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おかしなまち、おかしなたび 続・地元菓子

 高知西端の宿毛(すくも)を訪れたのは、数年前の二月だった。二月とはいっても、南国高知のことだからきっと暖かいにちがいないと気楽な格好をして出かけたのだが、空港から市内経由で宿毛めざして土佐くろしお鉄道に乗っていたら、四万十川流れる中村で乗り換えたあたりで横殴りの雪が降ってきた。みるみるうちに窓の外の山や木や畑がまっ白に変わっていく。高知に来てまで雪景色を見ることがあろうとは、同行者とお互いの薄着を見て、宿毛に着いたらまず服を買わないといけないんじゃないのと心配になった。

 そして町の中心部に近いだろうからと降りた東宿毛駅は、ベンチに囲いがあるだけの高架の無人駅で、私たちの他に乗り降りする人なぞおらず、電車はことこと去っていってしまった。見える景色は山に畑にゆるやかに流れる川で、細い農道を白い軽自動車が走っていく。なにか降りる駅を間違えましたかねえ私。小止みになったとはいえ、雪の舞い飛ぶ吹きっさらしの駅を地上に降り、せめてもの抵抗でコートのフードをかぶって歩く。古い平屋を土塀や垣根で囲んだ家々の合間に小道がくねくねと通っている。清水の流れる水路があって、ミカンの落ちる庭があって、ハチの巣箱を置いた家がある。そうかと思えば草ぼうぼうの空き地があったりして、子どもの頃にとことこ歩いていた近所の家並みのような懐かしさがある。あいかわらず小雪は舞って寒々しいけれども、ふいに過去の空間に入り込んだような心地で歩いていくと、商店街の一角に出た。

小雪の舞う街に人影はなく、水路の流れだけが聞こえていた

 しかしこの寒さもあってか、商店街にも人影はない。森閑と静まり返った商店街に、ちらちらと降る雪が白く見えている。開いているお店あるかなと車一台分ほどの道幅の左右を見ながら歩いていくと、和菓子屋が開いていた。

 なにせ寒いものだから、いそいそと中に入ると、奥の方で誰かが仕事をしているようすだが、店頭ではお菓子が中ほどのケースに点々と置いてあるだけである。どうもみたようす、商品は物産館やスーパーなど人の集まる場所に卸していて、地元の人の他にふらりと入ってくる客などあまりなさそうな雰囲気で、置いてあるものを勝手に見ていると、ケースの中に「きんぼ」というお菓子があった。細い棒状のお菓子が袋に5本入り、包み紙には羽織袴姿のお代官様のような人が川っぷちに立って指図をしている絵が描かれ、土佐宿毛名物と書いてある。きんぼってなに? この人は誰?
 奥から出てきたおばあさんによると、きんぼとは金の棒の意味で、この人は野中兼山といって川の治水をした人ですというが、金の棒と野中兼山のつながりまではよくわからない。兼山が手にしている指し棒みたいなのが黄金製なのだろうか? または水深や川幅を測る測量棒のことだろうか? それとも治水工事の際に金の棒を埋めたとか使ったという逸話なのだろうか? あるいは治水後に金の延べ棒が買えるほど一帯が富み栄えたという意味?

陣頭指揮をふるう若き日の野中兼山。指し示す先にはなにが……

 しかしそのときに金の棒よりも印象的だったのは、きんぼと文旦漬を買って店を出て、またふらふらと商店街をあてどなく歩いている私たちを追ってきた若主人が、「これどうぞ!」と、私たちの手にひとつずつ小さなおまんじゅうを置き、「お気をつけて!」と言い残してまた小走りに去っていったことだった。なんとまあ心やさしい、これが四国のお接待というものだろうか。

 私たちはおまんじゅうをポケットに入れたまま歩き続け、商店街を抜けて川に出た。松田川である。納屋の脇から土手に上がり、枯れた蘆の薄茶色の群落が広がる河原を見渡す。川の水面は海が近いせいか、銀ねず色で平らかで、ごく静かである。白いサギが一羽、水際に黙然とたたずんでいる。小雪はいつの間にか止んだようである。少し離れた位置に白と水色に色づけされた河口堰が見える。川と反対側の土手には水仙が群れ咲き、宿毛の家並みが端然と続いている。あいかわらず寒々としているけれども、その寒さがすでに清々しくも感じられる。
 私たちは再び土手を降りて、川のそばの小高い丘の上の宿毛城址に上がったり、下ったところにある宿毛小学校で、正門脇に衛兵のごとく聳える二本のソテツを見上げたりして、町を歩いていった。

