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安田菜津紀の写真日記

2019年6月14日 安田菜津紀の写真日記

「また来るために」で死ぬことを思い留まったあの日

著者: 安田菜津紀

ご近所の散歩道。下を見るといつも、花たちが語りかけてくる。

 前回の連載では、海外に出向いた時や、海外から友人を迎えた時の時間感覚の違いについて書かせてもらった。その続編を書く予定だったが、それは次の連載で触れたいと思う。今どうしても、言葉に残しておきたいことがあるからだ。
 5月末、川崎市で、児童やその見送りに来ていた大人、20人が殺傷される事件が起きた。こうした事件で大切な方を亡くされたり、あるいは過去の記憶を呼び起こされたりして苦しむ方々へ、長い月日をかけてのトラウマケア、グリーフ(悲嘆)ケアが不可欠だと思う。
 その一方で事件直後、犯行に及んだ男性に対し、「死にたいなら一人で死ね」という言葉がネット上に溢れ、そしてテレビコメンテーターの言葉からも広まってしまった。その言葉はともすると、誰かの「死んでやる」の引き金となってしまうかもしれない。二度と繰り返したくないからこそ、生きづらさを増幅するような言葉を投げつけるのではなく、そんな死に方をしなくても「明日も生きていたい」と思える社会をどう築いていくかに、力と知恵を注ぎたい。
 蛇足になってしまうかもしれないが、高校時代、一人で初めて父、兄の墓参りに行ったとき、「死んでしまおう」と思ったことがある。けれども墓の前で佇んでいるとき、「おーい」と、後ろから声がした。墓地まで送ってくれたタクシーの運転手さんだった。「帰り、困ってるんだろう?すぐ下のバス停までだったら送っていけるから、乗っていきな」。あの時、半分頭が真っ白だったので、十分にお礼を伝えられたかも分からない。
 そしてたどり着いた最寄り駅の前に、小さなラーメン屋さんがあった。お腹が空いている感覚はなかったものの、なぜか吸い寄せられるようにふらりと入った。客は私だけだった。醤油ラーメンを食べてお店を出るとき、片言の日本語を話す店主さんがにっこり笑って、「どうも!また来るために!」と手を振ってくれた。「また来るために」の言葉の響きが温かくて、今でも心に刻まれている。そして私はその日、家へと帰った。
 あの時、あの運転手さんに出会わなかったら、どうなっていただろうか。あの時、あのラーメン屋さんに入っていなかったら、今私はどんな生き方をしていただろうか。人の生活や命は繊細に揺れ動き、些細なことで深く傷ついたり、逆に救われたりすることもある。
 そんなささやかな救われる瞬間を、少しでもこの社会で重ねていけるように。

陸前高田市、広田半島。舞い降りてきた花びらたちが、「時々下を向いていいんだよ」と語りかけてくれているようだった。
君とまた、あの場所へ―シリア難民の明日―

君とまた、あの場所へ―シリア難民の明日―

安田菜津紀

2016/04/22発売

シリアからの残酷な映像ばかりが注目される中、その陰に隠れて見過ごされている難民たちの日常を現地取材。彼らのささやかな声に耳を澄まし、「置き去りにされた悲しみ」に寄り添いながら、その苦悩と希望を撮り、綴って伝える渾身のルポ。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

安田菜津紀

1987年神奈川県生まれ。認定NPO法人Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル/D4P)フォトジャーナリスト。同団体の副代表。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で難民や貧困、災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。著書に『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)、他。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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