第2回 もしも人生をやり直せたら、親友を失わないために何ができるだろう?
著者: 山野井春絵
「LINEが既読スルー」友人からの突然のサインに、「嫌われた? でもなぜ?」と思い悩む。あるいは、仲の良かった友人と「もう会わない」そう決意して、自ら距離を置く――。友人関係をめぐって、そんなほろ苦い経験をしたことはありませんか?
自らも友人との離別に苦しんだ経験のあるライターが、「いつ・どのようにして友達と別れたのか?」その経緯を20~80代の人々にインタビュー。「理由なきフェイドアウト」から「いわくつきの絶交」まで、さまざまなケースを紹介。離別の後悔を晴らすかのごとく、「大人になってからの友人関係」を見つめ直します。
※本連載は、プライバシー保護の観点から、インタビューに登場した人物の氏名や属性、環境の一部を変更・再構成しています。
都内で企業のPR職に就いている美紀子さん(38)は、5歳の女児を育てるワーキングマザー。紺ブレにボーダーTシャツ、スカートに厚底スニーカー。すらりと背が高く、女性誌に出てきそうな、おしゃれで活発な女性だ。保育園のママ友たちとの関係も良好で、休日が待ち遠しいと話す。そんな美紀子さんだが、このところうまく眠れない夜が増えたという。「2時間くらい、ベッドの中で寝返りを打ってはモヤモヤと……。仕事や人間関係、考えはじめたらもうダメです。離れてしまった地元の友達のことをいつも思い出します。連絡が取れなくなって2年が経ちます」。壊れるはずがないと高を括っていた「地元の同級生」との友情は、なぜ失われたのか。美紀子さんは、「悪いのはきっと私」と、自分の中に理由を探し続けている。
20歳、仲良し3人組で初めての海外旅行
私は九州のとある田舎町出身です。珠紀(たまき)とは、小学校も同じでした。中学の吹奏楽部で仲良くなり、地元の公立高校に進学して、また一緒に吹奏楽部に入部。そこで隣町出身の志歩と、仲良し3人組になりました。臆病で優しくて、独特の笑いのツボがある珠紀。洋楽と漫画が大好き、個性的な志歩。私は部長だったこともあって、リーダー的な存在だったと思います。
高校を卒業し、私は福岡の大学へ。珠紀は地元の短大、志歩は東京の短大に進学しました。進路は分かれましたが、まめに連絡を取り合い、帰省したときには必ず集まっていました。私と志歩はひとり暮らしになったので、それぞれ行き来もありました。珠紀はひとりでよく福岡の私の部屋に泊まりに来ましたし、空港で落ち合い、飛行機で東京へ行ったことも何度かあります。志歩のワンルームで雑魚寝して、時には朝まで語り合ったものです。『ブラッシュアップライフ』(2023年、安藤サクラ主演、バカリズム脚本/主人公が人生を何度もやり直し、女友達のピンチを救うというコメディドラマ)、私たち3人の関係はまさにあんな感じでした。
初めての海外旅行も、この3人で。珠紀と志歩が短大を卒業した春休み、ロンドンとパリへ行きました。往路、私と志歩は浮かれて機内でお酒を飲み過ぎ、気分が悪くなってかわるがわるトイレへ。珠紀はそんな私たちの背中をさすってくれたり、お水を頼んでくれたりしてくれました。珠紀はお酒が飲めませんでした。
当時はまだ今ほど携帯電話の地図機能がサクサク使える状態ではなかったので、ガイドブックを握りしめて街を歩きました。私は地図を読むのが得意。志歩は英語が上手なので、私が行き先を決めて志歩が言葉でアシスト、珠紀は私たちの後ろをニコニコしながらついて歩いている感じ。地下鉄の中でさまざまな人種に囲まれ、震えていた珠紀の不安げな顔を今でも思い出します。
ひととおり王道の観光をしたと思いますが、記憶は曖昧です。印象に残ったのは、ロンドンで買ったおいしそうな果物が完全に無味だったことと、パリの食べ物がなんでもおいしかったこと。特にチーズ屋さんには感動しました。少量ずつ切ってもらい、ホテルの部屋でベッドに座り、3人でピクニックのようにサンドイッチにして食べました。モノプリ(フランスのスーパー)で、わけもわからずワインを選んだのもいい思い出です。
地元、東京、海外。住む場所は分かれても……
珠紀は地元で幼稚園の先生になり、志歩は東京で旅行会社に就職しました。私は彼女らより2年遅れて、福岡の小さな広告代理店に就職。それぞれ忙しくなって学生時代のようには会えなくなりましたが、連絡は取り合っていました。どちらかと長電話をすることもよくありましたし、メールやSNSでは男性の話、仕事の愚痴、知り合いの誰かが芸能人の誰それに似ているとか、どうでもいいことを3人が延々と書き連ねて、お風呂に入っている間に未読が100件以上なんてこともザラにありました。と思うとしばらく音沙汰がないことも。でも誰かがトピックスを書き込めば、いつものようにやりとりがはじまります。20代は仕事や恋愛で頭の中が忙しく、友達との会話がずいぶん息抜きになっていました。
