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おかしなまち、おかしなたび 続・地元菓子

 富山の八尾を訪れたのは、まだ道の脇に雪の塊が残る頃だった。おわら風の盆でつとに有名な八尾で、お釈迦様の入滅を法要する()(はん)()が行なわれることを知り、この週末にも開かれるというので急いでやってきた私は、ともかく法要に合わせて作られるおだんごをお寺に納めている餅店に向かった。

 町の一角にある餅店は、いかにも自家製の餅菓子を各所に卸しているようすの、お店というよりは工場で、聞き覚えのある声の小柄な女性が中からサッシの戸を開けてくれた。ああ、この前電話くれた人と言って、そこにある椅子とテーブルを勧めてくれる。おばさん(親しみをこめておばさんと呼ぶのを許していただきたい)にはおだんごのことを根ほり葉ほりたずねたのだが、突然の電話にもかかわらず、おっとり丁寧に、おだんごの作り方やまつわる風習など、知っているかぎりのことを教えてくれたのだった。

 信仰心の篤い富山の一部地方では、お釈迦様の入滅の日とされる旧暦の二月十五日前後(現在は三月十五日前後)に宗派のお寺に門徒が集まって涅槃会を営む。そのときに作られるのが涅槃だんごである。おねはんだんごともしゃかだんごとも呼ばれ、ひとくちサイズの丸い米粉の餅で、仏教思想にちなむ黄、赤、白、黒(紫)、青(緑)の五色に色づけされている。色味は地域によって微妙に異なり、高岡では色鮮やかな着色だが、八尾では黄、赤、白、緑の四色で、ほんのりと淡い色づけである。
 曰く、このおだんごは仏舎利(お釈迦様の骨)を模したもので、魔除け、お守りにするのだという。おばさんは「一日干して乾燥させたのを毛糸で編んだ袋に入れ、お守りにするねえ」と言う。お寺さんで拝んでもらって御利益があるから、皆さんバッグや車の中なんかに付けておられる。山に行く人はたいてい付けておられる。山菜採りとか山に入るときにマムシにかまれんように。お餅なのにかびたりしないのかと思うが、半生だとかびるけど、日当たりのよい場所やストーブを焚いた部屋でよく乾燥させれば問題ないという。時間が経つと袋の中でちょっと割れたりもするけど。
 そしてこの仏舎利であるところのおだんごは、涅槃会の法要後に、集まった門徒に向けて盛大にまかれるそうだ。お釈迦様の骨だというのに随分と大胆なことである。「お堂の中でまくから、ころころ転がってね、畳の上で」と、おばさんは電話の向こうで笑っている。なかには風呂敷を広げてキャッチする人もいるらしい。節分は豆まきだけど、お涅槃は餅だね。もちろんそのまま食べてもいいし、固くなったら蒸して味噌汁に入れたり、焼いてきなこをつけたりしてもおいしい、と教えてくれた。

涅槃だんごはすべて人の手で丸めるので手間がかかる。丸めてから蒸して、板の上で一晩置く

 おばさんははるばる東京からやってきた私に作りたての涅槃だんごを見せてくれ、涅槃会が行なわれるお寺を懇切丁寧に教えてくれる。お寺の雰囲気もいいし、一度見られるといいですよと熱心に勧めてくれる。そして、おだんご入りのお守りとはどんなものか興味津々の私に、自分では作らんけど、人からもらったのはありますよ、と言うなり外へ出てゆき、しばらくして戻ってきて、「いつもは車のお守りに付けてるけど、今はなかったわ」と残念そうに言った。そして、これ、と小さな草鞋(わらじ)のお守りを私の掌にのせ、草鞋編みをする人も減りましたけど、作っとられる方がくれたんですと説明して、くださろうとする。いえそんな、大事な車のお守りなんですからと慌ててお返ししようとすると、「旅の途中でおられるし、どこかに下げておいて下さりませ」と言って、くださった。

 私は教えられたとおり、明日涅槃会が行なわれるという尼寺を訪ねた。涅槃会は本来門徒による法要であり、信徒でもないよそ者が見学できるとはかぎらない。事前に許可をいただかねばと思ったのだ。「お寺の前に顔の違うお地蔵さんが三人立っておられる」とおばさんが話していたとおりにそのお寺はあったが、道路に面して鈴をぶら下げたお堂は人家の間に収まって、見たところ、小さな観音堂のような趣である。
 このようなお堂の戸を開けたことはいまだかつてないので、おそるおそる木の引き戸に手をかけると、突然、内側からがらっと戸が開いて女の人が出てきた。泡を食って、あのあの明日涅槃会が開かれると聞いたんですがと言うと、私は頭やりに来ただけだから(御髪を剃りに来たという意味だろう)、聞いてきてあげようと奥へ引っ込み、今度はお寺の御用をしているらしき女の人と、小学生の男の子が出てきたので再び用件を伝えると、ついにご高齢の庵主様がおみ足をかばいながら自らお出ましになってしまった。すっかり恐縮して、明日お涅槃会をされるとお餅屋さんで聞いたので、私もうかがわせていただいてよいかお聞きしたかったのですが、とおたずねすると、ええ、明日やりますよ、13時からね、こんなご時世なので4、5人だけで、でも涅槃図も出しますのでね、どうぞいらして下さいとてきぱきおっしゃった後、「おだんごあげるよ」と、やさしい調子でつけ加えられたので、ほっとした。お礼を言い、戸を閉めて失礼しようとすると、庵主様はいいんですよと制し、寒いのに戸を閉めずに見送って下さった。

氷雨降る八尾の町は歩く人もなく、森閑と静まりかえっていた

 翌日は朝から氷雨の降る日で、こんなお天気だと門徒のおばあさんたちも来られないのではないかと案じながら約束の時間にお寺に行くと、お堂の前にはすでに靴が何足も脱いであった。手をかける前に中からするすると引き戸が開いて、お待ちしていましたと声をかけられる。堂内に入れてもらうと、座椅子が5、6脚置かれ、ストーブが焚いてあってふんわり暖かい。涅槃図が正面に掛かり、天井からは大きな提灯がいくつも下がり、お線香の香りが心地よく流れている。狭い堂内のはずなのに不思議と広々と感じる。昨日の餅店で見たおだんごが内陣にお供えしてあり、涅槃図の前にも彩りよくきれいに盛ってある。おうすを点てていただき、近くに寄って涅槃図を見ていると、庵主様と昨日の男の子が出てきて、今日はようこそおいで下さいましたと口上を述べて、法要が始まった。

 庵主様とゆうちゃんと呼ばれる男の子がお経を上げ、御詠歌を唱和していく。男の子の声に合わせて庵主様が音程を高くしたり低くしたりして、うまく補完し合っていくのがわかる。最初は経本を取りに立ったりして緊張していたゆうちゃんが慣れてくると、しばらくひとりで詠ませたりする。その声がいい。張りがあってよく通り、大人になったときの味わいを予測させる声である。むろん今でも充分にいい。その素質と未来を感じさせる。両手に持った仏具を交互に鳴らしながら唱えていくが、澄んだ音がまたすばらしい、ゆうちゃん自身もその音色を楽しんでいる感じさえする。彼に合わせる庵主様の声の調子やおりんを叩くタイミングもいよいよ絶妙である。ここにいる全員が同じようにこの空間を味わっているようにも思える。こうやってお経を聞いていると、自然と心が静まっていく。古今、だからこそ信仰は続いてきたのだ。

サラノキと弟子と動物たちに囲まれ、まさに今入滅せんとするお釈迦様を描いた涅槃図

 読経が終わって、ゆうちゃんよくできたねと庵主様が声をかけ、おだんごをお配りしてと言われ、ゆうちゃんが、これどうぞとビニール袋に入ったおだんごをひとりひとりに配ってくれる。いつもは投げていたんですけどね、カーペットを敷きましたしと庵主様は少し残念そうにおっしゃり、涅槃図についても説明して下さった後、「今年は涅槃会をやろうかどうか、実は昨日まで迷っていたんです。こんな状況ですし足も痛みますので。でもゆうちゃんが御詠歌詠みたいって言うし、昨日の朝おだんごが先に届けられて、そこへあなたがいらして涅槃会のことを聞かれたので、これはやらなければ、これもご縁だと思って、やらせてもらったんです」と、意外なことを口にされた。
 ゆうちゃんは、昨日も今日もかいがいしく庵主様の御用を足していたので、お寺の子かなと思っていたが、二軒先の八百屋さんの子だという。幼い頃からお寺に来ていたそうで、餅店のおばさんも、子どもの頃家が農家で忙しかったので、近所のお寺に預けられていたと話していたのを思い出した。お坊さんがわらべ歌や遊びを教えてくれ、両親もお寺の行事があると手伝いに行っていたという。この地域ではお寺を中心とした互助の暮らしがまだ残っているのだろう。だから信心深く、人には親切で篤実な人が多いのかもしれない。 
 門徒の女性に混じってひときわ背の高い男性は、ゆうちゃんの小学校の校長先生で、「彼が涅槃会するから来てくれ言うて、初めて聞かしてもらいましたけど、感動しました」と言われる。こんなこと誰もができることではない、ぜひこうした個性を伸ばすことが大事だと僕は思いますと力説される。彼は仏画も描くんですよ、と見せてくれた愛染明王像は目が爛々と生きている。写経も速いんですよ、と見せてくれた写経も文字が力強い。ゆうちゃんはお坊さんになりたいそうだ。お経はいつも練習しているんですかと聞くと、「はい、小さいときから庵主さんのを聞いているので覚えました。お経を読むのは楽しいです」と言う。とても通るいい声で立派でしたと、自分が感じたことを伝える。ゆうちゃんは本当によくしてくれて、私の方が教えてもらっているんですよと庵主様にも褒められ、そこにいる大人たちがにこにこして見ているので、ゆうちゃんは照れてくねくねしている。

 おだんごのお守りについては、皆さん口々に、毛糸で籠編みにしたり、布で袋を作ってもいいんです、昔の子どもはみんなランドセルに付けてました、おばあちゃんの手作りでねと盛り上がる。今はどうかな? 今度気をつけて見ておきますと校長先生。なかには、何年も変えずに付けっぱなしでどんどん増えて、ほうぼうに何個もぶら下げているという人もいる。食べ方についても、冷凍して、食べる前に出しておくといい、味醂とお砂糖とお醤油を鍋に入れてコロコロさせて食べるとおいしい、固くなったらストーブの上で焼いて食べるとおいしいと、それぞれの知恵を授けて下さる。

 明るくお元気な庵主様は御年97歳になられるという。このたびはご縁をいただきましてとお礼を申し上げると、「またどうぞいらして下さい。またお会いするのを楽しみにしています」と言って下さる。ゆうちゃんも庵主様の脇に立って、「また聞きに来て下さい」と言ってくれた。
 雨は小やみになったものの、冷気に満ちた外へ出て静かな町を歩きながら、おだんごが縁となって、いい出会いがあってよかったと思う。いやこれは、庵主様がおっしゃったのと同じ、まさに仏様のお導きだったのかもしれない。(次回に続く)

草鞋のお守りは人家の軒先にも掛けられていた

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

若菜晃子

1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。

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