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ロビンソン酒場漂流記

2021年4月8日 ロビンソン酒場漂流記

第4昼 緊急事態宣言、歩いていけるロビンソン酒場へ

JR横浜線 小机駅徒歩20分 「阿部商店」

著者: 加藤ジャンプ

イラスト+写真:加藤ジャンプ(特記した写真を除く)

 緊急事態宣言があけた。といっても飲食店には相変わらず短縮営業を要請しているし、感染者は減らないし、ワクチンの順番も全然やってこないし、聖火ランナーは走り出すし、もう、生きてるだけで悪酔いしそうである。
 さて、ロビンソン酒場はといえば、しばらくお休みしてしまった。実は緊急事態宣言中にロビンソンリスクをもろに食らったのだ。怠け者の私だが、酒についてはストイックな努力家タイプである。すきあらば呑む、呑みに行く。ゆえに、この何ヶ月か、ロビンソン酒場漂流をまるっきりサボっていたのではない。
 意中のロビンソン酒場があって、2度もフラれたのである。
 これ、ほんとに辛い。
 最寄駅から軽く20分歩いて、たった一軒ある件の店にたどり着いたら貼り紙一枚、
「しばらくお休みします」
 久しぶりに膝から崩れた。

 アポないしは、とりあえず「あのー今日やってますか?」という電話を一本入れておけば避けられた悲劇だけれど、ロビンソン酒場は彷徨った挙句、「あの店やってるかな、やってなかったらどうしよう」と冷や冷やしながら闇に浮かぶ店の灯火を見つけるのが醍醐味なのである。したがって、安直に営業の確認電話なんてかけるのは、ロビンソン酒場の楽しみ方としては白帯であって、自称黒帯の私にはできなかったし、これまでも、一度もやらずにやってきた。
 なにしろ、ロビンソン酒場とは、駅からも繁華街からも遠い、おおよそ商売向きではないところで長い間愛されている酒場のことである。街という大海を漂流して突然現れる灯台のような店なのである。そういう不利な状況でも続く店には知恵がつまっている。それを知りたいから漂流しては訪ねて呑むのである。もちろん漂流はリスクをともなうものだ。でも、だからこそ得られる、ロビンソン酒場の安堵感は何ものにも変えがたい。絶対安全漂流なんて漂流にならないではないか。

 でもですね、2度のアタック失敗は私を臆病にさせるには十分であった。

 しちゃったのである。1月末のことだ。

「やってますか?」
ーーええ、やってますよ。どっから来るの?
「近くを散歩しようと思ってるんですけど、一杯やりたくて、これから30分くらいしたら着くと思います」
ーーああそう、大丈夫よ。休まないで夜までやってるから

 2度フラれた店を諦めた私は、自宅の最寄駅から徒歩30分ほどのところにある、絶景ロビンソン酒場に行先をあらためた。以前、酔狂にもウォーキングなんてことをして目撃して以来、気になっていたのである。
 で、営業確認の電話をかけてしまったのであった。ものすごい背徳感があったけれど、実をいうと私の心は軽かった。営業してるところへもってきて昼休みもとってない。いつ行っても大丈夫…いやいや、このご時世、突然休むなんてことも普通におこりうる。奇貨居くべし、すぐに私は家を出た。

 そもそも、しばらくは変則的なロビンソン酒場漂流記なのであった。
 というのも、今、不要不急の外出は基本ご法度である。ゆえに、あんまり遠出してロビンソン酒場目指して漂流なんてするのも如何なものか、という気もするし、だったら、暫くは、それほど動かないで済む範囲でロビンソンしようぜとあいなったのである。件の、ロビンソン酒場探検家を2度死なせた酒場も基本的には自宅のある横浜市の北部にある店である。
 そして、禁断の電話をかけてしまった例の店はといえば、最寄駅とされるJR横浜線の小机駅から(相当速足で)徒歩20分。隣の駅で、拙宅の最寄りでもある鴨居駅からは徒歩30分弱のところにある。いつもとは違う、身近なロビンソン酒場の旅だから、日和った営業確認電話もどうかご海容ください。

