毎年八月になると、小林先生と湯川秀樹さんとの対談「人間の進歩について」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第16集所収)を思い出す。湯川さんは京大教授を務めた理論物理学者で、昭和二十四年(一九四九)、日本人として初のノーベル賞受賞者となったが、小林先生との対談はその前年、二十三年の七月中旬に京都の南禅寺付近で行われ、雑誌『新潮』に掲載された。
ということは、この対談は湯川さんのノーベル賞受賞に乗じたものではなく、世間一般はまだ湯川のユの字も知らなかった時期に、小林秀雄を湯川秀樹と対談させようと思いついた具眼の士がいたということである。その具眼の士とは、新潮社の編集者、齋藤十一氏で、この「随筆」の第四回「微妙という事」にも登場してもらったが、戦後すぐ、三十歳そこそこで文壇最強の権威雑誌『新潮』の編集長に抜擢され、小林先生との初仕事に湯川さんとの対談を仕組んだのである。
先生は、開口一番、こう挨拶する。
――あなたにお会いできてお話する機会は得たが、どうもこっちがあんまり無学過ぎるんで。困ったことです。二十世紀の科学の大革命が一般思想の上に大きな影響を与えたということは承知していますが、何しろ事がどうにも専門的なものでね。ぼくらにはまことに困る。その困ったところに、通俗科学書が氾濫した。こちらはいきなりそういうものに飛びついた。ブルジョア文学者は偶然論がどうのこうのと愚にもつかぬ文章を書いていた。左翼文学者は政治に目を奪われて一向科学なんか好奇心を持たぬ。そのうちに原子爆弾が破裂してしまったというわけです。……
昭和二十年八月六日、広島に、九日、長崎に、原子爆弾が落とされた。この対談が行われたのは、その広島、長崎から満三年になろうとしていた時期である。
小林先生が口にした「偶然論」から「決定論」「確率論」と話はたちまち佳境に入り、湯川さんはキュリー夫妻が発見したラジウムの壊れ方について語ったあと、「偶然」という言葉に還って小林先生に問いかける。
――人間の社会とか、あるいは人間精神とかいうようなところで見かけ上は偶然的なことがいろいろ現われるが、実際にどういう場合が偶然的で、どういう場合が偶然じゃないのだという判断になると、人によっていろいろ意見は違うでしょうけれども、二つの世界、原子の世界と人間の世界の間にどのような結びつきを認めるか、小林さんはそういう問題をどういうふうにお考えになっているか、別の問題のようでいて、なかなか関係のある面白い問題だと思いますが……。
これを受けて、先生は応える。
――ぼくらの考えている自由とか偶然とか、そういう考え自体は物理の物性の偶然性とか自由性とかいうこととははっきり違うのじゃないかと思うのです。たとえば、屋根から石が偶然に落っこちてきてある男が死んだ。そういうときに使われている偶然という考え方でも、石という物理学的な物性の運動だけを考えているわけじゃないので、石にある人間的な意味を持たして考えているのです。持たすから偶然という一つの感じ、一つの生活感情が生じます。石が落ちて怪我をしたか死んでしまったかという問題は、物理学的には同じ偶然性の問題だが、人間の偶然感にとっては大きな違いが出て来る。落ちて来た石は、その人の運命の象徴なのです。……
こうして次々、「芸術家と科学者」「直覚について」といった話題の交感が続き、中ほどに至って、小林先生が言う。
――私、ちょうど原子爆弾が落っこったとき、島木健作君がわるくて、臨終の時、その話を聞いた。非常なショックを受けました。人間も遂に神を恐れぬことをやり出した……。ほんとうにぼくはそういう感情をもった。単に戦争の不幸というのではなく、なにか非常に嫌な感じを持った。地球というものがやっとこれだけ安定した。安定させてくれたから生物も現われてきたわけでしょう。それをむりに不安定な状態に、逆なことを……人智によって、自然に逆のプロセスをとらせることを、やり出した。……
島木健作は、「生活の探究」などで知られる小説家で、小林先生とはとりわけ仲がよかったが、昭和十七年頃から病の床に就くことが多くなり、二十年八月十七日、四十一歳で死去した。小林先生は、その大切な友を看取る病室で原子爆弾のことを知らされたのである。
――現代の科学魂というものには、邪悪を誘う何かがあるように思えます。……
先生はそう言って、さらに言う。
――人間は自分の発明した技術に対して復讐されない自信があるかどうか。それほど強いでしょうか、人間という奴は……。
