いつの頃からか、地方の町を旅すると地元のお菓子に目がいくようになった。それも最近お目見えの一品ではなく、さりとて名の知れた銘菓でもなく、昔から、それもいつから作られているかもわからないくらい昔から、町の人たちだけにひっそりと愛されている小さなお菓子を見つけると、そこにいる人をつかまえて話を聞き、買って食べずにはいられない。こちらは通りすがりの旅人でしかないのだが、お菓子という、町の人たちの生活に密着したものを食べることで、その土地の歴史や風土や伝統を、わずかなりとも知ることができる気がするのだ。
例えば年末押し迫った時期に地方を旅すると、地元の和菓子店やスーパーはお正月のお餅の販売で大にぎわいである。お店の奥からはどっすんどっすんとお餅を搗く音が響き、店頭には丸い鏡餅が一升、三升、四升と巨大化しながら並び、のし餅も切り餅もビニール袋に入って大量に積まれている。ひっきりなしに人が訪れては、じっくりとお餅を選び、あるいはずらりと用意された予約済みの品を引き取って、お店の人と二言三言会話をして足早に立ち去っていく。人々の表情には忙しないなかにも活気があり、歳末特有の華やぎに満ちている。
そのような店の片隅で、私はお餅の観察に余念がない。お餅の形や種類や味には地方によって特徴があり大変興味深いのだが、ことにお餅の場合は、誰もが幼い頃から食べてきたお餅が基準となっていて、異質なお餅に遭うと驚きも大きい。
ちなみに関西育ちの私にとってお正月のお餅といえば、餅米を蒸して搗いて長方形に平たくのした白いのし餅で、それを長方形に切って食べていた。関西風の丸餅もあったが、我が家では角餅と決まっていた。白餅の他には、黒豆や青のりや海老などが混ざったお餅もあって、豆餅とかのり餅と呼んでおやつがわりに食べることもあった。それらの混ぜ餅は細長い半月形で、切る前の形はなまこと呼ばれると、大人になってから知った。
ところが同じ関西でも、この年末に旅した紀伊半島の三重ではいささかようすが異なっていた。旅はいつも出たとこ勝負で、今回も町に寄ってはあてどなく歩き回っていたのだが、そういう無心のときにこそ敵(?)は姿を現す。
半島の先端に近い尾鷲のスーパーでは歳末の大売り出し中で、ここではやや丸みのあるかまぼこ形を細長く伸ばした餅をのし餅と呼び、紅白ののし餅の他に緑のよもぎ入りがあった。お正月のお餅によもぎ餅があること自体が新鮮なのだが、そのよもぎ餅に「よもぎ」と「やじろ」の二種類がある。しかし見た目は同じかまぼこ形ののし餅である。ははあ、これは年末の忙しさのあまり、お店が商品名のシールをつけ間違えたんだなと一人合点して眺めていたが、どうみても作為的に「よもぎ」と「やじろ」のシールをつけ分けているようなのである。
思い余ってシールにあった製造元の和菓子店を訪ねると、このへんでは餅米にうるち米とよもぎを混ぜて搗いた餅を「やじろ」と呼ぶんですよと教えてくれた。「やじろ」は昔からあって、お正月のお餅としてよく食べるが、ふだんは作らない。白餅にはうるち米は混ぜないけれども、注文があれば混ぜる。餅米だけの餅のように伸びないし、つぶつぶしているので食感が違い、「子どもの頃からよく食べたもんでに」と懐かしむお年寄りも多いと話してくれた。
そういえば伊勢の餅屋でも「やじろ」の名で、白餅にうるち米を混ぜた餅を売っていた。そのときも「やじろ」ってなんですかと聞くと、この人はなにを言っているのだろうと明らかに呆れた顔つきで、米粒が混じった餅のことですよと教えてくれた。伊勢の「やじろ」はかまぼこ形ではなく、四角い角餅の状態で、尾鷲ではうるち米はよもぎ餅にしか混ぜないと力説していたが、よもぎはなく、白餅にだけ混ぜてあった。
さらに伊勢より北の津では、「たがね」と呼ぶのし餅がある。こちらののし餅は平たい長方形で、白餅にうるち米を混ぜたものを「たがね」と呼んでいる。四角いのしの白餅にうるち米を混ぜるのは伊勢と同じだが、呼び名が違う。しかも伊勢では見かけなかった、よもぎののし餅も存在する。
愛知と接する三重の最北部の桑名では、餅米にうるち米を混ぜて焼いた薄い「たがねせんべい」が名物で、町中の菓子店でよく売っているが、お餅にはうるち米を混ぜないようで、「たがね」も「やじろ」も見当たらなかった。
それでは海沿いから内陸部に入った奈良に近い伊賀上野ではどうかというと、餅米にうるち米を混ぜた白餅はあった。しかし呼び名は「やじろ」でも「たがね」でもなく「こまか」といい、形は尾鷲と同じかまぼこ形でも、のし餅ではなく「ねこ」と呼ぶ。「ねこ」とは寝そべった猫に似ているからで、この呼び名はなまこ同様大阪でも聞かれる。そしてよもぎの「こまか」は作っていない。晦日で忙しいのに私がこまかのことをしつこく聞くもので、店員の娘さんは困った顔をしていた。後で調べると「こまか」とは小米と書くようであった。
同じ県内でも、一見しただけでこれだけさまざまにお餅の呼び名と形が入り組んでいるのである。全国を見渡せば、いったいどれだけの変異が存在するのだろうか。
三重にかぎらず、餅米にうるち米を混ぜる餅文化は各地に点在する。知るかぎりでは高知でも「うる」と呼んでいたし、「うるう餅」などとも呼ぶそうだ。山間部や寒冷地で稲作が困難であった地域では餅米だけのお餅は贅沢品であり、たとえお正月であっても、うるち米を混ぜて食した風習が今に残っているのではないだろうか。ことによもぎ入りの草餅は奈良時代から作られており、よもぎは薬草としても用いられてきたことから、ただ単に分量を増やすというより、新春に邪気を払う意味もあったのだろう。
お餅は古来神への捧げ物として神聖視され、かつハレの日に食す特別な一品であった。だからこそお餅は地方により、そこに暮らす人により、風土や文化や慣習、さらに信仰を反映し、さまざまに多様化して定着している。
三重からは「たがね」と「こまか」を買って持ち帰り、お正月に焼いて食べてみた。うるち米のぷちぷちした食感がよく、ごはんを食べているような感覚でもある。ふつうのお餅のように伸びませんよと念押しされたが、伸びないお餅もわるくない。餅米のお餅にはどこか特別感が伴い、日常的に食べないが、このうるち米入りのお餅にはふだんづかいの気安さがある。
餅の世界はこうして、まるでお餅そのもののように自在に形を変え、どこまでも伸びてとらえどころがなく、しかもぺったりと地域社会に密着して、生半可な知識では歯がたたない。しかしそれだけにお餅のようにねばり強く探究したい対象である。
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若菜晃子
1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。
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はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 若菜晃子
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1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。
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