宿毛小学校正門のソテツは昭和初期にはまだ小さかったそうだ

 宿毛滞在の最終日に宿毛歴史館に立ち寄ると、野中兼山についての展示があった。やはり兼山は郷土の誇りなのだ。土佐藩初代藩主山内一豊の甥の子であり、二代目山内忠義の家老だった兼山は、藩内の吉野川、仁淀川、物部川、四万十川などの治水、室戸津呂港、浦戸港の港湾修築などの事業を次々に成し遂げ、洪水や台風の影響を受けやすかった一帯の新田開発と海上交易を盛んにした功績者である。
 その治水事業のひとつに宿毛の松田川も入っていた。この地の殿様は藩主一豊の甥であり、兼山の妻は孫にあたることから関わりも大きかったのだろう、松田川に河戸堰を造り、町の周囲には約三キロに及ぶ(そう)(ぐる)()(大堤防)を築き、地域を水害から防ぎ、灌漑を行なった。東宿毛の駅から見たゆるやかな川筋も、町を勢いよく流れる水路も、不思議に湾曲した市道のつくりもその名残であった。
 兼山は南学を修め、学問を奨励、三十年の間に藩の安定と発展に大きく寄与したが、過重な労役に苦しんだ領民や三代目藩主に仕える反兼山派に追われ失脚、妻の市と側室の子八人は兼山の死後四十年間も宿毛で幽閉され、途絶したという。その館が今の宿毛小学校の地であることを示す古い地図が展示してある。

 暗澹たる思いだが、こうして後の世で兼山の偉業を手厚く扱っているのは、宿毛の人たちのせめてもの手向けの気持ちであろう。地方都市に行くと、他では入手しづらい郷土史が自治体の窓口などに置いてあるが、このときも地元史家による宿毛の歴史本を二冊も購入してしまった。本には、八十歳まで幽閉生活を送った兼山の妻が詠んだ「けつまづく菊やはたけの霜ばしら」というさびしい歌が載っていた。

今立っているこの土手が、総曲輪の一部だったのだろう

 しかしつまるところ残っているのは、お菓子の「きんぼ」の名はどこからきたのかという謎である。今改めて購入した郷土史や文献にあたると、野中兼山の治水工事は、川に堰を造って流れをゆるめ、用水路に流し込み、広く灌漑する方法で、堰の材料は主に割石、栗石、松丸太を用いている。簡単にいえば丸太で枠を造り、そこに石を入れて水中に固定するのだが、例えば仁淀川の八田堰を造る際には、水流の妨げになる堅い岩盤を砕くためにずいきを農民に大量に供出させ、岩上で焼いてから削ったという伝承もあり、芋がらを焼いたからといって岩が柔らかくなるとも思えないのだが(焼いた後に冷水をかけて温度差で亀裂を生じさせるのかもしれない)、その一徹な執念で難事業を突破していったのだろう。兼山は港湾改修も行なったが、自著『室戸港記』のなかに「鉄槌及び鉄鑿を以て岩盤を破砕し」という記述がある。岩盤を人の手で削ることで鉄槌、鑿が激しく消耗したため今度は鍛冶職人が動員され、現地で出張修理にあたったという。この一文の前には、「人夫数千手に手に瓶を持って排水を為したる」ともあって、兼山の事業はどうやら恐ろしいほどの人海戦術だったと推察される。宿毛では総曲輪を築く際に、どんなに寒い日も川に入る作業を中断しなかったため、かり出された人々は川が凍って作業できなくなることを願って、「雪や降れ降れ、あられも降れ降れ、荒瀬の川が凍るまで」と歌った民衆歌も残っているそうだ。思うにきんぼは、岩を砕くために人々が手にした、何千という金槌のことだったのではないだろうか。

外側は砂糖蜜の黄金、中は白いおこしのきんぼは素朴な味わい

 さてお菓子のきんぼの味わいはというと、黄金色といってもいい棒状のおこしで、外側には黒糖の甘みがあり、ぽりぽりとした食感で、ショウガとゴマの風味がよくきいて、いかにもふるさと菓子の趣で、木の菓子盆にでも盛られるのがふさわしい姿である。この素朴なお菓子が、厳しさに耐えかねた人々の思いを反映したものなのか、水害から町を守った兼山の偉業を称えたものなのか、おそらくその両方だろう。

 最終的に謎は解けないままだが、はからずも高知の近世史を学び、宿毛と野中兼山に詳しくなってしまった。小さなお菓子がきっかけとはいえ、こうして地図を開き資料を調べていると、雪の舞う2月の宿毛の、冷たくも清々しい空気が思い出され、静かな町を今日も再び歩いているような心地がする。

*参考文献
『とき連綿と 宿毛小史・宿毛の人々』(宿毛市教育委員会)
『農業土木を支えてきた人々 野中兼山』(横川末吉・農業土木学会誌第48巻第9号)
宿毛市史 近世編 ―野中兼山と宿毛―』(宿毛市HP)

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

若菜晃子

1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。

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