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やりなおし世界文学

2020年7月29日 やりなおし世界文学

(20)古代中国版「地球の歩き方」――『山海経』

著者: 津村記久子 , 100%ORANGE

津村記久子「やりなおし世界文学」山海経

 児童文学についていろいろ美しい思い出は持っているけれども、結局いちばん読んだのは妖怪事典だと思う。小学校の学級文庫にあった水木しげる先生の妖怪事典などは、たぶん休み時間の度にそこにある限り手にとって眺めていたような気がする。そりゃもう生徒たちに大人気で、本自体はぼろぼろだったけれども、多数の子供の心を慰め豊かにしてきた貫禄のようなものが漂っていた。
 ファミコンでゲームをやるようになってからも、攻略本でいちばん眺めていたのはモンスターの章だ。それまでと違う場所に行って初めて出会うモンスターが出てくると、はー本当に自分は旅をしているのだな、違う風土に辿り着いたのだな、とうっとりした。これが高じて、いっときは「モンスターの数が多い=良いゲーム」という図式が自分の中で成立してしまい、あるゲームのモンスターの数が五十種類という広告を読みながら「これは少ない。ダメ」などと勝手に独り言で断言したりしていた。今考えると、五十種類ですら大変だと思う。四十二歳になって考えられますか? モンスター五十種類。もう主人公の名前を決めるだけでも面倒になっているのに。
 小学生の頃に水木先生の妖怪事典を読み過ぎて、もう一生分妖怪事典の器を満たし、もうあまり読まなくなっていた(半年に一度ぐらいの頻度に下がった)最近なのだが、この欄でも取り上げられそうな妖怪事典の存在を思い出し、喜々として取り寄せていただくことにした。その名は『山海経(せんがいきょう)』。もっとも古い部分は戦国時代(紀元前五世紀から紀元前三世紀)に成立し、その後、秦、漢の時代にわたって加筆されていったとされる「古代中国の人が考えた我々の世界」についての書物である。取り上げられているのは、地形や気候、その土地土地の神の祀り方、採掘できる鉱物や植物などについての博物誌的な事項なのだが、中でもやっぱり目を引くのは動物の部分である。地図すら掲載されていないというのに、とにかくやばい感じの動物、ひいては妖怪のイラストが多数掲載されている。古代中国の人々の壮大なスケールの世界観が、などというのは完全に建前で、これは妖怪事典であり、うれしいことに架空の植物事典としても読める。水木しげる先生ファンならずとも、レオ・レオーニの『平行植物』あたりが好きな人にも勧められる本である。両方好きな人は読んだ方がいい。
 第一の「南山経」を開いただけでも、翼のある魚とか、背中に目がある羊とか、頭が三つあるキジみたいなのなど、かなり異様な世界が広がっている。動物(妖怪)のイラストはふんだんにあるのに、肝心の地図や場所のイメージの絵図がなかったりするのは、不親切なようでおもしろくもある。どういう場所かをそっけない文から想像しながら、タイトに繰り出されるわけのわからん獣たちの記述をどんどん読んでいるうちに、行かなくてもいい場所の欠落のある旅行案内を読んでいるような、不思議な満足感が得られる。文字だけから立ち上がってくる場所を想像し、そこで採れる鉱物などについて考える体験から得られる感覚は、『ストーカー』の〈ゾーン〉についての描写を読んでいる時の幸福感にも似ている。
 『山海経』特有の動物たちは、だいたい「人を食う」「現れると災いが起こる」「食べる(またはおびる)と体の不調が治る」の三つに分けられていると思うのだが、いちばん最初のイラストとして出てくる親子と思われる狌狌(しょうじょう)が、「その(かたち)(さる)の如くで白い耳、伏してあるき人のように走る、その名は狌狌。これを食うとよく走る」と説明されているのが切ない。お父さん狌狌はお花を持って子ども狌狌を連れているのだが、食うのか……。はじめは、それこそ序盤の南山経に登場する九尾狐(「その声は嬰児のよう、よく人を食う」)のような有名かつ悪そうな動物というか妖怪に目を奪われるのだが、読みながら彼らを分類している内に、人間と妖怪が食うか食われるかの戦いを繰り広げられているのがわかる。人間を食う妖怪もいれば、人間に食われる妖怪もいる。妖怪を食した時の効能も様々だ。一つの首に十の体を持つという茈魚(しぎょ)という魚は、食べると屁をひらなくなるらしいし、類という狸に似た獣(イラストの顔は狸というよりおっさん)を食べると嫉妬をしなくなるそうだ。古代中国における長きにわたる悩みなのか、特に首のこぶや疥癬を治す妖怪は多数に上る。
 食う、食われる、そして災いをもたらす、の外にいる妖怪もまた興味深い。おそらく、本書を読んだ多数の妖怪好きの人が「これだ!」と思われるであろう帝江(帝・江)の造形は本当にたまらないものがある。「神がいる、その(すがた)は黄色い(ふくろ)の如く、赤いことは()の火のよう、六つの足、四つの翼、こんとんとして(かお)も目もないが、この神は歌舞にくわしい」とのことで、水木先生も解説で「頭がなくて尻が二つある羽の生えた袋のような」とわかりやすく描写され「一度見れば一生忘れられなくなる」とおっしゃっている。水木先生は他に「一度見れば一生」の妖怪として、首がなくて乳首が目、へそが口になっている刑天(けいてん)を挙げておられる。わたしも実はこれをウェブで見かけて、『山海経』を読みたいと思った。また、イラストはないけれども「馬の身に鳥の翼をもち、人面で蛇尾、好んで人を抱きあげる」孰湖(じゅくこ)という妖怪や、「禺の如くで(あや)ある身、よく笑い、人を見れば眠ったふりをする」幽鴳(ゆうあん)という妖怪など、「もっと詳しく!」と思える人材も多い。彼らはどのような見た目なのか、絵図がないなりに想像するのも一つの楽しみなのかもしれない。自分の名前を鳴き声にしている妖怪も多い。ポケモンのはしりである。
 最初は張り切って一頁に八図とか掲載されていた妖怪なのだが、頁が進むにつれ減っていくような感じがして、もっと見たいのにとストレスを溜めていると、第六の「海外南経」でまた大放出される。妖怪というよりは「よその国の人」が描かれている章だと思うのだが、全身に羽毛が生えている羽民(うみん)国の民だとか、胸に穴があいている貫匈(かんきょう)国の民など、さすが『山海経』と感じ入る。かと思うと地味に「ふくらはぎがない」という無継国の民が登場したりなど、おかしさの幅も多岐にわたる。
 こんな『山海経』なのだが、平凡社ライブラリー版の本書がテキストとした『山海経箋疏(せんそ)』の著者である郝懿行(かくいこう)は、妻、息子、娘の協力のもと本書を著したのだと解説にある。このような楽しくて怪異な本を作る一家の、心温まる変なやりとりを最後に楽しく想像して、本項を閉じる。