就職して数年が経ったころ、思いがけず私に転機が訪れました。東京のクライアントが、「うちの会社で働かない?」と誘ってくれたのです。当時私は大学時代から付き合っていた彼と別れたばかり。仕事でも何か変化がほしいと考えていたところだったので、渡りに船とばかりに転職話に飛びつきました。東京には志歩がいるという安心感もありました。
「そうか、ミッコも東京か。でも私が東京へ行けば、みんなで会えるね。ライブで行く時はぜひ泊めてね」
上京する前、福岡で会った珠紀は、少し寂しそうに言いました。「もちろんだよ、しょっちゅうおいでよ」。私は嬉しそうにそう言ったと思います。でも結局、ほとんど東京で会うことはありませんでした。当時珠紀が推していたアイドルグループのライブを回っている様子はSNSで見ていましたが、都内ではファン仲間とホテルに泊まっていたようです。頼りにしていた志歩とも、考えていたほどは会えませんでした。私も、仕事と新しい街の暮らしに慣れるのに精一杯で、またたく間に時間が過ぎていきます。それでも帰省したときには、3人で、または2人で会っていました。同級生のお父さんが経営している居酒屋で飲み、それからロイヤルホストに流れてだらだらと話すのが楽しみでした。
最初に結婚をしたのは志歩です。学生時代から付き合っていた男性が海外勤務になるのをきっかけに、都内のホテルで披露宴を挙げ、私は珠紀と一緒に出席しました。志歩が用意してくれた部屋に泊まり、その日は2人で深夜まで話し込みました。窓からはレインボーブリッジが一望できる部屋で、珠紀がいつも以上にはしゃいでいたことを思い出します。
翌年だったと思いますが、グループLINEで、珠紀が結婚すると伝えてきました。相手は地元の公務員をしている男性。結婚式は身内だけでこぢんまりするということで、披露宴に出る気満々だった私と志歩はちょっとがっかりでした。その年末には志歩も帰国して、2人で珠紀の新居に押しかけ、お祝いをしました。新居は2階建てのテラスハウス。優しいご主人。猫も飼って、珠紀は本当に幸せそうでした。
東京の生活にもすっかり慣れた私はといえば、20代で結婚する女性が周りにほとんどいない状況。変化があって、刺激的な毎日です。結婚は35歳くらいまでにできたらいいかなと考え、仕事を続けながら、好きな習い事をしたり海外旅行に行ったりと、ずいぶん自由に暮らしていたのですが、32歳のとき思いがけず妊娠し、それを機に結婚しました。
妊娠6ヶ月の時に、都内でレストランウエディングを行いました。もちろん、2人にも出席してもらうつもりだったのですが、志歩は2人目のお産が間近で、珠紀も体調が悪いということで不参加。あとから知ったのですが、珠紀はこのころから不妊治療に取り組んでいたようです。
東京の「ヤバい奴」にはご用心
私は娘を0歳から保育園に預け、仕事を続けています。娘が3歳になったころ、長年の夢だったチーズに関する資格取得に挑戦することを決めて、教室へ通うようになりました。20歳のころ、3人で行ったパリのチーズ屋さんが忘れられず、独身時代は何度もパリに一人旅していたのです。講座のある曜日には娘を近くに住む義母に預けて、久しぶりの夜のフリータイムを満喫しました。
教室で知り合った中に、マイという同い年の女性がいました。外資系の企業に勤める独身のマイは、気さくで明るく、とてもいい人……だと思ったのは、すぐに間違いだったとわかりました。東京出身で、付属中高から有名私大に進学したマイは、言葉の端々に自慢と地方差別をチラつかせます。「天然」なのかと思っていたのですが、だんだん彼女の言動に違和感をおぼえるようになりました。たとえば、
「地方の大学って都内じゃ誰も知らないけど、地元では大きい顔ができるんだってね?」
「都内の半分以下のコストで大きい家に住める田舎って、聞こえはいいけど、買い物は結局モールとかになるんだよね? 文化的に苦しくない?」
ニコニコしながら、ずけずけと。子育てをしている私に対しても、
「週に1回しかフリータイムがないって、本当にかわいそう。子どもなんていつか必ず離れてリターンもないのに、一生懸命お世話しなきゃいけないのは辛いよね」
