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山野井春絵「友達になって後悔してる」

2025年11月17日 山野井春絵「友達になって後悔してる」

第9回 三度目の絶交宣言 〜おじさんたちのソウルメイト〜

著者: 山野井春絵

「LINEが既読スルー」友人からの突然のサインに、「嫌われた? でもなぜ?」と思い悩む。あるいは、仲の良かった友人と「もう会わない」そう決意して、自ら距離を置く――。友人関係をめぐって、そんなほろ苦い経験をしたことはありませんか?

 自らも友人との離別に苦しんだ経験のあるライターが、「いつ・どのようにして友達と別れたのか?」その経緯を20~80代の人々にインタビュー。「理由なきフェイドアウト」から「いわくつきの絶交」まで、さまざまなケースを紹介。離別の後悔を晴らすかのごとく、「大人になってからの友情」を見つめ直します。

※本連載は、プライバシー保護の観点から、インタビューに登場した人物の氏名や属性、環境の一部を変更・再構成しています。

 医師の森繁さん(61歳)は、中高時代の友人・加藤さんから、これまでに三度「絶交宣言」をされている。一度目は中学時代、ささいな口喧嘩から。二度目と三度目はここ数年のことだという。同い年の妻を病気で亡くした加藤さんは、とある遺族サークルで知り合った女性を「ソウルメイト」として慕うようになった。決して「恋愛」ではない、「友情」だと主張しながら、過剰な援助をしているらしい。その様子に危うさを感じた森繁さんが友達としてアドバイスをしたところ、加藤さんはブチギレて…。三度目の絶交宣言以降、二人は再会していないというが、果たして今後は。

ポッポーと呼ばれたあいつ

 加藤は、中高時代の同級生で、ボート部の仲間でした。昔から、変わり者揃いで有名な私立の男子校です。加藤も相当ユニークで、あだ名はポッポー。短気ですぐキレるところが、沸騰したやかんを連想させました。情にはもろく、学校で飼っていたハトが死んだ時に男泣きしたことも、ポッポーの由来のひとつです。単純で、ちょっと天然。いじられキャラでもあった加藤は、部活ではみんなから好かれていました。私たちは学校まで1時間以上かかる同じ沿線上に住んでいたので、登下校ではよく一緒になりました。

 高校時代のある日、私はハブ駅の構内で、加藤が見慣れない女子と話しているところを見かけました。加藤よりも背が高い、きれいな子でした。二人が手を振って別れたのを確認すると、私は加藤に駆け寄って、誰かと尋ねました。加藤はちょっと照れながら、同じ塾に通っている女子校の子だと答えました。

 翌日、私が別の友達にその話をすると、あっという間に「ポッポーには彼女がいる」という噂が部内に広まったのです。加藤は「大袈裟だな、まだこれからだ」などと嘯き、まんざらでもない表情でした。しばらくたったころ、部活がはじまる前に、私が「ポッポー、クリスマスは彼女と過ごすんだろう?」と冷やかすと、加藤は急に怒り出しました。

 「クリスマスは聖なる日だ。女性と過ごす日じゃない。お前はくだらない、恥を知れ」

 「なんだよ、お前、フラれたんだな。まあ仕方ない、とりあえず彼女よりも背が伸びてからまたアタックしろよ」

 私がふざけてそう言うと、加藤は顔を真っ赤にして「馬鹿野郎! お前なんか、もう絶交だ!」と手にしていたタオルを床に投げつけ、ボートハウスを出て行きました。

 「たぶん、彼女には、背の高い彼氏ができたんだろう」

 残された私たちは、しんみりそう話しました。と、まあこれが、一度目の絶交宣言です。加藤はしばらく私を避けていましたが、なんとなくまた一緒に登下校するようになり、いつも通りの関係に戻りました。

久しぶりに見たポッポーの男泣き

 私は実家の病院を継ぐべく医大へ。加藤は国立大の工学部に進んで、その後大手メーカーに就職しました。ボート部の何人かで出席した加藤の披露宴では、「絶対に変なあだ名は出すな」と念押しされていましたが、全員が「ポッポー、おめでとう」とスピーチしたので、新婦のお父さんまでも「ポッポー、娘をよろしく」と言い、加藤が顔を真っ赤にしてうつむいたのを今でもよく覚えています。加藤の奥さんは会社の同期で、加藤よりもかなり背の高い、控えめなかわいらしい女性でした。

 毎年、夏には部活仲間で集まって飲んでいましたが、加藤は転勤族だったため、たまに参加する程度でした。しょっちゅう連絡を取り合うでもなく、会えばいつも中高時代のくだらない笑い話と、近況を少々。LINEグループもできましたが、年に数回、誰かが写真を送ってくるくらい。久しぶりにみんなで顔を合わせたのは、部活仲間の葬儀の席でした。

 亡くなった原因は、大腸がんでした。当時、私たちは50代半ば。部活仲間の葬儀はそれが初めてのことでしたが、同級生の中には、すでに何人か亡くなっていると聞きました。焼香を済ませ、葬儀場のロビーに集まっていると、加藤が挨拶もそこそこに帰ろうとします。

 「なんだよポッポー、久しぶりに集まったのに。飲みに行かないの?」

 加藤は迷っているようでしたが、

 「奥さんの調子が、ちょっとよくなくてさ。まあ、今日は帰るわ。また今度」

 そう言って急ぎ足で葬儀場を出て行きました。

 加藤から電話がかかってきたのは、仲間の葬儀から数週間経ったころのことでした。奥さんは乳がんのステージⅣ期、ダメもとでセカンドオピニオン先を探しているとのこと。私は専門外ですが、何人か心当たりがあったので、紹介を引き受け、その後はメールでやり取りをしました。その流れから一度、二人で飲みに行きましたが、加藤はすっかり痩せこけて、その意気消沈ぶりは痛々しいほどでした。夫妻には子どもがありません。切望するも授からず、転勤が多かったために養子縁組や里子も難しかった、ペットすら飼ってやれなかったと肩を落として語りました。

 「お前がそんなに痩せこけていたんじゃ、奥さんが逆に心配するぞ。ほら飲め、もっと食え」

 私が勝手に注文した親子丼を、加藤は泣きながら食べました。久しぶりにポッポーの男泣きを見たぞと言うと、弱々しく笑いました。

 その年末に、加藤の奥さんは亡くなりました。葬儀では、加藤は涙を見せませんでした。

二度目の絶交宣言

 独り身になった加藤のことが気になりつつも、日々の仕事に忙殺されて、あっという間に時がすぎていきました。夫人の葬儀から2、3年経ったころ、Facebookで、珍しく加藤の投稿を見つけました。数人グループで、山登りでしょうか。アウトドアウェアに身を包み、バックパックを背負って、加藤は笑顔を向けていました。おお、元気になったか。私はにわかに嬉しくなってスクロールしました。やがて、どの写真でも、加藤の手には小さな人形のようなものが握られていることに気がつきました。なんだろう? 気にしながら見ていくと、山菜蕎麦の丼にその人形を立てかけた写真がありました。それはバンザイポーズをした猫の木製マスコットで、お腹の部分にアルファベットでHITOMIと彫り込まれています。仁美、それは亡くなった加藤の奥さんの名前でした。

 よく見れば、同行者もみな似たようなマスコットを持っています。キャプションには、「チームかすみ草の仲間でトレッキング! 全員が夫婦で参加! もちろん仁美も一緒に来たヨ!」とありました。

 なるほど、この「チームかすみ草」とはおそらく、つれあいを亡くした遺族の会だろう。私はそう合点して、コメントを書き込みました。

 「元気そうで何より。川から山へ鞍替えですな」

 すぐに加藤から返信コメントがつきました。

 「山もまたよし! そろそろ飲みませう」

 それから加藤はまめにFacebookを更新し、食事や、出かけた先などの写真を公開するようになりました。一人だったり、例の仲間たちと一緒だったりでしたが、写真には必ず仁美さんのマスコットが写っていました。それを見た私の妻が言いました。

 「ポッポーさん、元気になったみたいでよかったわね。このお仲間のなかでお付き合いが始まったりしたらいいのに。いつまでも人形に頼ってないで、新しい生活をしたほうがいいわ。なんていうか、もしこれ私だったら、いやだもん、旦那がずっと私のことを忘れないなんて」

 「え、忘れられたいの? さみしいんじゃないの?」

 「パパってほんとわかってない。女はね、しがみつかれるのがいやなの。仁美さんだって、きっとポッポーさんに新しい伴侶を見つけてもらいたいと思ってるでしょうよ」

 「へえ〜、そんなもんかね」

 二度目の絶交宣言は、この会話を私が飲みの席でぽろっと口にしてしまったことがきっかけでした。

 部活仲間の夏の飲み会に現れた加藤は、シャツの胸ポケットから根付けのようにマスコットをぶらさげて機嫌よく登場しました。久しぶりに出席率のいい会でした。相変わらず部室そのままの会話で盛り上がり、私も酔いが回りました。

 何かのついでに、ふと、「ポッポーも、そろそろその猫ちゃんとお別れして、前進したらどうだ。新しい伴侶を見つけた方がいいって、うちのも言ってたぞ」と言うと、周りの仲間たちも賛同しました。すぐに別の話題に移っていきましたが、しばらく黙っていた(ことにも誰も気づいていませんでしたが)加藤が、ふいにテーブルを拳で叩いたのです。

 「お前らに、何がわかる」

 驚いて、全員が沈黙しました。

 「何が」

 話のつながりを忘れていた私が言うと、加藤は唇を震わせながら私を睨みつけました。

 「家族が健康で、ずっと人生盤石なお前に、俺の何がわかるんだよ」

 まあ、まあ、と、仲間がなだめに入ります。しかし私も酔いにまかせて言い返しました。

 「だから、こっちだって、お前が一人でいることが心配で言ってるんだろ。いつまでも亡くなった人に縋って、さみしく暮らしてたら、仁美さんだって悲しむぞ」

 「違う! お前らは心配なんかしてない。高みの見物をしておもしろがってるだけだ」

 「おもしろがってなんかないって」

 「お前らのような人間と付き合う時間は、もうない。俺だって、いつ死ぬかわからないからな。一刻だって無駄にしたくない。だからもうこれっきりだ」

 「何言ってるんだ、大人げないぞ」

 「絶交、ということだ!」

 ガタンと音を立てて加藤は立ち上がり、震える手で財布から1万円を出し、投げつけるように置いて、店から出て行きました。

 「…この光景、既視感あるな」

 仲間の一人が呟きました。

 酔いが覚め、冷静になると、後悔の気持ちが押し寄せてきました。亡くなったとはいえ、これも「夫婦のこと」。他人が口出しするべきではなかった、と思いました。帰宅して妻にこの出来事を話すと、こっぴどく叱られました。

 「家の中で話したことをそのまま言うバカがどこにいるの。あんたたちっていつまでも学生気分で、本当にバカなんだから!」

 バカと言ってくれる嫁さんも、加藤にはいないのか。そう思うと、妻からの罵倒も受け流せる気がしました。

一回り以上年の離れたソウルメイト

 その後「チームかすみ草」をネットで調べてみると、やはり家族をがんで失った人たちの交流サークルだとわかりました。加藤文責のブログもいくつか見受けられ、活動記録などが生真面目な文章で綴られていました。私はその中に、40代くらいの童顔女性と加藤が並んで写っている写真を見つけました。それぞれの根付けをぶら下げた二人は、掘ったばかりのさつまいもを両手に持って寄り添っています。こんな女性が加藤の第二の人生の伴侶になってくれたらいいのに、と思いながら、またまた老婆心だぞと自分を戒めるのでした。

 絶交宣言から数ヶ月経つと、思いがけず加藤から飲みに誘われました。宣言などなかったかのように、いつもの調子で会話がはじまりましたが、私は思い切って先日の件を謝りました。ところが加藤はなんだかにやけています。

 「なんだよ、お前。…あっ、ひょっとして、誰かいい人でも?」

 加藤はあれこれもったいぶりながら、その後サークル内で懇意にしている女性ができたのだと打ち明けました。やはり、私がブログで見つけたあの写真の女性でした。彼女は40代。旦那さんをがんで亡くし、中高生の息子たちと、3人で暮らしているとのこと。

 「なんというか、あの場では、酒も入ってたしな。こちらこそ、悪かった。うん。しかし、その彼女とは、決して、そういう関係ではない。年齢も一回り以上離れているし、今さら俺も、恋愛という年齢ではないから」

 「上原謙だって70代で子どもができたんだぞ。還暦前だし、お前も金ならあるんだから、まだまだいけるだろう」

 そう言うと加藤は青年のように顔を赤らめて、怒りはじめました。

 「だから、お前らはすぐそういう方向へ持っていくだろ。俺と彼女は、そういう、単純な関係じゃないんだよ。彼女は、俺のことを、ソウルメイトと言っている。もっと、高次なんだよ」

 「ソウルメイト?」

 恋愛ではなく、心のつながりを大切にしており、デートや旅行にも行くが、男女の関係はないのだと加藤は主張するのでした。

 「俺からすると、そういう言葉でごまかしているようにしか見えないけどな。好きなら、ストレートにアプローチすべきじゃないのか。もし彼女が別の男性と結婚するとなったら、どうするんだ」

