英語をやるメリット

 先日、ある人から「英語は、日本語がきちんと固まってから習ったほうが良い」という意見を頂戴した。英語の早期教育は、母国語である日本語の習得を邪魔するというのだ。
 もし、この意見が本当だとしたら、世界中のバイリンガル地域は、軒並み「全滅」ということになるが、無論、そのようなことは起きていない。ベルギーやシンガポールのような多言語地域が世界から取り残されている証拠は全くない。それどころか、国としては小ぶりながらも、かなり繁栄しているように見受けられる。
 ゆえに、赤ちゃんの頃から英語を学ぶこと自体に、なんら問題はない。
 では、なぜこのような根拠のない説が日本では流布されているのか。
 いろいろな理由があるだろうが、一つは、根強い「英語への反感」だろう。その背後には「英語に対する苦手意識」が潜んでいるかもしれない。では、なぜ英語が苦手になったかといえば、それは受験英語が原因だとしか言いようがない。
 何年も必死になって、受験英語を勉強したのに、いざ、海外の人と話そうとしても、まったく聞き取れないししゃべれない。奈落の底に突き落とされる。挙げ句の果てには、英語文化そのものを否定するようになる。
 あるいは、自分はこれまで生きてきたが、英語など必要としたことがない、だから、英語なんかやらなくてもいい。竹内の言うように、将来はAIが通訳してくれるようになるんだから、英語を勉強している暇なんかあったらもっと別のことをやった方がいい。そんな意見の人もいるだろう。
 さまざまな意見があっていい。さまざまな生き方があっていい。だが、「学校で英語が苦手になった」というだけの理由で英語学習を否定するのは、単なる逃げであり、ちょっぴり悔しくありませんか。

 私は、AI時代がやってきても、オトナだって英語を学ぶことには大いに意義があると考えている。
 英語に限らず、外国語を学ぶのは、単に「会話を翻訳する」だけでなく、海外の「文化」を学ぶという側面が大きい。言葉と文化は切り離せるものではなく、海外の人々の考え方、芸術、歴史、地理、食べ物から気候まで含めて、日本と異なるカルチャーに浸かることに意味があるのだ。
 母国語と異なる言語体系に触れると、脳の思考経路は大きな刺激を受ける。ロジックが異なり、常識が異なり、雨や雪の種類をあらわす名詞や形容詞の数まで異なる。
 英語を通じて、海外の文化に触れ、カルチャーショックを受けて、自分が成長する。だから、AIの性能が飛躍的に向上した未来においても、英語の勉強には意義がある。
 その意味では、英語に限らず、フランス語でもポルトガル語でも中国語でも、外国語を勉強することには意義がある。
 だが、英語に関していえば、視野が広がったり、発想が変わるといったこと以外にも、AI時代ならではのメリットがある。それは、プログラミング言語の習得だ。ほとんどのプログラミング言語は、英語圏で作られたものなので、当然のことながら、普通に使われている英語の文法を厳密にしたらプログラミング言語に「化けてしまう」。だから、英語ができる子どもたちにとって、プログラミング言語の習得はたやすい。
 第四次産業革命において、日本が世界から周回遅れになってしまっている一つの理由は、「歪んだ英語教育」にあるのかもしれない。学校英語はできるが、生きた英語は苦手。要は英語が「使えない」わけで、プログラミング言語の習得もすんなりといかない。
 風が吹けば桶屋が儲かる式の論理なので、さほど強硬に主張するつもりもないが、日本の場合、英語が苦手だからプログラミング言語も苦手、というふうに悪の連鎖になっている可能性があるのではないか。
 ソフト技術者が圧倒的に足りない日本に、海外からやってくる助っ人の筆頭はインド人だが、彼らの公用語が英語であることと、伝統的に数学に強い国であることと無関係でないように感じるのだ。

プログラミングと英語は同時に学ぶべきか

 文科省は2020年度から小学校でプログラミングを授業に取り入れることを決めている。また、これまで5年生からやっていた英語を3年生からに前倒しする。これからの小学生は、プログラミングと英語を同時に学ぶことになるわけだが、文科省は、「英語ができるとプログラミングも楽になる」と考えているのだろうか。
 その節はある。なぜなら、文科省はガラパゴス化した受験英語を改革し、「使える英語技能」の試験を導入しようとしているからだ。
 だが、わかっていない可能性もある。なぜなら、すでに満杯の時間割に、新たに英語とプログラミングを押し込むことが不可能なため、一つの解決策として、国語の授業とプログラミングの授業を融合させようという実験的な試みがあるからだ。
 これは一見、正しい方向に向かっているように見える。プログラミング学習による「論理」や「創造性」といった要素を国語で活かそうという考えが根底にあるからだ。
 だが、残念なことに、日本語を骨格として作られるプログラミング言語は、現在は、ほとんど皆無なのである。そして、英語と日本語とで完全に言語構造が違うことも明らかだ。ゆえに、日本語がグローバル言語であり、なおかつ、コンピュータもコンピュータ言語も日本で発明され、プログラミング言語のほとんどが日本語をベースに作られているような世界であれば、文科省の方向は正しい。
 残念ながら、それは実現しなかった多世界の一つ、すなわちSFの筋書きでしかない。
 私は、小学生に英語とプログラミングを教えるのであれば、やはり英語とプログラミングの授業を融合させればいいと考える。それが、AI時代の日本の教育の最適化であり、第四次産業革命を支える人材を育成する唯一の方法のように思うのである。

 さて、そろそろ、この連載の中核テーマである、AIとプログラミングの話に移ろう。