と、こうです。教室も、ほかでの集まりにも、必ず遅刻してくるルーズさも嫌でした。教室で貸したペンは戻ってこず、催促すると「ごめん、失くしちゃった、でもあれ100均とかでしょ?」。
マイへの苛立ちを募らせた私は、その鬱憤をいつもの同級生グループLINEで晴らしていました。珠紀も志歩も、「げ! 何そいつ!」などと驚いていましたが、やがて「今週のマイはどうだった?」と聞いてくるように。私も2人の反応が楽しくて、逐一マイの仰天語録を報告していたのです。
チーズ教室の全クラスが終了し、仲間のほとんどが合格した後、レストランで慰労会が開かれました。そこで、マイが言いました。
「私の友達が、オーナーソムリエ××さんのところの常連さんでね。なかなか行けない店なんだけど、みんな興味ある?」
それは予約が取れないことで有名なレストランでした。私は飲食系インフルエンサーの投稿でその存在を知り、憧れていたので「行ってみたかったお店!」と、つい食いついてしまったのです。マイは私の反応にうれしそうでした。
「OK、じゃあ聞いてみてあげようか? いつがいい?」
候補日をいくつか挙げると、マイは手帳を広げて、
「残念、私は全部行けない日だわ。でも聞いとくね。何人?」
その場で都合が合う3人が揃い、内心マイが来られないことにほっとしていました。
「よかったね、その日は空いているって!」というマイの言葉に小躍りしたものです。
「めったに入れない憧れのレストランを予約してくれるなんて、マイにもいいところがあるじゃん」。LINEで志歩が言いました。私も、そう言われてみればそうかな、マウントを取ってるなんて思い込んで悪かったかな……と反省したのでした。
そして、当日。ちょっとおしゃれをして、仲間たちとレストランへ向かいました。入店し、マイの苗字を伝えましたが、「そのお名前でのご予約はありません」とのこと。ひょっとして私たちの誰かで予約をしてくれたのかな?と、全員の名前を告げましたが、該当なし。慌てて私はマイに電話をかけました。
「先日予約をお願いした××さんのお店に来ているのだけど、誰の名前で予約してくれたんだっけ? マイのお友達の名前かな?」
するとマイは答えました。
「え? なんのこと? ……ああ、あれか。確かに、その日は空いているよ、とは伝えたわよね。その後、ちゃんと自分で予約の電話をした?」
「……え? 空いていることを確認してくれただけ……だったの?」
「やだ〜、あははは! だって実際に行くのはあなたたちでしょ、私じゃないし。ミッコちゃん、そこは詰めが甘いんじゃな〜い?」
……ごめんね、となぜか謝って、電話を切りました。私たちはそそくさと店を後にして近くの空いているレストランに入り、ワインをがぶ飲みしてマイの悪口で大いに盛り上がったのでした。
本当に東京という都会はすごい、こんなヤバい奴が存在しているんだから! 確かに確認の電話はするべきだったかもしれない、でもあのときは間違いなく、「予約を取ってくれた」とみんな信じたのです。
マイとは、もう会うつもりはありません。インスタもミュートして、チーズ仲間とは別のグループLINEを作りました。今も何ごともなかったかのようにマイから呑気なLINEが来ますが、返事はスタンプのみで通しています。
この件はいつものように、すべて珠紀と志歩にLINEで報告しました。しばらく私は頭に血が上っており、マイの悪口を書くのに夢中でした。
こんなことに気を取られている間、私は、珠紀の心の変化にまったく気づかなかったのです。
親友の新情報を教えてくれたのは、まさかの……
マイ騒動の後、にわかに仕事が忙しくなった私は、しばらく同級生LINEを放置しており、誰の会話で終わったのかも覚えていませんでした。仕事や子育てに疲れたとき、ふと彼女らに愚痴をこぼしたくなる瞬間もありましたが、娘を寝かしつけている間に寝落ちしてしまう日々。仕事が山場を越えて、ようやく息をついたころ、私は久しぶりに3人のLINEにメッセージを入れました。志歩からはすぐに返事がありましたが、珠紀からはスタンプのみ。それからしばらく志歩と会話のキャッチボールがありましたが、珠紀は言葉を記すことはありませんでした。それでもまだ、私はあまり気にしていなかったのです。珠紀も忙しいんだな……くらいにしか、考えていませんでした。
ある日、田舎の母と長電話をしている最中、不意にこんなことを言われました。
