以前なにかの資料で見て以来、長崎島原の寒ざらしは長らく食べてみたい味だった。それは冷菓で、うつわに注がれた黄金色のシロップの底に、白くて丸い玉が沈んでいた。一見して白玉のシロップ漬けのようなのだが、寒ざらしと呼ぶという。しかもその名から連想される冬の食べものではなく、夏のお菓子である。いったいどんな味がするのだろう。

有明海沿いに走る島原鉄道の島原駅

 数年前の春先、長崎を旅した折りに島原に寄ったのも、寒ざらしを食べるためであった。町へ行けばあるものと思い、寒ざらしを出している店を探すが見当たらない。やっと「寒ざらしあります」と貼り紙をした小さな喫茶店を見つけて中に入った。

 注文後しばらくして出てきたのは、その古風な名前におよそ似つかわしくない、ガラスのコーヒーカップに入ったそれであった。てっきり以前見た資料のように、民芸のうつわで出てくるものと思い込んでいたため虚をつかれたが、改めて見れば、ガラスに黄金色のシロップが映え、沈む白い玉もよく見える。白い玉は想像していた以上に小さく、タピオカのように小粒であった。これをシロップとともにティースプーンで掬って食べるのである。

 口に含むと、まず蜂蜜のほのかな甘さを感じる。シロップの黄金色は蜂蜜を溶かした色だったのだ。白い玉は小粒だけあって、つるつると喉ごしよく入っていく。聞けば寒ざらしの名は、この白玉を作る寒ざらし粉に由来するもので、聞き慣れない寒ざらし粉とは白玉粉のことで、以前は大寒の日に餅米を水に晒したものを挽いて作っていたという。

 小粒の丸い白玉はあんみつに入っているような平たいだんご状ではないが、もちもちしていておいしい。しかしなによりも、黄金色のシロップの清々しい味わいが印象的だ。

憧れの寒ざらしはガラスのコーヒーカップに入ってやってきた

 お店のおばあさんによると、島原は町の背後にそびえる雲仙山系からの湧き水が豊富で、町のいたるところで水が汲めるようになっており、日々の暮らしに欠かせないものになっているという。

「寒ざらしは私が子どもの頃から、どこの家庭でも暑いお盆の時期にお参りに訪れたお客様をもてなすためのものだったんです。今はうちでは年中作っていますけど、昔はお盆だけのものでした」。どうりで町なかでは見かけなかったはずだ。

 作り方は白玉を作るのと同じ要領で、寒ざらし粉に水を加えてこね、細く伸ばして切って小さく丸める。おばあさんの家では、それを平たい木箱やお盆に並べ、屋根に持っていって乾かしたそうだ。子どもたちも手伝ってたくさん作っておいて、お客様が来ると茹でて湧き水で冷やし、冷たいシロップに入れて出す。蜂蜜も「昔は家に巣箱を置いて蜜を取っていたんです。このあたりは菜の花の蜜ね」と話してくれた。

 真夏の盛りに島原を訪れる人々にとっては、湧き水と蜂蜜と少しの砂糖で作られたシロップが、冷たい甘露のように感じられたことだろう。「そうなのよ、ここの水は冷たくてすっきりしていて、本当においしいのよ。別の町に行ったら水がおいしくなくて飲めなくて、それ以来出かけるときは水筒に水を入れて持っていくの」と、おばあさんは身内びいきで笑っていた。寒ざらしのおいしさは島原の水のおいしさでもあるのだ。

町の背後にどっしり座る雲仙岳

 寒ざらしの作り方を教えてもらって店を出て、隣りの商店で寒ざらし粉を買って帰ったが、東京の水道水ではとてもあの清らかなおいしさを再現できないだろうし、さりとてミネラルウォーターを使っても味気ない気がして、まだ家で作ったことはない。

 やはり寒ざらしは、暑いお盆の頃に島原に行って、山からの冷たく澄んだ湧き水で作られたものを食べてこそ、寒ざらしの味なのだ。