 「それは…」

 加藤は言葉を詰まらせました。

 「…いや、俺は彼女に二度目の介護をさせることはできない」

 思いやりのある男です。年上であることを引け目に、次のステップへ進むことができないのだなと思うと、いじらしく感じました。

 「彼女も、このままの関係でいいと言っている。これまで経験したことのないような、男女の友情だ。ありがたい。俺はこのまま彼女の家族を支えられたら、それでいいんだ」

 「おい待て、支えるって、金銭面でも支えているのか」

 「まあ、大した額じゃないよ。子どももできなかったし、俺は独りだからな。彼女の友達として、次世代を担う子どもたちのために、学費くらいは、と思っている」

 「学費ってお前、それは友達の域を超えているぞ」

 「いいんだよ。いいんだ、それで」

 決意したような加藤の表情に、私はそれ以上何も言うことができませんでした。

フタコブラクダの地味美人

 「それって新手のパパ活じゃないの」

 話を聞いて、妻が言いました。

 「危ないなあ。結婚を前提に付き合ってるとかなら、金銭援助もアリかと思うけど、何そのソウルメイトって。結婚詐欺ならぬソウルメイト詐欺って感じね。とっとと結婚しちゃうのがいいわよ。二度目の介護? 子どもの学費と引き換えに、やってもらえばいいのよ! これだから男子校育ちは困ったもんだわ、すっかり騙されて」

 「だけどポッポーは、高次な関係だと言っているよ。お互いに連れ合いをがんで亡くしているわけだし、本人たちにしかわからない絆のようなものがあるのかも」

 「…まあ、そういうことにしておきましょ。あの人、見た感じ、たぶんモテるわよ。ああいう地味美人っていうの? すぐ誰かいい男性ができると思う」

 「だけど2つのコブつきだよ? そんな簡単に再婚なんかできるかね」

 「ヒトコブラクダだろうがフタコブラクダだろうが、する人はするの!」

 ソウルメイトの彼女と、その息子たちとの交流を、加藤はよくFacebookで公開していました。長男の大学入学式では、まるで家族のように4人で写っていました。私は、なんとなくソウルメイトなどと濁しているが、そのうち2人は結婚することになるのだろうと楽観的にその様子を見ていました。

 ところがあるときから、加藤はぱったりとFacebookを更新しなくなったのです。メールをしたり、グループLINEでアテンションしてみましたが、反応はなし。気になって「チームかすみ草」のブログを見たところ、加藤の投稿はありません。サークルのニュースも1年以上前から更新されておらず、開店休業という雰囲気でした。

 また夏が来て、部活の飲み会の日程伺いが回って来ました。加藤はそれにも返事をする様子がありません。仲間にせっつかれ、私は加藤に電話をかけました。なかなか出ませんでしたが、数日後、ようやく電話に出た加藤の声は、ずいぶん沈んでいました。

 私の妻の予言通り、加藤の「ソウルメイト」は再婚することになり、サークルを退会したそうです。加藤とのプラトニックな関係も、新しい旦那さん(彼女よりも年下だそうです)が納得しないため、解消することになったとのこと。電話では埒があかないので、とにかく飲もう、と無理矢理誘い出し、私たちは加藤の自宅近くの居酒屋で会いました。

 加藤は、奥さんが闘病中のときよりもげっそりして見えました。無理もありません。私は、「今日はとことん加藤の話を聞いて寄り添ってやろう、余計なことは言わないように気をつけよう」と思っていました。

 「いや、べつに、彼女とのことでずっと悩んでた、ってわけじゃないんだよ。このところ仕事が大変でさ」

 加藤はそう言いますが、強がっているように見えました。

 酒が進むと、

 「なんで彼女が、こんなに簡単にサークルを抜けられたのか、そこが俺は、納得いってないんだよ。俺たちはみんなでこれからもずっと支えあっていく仲間で、その絆は、特別なものだと思っていた。なのに、若い彼氏ができたから、やめるって。それはないだろうって! 旦那さんに対して、悪いと思わないのか!」

 そう言って加藤は胸の根付けを握りしめます。

 「だから、まあ、彼女は若いんだよ。まだまだ子どもだって産めるかもしれないし。若い旦那なら、それこそ二度目の介護問題も考えにくいしな。いつまでも死んだ人に縛られて生きろっていうのも、酷な話だろ」

 私がそう言うと、加藤はどんよりとした目を向けました。

 「死んだ人に縛られて生きているって? 俺が?」

 「いや、お前だけじゃなくてさ。それぞれ考え方はあったとしても、宗教じゃないんだから、そのサークルも、残ろうが、辞めようが、その人の勝手だろ。彼女は、夫の死を過去のものとして、先へ進むことを選んだ、と。さっさと次のステージへ行ったわけだ。だけどお前はずっと前のステージにいる人間だと。そういう人といつまでも一緒には、いられないわなあ」

