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ソマリ人のきもち

 2月上旬、ソマリアで大統領選挙が行われ、モハメド・アブディラヒ・ファルマージョが当選した。選挙といっても、投票したのは国会議員だけだし(全国民が投票する予定だったが、投票所がイスラム過激派アル・シャバーブによるテロの標的となることが明白だったため断念した)、一説には総額2億ドル(ざっと200億円)もの買収工作が繰り広げられたと伝えられるから、一般の国の選挙とは相当趣がちがっているだろう。

ソマリアの大統領に選ばれたモハメド・アブディラヒ・ファルマージョ氏(AMISOM Photo/Ilyas Ahmed)

 まあ、でもファルマージョは前から一般の国民に親しまれている政治家と聞いていたので、結果としてはよかったのではないだろうか。
 それについてはまた機会を改めて考察するとして、今月は前回のつづき。

人の客には手を出さない

 足利尊氏より一歳年上であるイブン・バットゥータが訪れたとき、モガディショには「客を囲い込む」習慣があったという話である。外から来た商人を自分の家に泊める。商人は好きなだけその家にいられ、何もせず、御馳走をいただき、快適にすごす。商売はその家の主であるソマリ人がすべて代行してくれる。ただし、いったん世話になったら、他の地元商人と勝手に商売をしてはならない──。
 そんなルールがあったわけだが、いや、正直言って、今も根強くその文化が残っていると私は感じる。治安が極度に悪いモガディショだけでなく、治安がよいソマリランドでもそうだ。
 まず、ソマリ人はよそ者を見ると、「これは誰の客か?」ということを気にする。もし誰か地元人のホストがいたら、いい意味でも悪い意味でも手を出さない。私はソマリランドでは盟友ワイヤッブの客として知られている。すると、誰も私を家に招いたりしてくれない。お茶にも誘ってくれないほどだ。私はあくまで「ワイヤッブの客」だから、彼を差し置いてそう簡単に家に招いたりしてはいけないらしい。
 同じ中東アフリカのイスラム圏でも、アラブ人やトルコ人、イラン人、あるいはスーダン人などはよそ者を見ると、誰でも頓着せず親切にもてなそうとするし、家にも気軽に招く。ソマリ人とは全然ちがう。

 ソマリ人の場合、逆に、よそ者が一人でいる、つまりホストがない状態だとわかれば、事情は異なる。とても親切に面倒を見てくれる人が現れるし、逆に脅したり騙したりしてカネを奪おうとする輩も出てくる。
 一度、私はたまたまフライトの事情で、首都ハルゲイサではなく港町のベルベラ空港に下りたってしまったことがある。そのとき、私が一人だったものだから、空港の出入国職員がさっそく難癖をつけて私からカネを巻き上げようとした。しかたなく携帯でワイヤッブに電話し、彼から直接、その職員に話をしてもらうと、あっさり解放された。「まあ、ホストがいるならしょうがない」という感じだった。
 私はずっと「ソマリランドは治安がいい」と言い続け、それはウソではないが、一つ懸念があるとすればこの点だ。首都ハルゲイサはともかく、もしソマリ人が同行せず、外国人が一人で地方を旅すると、けっこう嫌な目に遭いそうな気がする。

 このように書いてみると、ソマリ社会においてホストの決まっていないよそ者というのは、野良犬みたいなものに思える。人なので「野良人」というか。
 ちゃんと飼い主がいるなら自分があえて手を出す必要はないし、あまり余計な事はしない方がいい。でも野良人ならうちに連れて帰って可愛がってもいいし、毛並みがよさそうだったらどこかへ売り飛ばしてもいい──ひじょうに極端に言えばこんな感覚があるように思える。

屈辱に涙する“居候”

 もっともソマリ社会ではいったんよそ者が客として迎えられると、その後はものすごく大事にされる。
 そのため、ソマリ社会ではなかなか家に呼んでもらえない反面、もし呼ばれたら、驚くような大御馳走が用意されている。そこまでしないと客をもてなすことにならないらしい。
 昔、日本には「お客様は神様です」という言葉があったが、ソマリ人の間ではまだそのような感覚が濃厚に残っている。

