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御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

2018年10月25日 御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

18 寺町三条の「ヤマモト」で、絵に服を着せるような額装をしていただく

著者: 入江敦彦

 英国人はアートが好きです。正確にはアートとの距離感が近いというべきかもしれません。イギリスの人にとってそれは高尚な趣味でも金持ちの道楽でもなく純粋な娯楽であるような気がします。映画を観たり本を読んだり、コンサートに出かけたり、あるいは風景式庭園を逍遥しょうようしたり、そういった〝お愉しみ〟のひとつ。肩の力が抜けた感じが、いいなあ。
 大きな美術館や博物館は特別展示を除けば無料だし、メモを取ったり、それらを写真撮影したり(フラッシュ不可。手持ちのみ)、三脚イーゼルを立てて模写することだって許される。教科書に載っているような「お芸術」だって、そりゃあ気安くもなろうってもんです。おまけにヴィクトリア朝という富が蓄積した時代の遺産がまだいたるところにあって、それらが秘匿されずそこかしこで一般公開されている。そういったすべての環境が英国人とアートの仲を取り持っている。
 あとね、加えて商店の並ぶ街ハイストリートなら目ぼしい通りでなくても必ずギャラリーがあるのも、なにげに大きな役割を果たしているのではないか。八百屋とか本屋とか肉屋みたいにフツーの顔でそれらは街角に暖簾を掲げています。京都でいえば碁盤の目の中ならどこへ行っても町内に一軒はある和菓子屋とか、お店じゃないけどお地蔵さんとかみたいな存在。
 だからでしょうか。英国人は日本人よりかなり気楽に絵を買います。オークションを始めアート市場も敷居が低い。資産価値など気にせず普通の人たちが暮らしのなかのささやかな贅沢として絵画を買っておうちの壁に飾る―ということをするのです。価値基準は自分。
 もしかしたら女性がブランド物のバッグや靴に手を出す感覚とかに近いかもしれません。あるいは和装にハマってきものを仕立てる行為なんかも同じ匂いがする。必要や必然ではなく衝動に駆られて買っちゃうわけ。だからギャラリーはアートを鑑賞する会場ではなく、あくまでアートを購入する場所として機能している。
 イギリスの路面ギャラリーはもうひとつ重要な任務を果たしています。それは額装。

