「白羽の矢が立つ」という慣用句があります。私の携わる『三省堂国語辞典』(三国)第7版を引くと、「多くの中から特にえらび出される」という説明の後に、気になることが書いてあります。いわく、〔本来は、犠牲となる者にいう〕。
あまりよくない説明です。これでは、「光栄な役目に選ばれる場合には使えない」という誤ったメッセージを与えかねません。実際には、「チームリーダーとして山田くんに白羽の矢が立った」のように、名誉ある場合にも、ごく普通に使います。ことに報道記事などではそうです。辞書の説明としては、もう少し配慮が必要でした。
テレビ局の人に聞いた話ですが、さる大御所のタレントは、「昔は犠牲になることに言ったのだから、『白羽の矢が立つ』をいいことに使うのは誤用だ」と言い切ったそうです。さすがに「誤用」とまで書いてある辞書はないのですが、『三国』を含む辞書の記述が誤解を招いたとすれば残念です。
白羽の矢が立つのは、悪い場合もあれば、いい場合もあります。
泉鏡花の大正時代の戯曲「
一方で、同じ大正時代の雑誌には、〈蔵相〔=大蔵大臣〕の適材を求むる場合、誰に白羽の矢が立つか〉(『太陽』25年7月号)と、いいことにも使っています。
この慣用句は、各地の伝説などに由来を求めることができます。たとえば、静岡県には「しっぺい太郎」という伝承があります。
ある村の話。神様へのいけにえとして、そこでは毎年、娘を一人ずつ差し出していました。犠牲となる娘の家の屋根には、どこからともなく、白い羽のついた矢が飛んできて刺さりました。
ところが、知恵者がいて、ある年、娘の代わりに「しっぺい太郎」という屈強な犬を
――と、こんな話です。ただし、類話を見てみると、「白羽の矢」の場面がないものもあります。別の話では、犠牲になる子をくじで選んだりしています。
これらの伝説の原型になる話は、平安時代の「今昔物語集」にまで遡ります。どんな話か、ざっと読んでみましょう。
物語は、
ある年のこと、またひとりの娘が犠牲に選ばれます。ちなみに、ここでは白羽の矢はべつに登場しません。もし不思議な矢が飛んでくれば、「今昔物語集」の編者が無視するはずはありませんから、矢は立たなかったのでしょう。
さて、選ばれた娘と両親は、祭りの日まで泣いてばかりいました。そんな時、東国から犬を連れた狩人がやってきます。彼は娘を愛し、結婚します。
祭りの当日、狩人は娘の代わりに
――「しっぺい太郎」の話とそっくりですが、白羽の矢が出てこないところが違います。大元の話では、矢は必須の要素ではなかったと考えられます。
そうはいっても、白羽の矢が出てくる話が現にあるのは確かです。その矢はやはり、犠牲者を指し示す「不幸の印」というべきではないでしょうか。
それが、そうでもないんですね。白羽の矢が登場する話として、私が見た中でいちばん古いのは、18世紀の浮世草子「
これには事情がありました。ある遊女屋に抱えられた「
その土地の代官の解釈はこうでした。「これは神の思し召しである。伊勢神宮では、まだ初潮を迎えない少女が『おはら
実は、これは千弥を母のもとに取り返そうとする、主人公たちの計略でした。千弥は、精進潔斎の旅に出たところで、まんまと主人公に保護されます。
この話で分かるとおり、「白羽の矢が立つ」ということは、当時の人は――少なくともこの作者・江島
白羽の矢が立つことが、いけにえに選ばれることだったという伝説は確かにありました。でも、古い話を見ると、必ずしもそんな話ばかりではない、ということです。現代の私たちは、いい意味に使っても差し支えありません。
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飯間浩明
国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。
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はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
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著者プロフィール
- 飯間浩明
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国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。
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