 鴨居駅から例の店までは、ずっと川沿いの道を歩く。川は鶴見川といって、昔は汚れた川番付みたいのものでいつも三役級に君臨していた川である。近頃はずいぶん綺麗になり、川沿いの道は気持ちのいい散歩道になっている。

 散歩道といっても近隣の住民にとっては通勤通学路でもあるし、車が通れないから自転車にとっては格好で、折からの自転車ブーム手伝ってか近頃はものすごく飛ばす弾丸自転車が結構いる。あれ、かなり怖い。ぶつかったら大怪我である。とまれ、細い土手の道だが、そこそこ交通量があるのだけれど、その日は全然違った。緊急事態宣言のせいだろうか、人通りも自転車も極端に少なかった。
 そして遠いことは以前とちっとも変わらなかった。

 人と自転車のかわりに動物がいっぱいいた。
 まず鳥。一見、鶴みたいな鷺。メジロ。スズメ。カラス。イソシギ。それにカワセミ。リバーランズスルーイットみたいにわらわらいたのである。
 で、遠かった。

 ものすごくたくさん猫もいた。途中まで数えていたけれど、そのうちわからなくなったのでやめたが、兎に角やたらに猫がいた。みんなちょっと似ているからもしかして、どこかに猫ビッグダディがいて全員親類なのかもしれないと思ったらちょっと怖くなった。とはいえ、途中、黒、茶色それに三毛の三匹が団子になってくっついて座っていて、あまつさえ、一斉に
「にゃあ」
と秋波をおくってくれたとき、私はロビンソン酒場のことをすっかり忘れてそのまま日暮れまで戯れてしまいたい誘惑にかられた。そんな誘惑にかられたのは、遠かったせいもある。なかなか着かなかった。そして大自然は飽きないけれど、小自然は結構飽きるのである。

 それにしても動物はいっぱいいた。怖かったのは、茂みの中にいた、なんだかよくわからない茶色っぽいやつ。そして、1月末の寒空の下、短パン裸足でツッカケを履いて犬の散歩をしていた女性がいたことだ。
 挙句、ヤギがいた。白いヤギが私をじっと見ていた。

「ばぁーーーー」
 私はヤギの鳴き声が得意なのでやってみたが、ヤギは一顧だにせず、キャベツみたいな菜葉をモグモグやっていたと思ったら、「ブフッ」と息をはいて私を驚かせた。この先、しばらくヤギは苦手だと思う。そんなつれないヤギがつながれた木の隣の建物の屋根の上に看板があった。

『お食事処・居酒屋 駄菓子 新鮮野菜販売 リバーサイド あべ』

 とうとう着いたのだ。ロビンソン酒場『あべ商店』に。
 お店の名前は『阿部商店』だけれど看板は『リバーサイドあべ』。『リバーサイドあべ』という名前は、ちょっとマンションみたいだけれど、店は土手に沿って建てられた平屋なのであった。土手の上から覗くといくつかの棟が合体したように見える。小さい『沢マン』(高知にあるセルフビルドのマンション)みたいな、ちょっと不思議な建物なのである。土手から鉄製の階段がかけれていて、そこを降りていくと駄菓子屋の入り口と格子戸が並んでいる。格子戸の上には『お食事処』という暖簾があって、どうやらそこが居酒屋の入り口なのであった。


「こんにちは」
 引き戸をガラガラっと音を立てて開けると、いきなり床が現れ目の前に広間があった。
 誰もいない。
 格子戸と床の間には大概、土間とかコンクリートの三和土があるが、いきなり床なのである。私は靴をぬいで、ひょいっと床にあがると、

「あ、さっきの電話の人ね」
と奥から女性が顔を出した。
ーーはい、変な時間にすみません。
「いいのよ、休み時間はないし、ゆっくりしってって」「好きなところにかけてね」

