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ロビンソン酒場漂流記

2020年10月13日 ロビンソン酒場漂流記

第1夜 やっぱり、そこは胸のエンジンに火をつける店だった

都営大江戸線 練馬春日町駅徒歩15分 「居酒屋 とも」

著者: 加藤ジャンプ

どの駅から歩いても遠く、「なぜこんな不便な場所に?」という立地に忽然と現われる、それが「ロビンソン酒場」だ! 絶海の孤島で知恵を振り絞って生き延びたロビンソン・クルーソーさながらに、コロナ禍を生き延びる赤提灯を目指して今夜も訪ね歩く。笑いと涙と好奇心が詰まった「ディスタンス」居酒屋漂流記。

イラスト+写真:加藤ジャンプ(特記した写真を除く)

 もう十数年、ロビンソン酒場を探し歩いている。
 ロビンソン酒場というのは「あら、どうしてこんなところにあるの?」と見た瞬間、そわそわさせてくれる居酒屋のことである。いわゆる好条件、たとえば「最寄駅」とか「繁華街」なんてチャラついた価値観と決別し、孤高の存在として住宅街や畑の真ん中、山中で長いこと営んでいる居酒屋と言い換えてもいい。
 こういう店を探し回るようになったのは、そもそも、私がすぐ迷子になるのがきっかけである。取材に行っては迷子。犬のおまわりさんは子猫には優しくても、迷子のおじさんには、まず職質である。とはいえ、いまだ職質されたことはない。不審感より小者感が上回っているからだろう。で、そんなとき、孤高の酒場に出会ったときの安堵感といったらない。
 命名の由来は、もちろんダニエル・デフォーの冒険小説『ロビンソン・クルーソー』だ。絶海の孤島で知恵を振り絞り生き延びた主人公ロビンソン・クルーソーにあやかった。商売向きではない土地で長らえる人間の知恵は、さながらロビンソン・クルーソーのサバイバル・ハック。そして、住宅街にふわりと灯るロビンソン酒場の赤提灯。それは大海で漂流しているとき仄かに見えた灯台の灯り。ロビンソンが漂着した島のような安堵感と幸運をもたらす希望の光だ。そんな店で一杯やりたくならない飲兵衛なんて、飛べない豚みたいなものだ。
 しかし、近頃そんなロビンソン酒場も曲がり角にある。郊外の過疎化や飲酒人口の減少。不景気にくわえてコロナ禍である。いいことなしの苦境だ。
 それで再び、すこしだけ重点的にロビンソン酒場巡りを再開したのだ。ソーシャルディスタンスの時代にリアルディスタンスな酒場を目指す。
 で、一回目に選んだのは練馬の「居酒屋 とも」である。

 いちおう最寄駅は都営大江戸線練馬春日町駅で徒歩15分ということになっている。
 担当してくれるのは20年来の友人である編集Mさん。うきうきと練馬春日町駅で待ち合わせた。昔からサングラスの人と目が合うと逃げ腰になるのだが、ちょうど待ち合わせタイミングで改札からサングラス姿の男性が現れ、遁走モードに入りかけたら、Mさんだった。
 練馬いいねえ、練馬だねえ、などと言いつつ土地の不動産屋のショーウィンドウなど冷やかしつつ歩く。しかし、ほどなくして、二人の口数は激減した。
 遠いのである。途中にあったのは、家と畑と川。目印らしいものがない。練馬は関東平野の端っこだから、まっ平らである。ゆえに住宅街の見通しは、いいといえばいいけれど、驚くほど家しか見えないのだ。甍の波は明るいシュヴァルツヴァルトである。途中、営業中の中古車屋さんがあって束の間ホッとしたが、超高級なはずのメルセデスのコンバーチブルを68万円で売っている、さらに心細くなった。物価まで違うのか。
 でも、これがたまらないのである。ほどよい迷走と焦燥が、「ロビンソン酒場探し」の醍醐味なのだ。だから携帯もなるべく見ない。迷子上等、それで思わぬものに出くわしたら物怪の幸いである。
 で、今回もまごまごしていたら立派な神社に遭遇した。看板を見ると1000年近い歴史がある。「高松八幡神社」の創建は康平年間、1060年代なのだそうだ。あまつさえ、この神社でちょっとご挨拶したら、ご利益なのか、いきなり目的の店、居酒屋"とも"が見つかってしまった。

 実は訪れるのは20年ぶりくらいだろうか。布張りのアーケードっぽい庇に、墨痕ならぬ白抜き鮮やかに「居酒屋 とも」としたためられている。そして赤提灯。昔と変わってない、気がする。
 「いらっしゃいませ」
 引き戸を開け(居酒屋の扉は引き戸に限る)暖簾をくぐったら、一辺が長いL字カウンターが姿を現し、その向こうから女将さんが、静かに笑顔を浮かべていた。そうだ、この人だ! と思うことはなく、むしろ、アレこんな雰囲気だったかな、と思った。飲兵衛の記憶のいい加減さを今さらながら嘆きつつ、
 「どこでもどうぞ」
 と促す女将さんにしたがってカウンター席に座った。すぐに
 「これ、ごめんなさいね」
 と女将さんが消毒薬のスプレーを手渡す。ありがたい。これを全身にぶっかけて、中年の澱みたいなものを全部消毒したくなる。 
 ざっと店内を見回す。小上がり、と呼ぶには若干大きめのスペースに、床に掘りごたつ式に座る席数卓。その壁には一枚の色紙。その名前を見ていきなり舞い上がってしまったのだが―。

 カウンター奥に先客が一人。目があって会釈。女将さん、「はい、センム」と呼んでいる。何のセンムなのだろうか? そんなセンムは気になるものの、まずは、彷徨で乾き切ったノドを潤すべく生ビールをもらった。見ると女将さん完全ワンオペである。そこそこのお年のようだけれど、動きは早い。素早いご婦人大好き。

 編集Mさんが、メニューを見て「〝酎ハイの樽なま″ってなんですか」と聞いたら「ううん、なんていうのかしら」と全然答えず保留にして、ビールとお通しを用意する。サッサと余計なことは後回しにするのである。このあたりの捌き方、一人でやる店では当然のテクニックである。これが、あくまで雰囲気よく流れていくから、しびれる。

 さて、登場したお通しはレタスとトマトのサラダだった。コレが嬉しいのである。血糖値が気になる飲兵衛には一口目に野菜を食べるのはお約束だし、最近気づいたら野菜をサカナにしてばかりいる―と思ったら、メニューは肉だらけなのだった。
 とんかつ、サイコロステーキ、豚ばら塩炒め、ラム鉄板焼き、ハムステーキ、生姜焼き、レバニラ炒め、豚キムチ炒め、手羽餃子、鳥唐揚げ…おおよそメニューの3分の2は肉系である。
 それにしても、女将さん手練(てだ)れだ。お通しで油断した脳は、安心して肉を注文する…こういう言外の駆け引き、良い。しかも、マヨネーズをかけただけのシンプルなサラダが、やけに旨いのである。
 一杯目のビールをほとんど一気に飲み干しメニューを吟味していると、
 「ここに書いてね」
 と女将さんがメモ帳を渡した。これもワンオペの工夫。そして、女将さん見たら補聴器をしていた、なるほど、そういう理由もあるのだ。
 そこそこ迷った末、注文したのは、
 いか納豆
 とんかつ
 砂肝ピーマン炒め
 ラム鉄板焼き
 谷中生姜
 ほとんど肉である―ロビンソン酒場を探検していると、歩き過ぎで店に入るとき大変な空腹になっている。体が肉欲ならぬ肉食欲一杯になってしまうのだ。ふだん「健康に呑みたい」などと(のたま)っているくせに、たくさん歩いて安心しているせいもあって、日常の節制のタガが外れる。そもそも「休肝日なのでビールにしておきます」レベルの節制だけれど。

 ちなみに
―お刺身はないんですか。
 と編集Mさんが聞くと
 「お刺身系は夏場はとくにあまりおかないの。イカはあるけど」
 と合理的な仕入れ方針を開陳してくれた。このコロナ禍で客足は読めない。そんなとき鮮度命の刺身を無理して仕入れて残ってしまったらもったいないし大損しかねない。でもなぜイカは、と疑問が浮かんだ瞬間、Mさん躊躇いが無い。大砲みたいな質問をした。
―どうしてイカだけがあるんでしょう、イカが好きなんですか。
 「ううん、うふふ」
 最高の答えであった。Mさんも満面の笑みを浮かべている。

 さて、そんなやりとりをしているうちに、気づいたらお客さんがポツポツと増えていた。小上がりも3席、カウンターも4人。ちゃんと距離をとりながら座っている(そしていつの間にかセンムはそそくさと帰っていた)。
 流行っている。
 おもしろいことに、みんな一人客なのである。若い女性の一人客もちょいちょいいる。ここはどこから見ても飲み屋だけれど、一品をおかずにしたり、ピザや焼きそばだけ注文して夕食をすます人がすくなくない。地域の定食屋としての機能も果たしているのだ。
 で、一人気になるのが、小上がりのいちばん奥、衝立の向こうにいて、こちらに背を向けている人。なにやら御簾(みす)内のお公家さんみたいに、ちょっと別世界の空気を漂わせている―。

 「オレは、出かけるときはいつもコレを着るの」
 カウンターの隣に座っていた、薄緑色の作業用ベストとパンツ姿の常連、ツボちゃんこと大坪さんが、いきなり話しかけてくれた。ツボちゃんのお出かけ着には胸にネームの刺繍が入っているのだが、
 「これ、"オオツボ=大坪"って書いてあんだけど、こないだスナックの若い()から"これイヌツボ=犬坪じゃね?"って言われちゃったのよー」
 見れば、刺繍糸のつながり方でそうも読める。しかも腕時計はなぜか目映(まばゆ)いロレックスなのだ。「この店には毎日来てる」というからホントですかと聞き返すと「うん、週に2、3回」と平気で撤回。
 そんななか、勢いよく引き戸が開き、
 「いらっしゃい」
 と言いながら入ってきた女性が一人。瞬く間にエプロン姿になったのは女将さんの娘さんだった。
 「母は片岡友子で、あたしは結婚して小島由香理です。昼間は肉屋さんで働いていて、そこで仕入れるから、うちは肉が多いんですよね」
 と言う由香理さんは、地元の中学時代はバレー部。ポジションは通好みのセッターだったが、今はまさに看板娘なアタッカーで、店に来た途端、「ツボちゃんが連れているのは、いっつも、いい女ばっかり」なんて愉快なトークが爆発しはじめる。由香理さんによれば、母親である女将さんは宮城県出身でかつては池袋の店でナンバーワンのホステスだったという。それを由香理さんの父親は日参して口説き落としたそうだ。ところがわけあって両親は別れた。そして一人で子どもたちを育てるために、女将さんは何か商売を始めようと思い立ち、ここに店を開いたのである。以来30年が過ぎた。
 そういえば由香理さん、さっきから例の衝立の向こうの人になにやら話しかけている。気になる―。

撮影:小島由香理さん

 小上がりの例の色紙についても、これも由香理さんが謎を解き明かしてくれた。サインの主は大葉健二さん。宇宙刑事ギャバン、バトルケニア、影の軍団のがま八…熱狂的なファンもすくなくない特撮系スターである。かつて近くで撮影があり、何度も店に来たのだそうだ。今でも歌えます、宇宙刑事ギャバンの主題歌(いい歌なので検索してみてくださいませ)。その一節をもじって、この店で、胸のエンジンに火がついた、というわけなのだ。で、脳内再生した(くだん)の歌の勢いにのって、ちょっと聞きにくいことを尋ねた。

 ―しかし、商売むきとも思えないこの場所にどうして店を開いたんですか?
 すると、ほとんど質問はスルーしていた女将さんがこのときは答えてくれた。
 「いちおう、環八と目白通りの幹線道路にはさまれているんです。この辺は電車が不便でしょ。車の人と近所の人にしぼってやってきたんです」
 街道を行き交うトラッカーや、体を使って働く人が多く通ってきたからこそ、メニューも肉が増えた、というわけなのだ。

 で、件の肉の味わいだけれど、とんかつはといえば、厚みは3センチのザ・ロース。脂身はさらりとしていて、赤身もさくりと肉のほどけ具合がよく、じゅわり肉汁と甘味が絶佳だ。衣の厚みはあくまで薄く、これらが一緒になると、『料理上手な家庭のとんかつ』の味になるのだ。無茶苦茶な個性はないけれど、一回食べたらクセになる。見た目は豪快だけど、「ウマイ」より「おいしい」が似合っていて、懐かしくしみじみ良い。

 さらに、ラム鉄板焼きはといえば、「ラムって臭みがぁ」といまだに宣う人にこそ食べてほしい。しゃきしゃきのもやしとの相性は言わずもがな、臭みなんてゼロ。ニンニクがきいた、すこし甘めのソースが焼き目のカリカリ部分(ここが好きなんです)に染みたとき、練馬は札幌になる。心底、旨いのだ。そして砂肝ピーマン炒めには絶句した。砂肝が良質だし、味が、ツマミとオカズのちょうど間。頃合いが至妙なのである。
 そうこうしているうちに、いい時間になり、去ろうと思ったら、ツボちゃん、「シメはどうする」と引き止めてくれた。さらに、すかさずその向こうのカンちゃんが「そうですよ」と合いの手を打つ(実はカンちゃん、由香理さんの夫であった)。

 そこでお願いしたのが、焼きそばで、これが、久しぶりに焼きそばの原点に立ち帰らせてくれる品なのであった。焼きそばのむらし具合、キャベツとピーマンと豚肉の具の炒め加減と出過ぎないソースの味つけがすばらしい。お世辞じゃなく、ちょっと泣けてくる。

 ここは、まさに孤高にして究極の大衆(食堂)酒場。居酒屋 "とも"。

 ちなみに、衝立の向こうのお客さん、一足先に店を後にしたのだが、由香理さんがポロリと言った。
 「あの人、30年前、店を開く前にうちの母と別れた夫、というか私の父なんです。別れてからもずっと、毎晩、夕食を食べて帰るんです」
 もう、なにも言うことはない。今年で創業30年、そろそろ店仕舞いしようかと思っているらしいけれど、頼むからつづけてほしい。だって、この店は、ほんとうにロビンソン酒場、界隈の人の灯台になっている。

担当Mの取材メモ
ロビンソン度 4 ★★★★☆

 本当にこんな住宅地の奥に居酒屋があるのか? ネットの情報も極端に少なく、半信半疑で加藤ジャンプ氏についていくと、20年ほど前の、わずかな記憶を頼りに何度も迷っている。「たしかあっちだったような…」。聞けばジャンプ氏がスポーツ雑誌の編集者だった頃、運動選手のトレーニング取材の帰りに、偶然見つけた店だという。ゆうに30分は漂流した末に辿りついたわけだが、氏の「居酒屋選球眼」は本物だった。動体視力ならぬ、「居酒屋記憶力」が半端ないのである。
 「居酒屋 とも」の素晴らしい点はいくつもあるが、ひとつ挙げるとすると、隅々まで掃除が行き届いていること。今どき珍しい和式トイレなのだが、ぴかぴか。だから女性の一人客が安心して通えるのである。練馬の住宅地で「ポツンと一軒居酒屋」が30年も続いているのには、ちゃんとワケがあるのだ。それにしても、衝立の向こうの一人席が、元夫のための特別席というのが泣けた。ロビンソン酒場には、小説のような本当の話が転がっている。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
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それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

加藤ジャンプ

かとう・じゃんぷ 文筆家、イラストレーター。コの字酒場探検家、ポテトサラダ探求家、南蛮漬け愛好家。割烹着研究家。1971年東京生まれ、横浜と東南アジア育ち。一橋大学法学部卒業。出版社勤務をへて独立。酒や食はじめ、スポーツ、社会問題まで幅広くエッセーやルポを執筆している。またイラストレーションは、企業のイメージキャラクターなどになっている。著書に『コの字酒場はワンダーランド』(六耀社)など。テレビ東京系『二軒目どうする?』にも出演中。また、原作を書いた漫画『今夜はコの字で』(集英社インターナショナル)はドラマ化された。

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