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やりなおし世界文学

2020年9月29日 やりなおし世界文学

(22) 乾いた不思議が漂うハーンの日本――ハーン『怪談』

著者: 津村記久子 , 100%ORANGE

 島根県の松江市には、一度だけ取材で出かけたことがある。J2のサポーターの小説を書いていた頃で、日本のいろいろな所に行って、日本という国の中の大変な多様性にひたすら感心し、学ぶ日々だった。中でも松江は、自分の行った場所の中ではもっとも日本らしい日本、誰に教わったわけでもない心象風景の中にある日本が再現されている場所だったように思う。初見から懐かしく、特に何も考えなくても、日本人ならなんとなく馴染めるのではないか、と思える場所だった。京都も奈良も金沢も知っているけれども、わたしにとっての日本という場所の印象とは松江だ。特に松江城とその周辺や、水位の高い川沿いの風景。
 松江の観光案内所には小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)記念館のリーフレットがあって、そうなのかハーン松江にいたのか、遠いところに来てくれたんだなあ、などともの知らずなことを考えたりしていたのだが、記念館には結局行けないまま帰ってきて、月日が経ち、本書を手にして、ハーンがものすごく松江を気に入っていて、そこで伴侶も見つけて、でも二年もいなかったのだ、ということを知った。冬が厳しくて健康を害したから長くいられなかったのだそうだが、もっといさせてあげたかったなあと思う。年譜を読んでいると、ハーンは横浜、松江、熊本、神戸、東京と日本の中でもかなり移動していて、その間に京都や奈良や金沢といったわかりやすい選択肢もなくはなかったように思うのだけど、松江がいい、というのがとてもよく日本を理解してくれていたのではないかと勝手に好感を持つ。
 本書に収録されている話は、数本を除くとハーンの知っている日本の話の「再話」ということになるらしいのだけれども、どの話も「よそ行きの日本」や「観光客のための日本」という顔はしておらず、しかし「土着」というほどのしがらみは感じさせない、程良く乾いた様相をしている。個人的に『まんが日本昔ばなし』が、実はあまりにも重々しくドメスティックに感じられて、エンディング以外は子供心にしんどかった覚えがあるのだが、日本の重たい昔話も、ハーンの文章を通すとさらっと読める。
 誰もが知っている「耳なし芳一の話」も例外ではない。盲目でありながら、平家の悲劇を誰よりも上手に語って聞かせる芳一は、ひどく貧しかったものの阿弥陀寺の詩歌の好きな和尚さんのところで世話になることになる。ある夜、和尚さんが檀家に呼ばれている時に、武士がやってきて芳一を呼びつけ、芳一は身分の高い人が多く集まっている所に連れて行かれ、壇ノ浦の合戦の物語を語り、それがめちゃくちゃうまかったことからまた来てと言われ……という、平家の怨念でどろどろのように思える怖い話が、興味深い話として再び立ち上がってくる。なぜ芳一が武士に呼び出されるのを和尚さんが止められず、体にお経を書くなんていう持って回ったことをしたのか、というのが、手ぶらで耳なし芳一のことを思い出していていちばんストレスが溜まる部分なのだが、答えは「法要に呼ばれていたから」で、和尚さんも仕事をしなければならないという妙なリアリティを感じさせる。
 誰もが知っている妖怪ろくろ首についての話は、初めてまとまった形で読んだと思うのだが、とてもおもしろかった。主君を失って僧になった元武士の磯貝という人物が、回竜(かいりょう)と名乗る僧になっても熱い武士の心は忘れず、戦乱の世の中を旅して野宿も平気でする。そこへ親切な木こりがやってきて、ここは大変だから家に泊まったらと申し出てきたので、その言葉に甘える。家には木こりを含めて五人の礼儀正しい男女がいるのだが、回竜は夜中に彼らの首がなくなっていることを発見し、別の場所で回竜を食べる話し合いをしていることをつきとめる……、という話だ。回竜の袖に噛みついて離れないろくろ首の執念もおもしろいのだが、回竜のキャラクターがとても立っていて、その後の話に起伏を与えている。
 「鏡と鐘」という話は心に迫るものがある。ある寺の僧侶たちが、鐘がほしいなと思ったので地金にするために青銅の鏡をくださいと檀家に周知する。ある農家の女が、鏡を手放したはいいものの、大切な鏡だったし、鏡は女の魂だし、ということで惜しくて仕方がなくなる。かといって、返してもらう代わりに渡すお金もなく、盗もうかとさえ思い詰める。集められた鏡はいよいよ溶かされることになるのだが、どうしても溶けない鏡があって、それが鏡を惜しく思う女のものだということで噂になる。いったん渡した鏡を、やっぱり大事なものだったから返してほしい、なんだったら盗もうかとさえ思う、という女の後悔の人情で理解できる部分と、女の執念で鏡が溶けないという理不尽さ、そしてそのことが噂になるという俗な様子が絶妙に配置されている話であるように思う。
 「雪女」もまた、誰もが知っている話だと思うのだが、解説によるとこの話は再話ではなくハーンの創作らしいということがわかって驚いた。確かに、不条理さの中にも雪女なりの一貫した理屈のようなものがあって、語り継がれてきたものというよりは、誰かが一人で語っているまとまりの良さを感じさせる。
 また、短く断ち切られるように終わる「むじな」は、むじなと出会ってしまった商人が駆け込むそば屋の灯りの暖かさと、それが暗転する恐怖がたまらないし、「かけひき」の死罪になる男の怨念の行方とそれを見守るあらすじは、悲惨なのに歯切れがよい。
 どの話も、理不尽でありながらおもしろく、短編が立ち去る速さの小気味良さに満ちている。そしてどの話からも、誰か外の人間へのプレゼンテーション用の「よそ行きの日本」ではなく、かつてどこにでもあった日常の日本の姿が窺い知れる。世間体のために渡してしまった鏡のことをずっと考えてしまう、それに映った自分の幸せな笑顔のことも……、という心のわだかまりは、昔も今も切実なものなのだ。

怪談

ハーン 著/南條竹則 訳

2018/7/9

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松村 正樹

著者プロフィール

津村記久子
津村記久子

1978(昭和53)年大阪市生まれ。2005(平成17)年「マンイーター」(のちに『君は永遠にそいつらより若い』に改題)で太宰治賞を受賞してデビュー。2008年『ミュージック・ブレス・ユー!!』で野間文芸新人賞、2009年「ポトスライムの舟」で芥川賞、2011年『ワーカーズ・ダイジェスト』で織田作之助賞、2013年「給水塔と亀」で川端康成文学賞、2016年『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞、2017年『浮遊霊ブラジル』で紫式部文学賞を受賞。他の作品に『アレグリアとは仕事はできない』『カソウスキの行方』『八番筋カウンシル』『まともな家の子供はいない』『エヴリシング・フロウズ』『ディス・イズ・ザ・デイ』など。

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100%ORANGE

イラストレーター。及川賢治と竹内繭子の2人組。東京都在住。イラストレーション、絵本、漫画、アニメーションなどを制作している。イラストレーションに「新潮文庫 Yonda?」「よりみちパン!セ」、絵本に『ぶぅさんのブー』『思いつき大百科辞典』『ひとりごと絵本』、漫画に『SUNAO SUNAO』などがある。『よしおくんが ぎゅうにゅうを こぼしてしまった おはなし』で第13回日本絵本賞大賞を受賞。

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