見てるだけで心が躍る壁面いっぱいの棹(枠)サンプル。世界共通額装屋風景。とっかえひっかえ絵にあてがう楽しさは好きなブティックで試着する悦び。

 この国の住人たちは近所のギャラリーに絵を持ち込んで、それに合わせた額をこしらえてもらうのが大好きです。額装の経験がない人、というより家に絵を飾る習慣、もとい嗜好、いやさ発想がない方はたくさんおられます。そういった人たちに芸術的装用が乏しいと言いたいわけではありません。たぶん自分には無縁だと思い込んでるのだとわたしは考えます。でもね、額の御つくりおきって想像よりすごくわくわくするもんなんですよ。
 イギリス暮らしの初期、アパートを借りていたハイゲートという街でのことです。ウィンドウ越しに見た作品に惹かれてわたしはギャラリーにいました。そのときご近所さんであろう中年婦人が額装依頼にやってきたのです。彼女は店主の前に数葉の絵を広げ、とりどりのフレームを当ててめつすがめつ相談しています。そのプロセスが興味深くてわたしは耳をそばだてていました。
「ね? これ可愛いでしょ? 去年のカレンダーなのよ」
 え? えええ? カレンダーて。買ったのだとしても精々千円とか二千円のものに、その10倍ものお金を払って額を注文するわけ? はっきりいって疑問でした。というか、そのときはなんて無駄遣いだと思った。
 しかしです、よく考えれば自分ちの壁に自分が好きなものを飾って眺めて心が和むなら、それはなんて素敵なことでしょう。他人の目にはどんなに無価値でも人んちじゃないんだから。カレンダーだろうが推しメンのブロマイドだろうが責められる謂れはありません。
 しかもそこに額職人の技術が重ねられることで、ただの切り抜きが馬子にも衣裳ではありませんがなんだかそれなりに〝アートしてしまう〟のです。
 本当ですよ。額装の経験があるひとならわかるはず。むろん綺麗なフレームに収めても絵自体の値段が上がるわけではない。けれど売り物ではないのだから、そこには何の意味もない。市場価値が眼福だというならお札でも虫ピンで刺しときゃいいんです。
 カレンダーおばさんショック以来、余計な先入観が消えて距離感がぐっと縮まったのか、わたしは絵を買ったり額装したりを気負いなくできるようになりました。やり始めてみると、またこいつが滅法面白い! んです。さきほど【馬子にも衣裳】のたとえを使いましたが、まさにこれ。あるいは【イライザにヒギンズ教授】とか。
 いまの家を買ったとき、まだインテリアも揃わぬうちにわたしが着手したのも額装でした。日本画家だった祖父の作品を壁に掛けたい、うちを訪ねてくれる友人連に観てもらいたいというのが積年の夢だったからです。こっちの大家さんたちは壁にフックのための穴を穿つくらいは鷹揚おうようですが賃貸ではやはり気が引けるので。
 新居の近くに「John Jones」というロンドン、いやイギリスが誇る額装の専門工房があったのも幸いしました。錚々そうそうたるアーティストが顧客リストに並ぶファクトリーで、国公立美術館にも数多くフレームを納めています。それまでも祖父の作品は(件のカレンダーおばさんのギャラリー含め)何度かフレーミングをしてきましたが、もう、出来上がりが全然違いましたね。まさに下町娘がレディに変身してしまった。
 ただ、ここにはカレンダーは持ち込めない。たぶん持ち込んでも断られはしませんが、やはりお店には格というものがあるので、かしこまる必要はないけれど客もそれなりの敬意を払わねばなりません。そして額装屋における敬意とは注文する絵のクオリティです。
 そんなわけで気に入って買ったはいいものの、こちらにお願いするのは少々気が引ける物件がわたしにはありました。ダン・ヤングという地方在住英国人アーティストの作品で、12×15㎝ほどの木板にアクリル絵の具で描かれた静物画。日常の身の回りにあるスティルライフが画材です。リアルで独特な対象の捉え方がクール。
 しかし一番ぐっときたのは一日に一枚、千日かけて千枚の絵を描くというコンセプトでした。そのストーリーが欲しくなった。コレクションしている海老ものでもある292番「ロブスターの爪」がオークションに出品されたのに後を押されて落札。調子に乗って同時に競売にかけられていた302番「鶏の心臓」もゲット。

フレームが変わると絵の印象もころりと変わる。額装をお願いすると、それを目の当たりにします。隠れていた魅力が現れて驚いたりも。フレームとは飾りではなく、むしろ絵の一部なのでしょう。

 ヤング氏の千日行は後日BBCのニュースでも取り上げられましたので、John Jones に持ってっても不敬には当たらなかったでしょうが、なんかタイミングを逸してしまった。絵が手元に届いてストーリーが完結してしまった気持ちになったのかもしれません。額装しないまま現在に至っていたのですが、このたび京都で9年目にしてとうとう服を着せてもらえました。
 額縁工房「ガクブチのヤマモト」の話を聞いたのは木工芸作家の中川周士さんから。「鳩居堂」の斜向はすむかいにあるこちらのお店の存在は当然知っていました。寺町通りは京都にいれば毎週のように歩きますし、寺町を歩けば必ず気がつくショップですから。なのに、どういうわけかエアポケットみたいにわたしのライフサイクルから抜け落ちていたのです。

「ガクブチのヤマモト」は通りに向かい合って二軒。西側の店はまさに額縁のギャラリー。もはや作品です。それらを見るためだけに立ち寄る価値があります。楽しいですよ!