「そういえば珠紀ちゃんのオメデタ! この間、大きなお腹で旦那さんとうちのデパートに来たよ。ずいぶんふっくらしちゃって、はじめは誰かわからなかったけど。『おばさん、珠紀です』って言ってくれてね、ほんとにいい顔してたわ。夏に生まれるってね。結婚は早かったけど、なかなか子宝に恵まれなかったって? お盆にあんたがこっちに帰ってくる時は、生まれているかねえ?」
私の母は、地元の小さなデパートの子供服フロアで長年パートをしています。
「え? あ、そ、そうなんだよね。そうそう。よかったよね〜」
私は適当にそう答えて、すぐに電話を切りました。胸が、ドキドキしていました。
そうです、まったく知りませんでした。珠紀は私に、妊娠を伝えなかったのです。志歩は知っているのかどうか猛烈に気になり、すぐに電話してみました。
「嘘でしょ! 本当? 私も初耳!」
志歩のその言葉に、心底ほっとしている自分がいました。私は、「珠紀、なんで?」の前に、「知らなかったのは私だけじゃなくてよかった」などと感じたのです。ところが……。
「でも、そっか〜、そういうことだったんだね。別件でやりとりしてるとき、珠紀が、『また今度話すわ』って匂わせみたいなこと言ってて。私、忙しくてちょっと流しちゃってたんだけど、妊娠の報告だったんだ。不妊治療してけっこう長いし、安定期になってから私たちに話そうって思ってたんじゃない?」
志歩の言葉を聞いて、私は冷や汗をかきました。2人はそんなやりとりをしていたのか。不妊治療の話も、私はちゃんと聞いたことはなかった。珠紀は「私たち」に話そうとしていたのではない。「志歩にだけ」話そうとしていたのだと気づいたのです。
その電話をどのように切ったのか、覚えていません。その後私がしたのは、ここしばらくの3人のLINEのやりとりを見返すことでした。
……ない。
珠紀から私に対するリアクションが、ほとんどないのです。スタンプの返事すら、ある時から私の言葉に対してはなくなっていました。私と珠紀の2人きりのLINEは、ずいぶん前から途絶えていました。しかしそれも遡ると、私からの呼びかけに答えるだけ、彼女からの能動的なメッセージはありませんでした。
私はいったい何をやらかしたのか?
しばらく思い悩んだ末、「いや、気のせいかもしれない、そうに違いない。だって私たちの関係は、絶対なのだから……」と、付き合いの長さを根拠に、そう自分を奮い立たせて、私は3人のLINEにメッセージを入れてみました。
「久しぶり! 久しぶりすぎるね、元気? この間、うちの母から聞きました。珠紀、おめでとう〜! びっくりしたよ。出産予定日はいつ? この夏も帰省するので、タイミングが合えば会いたいよ」
志歩がすぐにこれに反応して、「お祝いしよう」と言葉を書き込んでくれました。既読はすぐに付きましたが、珠紀からの返事はありません。翌日になっても、数日経っても、ノーリアクションでした。
珠紀は意図的に、私たちとの会話を避けている。いや、私との会話を。志歩もこのタイミングで気づいたようで、「ミッコあんた、何やらかした?」と聞いてきました。
わからない。私は志歩に電話をかけ、「珠紀に理由を聞いてほしい」と泣きついてみましたが、志歩は「それはできない」とはっきり言いました。
「ちゃんと自分で聞かないと。聞けない関係じゃないでしょう?」
「私だって、そう思ってたよ!」
珠紀と志歩は、私にとって、何を話してもよい相手だと思っていました。いつでも優しかった、あの穏やかな珠紀が、私を切り捨てるなんて……いまだに信じられません。
夜中に思い詰め、何度も珠紀に連絡しようとしました。でも、3人のLINEでの沈黙が、私を躊躇させます。理由はわかりませんがまずは謝罪した上で、連絡がほしいというメッセージをしたためては消す、を繰り返し、時間ばかりが過ぎていきます。
が、そのうちに、腹が立ってきました。いったい私が何をしたというの? 喧嘩をしたわけでもないのに、一方的に関係を断つなんて、フェアじゃない。そもそも、ここしばらく、会ってもいない。LINEの文字情報だけでこんなに嫌われるなんて、貰い事故のようなものではないか、と思えてきます。
しかし、怒りがおさまってしばらくすると、私はまたLINEのやりとりを見直すのでした。何かどこかに、ヒントはないか。そしてあるとき、不意に私はLINE上で自分が発した言葉に目が釘づけになりました。
「ヤバい奴に会った」
ヤバい奴、それはマイのことです。彼女が人としてどれだけおかしいのか、綿々と悪口を書き連ねて悦に入っている自分の言葉を改めて見直し、愕然としました。
何が「ヤバい奴に会った」、だ!