 見回すと畳に座卓がいくつか、その横には板の間があって、長いテーブルと松本民藝みたいな雰囲気の椅子席がある。さらに奥にも座卓があって、そのまた向こうにも個室らしき空間もある。ちょっと迷ったが、長々歩いて腰が痛かったので、私は窓際の椅子席を選んだ。
「そこちょっと寒いから待ってて」
 女性はストーブを近くに持ってきて点火してくれたりして、とても親切なのであった。
 余所者に対する開放的なアティチュード。これは数多のロビンソン酒場に共通して見られることだ。場所が場所だけに、基本、常連に支えられていても、イチゲンも定期的に現れる。そういういイチゲンを分け隔てなく迎え入れるから店の雰囲気が閉鎖的にならないし、イチゲンが新たな常連なる可能性も高まるのである。閉鎖的な店は、常連の「いつもの」だけで回るようになり、これが店のモチベーションを低下させ、新メニュー開発みたいな、店に必要な「代謝」がなくなってしまい活気を失わせる。活気のない酒場のその先にはあまりいいことがない。だから、こういう、オープンな雰囲気が酒場には案外重要なのである。

 まず瓶ビールをお願いした。あとは酒肴ということで、店のなかにホワイトボードとメニュー板を吟味してると
「お通しね」
 と言って、巨大な茹で落花生を持ってきてくれた。これが旨くて、一気食いしてしまった。中年が無言で落花生の殻をむき続ける光景はちょっとしたディストピアのようだと思いつつ、旨さと徒歩30分による空腹にはガマンできず。で、気づいたら瓶ビールも空。レモン汁より麦汁こそ最高のスポーツドリンクである。そして、世界には、ビールをスポーツドリンクと思える人とそうでない人しかいない。

 瓶ビールをもう一本頼むとき、メニューにあるおつまみセットをお願いした。500円のと800円のがあったので、ここは迷わず800円にしたのは、お通しの茹でピーが頗る旨かったからである。お通しが旨い店は大概酒肴も旨い。お通しがしょぼくれた店は、けっこう外れる。
 やって来たのは、四角を四分割した皿にもられた4つのおつまみであっった。これが、見るからに旨そうで、まずは右上にある、一見よくわからない煮物をパクリとやったら、大根とベーコンの煮物なのであった。この煮物、大根は箸で簡単に切れるほど柔らかいのだが、大根のもともとのシャキシャキ加減と甘みが残っているところに煮汁がしみていて、やけに旨い。味はちょっと濃い目で、これがロビンソン酒場漂流者にはちょうどよくて、瞬く間に平げてしまった。左上の桝には茹でカリフラワーがあって、これまたやけに野菜の味が濃い。カリフラワーって、かけてあるマヨネーズの味ばっかりというのが時々あるけど、これはカリフラワーがちゃんと主役になっている。その下に、手羽元の煮たのがあって、齧り付いた途端に身が骨からはなれるホロホロ加減。白いご飯が欲しくなるような躊躇ない甘辛さで、またしてもビールが空になってしまった。

ーーお願いします

 と再び女性を呼び出そうと声をだしたら、ふらふらっと現れたのは猫で、ものすごく鋭い目で、信用できる顔をしている。かといって猫に注文もできないので、もう一度呼んだら

「はははーいいい」

 と何人かの女性の声がユニゾンした。てっきりさっきの女性しかいないと思ったら、違ったのである。そうして現れたのが、

「アベツトムです」
 とおっしゃる別の女性だった。私は、名を名乗り、実は今日はロビンソン酒場を訪ねてきたのだと伝えると彼女は言った。
「アベツトムです」
ーーお連れ合いの名前ですか?
「ううん、あたしの名前」

 女性は店のオーナーで阿部力さんという名前で
「母子手帳もらったときも、「本人の名前を書いてください」なんて言われちゃったのよ」
 とのことだった。

ーーたしかに、あまり、女性にはいらっしゃらない名前ですよね
「ジャンプさんて名前もあんまりないでしょ」

 本名ではないけれど、そこは話しこまずに流した。
 さて、おつまみセットの4つ目のマスにある椎茸と筍の煮物が、これまた旨くて、筍など旬でもないのにこんなに旨いのは、よほどいい物を冷凍にでもしておいたのだろうと思ってツトムさんに聞くと

「これ、全部うちでとれたものだから」

 というので、どこに畑がと聞くと、窓の外から見える、結構広大な畑が全部阿部家のものだった。これだけふんだんに惜しげもなく野菜を使えるのは、こういうことなのである。ただ、おつまみセットのかなりの部分が野菜だったので、にわかに体がタンパク質を求めているのを感じた私は、アジフライと唐揚げをお願いしたのであった。
 待ってる間、ツトムさんと話したのだが、現在の『あべ商店』から1キロ先くらいまで阿部家の敷地だったそうで、「ずいぶん減った」と言うもののまだ数百坪あるらしい。うーんリッチ。

 最初は野菜の販売所にしようと思って小屋建で始めたのが、そのうちに駄菓子屋もやるようになり増築。さらには居酒屋もやり始めて
「居酒屋になってから何年になったかしらねえ」
 というくらい大らかに商売をしているのであった。たしかに野菜の代金も家賃もかからない。でも、その分、盛りも気前がいい。それに、この日、この時間とはいえお客は私だけ。このご時世…無粋とは思いつつ聞いてしまった。
ーーコロナになってどうですか?
「そりゃあ大変よ。宴会とかあったのも皆なくなっちゃったしね」
 コロナ禍の影響は、こんな余裕の塊のように見える『阿部商店』にもおそらく甚大なのである…しばし腕組みしてツトムさんと私でコロナを乗り切る対策を講じていると、
「アジフライと唐揚げね。明日休みだから大盛り」
 と、最初にいらした女性がやってきて、またしても、イチゲンに対するとは思えない素晴らしいホスピタリティなのである。ピンチの時にケチらないのは、続く店の鉄則だけれど、これはまさにソレであるーーなんて理屈をこねくりまわす間もなく、アジフライにソースをたらりとやってかぶりつく。

 薄くまとった衣は麦秋の如き美しい黄金色で、刺身にしても良かったであろう鮮度を感じさせるプリっとしつつホロっとした身が小脂をたたえ見事。川沿いの店というより、これは海沿いの食堂の旨さであった。
 そして、唐揚げはといえば、大人のゲンコツくらいの大きさで、ガブリとやったら、ニンニクのきいた下味がよく染み込んだ鶏からじゅわじゅわの肉汁があふれでる。なにより、これをビールで流し込んだときの相性のよさときたら。山盛りだったけれど、バリバリ食える。遠くて、交通は不便でも愛される店は、やっぱり旨い。

 無言で食べる私をツトムさんが親戚みたいに優しい目で見ていると、鋭い目つきのあの猫がまた出現した。ツトムさんが愛おしそうに言った。
「この子、うちの社長でミルキーっていうの」
 顔と違って名前はずいぶんソフトである。
ーーこの子はミルキーちゃんで、あのヤギはなんていう名前なんですか
「ああ、ヤギねえ、お隣のヤギだから」
 このあたりのものは何でも阿部家のものだと思っていたらヤギは違った。

 最後に、実はこの日、阿部商店に来る前に、2度フラれた店があったという話になった。するとツトムさんが言ったのである。
「ああ、それ弟の店」
 ロビンソン兄弟といえばブラック・クロウズだけれど、そんなことは兎も角、やっぱりロビンソン酒場はいつも驚きにあふれている。まだまだ漂流しづらい日々は続きそうだが、しぶとく漂流を続けていく。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

加藤ジャンプ

かとう・じゃんぷ 文筆家、イラストレーター。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、南蛮漬け愛好家。割烹着研究家。1971年東京生まれ、横浜と東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。出版社勤務をへて独立。酒や食はじめ、スポーツ、社会問題まで幅広くエッセーやルポを執筆している。またイラストレーションは、企業のイメージキャラクターなどになっている。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)など。テレビ東京系『二軒目どうする?』にも出演中。また、原作を書いた漫画『今夜はコの字で』(集英社インターナショナル)はドラマ化された。

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