これに対して、湯川さんは、原子力というものを大きな目で見ると、たとえば太陽の光や熱のおかげで人間は生きてきた、その太陽のエネルギーの出てくる元は原子力であり、自然界のエネルギーのいちばん大きな元は原子力である、そのことが最近になってわかった、それなら神様の与えてくれた原子力に感謝し、自分たちでもう少し自由に活用しようということになったのだと考えれば、必ずしも神を恐れぬ所業だとは言えないが……、とまず言い、しかし、原子力を人間が利用するとなると、集団自殺もできるようになった、そうなれば道理とか、道徳とかの問題が起ってくる、結局、他のあらゆる問題より平和を永続させることを優先的に考えなければならない、うっかりすれば人類の大部分が破滅することになる、これは他とは比較にならない、いちばん大きな問題になってしまった……、と応じる。
これを受けて、先生は言う。
――ぼくが技術の復讐というのはそういう意味です。つまり、平和の技術はまた戦争の技術でもある。目的いかんにかかわりない技術自身の力がある。目的を定めるのはぼくらの精神だ。精神とは要するに道義心だ。それ以外に、ぼくらが発明した技術に対抗する力がない。……
原子力の問題は、今日、北朝鮮の核保有をはじめとしてますます恐怖が高まっているが、私たちのすぐ身近にも原子力発電の問題がある。そして、科学技術に関わる不穏な事態は、原子力に限ったことではない、この七月、西日本の各地が豪雨に襲われ、大災害を蒙った。被災者の方々には心からお見舞いを申し上げ、一日も早い復興をお祈りするほか言葉が出ないが、こうした豪雨とそれによる大災害は近年頻々と起っている。またこの夏は、命にかかわるとまで言われた記録的猛暑の連続である。豪雨、猛暑、いずれも地球温暖化の影響が言われ、その温暖化を招いたのは産業革命以来の科学技術であると言われる。人間は、自分の発明した技術に対して復讐されない自信があるか……。七十年前に示された小林先生の危惧が、いままさに現実となっているのである。
だが私たちは、こういう事態を目の当たりにして、恐怖とともに無力感にも襲われている。北朝鮮の核問題も、国内の原発問題も、度重なる豪雨も猛暑も、私たちは手を拱いているしかないような状態に置かれている。地球温暖化のことなど、何をどこへ、どう訴えればいいかの見当さえつかない。ではこのまま破滅を待つしかないのか……。いや、私たちにはしなければならないことがある、道義心を養い、科学技術に対抗することである。先生の言葉をもう一度引こう。
――平和の技術はまた戦争の技術でもある。目的いかんにかかわりない技術自身の力がある。目的を定めるのはぼくらの精神だ。精神とは要するに道義心だ。それ以外に、ぼくらが発明した技術に対抗する力がない。……
科学者は、あるいは自然科学系の技術者は、往々にして技術そのものの向上進化に眼が眩み、自分が手掛けている技術が戦争に結びつくかも知れない、人を殺傷することはなくても不幸に陥れるかも知れない、そういうところに思いが至らなくなる。それが「目的いかんにかかわりない技術自身の力」ということである。原子爆弾も地球温暖化も、そういう「技術自身の力」によったのである。
こうした技術の、望ましい目的、ということは、人間を幸福にする方向での目的、一言で言えば平和、これを定めるのは私たちの道義心だと先生は言うのだ。だがこの「道義心」という言葉にも注意が要る。「道義心」を辞書で引くと、「道義を重んじる心、道徳心」等とあり、「道義」を引くと「人としてふみ行うべき道、道徳」等とある。なるほどそうにはちがいない、が、これでは先生の言う「技術の力に対抗する力」となるのかどうか不安である。
先生の言う「道義心」は、私たちがふつうに心得ている道義心からするとはるかに烈しいのである。人間は人間としてどういうふうに生かされているか、その自然の恵みを身をもって知ってしっかり弁え、そこを侵すものがあれば果敢に立ち向かう、そういう心と精神である。先生は、昭和二十年八月、原子爆弾が落されたことを知って、人間は遂に神を恐れぬことをやり出した、自然に逆のプロセスをとらせることをやり出したと、非常に嫌な感じを持ったと言っている。この、あってはならないことに「非常に嫌な感じ」を持つ、これが道義心の初動である。「目的いかんにかかわりない技術自身の力」に唯一対抗しえるのは、こういう、科学とは一線を画した生身の人間の生活感情である。先に引いた「偶然」という言葉の感覚にも見られたように、先生は常に自分自身の生活感情に立って何ができるか、何をなすべきかを考えていた。