自分を、棒切れか何かで殴りつけたいような気持ちになりました。だって珠紀にとっては私こそが、いつの間にか「ヤバい奴」になっていたに違いありません。LINEをしつこいほどに見返して、珠紀のコメントが減ってきた時期を調べてみると、どうやらこのあたり。マイ語録を茶化して反応していたのは、ほとんどが志歩でした。
私たちの『ブラッシュアップライフ』
振り返ってみれば、珠紀が私を嫌いになる理由は、いくらでもある気がしてきました。私は、無意識に珠紀を「田舎者扱い」していたのかもしれない。眠れない夜、ふとそう思いつきました。上京して、好きなことばかりして、苦労なく子どもにも恵まれ、“意識高い系”の集まりにいい気になって、くだらない人間関係を一方的に報告していた私。堅実な暮らしを続ける珠紀は故郷の地から、私をどう見ていたのでしょう。マイの「都内の半分以下のコストで大きい家に住める田舎って……」という言葉だって、東京かぶれした私自身が言ったように取られたのかもしれません。もちろん、そんなつもりはまったくありませんでしたが……考えるたび、震えるほど恥ずかしく、ギャーッと叫び出したい気持ちになりました。
志歩とは今でも、以前のように連絡を取り合っています。彼女はたまに珠紀とやりとりをしているそうですが、私の話は一切していない、と聞きました。志歩も気を回して、話題に出さないようにしてくれているようです。……本当のところはわかりません。2人で私の悪口を言っているのかも、と想像することもあります。でも、珠紀の性格を考えると、それはない気もします。
なぜ珠紀は私を嫌いになったのか。理由は知りたいものの、聞いたが最後、もう立ち直ることができない気がして、実行に移すことはできません。
白いヘルメットをかぶり、自転車で農道を並んで走った中学時代。3階の角にあった眺めのいい音楽室、ホルンでわざと変な音を出す珠紀に、笑い転げた高校時代。私が一人暮らしをしていた福岡の部屋では、よく珠紀が料理を作って、洗い物までしてくれました。今でもロイヤルホストの前を通りかかると、ガラス窓の向こうに話し込んでいる3人がいるような気がして、泣きそうになります。
先日母が、電話で言いました。「○○さん(母のパート仲間)に勧められて、Netflixで『ブラッシュアップライフ』観たわ。あんたと珠紀ちゃんと志歩ちゃんを見てるみたいでね〜、ほんと面白かった。2人とも元気にしてるの?」
……知らないんだよ、お母さん。私は声に出さず、そうつぶやきました。
ドラマのように、もしも人生をやり直せるとしたら、珠紀を失わないために私はどうすべきだろう、と想像することもあります。でも、そのために上京しないとか、今の結婚を選ばないとか、そんな選択肢はないな、とも思います。私にとって今一番大切なのは、東京で得た家族。だから仕方がないのだ、と自分に言い聞かせています。
それでもやっぱり、寂しい。いつこの心の穴が埋まるのか、そのときを、じっと待っているだけです。
(※本連載は、プライバシー保護の観点から、インタビューに登場した人物の氏名や属性、環境の一部を変更・再構成しています)
-
-
山野井春絵
1973年生まれ、愛知県出身。ライター、インタビュアー。同志社女子大学卒業、金城学院大学大学院修士課程修了。広告代理店、編集プロダクション、広報職を経てフリーに。WEBメディアや雑誌でタレント・文化人から政治家・ビジネスパーソンまで、多数の人物インタビュー記事を執筆。湘南と信州で二拠点生活。ペットはインコと柴犬。(撮影:殿村誠士)
この記事をシェアする
「山野井春絵「友達になって後悔してる」」の最新記事
ランキング
MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール

ランキング
ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら