平安時代の武士・源頼政は、怪鳥を退治した手柄により、上皇から「あやめ」という女性を賜わることになりました。頼政が昔から
そんなの、分かるわけがない。そこで頼政は、上皇に和歌を奏上しました。
「
梅雨で沢の水量が増し、マコモもアヤメも水没してしまった。どれがアヤメの葉か、引き抜くのに悩んでしまう、という歌。「太平記」に出てくるエピソードです。
「アヤメ」と言えば紫の花を思い浮かべます。ところが、当時「アヤメ」は、今で言うショウブの異名でした。端午の節句にお風呂に入れる、あの香りのいい草のことです。花は穂の形で、いたって地味。ということは、「太平記」のあやめ御前は、花ではなく、しなやかな葉の姿や、香りのよさをイメージして名付けられたのです。
頼政の歌を踏まえて、後の時代、「いずれアヤメかカキツバタ」という表現も生まれました。こちらの「アヤメ」は、今のアヤメの花のことです。アヤメとカキツバタは花がよく似ているため、美人が多く集まっている場面で、「どの人も優劣がなく、みな美しい」という形容として使います。
アヤメ・カキツバタの花は、本当に区別が大変です。いったい、どこに注意すればいいのでしょうか。分かりやすいのは、花びらの模様の違いです。
アヤメの花びらの付け根には、独特の模様があります。「網目模様」「
カキツバタのほうは、花びらの付け根から白い線が出ているだけ。模様というほどでもありません。
とすると、「アヤメ」の語源は、この網目模様ではないか、という考えが湧きいてきます。模様のことを「
でも、実際は違います。さっき述べたように、「アヤメ」は昔はショウブの異名でした。ショウブに模様はないので、この説は即刻却下、ということになります。今のアヤメのことは、昔は「ハナアヤメ」と呼んで区別していました。
江戸時代の事典にも、「葉が直立して、文目(=筋目)が正しい草なので、アヤメと言うのだ」と、「文目」説を紹介しているものがあります。これも私の説と同じで、根拠に乏しいものです。
一方、同じく江戸時代の国語辞典『
中国大陸から渡ってきた織女のことを「漢女」と書いて「アヤメ」と言ったのは事実です。ショウブをこの女性たちの姿に喩えたということは、大いにありえます。冒頭の「太平記」のエピソードとも通じます。
『暮らしの中の語源辞典』で、山口
したがって、発音の面からも「文目」の意味は否定されるわけです。中国から来た織女、「漢女」の意味と考えるのが、より妥当ということになります。
「カキツバタ」の語源はどうでしょうか。私にとって自然に感じられるのは、江戸時代の新井白石が語源辞書『東雅』で述べた説です。「カキツバタ」は、古く「カキツハタ」で、「万葉集」では「垣津旗」「垣津幡」などと書かれています。白石はこれを基に、「垣の下に立って咲いているところからそう言うのだろう」と記しています。つまり、「垣の旗」という意味です。
昔はカキツバタの花で着物を染めたので、「
アヤメとカキツバタについて考えてきましたが、このふたつに似た花で、日本でより一般的に見られるのは、ハナショウブです。
『日本大百科全書』の「アヤメ」の項目で、吉江清朗さんは〈アヤメ園とかアヤメ祭りというのはすべてハナショウブが材料となっており、誤解のもととなっている〉と書いています。日常生活では、「アヤメ」は大雑把にハナショウブも含むのです。
このハナショウブは、花びらの付け根に黄色い部分があること、それから、葉の中央に筋が通っていることが特徴です。
5月のある日、私は公園の中の、ハナショウブを集めたというエリアで花を見ていました。その花はアヤメよりも大ぶりで、たしかにハナショウブに似ていました。ところが、特徴であるはずの、葉の中央の筋がありませんでした。
これはいったい何だろう。どうしても分からないので、ツイッターで疑問をつぶやいてみました。すると間もなく、「外国種のアイリスではないですか」というご教示をいただきました。
アヤメに似ているのはカキツバタやハナショウブだけでなく、アイリスもそうだったんですね。ちなみに、英語では全て「iris」であり、悩みは生じないようです。
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飯間浩明
国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 飯間浩明
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国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。
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