尼寺での涅槃会の翌日、餅店のおばさんに教えてもらった、もうひとつのお寺の涅槃会に行く。14時開始と書かれた山門前の案内を前日のうちに確認しておいたので、15分ほど前に到着すると、駐車場はすでに車でいっぱいであった。
山のなかの大きなお寺ですよ、それだけでも見る価値がありますと聞いていたとおり、門前にはスギの大木が聳えるが、最近何本か伐ったのか大きな伐り株も残っている。灰色の曇り空の下、寒々とした空気のなかを、周囲の木立から落ちた枝と雪の残りを踏みながら会場を探す。そうしながら、信徒でもないよそ者がと冷たくあしらわれたらどうしようと、またしても不安がもたげる。集会所のような建物の玄関で呼び鈴を押し、応対に出てこられた方におっかなびっくり見学のお願いを申し上げると、ありがたいことですと笑顔になって通して下さった。渡り廊下の途中にはお布施を渡す場所があって、しきたりのわかっていない私はここでもまごつくが、無事にお渡しし、廊下を進み、お堂に入った。
入口は前方にあり、堂内にはもうすでに大勢の人が集まっていて、新参者の姿は丸見えである。慌てて身を屈め、座椅子に座った人たちの間をすり抜けていちばん後ろまで行き、板の間の敷物の上に正座した。すると最後列に座っていたおじいさんたちが振り向いて、「火の近くに来られ」と言って、ストーブを囲んでいた席の間を空けて下さる。「座布団を出してひかれよ」と言って、ほら後ろにあると注意されて、はいっと返事をして敷く。「冷えるから、もっと火の近くに来られよ」と言って下さるが、遠慮して板の間に座布団で控える。信徒の方は女性が二~三割、断然白髪の男性が多い。皆さんジャケットなどを着て、きちんとした身なりをしておられる。
ほどなくして始まった長いお経は、昨日の尼寺のご詠歌とは違い、南無妙法蓮華経と唱える法華宗である。涅槃会は仏教であれば宗派を問わず行なわれると餅店のおばさんは話していた。最初のうちはご住職様について全員でお経を唱和する。信徒の人たちは手もとの教本を開いているが、自信に満ちた読経というよりは、ぼそぼそと口の中で唱えている。
しばらくお経を上げた後、涅槃だんごの時間になる。当初は少し投げる予定にしていたようだが、すべて手渡しで配られる。袋に5個ずつ入った小袋の後に(これが投げるはずだったものだろう)、15個ずつ入ったのを平箱に入れて持ってきて、どんどん配ってくれる。皆、嬉しそうに受け取って、カバンや用意してきたビニール袋なんかにいっぱいに詰めている。上着のポケットにありったけ入れている人もいる。そのようすがどこか微笑ましく、年輩者が毎年楽しみにしている恒例行事といった感じである。今日も家へ帰って、だんごもらってきたよと、家の人に渡す姿が目に浮かぶようである。
私に火に当たられよと言ってくれたおじいさんは積極的にお手伝いしてだんごを配っていたが、そして私にも持ちきれないほどくださったが、自分がもらった分はカバンに入れて、その上から上着をかけていた。どのおじいさんも物腰がやわらかで、ちょっとゆかしい。
おだんご配りがひととおり落ち着いた後は説話が始まる。その前にも、お説教の内容を書いた紙が足りなくなり、おじいさんたちはばたつくが、部外者の私が先にいただいた分を慌てて返そうとすると、「いい、いい、どうせ眼鏡がないと読まれへんのやから」などと冗談に紛らわせて気を遣わせまいとする。最後列に座って特に熱心な信徒ではないようなふうなのだが、なさっておられることは温かな心遣いそのものである。
ご住職様は涅槃図についても説明される。お釈迦様の母上の摩耶夫人がいまわの際に不老不死の薬を持ってこられるが間に合わず、天上からの薬がかかったサラノキは青々と若葉で、かからなかった木は枯れて描かれているという逸話は、昨日の庵主様も話されていた。涅槃図において大切な点のようだ。
続けてご住職様が「人は亡くなっていくものであり、今ここに生きていることは稀有なことであり、有り難いことである」とお話しになったときに、それまで静かにしていた人たちが急に身じろぎをして、そわそわとした空気になった。こうした機会に、人々がふだん考えないこと、考えないようにしていることにそっと触れることが、この地の宗教の役割であり、人々の信仰心の支えとなっているのだろう。
説話が終わり、最後に再びお経を唱和する。私も真似をして唱える。チリーン、チリーン、と響く仏具の音もよい。合間に太鼓を叩く人が後ろにおられ、お経も唱えていた。
ご住職様が出ていかれた後、片付けになった。親切にして下さったおじいさんにお礼を言う。「なーんも、慣れないところに来るとわからんからねえ、遠いところから来なさって、大変やったね」とまるで見てきたようなことを言ってくれる。こんな山のなかにしては立派な寺なんですが、広いばっかりで寒いからね。昔は人も多かったけど、今はこんなもんでねえとお話しになる。
ご挨拶して別れた後、なぜあのおじいさんに涅槃だんごのことをもっと詳しく聞かなかったのだろうかと悔やむ。コロナとか、よそ者とか、遠慮があって、頭が働かなかったのだ。しかしおじいさんの真心は私の心に残ったのだからよかったのだ。それにもし来年来ても、あのおじいさんは最後列の柱の陰の同じ席に座っているにちがいない。あそこで一緒にごたごたしていたおじいさんたちも、子どもの頃からのお仲間で、ごく小さい時分からこのお寺に祖父母たちに連れられて来ていたのだろう。こうして地方に来て、そこに根ざして生きる人たちと会うと、見ず知らずの年輩者が幼い頃の面影を宿していて、人間とは本来一生大きく変わらないのではないかと思うことがよくある。
人々に混じって出口に向かうと、先ほどのお世話係の女性が「これどうぞ」と言って、念願の涅槃だんごのお守りをくださった。モスグリーンの毛糸で細かく丁寧に編まれた、まあるいお守りである。中のおだんごの形を指で確かめながら、ふと餅店のおばさんを思い出し、もうひとつ頼んでもらおうかなと思うが、よそ者が図々しいかと思い直す。餅店のおばさんは、私にこのお守りを見せてくれようとしたがあいにく手もちがなかったので、代わりに車に付けていた藁草履のお守りをくださったのだ。だからおばさんの車には今お守りがない。涅槃会が開かれるこのお寺を教えてくれたのはあのおばさんだし、自分がいただいたお守りをあげることにする。せっかくもらったし惜しかったけれども、自分のをあげるからいいのだと思った。
その足で餅店に届けに行ったが、あいにくおばさんは不在で、ちょうど配達から帰ってきたらしきご主人にことづけた。ご主人はきっとおばさんに渡してくれるだろう。おばさんはきっと私からだとわかってくれるだろう。
車に乗って再び走りながら、これで涅槃だんごの旅は振り出しに戻って、丸く縁がつながったと初めて思う。昨日の尼寺の縁に今日のお寺の縁が二重に囲んだ感覚で、むろんつなぎめは餅店のおばさんである。
これまであまり縁というものを感じずに生きてきたけれども、こうしたひとつひとつの出来事が縁であって、今回の縁をつないでくれたのは、古くからこの地で人々がよりどころにしてきた信仰であり、この地に残る地元菓子であった。
※「おかしなまち、おかしなたび 続・地元菓子」は今回が最終回となります。ご愛読ありがとうございました。当連載をまとめた単行本を、新潮社から刊行予定です。
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若菜晃子
1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 若菜晃子
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1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。
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