「ヤマモトさんの仕事を見ていると、額縁だけの話やのうて当たり前の仕事を当たり前に丁寧にしてる職人がどんだけ少ないかに気がつきますね。ほんでその難しさもまた思い知らされますわ」
 ああ、これは額装をお願いせねばとわたしは決めました。なぜってヤング氏の絵を見た感想が、まさに当たり前のものを当たり前に丁寧に描いているからこそ魅力的なんだな―だったのです。
 現在と同じ場所に写真館としてオープンしたヤマモトは当時から額縁も扱っていたといいます。絵心のある二代目が自分の作品を額に入れて販売するようになり、さらに注力するようになりました。が、まだフレームは外部から仕入れていました。オリジナルの額装を開始したのは先代で、やがて京都画壇を支える縁の下の力持ちとしてなくてはならぬ店になってゆきます。いまの社長の山本雅二さんは四代目。
「実は中川さんは同級生なんですよ。そやし褒めてくれたんとちゃいますか」
 山本さんは笑っておられましたが、おそらく日本ではもはや専門の額縁制作工房として素材となる木材の吟味から削り出し、その棹に施される装飾まで手仕事でものづくりをしているのはヤマモトくらいしかないのです。当然プロ作家のオーダーが全国から集まりますが、彼らのための特別な仕事としてではなく、誰に対してでも当たり前の仕事として額装を承ってくださる。
 これぞ御つくりおき文化! 京職人の心意気! と、京都人であるわたしはナショナリズムが湧きたってつい口走ってしまいそうになります。
「たとえばうちでは一見するだけやったらただ金色に塗られた額縁でも、ほんの少し注意してもらえれば全然テクスチュアが異なるんが解ってもらえます。水押しゆう古典技法で金箔を置き、脱脂綿で押さえ、自然乾燥させ、頃合いを見計らって瑪瑙めのうが先についた棒で磨くんです」
 さらには、そんなふうに苦労して捺した箔を擦って剥がしたり、染料を重ねたり、ワックスや砥粉とのこなどで表面加工したりして、描かれた絵画の風情に合うものを追究してゆくのだそうです。ほとんどオートクチュールの世界。ビスポークの世界。
 心の隅、隅ではあるけれどすぐ見える場所に2枚はあって、額縁が売られているといつでも振り返って隅の絵を眺める習慣が10年近くあったわけですが、ついぞご縁に恵まれなかったヤング氏の絵。それが1時間足らずの職人さんとの会話で、この日を待っていたんですよとばかりにぴったりと身の丈の合った額装プランを発見してもらえたのは感動…というか狐につままれた気分でしたね。ヤマモトならでは京都ならではのデザインになったのも嬉しいことでした。
 けれど完成してきた額装を目にしたときはより以上の感動がありました。『マイ・フェア・レディ』どころじゃなかった。谷崎の『痴人の愛』でした。木板に描かれているのはもはや食材ではなく【供物】だったのです。なにも手を加えていない無垢の杉板に載せられ八百万の神に捧げられる神聖な贄にそれらは変容していました。

静物(Dan Young / 木板、アクリル)フレーム(ヤマモト / 無垢杉板) 神棚欄間彫刻残欠(栓 / 明治期) 敷布:正絹名物裂霞段秋草模様 花器:錫計量カップ(ヴィクトリア朝初期) 花:ヘンリー蔦

 さあ、こうなると俄然ヤマモトにお願いしたいものがでてきます。まず、祖父の作品を額装してもらったらどんなになるだろうというのがひとつ。彼は千日行もかくやの多作でしたので、額に入れたい絵がまだ何枚もあるのです。サイズが大きいのでガラスをめてもらうと持ち帰りに問題はありますが、なんとかクリアしたい。

 あと、わたしはバンクシーを持っているのです。
 彼は常に世間を騒がせる作家。つい先日も「サザビーズ」で競売にかけられた作品が一億五千万円で落札された直後、本人が額縁に仕掛けたシュレッダーが作動し、作品が半分刻まれる事件がありました。世界的作家になってもストリートアーティストの気骨を忘れない批評性に英国人は惜しみない拍手を送ったものです。このへんの反応も彼らとアートの関係をよく物語っていますね。
 やはり野に置け蓮華草で街中ストリートにあってこそ妙味を増すバンクシー作品。とりあえずぞんざいな額に入れてあるんですが、どうしても作為が匂うんですよ。けど、山本さんならサザビーズに負けない工夫を凝らしてくれるのではないかと期待しています(笑)。


ガクブチのヤマモト  http://www.framing-y.com/
John Jones  http://www.johnjones.co.uk/
BBCダン・ヤング氏記事 
https://www.bbc.co.uk/news/uk-england-gloucestershire-14580261
サザビーズ https://www.sothebys.com/en/
バンクシーのシュレッダー事件
https://www.bbc.com/japanese/45832912

イケズの構造

2007/08/01発売

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

入江敦彦

いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)

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