 私が今でも忘れられないのは、現早大大学院生のアブディラフマンが数年前、私の家で年末年始を過ごしたときのことだ。寮が閉まってしまうというから、泊めてやることにしたのだが、話は簡単ではなかった。
 彼は温厚で本当に性格のいい男だが、うちに泊まっていながら全くこちらの生活に合わそうとしない。日本食はいっさい食べないし、日本文化にも興味ゼロ。お雑煮も紅白歌合戦も初詣もひたすら無関心か迷惑顔。外にも出かけないで、ずっと家にこもって、世界中にいるソマリの友だちとフェイスブックでチャットをしたり電話でしゃべったり。おまけに、うちの家電製品のコードをコンセントから抜いて、自分の携帯を充電した後でコードを元に戻さなかったりするから、私も妻もどんどん苛々が募っていく。
 特に妻が怒っていたから、1週間以上して、とうとう彼に「ちょっと彼女に謝れ」と言い、「家の手伝いを少ししろよ」などと諭した。するとしぶしぶ謝ったのだが、その後ひじょうに険しい表情をしているので、ファミレスに連れ出してゆっくり話をしたところ、彼は涙を流してこう言った。
「今日は屈辱的だった。ゲストがあんなふうに扱われるなんて僕らの文化ではありえない」
 いや、このときは驚いた。だいたい「ゲスト」なのか。日本的には居候のようなものである。年齢差だって、私と彼では親子くらいだ。唖然としていたら、彼はこう付け加えた。
「ソマリの文化ではホストが客に合わせるんだ。その逆はない」
 まあ、それは言い過ぎだと思うが、当たらずといえども遠からずだと後で知った。ともかく「異文化間の衝突」の典型例であろう。
 ちなみに、私たちとアブディラフマンはこの一件について深く話し合い、文化のちがいを互いに理解したので、今は何も問題がない。ふつうに家に遊びに来ている。いまだに日本食のほとんどを食べようとしないが。

ソマリ人が家にお客を招いたときは大御馳走が基本。

州知事に怒鳴るソマリの若者たち

 思えば、私が南部ソマリアの最前線に間違って連れて行かれたときもそうだった。
 地元のジャーナリストたちと一緒に、州知事の一行に同行取材を行ったところ、州知事が色気を出して、本来の目的地よりずっと遠くに行ってしまった。日帰りするはずが帰れなくなり、でも周囲は危険地帯なので、ソマリアの治安を維持しているアフリカ連合軍の基地に泊まるはめになった。
 このとき、地元ジャーナリストたちの態度があまりに横柄で驚いてしまった。みんな二十代の若者のくせに、大物政治家である州知事や、わざわざ外国からアル・シャバーブと戦いに来てくれている連合軍の将校に向かって、椅子に反っくり返ったまま、「水ないの、水!」とか「茶が飲みてえ」「俺はコーラ!」なんて怒鳴る。
 連合軍のウガンダ人将校はさすがに呆れていたが、ソマリ人である州知事が「はいはい」と愛想良くコーラやお茶を配ったりしているのにもびっくりした。ソマリ人にもちゃんと「目上・目下」の概念があり、年長者や社会的地位の高い人を敬う習慣があるだけになおさらだ。
 でも、ジャーナリスト連中は当然という顔で言う。
「そりゃそうだ。俺たちはゲストで彼らがホストなんだから。逆の立場だったら、俺たちが同じことをするんだから」
 まあ、そうだけど、主客の関係になると目上・目下も転倒するのがおもしろい。

 なぜそこまで客を大事にするかが長らく謎だったのだが、イブン・バットゥータの記録を読むと、かなり腑に落ちる。もともとソマリ人は富を独占したいがために客を囲い込んだように見えるからだ。
 前にも書いたように、芸能事務所や各種エージェントと同じだ。だが、客はかぎられているので売り手市場である。ホストは見栄をはり、自分が太っ腹なところを見せる必要がある。すると「あそこのホストはいいