日、私の自宅か、京王線明大前駅近くのマクドナルドかで顔を合わせ、ソマリアの政治や氏族の話で午後のひとときを過ごしていた。もはや、ソマリ語を習うとか教えるといった目的はとっくに忘れ、
「この前、また(ソマリアの首都の)モガディショでテロがあったね」
「最近、(イスラム過激派の)アル・シャバーブはハンパないね。最近は××氏族もけっこうアル・シャバーブに参加してるって話だよ」
などと喋っている。
私もアブディも、互いに相手が唯一の「在日ソマリ人仲間」なのである。
話す言語はソマリ語のみ。付き合って4年、驚くことに彼とはどんな話題であっても、ソマリ語で話すことができるようになっていた。
だが、さらに驚くのは、アブディ以外のソマリ人が話すソマリ語はさっぱりわからないことだ。
ニュースやYouTube映像はもちろんのこと、たまに別のソマリ人と会ってソマリ語で話そうとしても、何を言っているのかまるで聞き取れない。こちらの言うこともうまく通じない。
つまり、アブディ以外の人といるとき、私は「ソマリ語が全く話せない人」になっているのだ。
以心伝心は外国語学習の敵
一体どういうことなのか理解できない人も多いだろうが、これは実は語学の「個人レッスン」における最大の弊害として知られている。
言語は相手のバックグラウンドを知っているかどうかに大きく左右される。相手の口調、口癖から始まり、出身地、現在の生活、食べ物や異性の好み、支持している政党、日頃よく行くスーパーなどを知っていればいるほどその人の言うことは理解しやすくなる。
こういう話し相手が大勢いれば普通に「話せる人」になるのだが、相手が一人だけの場合、「その人のことしかわからない」という状況になりやすいのだ。
日本人同士でもこういう状況は起きている。長年連れ添った夫婦だ。
「あれ、どこだっけ?」
「あれはあそこでしょ」
という会話が成立してしまうのだ。要するに長く一緒にいると、なんでも以心伝心してしまい、言語が不要になる。
外国人カップルには言語的にこの現象が見られやすい。バンコクに住む日本人の知人はタイ人の奥さんとはすべてタイ語。タイ語の新聞やネットニュースもすらすら読めるほどのタイ語力でありながら、外に出ると主に英語でタイの人たちと話している。特に仕事ではそうだ。
彼笑って曰く「俺のタイ語がわかるのはかみさんだけ」。
同じ話をスペイン人と結婚した日本人の知人にも聞いたことがある。「共通語は英語だけど、二人にしか通じない『英語に似た何か』で、他の人が聞いてもたぶん全然わからないと思う」と言っていた。
私とアブディのソマリ語会話も完全にそうなっている。私は彼のバックグラウンドや話し方を熟知している。彼が何を言いそうなのか、話す前からわかるのだ。向こうも同様。私に話すときは自動的にスピードを落とし、わかりやすい表現を使うし、私の拙いソマリ語のクセを完璧に憶えているので、どんなに変ちくりんな表現でもすぐに意を汲んでしまう。
もはや「あれはあそこでしょ」の世界に突入している。これでは言語が上達するわけがない。
あと一人、定期的に会えるソマリ人がいれば、いいのだ。すると、ソマリ人二人がふつうに話す生のソマリ語が聞ける。でもそんな機会は皆無だ。
このような状況にトドメを刺したのが、アブディの離日である。大学を卒業し、ソマリアに帰ってしまったのだ。
私はとうとうたった一人の「在日ソマリ人」になってしまった。ソマリ人じゃないのに。ソマリ語も話せないのに。どうしてこんなことになったのか……。
これじゃいかんと一念発起し、今年(2016年)の正月からソマリ語の独習を開始した。
まずはBBCのソマリ語放送。BBCワールドサービスは、英語と27言語でラジオ放送とネット配信を行っている。アラビア語、日本語、スペイン語、スワヒリ語、ヒンディー語などに混じってソマリ語もラインナップされている。ソマリ語は世界でも決してマイナーな言語ではないのだ。
ニュースはイギリス時間の朝7時、昼12時、夕方6時、夜9時の4回。各15分〜20分。それがポッドキャスティングの形式でスマートフォンやパソコンでいつでも聞くことができる。
内容を細かく聞き取るのは至難の業だが、毎日聞いていれば、だいたい何のニュースかくらいはわかってくる。この放送はソマリランドやソマリアといった「本場」のみならず、世界中に飛び散っているソマリ人海外居住者に向けて放送している。全世界のソマリ人が今何に興味を持っているのか、この放送を聞けばわかる。
この4、5ヶ月は「ソマリアにおける内戦と爆弾テロ」「世界各地のテロ」「シリア内戦」「ヨーロッパの移民問題」が4大トピックだろう。おかげで、「どこどこで爆弾が爆発し(戦闘が勃発し)、何人が死亡し、何人が負傷した」とか「移民の乗った船がリビアとイタリアの間で沈没し、何人死亡した」といった表現だけはちゃんと聞き取れるようになってしまった。
面白いのは、このBBCラジオが個人の連絡手段にも使用されていること。例えば「尋ね人」コーナー。
「モハメド・アブディカディル、兄、2006年、モガディショで最後に会って以来連絡なし。探しているのはフセイン・アブディカディル、現在イエメンのサナア在住。連絡先はサナア移民局まで」といったことをアナウンサーが一気呵成に喋り倒す。内戦が四半世紀にわたって繰り広げられ、親族や友人が散り散りになっているケースが多いらしい。
もう一つは「結婚祝い」。「グーレード・オマル・ファラーとファトゥマ・ファイサル・サマターのご結婚おめでとうございます。アリ・オマル・ファラー、アブディラヒ・オマル・ファラー……」と、これは新郎の親族からの“祝電”なのだろう。最初お経かと思ったくらい単調かつ猛スピードでずらずらと人名が列挙されていく。これまた移民や難民としてソマリ人が世界各地に離散し、親族の婚礼にも容易く参加できないという事情が垣間見られる。
それにしても、全般的にBBCラジオは悲惨なニュースが大半を占め、気が滅入る。別にソマリにかぎったことではないが、「ニュース=悪いニュース」なのである。
その証拠にBBCを聞いていてもソマリランドのことはさっぱりわからない。平和で何も起きないのでニュースにならないのだ。4月になって珍しくソマリランドのニュースがときどき流れるようになったが、それは雨季に雨が降らず干魃が悪化したからだ。ちょうど熊本地震が発生した頃だ。ふだんはソマリ人に無関係な日本のニュースも稀なだけに、ソマリランドと日本がトップニュースで並ぶという希有にして憂鬱な時期だった。
いろいろと刺激的なはずのBBCラジオだが、聞いているとほぼ必ず眠くなり、特に後半は66%の確率(推定)で寝てしまう。
なぜか。後半になると、戦闘や爆弾テロ、飢饉などの現場ルポや専門家へのインタビュー(「生」ではなく「収録」)になるのだが、インタビュアー(ラジオ局のアナウンサー)が「現在の状況はいかがですか?」と訊ねると、相手はそれが政治家であろうと氏族の長老であろうと一般市民の目撃者であろうと、とにかく喋りまくる。インタビュアーに口を挟ませる機会など絶対に与えない。早口だし、息継ぎの間も入れない喋りは、まるで落語家の演じる江戸っ子の啖呵のよう。「大工調べ」とか思い出す。
たいてい電話かSkypeで音声が不明瞭なうえ、めちゃくちゃな早口で、ときには怒鳴っていて声が割れているので、私には意味がわかることはめったにない。
これが質疑応答の形になっていれば、もう少し私にも理解できると思うのだが、残念ながらそれはない。
インタビュアーは毎回「それはわかりましたが、あのもう一つうかがいたいのは…」などと質疑応答に持ち込もうとするが、応じる人はほとんどいない。相手を無視して1分でも2分でも勝手に話し続ける。その執念といったら、なにか無酸素潜水の世界記録を作ろうとするダイバーじみている。
最後にインタビュアーが「どうもありがとうございました」と挨拶することも稀だ。というのはたいてい、もうどうにもならなくて、途中でインタビュー録音をブチッと切って、「はい、ガルカイヨから政府軍地区司令官のウスマン氏にお話をうかがいました」という感じで終えてしまうからである。ウスマン氏がこのあと実際に一体何分喋り続けていたのかは不明だ。
日本人で即興でこれだけ立て板に水で喋り続けられる人はまずいないだろう。テレビのバラエティ番組によく出演するお笑い芸人くらいじゃないか。でもソマリ人はほぼ全員がこうなのだ。
ともかく、この意味不明な喋り倒しが私に強烈な睡魔をもたらすのである。戦闘がまだ続いている現場リポートですら寝てしまうのだから、その威力は並みではない。
こんなことではいけない。いくら言語の才能があっても眠っていては上達するわけがない。というか、どうしていつまでも孤独にラジオを聞いてるんだろう。ソマリ世界に帰りたい──。
結局、4月末、自分の新刊が発売される大事な時期に無理やり日本を脱出し、アフリカのソマリ世界に戻ることにした。
旅の相棒は私のソマリ語を完璧に理解する世界唯一の男・アブディ。彼はソマリランドを見たことがない。「俺が君にソマリランドを案内してやるよ」と言ったら、「それは楽しみだ」と喜んだ。奇妙なオジさんと甥っ子の旅になりそうだった。
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高野秀行
1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記』『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉』など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 高野秀行
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1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記』『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉』など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。
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