 「いや、彼女は、俺にとって、相方を失くすという壮絶な苦しみを分かち合った、本当の友達だったんだよ。百歩譲って恋愛関係ならば、解消はわかる、だけど友情ならば、永遠なんじゃないのか。なんで彼女の新しい旦那は、そこが理解できないんだ。というか、そんなこともわからない男に惹かれる彼女を、俺は軽蔑している!」

 ビールをグッと飲み干し、加藤はジョッキをどんとテーブルに置きました。

 「じゃあ、いいじゃないか。お前にとっても、軽蔑に値する女だってことだよ。ソウルメイトなんかじゃなかったんだよ。そもそもソウルメイトってなんだよ。誤魔化されてたんだろう、そういうわけのわからん言葉で。お前の、恋愛感情は、まんまと利用されたんだよ。まあ、意図的にか、結果的にそうなっただけなのかはわからないけど」

 私も酒が進み、「余計なことは言わない」という誓いをさっさと破って、言いたい放題でした。加藤はうつむいて、神妙に私の話を聞いているようでした。

 「ところで気になってたんだが、あの、彼女の子どもに出してやった学費、返してもらったのかよ?」

 「…」

 「なあ、返してもらったか? お前が出してやる義理はないだろう。その、新しい旦那が出すべきだろう」

 「いや、もういいんだよ。俺は金を彼女にあげたんじゃなくて、未来ある子どもたちに寄付したと思ってるんだから」

 子どもたち。ということは、息子二人分の学費か。想像以上の金額を聞いて、私はますますヒートアップしてしまいました。

 「おいおい、お人よしもいい加減にしてくれよ。そんなヤツがどこにいる! お前にもこれから長い老後があるんだぞ。血のつながりもない子どもたちになんで、そんな。なあ、青山に相談した方がいいんじゃないか」

 青山というのは、部活仲間の弁護士のことです。加藤はため息をつきながら、首を横に振りました。

 「俺がいいと言ったら、いいんだよ。これ以上俺を貶めないでくれ。頼むよ」

 「まあ、お前がそれでいいっていうなら…。だけど俺は友達として納得いかないな。くそ、何がソウルメイトだよ。詐欺じゃないか。だいたいな、お前もお前だよ。いつまでも過去に支配されてんじゃないよ。お前もそのサークル、抜けたらどうだ。仁美さんのことも、ソウルメイトとやらのことも、時間が経てば解決するよ。きっといいことがあるさ。人生100年時代だぞ。前向いて行けよ!」

 私は自分の言葉に酔っていたかもしれません。加藤は力なく微笑んで、頷きながら焼酎のロックをすすっていました。

メールで届いた三度目の絶交宣言

 翌朝、二日酔いで目を覚まし、スマホを見ると、加藤からメールが届いていました。

 「痛飲。ご馳走に感謝。だがもうお前とはもう付き合う意味がないと考え、絶交を伝える。理由を説明する必要はないだろう。ただ一つ、時間が経てば解決する、そんな無責任な言葉を、今後、死別した人間にかけないこと、それだけはアドバイスとしたい。以上」

 さすがに文字面で見る「絶交」には焦りました。「時間が経てば解決する」という言葉が、そんなに加藤を傷つけたとは。

 届いた時間を確認すると、深夜1時。帰宅してそのまま、酔った勢いで送ってきたのでしょう。私もずいぶんズバズバ言ったと思います。会計を私が引き受けたことも忘れていましたから、ひょっとしたらもっともっと加藤を傷つけることを言ったのかもしれません。しかし、すべて私の本音ではあるので、後悔はありません。

 いろいろと考えた挙句、こう返事を送りました。

 「こちら二日酔い。また飲もう。本当のソウルメイトより」

 あれから1年以上が経ち、私と加藤はまだ会っていません。それでも今回、このようなインタビューで我々の話をすることについて、一応了承を得るべきかと思い、私からメールをしました。加藤からは、一言だけ返事がありました。

 「Got it. Up to you.」

 (了解。お前に任せる。)

 

(※本連載は、プライバシー保護の観点から、インタビューに登場した人物の氏名や属性、環境の一部を変更・再構成しています)

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

山野井春絵

1973年生まれ、愛知県出身。ライター、インタビュアー。同志社女子大学卒業、金城学院大学大学院修士課程修了。広告代理店、編集プロダクション、広報職を経てフリーに。WEBメディアや雑誌でタレント・文化人から政治家・ビジネスパーソンまで、多数の人物インタビュー記事を執筆。湘南と信州で二拠点生活。ペットはインコと柴犬。(撮影:殿村誠士)

 

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