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おかしなまち、おかしなたび 続・地元菓子

 本を編集、執筆していると、常に後悔がつきまとい、一度として納得のできるものをつくれたためしがないのだが、その後悔を長く引きずることもあれば、しばらくするときれいさっぱり忘れてしまうこともある。しかし富山のながましについては、以前出版した『地元菓子』に写真を掲載できなかったという後悔に長い間苛まれていた。

 手前味噌で恐縮だが、『地元菓子』には「もちのまち」という項目があり、富山と新潟の餅について書いている。富山は米作が盛んで餅も豊富な地域で、市内を歩いているだけでも数軒の餅店に出会い、さまざまな種類の餅を買うことができる。笹餅、豆餅、昆布餅、くるみ餅…お菓子というよりは日常的なおやつ、いや食といったほうが適切な気もするが、ながましというのは、それらの餅のひとつである。お隣新潟も餅文化だが、笹団子という全国に名の知れた名物餅があるだけに、その陰で富山の人たちはひっそりと自分たちの餅文化を楽しんでいるようにみえる。

餅店だけでなく、スーパーにもさまざまな地元餅が売られている

 ながましを発見したのは富山の駅前の餅店で、白餅に小豆をまぶしたささぎ餅や、黒豆の豆餅、よもぎ餅にあんを入れて焼いたおやきと一緒に並んでいた。富山の餅は平たい丸餅が特徴で、ながましも同様の形だが、ほんのりピンク色をしていて、中央にサクラの焼き印がついている。見たところ、中にあんが入ったらしき、いわゆる大福なのだが、その見慣れない名前の意味がわからない。
 お店の人にながましってなんですか、と聞くが、中にあんこが入った餅ですよ、とこれまた会話がかみ合わない。地元の人にとっては、ながましは生まれたときからあるもので、当たり前の存在すぎて、こちらの問いかけの意味がわからないのだ。改めて、ながましってどういう意味なんでしょうか、と聞き直しても、さあ? としか返ってこない。そもそもながましという名前になんの疑問も抱いていないのだから、これも当たり前で、私が外国人に、まんじゅうってどういう意味なんですか、と聞かれているようなものなのだ。

ささぎ餅も当時行方不明で『地元菓子』に掲載できず。かなりプリミティブな姿をしている

 ながましとはなまがし(生菓子)がなまったものといわれ、本来は「十二月八日の針供養の日に婚家に娘の実家が届けたお歳暮だった」(『地元菓子』より)。富山の一部地方では戦後まで、嫁入り後も娘の実家が季節の行事ごとに餅やまんじゅうなどを婚家に贈る風習があり、ながましもそのひとつだった。針せんぼ(千本)、針歳暮とも呼ばれ、古くは赤黄緑白と色鮮やかな四色に色づけされ、あんは粒あん、米一升に三合の小豆を使い、大量に作って箱に収め、婚家にリヤカーで持っていったという記述もある。さらに婚家ではこれらを五つずつに分けて、近所や親類に配ったそうだ。つまり、もののない時代、婚家が配るお歳暮を実家が作って届け、娘の顔を立てたのだろう。むろん針供養としても錆びたり折れたりした針を餅に刺して川に流したという。
 今は大家族の家も減り、家庭でもちを搗かなくなり、お歳暮の風習も次第に廃れ、由来も曖昧になり、ながましも餅店で買えるようになった。しかしたとえそうであったとしても、古い風習の名残がこうして一般にみられることで知れることは多い。

ピンク色の餅がながまし。白は昆布餅、緑はおやき。ながましは本来行事餅なので、通年販売する店は限られるようだ

 それでなぜこのながましが後悔の種になっているのかというと、このとき駅前の店で買って撮って食べたはずの写真が『地元菓子』編集時にどこを探してもなく、苦しまぎれで文章だけを入れ、餅の写真は載せられなかったのだ。
 地方を旅しているときは、必ずしもお菓子取材が目的で出かけているわけではなく、ぶらぶら歩いて見ているときに変わり種がたまたま目に飛び込んでくることが多い。そうした地方での偶然の出会い写真が山ほどあるので、整理を怠っているうちに深い地層に紛れ込んでしまうものがながましに限らずあり、他のお菓子も探しに探し、ときには買うだけのために旅し、あるいは取り寄せたりしたのだが、時間切れで残ったのがこのながましで、校了間際に取り寄せできないかと店にも聞いたのだが、餅だから、固くなるからとあっさり断られ、泣く泣く掲載を諦めたのだった。

 それで今ここで掲載している写真は、刊行数年後に我が写真遺跡から発掘されたもので、見つかったときはこんなところに埋まっていたのかと地団駄を踏んだのだが、こうして日の目をみてありがたい。ついでにいろいろ調べていると、富山の餅はいまだ行事と深く結びついているものが多く、いずれまたご紹介したいと思う。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

若菜晃子

1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。

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