夏の七月、土用の丑の頃、琵琶湖に近い草津の町を歩いていた私たちは、姥が餅という餅屋に立ち寄った。東海道と中山道の分岐の宿場町草津が、旅ゆく人の往来でにぎわっていた時代から続く茶店である。
店頭でいちばん小さな箱を買い、店先の床几に座って食べる。姥が餅はやわらかなお餅をあんで包んだ小ぶりのあんころ餅で、あんのてっぺんに白いおちょぼがついている。戦国時代、織田信長に攻められた領主からひ孫を託された乳母が、この地で餅屋を営みながら育てたという言い伝えがあるそうだ。
お餅であんを包んだ大福やあん餅ではなく、あんでお餅を包んだあんころ餅は、比較的関西に多い。あんころというたおやかな呼び名自体、関西のものやねと話しながら食べる。
同行の友人は石川県の小松出身で、会うと互いの郷土の食についてよく話すのだが、北陸に縁故のない私にとっては、未知の暮らしに向かって開かれた窓のようにも思われる人だ。
その友人が「僕にとってあんころといえば圓八です」と言う。圓八は石川県白山市(もとの松任市)にあるあんころ餅の老舗で、私も数年前、旅の途中で松任駅構内のキオスクで見つけ、買って食べたことがあった。竹の皮でくるんだ平たい包みはレジ横に置けるほど小さく、三百円ほどと安価で、包みを開くと、ぺっしゃんこになったあん餅が真四角に入っていた。そのつぶれ具合がむしろ潔いほどである。古くは旅人が懐に入れて歩きやすいようにしたのだろうか。楊枝で切ろうとすると、ほどよい大きさに自然と離れるので、あらかじめ餅に切れ目を入れているのかと思っていた。
「あのつぶれ具合がいいんですよ。もともとは丸いあんころ餅を並べてあるので切りやすくて、僕は四角いあんこを四つくらいに切って平たいのを食べます」。友人は話しながら掌であんころの包みを持って切るしぐさをする。
「小松から松任か金沢に電車で行くときに必ず買ったんです。ひとりひと包みずつ。その頃は電車に乗ること自体がイベントでしたし、昔は松任駅でおじさんが立ち売りしていたんですよ」と言う。「松任の駅はカーブがきつくて、列車がホームに沿って弓なりに停まるんです。停車時間が短いので、駅に停まるとすぐ窓を開けて、おじさんを呼んで急いで買うんです」。
圓八によると、松任駅の立ち売りは明治31(1898)年の北陸線開通とともに始まったそうだ。人々がどこへ行くにも鉄道を利用した時代、そうした駅の立ち売りの餅は、駅弁と並んで全国に点々と存在していた。しかし、近年になって車社会への急速な移行に伴い、鉄道もスピードを最優先し、列車の旅の小さな楽しみは瞬く間に消えていった。松任駅の立ち売りも、現在40代の友人が高校生のときにはまだあったというが、窓の開かない車両が導入されたのを機に、平成9(1997)年、99年の歴史をもって終了。弓なりのホームも改良工事でまっすぐになってしまった。
「今でも実家から送ってくる荷物の隅に圓八が入ってたりします。ほら平たいから、どこにでも入るでしょう」。
ああ食べたいな。琵琶湖畔の宿場のあんころを食べながら、ふるさとの味を思い出す友人。今からでも行こうと思えば、草津から東海道線を北陸線に乗り継ぎ、敦賀で日本海に出て白山の裾野をゆけば、小松そして松任に至る。圓八では今でも創業時と変わらずあんころを作り続けている。けれども友人の思い出のあんころはもうそこにはない。
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若菜晃子
1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 若菜晃子
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1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。
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