では私たちは、技術の無軌道に対抗する「道義心」を、どこでどう発揮するのか。まずもっては、政治と政治家を見極めるときである。
先生は、政治とは、私たちの日常生活を健康に、安全に成り立たせるための専門的技術である、政治は人間精神の深い問題に干渉できるような仕事ではない、精神の浅い部分、人間の物質的生活、これを整備することに専心する、これが政治の本分である、したがって、科学の進歩が平和の問題を質的に変えてしまった今日、いかにして平和を保つか、それこそは政治技術の最大の課題である、そこをそうとはっきり意識した政治家の現われることが、いま最も必要である、と言っていた。
平和の維持技術をはっきり意識した政治家とは、まさに先生の言う「道義心」を全身に湛えた人物であろう。そういう人物を出現させ続けるためには、先生の言う「道義心」が、私たちにこそ求められているのである。
(第四十五回 了)
★小林秀雄の編集担当者・池田雅延氏による、
小林秀雄をよりよく知る講座
小林秀雄の辞書
8/2(木)18:30~20:30
新潮講座神楽坂教室
小林秀雄氏は、日々、身の周りに現れる言葉や事柄に鋭く反応し、そこから生きることの意味や味わいをいくつも汲み上げました。1月から始まったこの講座では、私たちの身近な言葉を順次取上げ、小林氏はそれらを私たちとはどんなにちがった意味合で使っているか、ということは、国語辞典に書いてある語義とはどんなにちがった意味合で使っているかを見ていきます。
講座は各回、池田講師が2語ずつ取上げ、それらの言葉について、小林氏はどう言い、どう使っているかをまずお話しします。次いでその2語が出ている小林氏の文章を抜粋し、出席者全員で声に出して読みます。そうすることで、ふだん私たちはどんなに言葉を軽々しく扱っているか、ごくごく普通と思われる言葉にも、どんなに奥深い人生の真理が宿っているか、そこを教えられて背筋が伸びます。
私たちが生きていくうえで大切な言葉たちです、ぜひおいでになって下さい。
8月2日(木)謎/魂
9月6日(木)独創/模倣
※各回、18:30~20:30
参考図書として、新潮新書『人生の鍛錬~小林秀雄の言葉』、新潮文庫『学生との対話』を各自ご用意下さい。
今後も、知恵、知識、解る、熟する、歴史、哲学、無私、不安、告白、反省、言葉、言霊、思想、伝統、古典、自由、宗教、信仰、詩、歌……と取上げていきますので、お楽しみに。御期待下さい。
小林秀雄と人生を読む夕べ【その8】
文学を読むIV:「カラマアゾフの兄弟」
8/9(木)18:50~20:30
la kagu 2F レクチャースペースsoko
平成26年(2014)10月に始まったこの集いは、第1シリーズ<天才たちの劇>に<文学を読むⅠ><美を求めて><文学を読むⅡ><歴史と文学><文学を読むⅢ><美を求める心>の各6回シリーズが続き、今回、平成30年4月から始まった第8シリーズは<文学を読むIV>です。
*日程と取上げる作品 ( )内は新潮社刊「小林秀雄全作品」の所収巻
第1回 4月19日 西行(14) 発表年月:昭和17年11月 40歳
第2回 5月17日 実朝(14) 同18年1月 40歳
第3回 6月21日 徒然草(14) 同17年8月 40歳
第4回 7月19日 「悪霊」について(9) 同12年6月 35歳
第5回 8月9日 「カラマアゾフの兄弟」(14) 同16年10月 39歳
第6回 9月20日 トルストイ(17) 同24年10月 47歳
☆8月(第2木曜日)を除き、いずれも第3木曜日、時間は午後6時50分~8時30分を予定していますが、やむを得ぬ事情で変更する可能性があることをご了承ください。
◇「小林秀雄と人生を読む夕べ」は、上記の第8シリーズ終了後も、小林秀雄作品を6篇ずつ、半年単位で取り上げていきます。
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池田雅延
いけだ・まさのぶ 1946年(昭和21)生れ。70年新潮社に入社。71年、小林秀雄氏の書籍編集係となり、83年の氏の死去までその謦咳に接する。77年「本居宣長」を、2001年からは「小林秀雄全集」「小林秀雄全作品」を編集・刊行した。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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