山海経

高馬 三良 訳

1994/1/12

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「考える人」編集長
松村 正樹

著者プロフィール

津村記久子
津村記久子

1978(昭和53)年大阪市生まれ。2005(平成17)年「マンイーター」(のちに『君は永遠にそいつらより若い』に改題)で太宰治賞を受賞してデビュー。2008年『ミュージック・ブレス・ユー!!』で野間文芸新人賞、2009年「ポトスライムの舟」で芥川賞、2011年『ワーカーズ・ダイジェスト』で織田作之助賞、2013年「給水塔と亀」で川端康成文学賞、2016年『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞、2017年『浮遊霊ブラジル』で紫式部文学賞を受賞。他の作品に『アレグリアとは仕事はできない』『カソウスキの行方』『八番筋カウンシル』『まともな家の子供はいない』『エヴリシング・フロウズ』『ディス・イズ・ザ・デイ』など。

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100%ORANGE

イラストレーター。及川賢治と竹内繭子の2人組。東京都在住。イラストレーション、絵本、漫画、アニメーションなどを制作している。イラストレーションに「新潮文庫 Yonda?」「よりみちパン!セ」、絵本に『ぶぅさんのブー』『思いつき大百科辞典』『ひとりごと絵本』、漫画に『SUNAO SUNAO』などがある。『よしおくんが ぎゅうにゅうを こぼしてしまった おはなし』で第13回日本絵本賞大賞を受賞。

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  • 津野海太郎「最後の読書」読売文学賞受賞


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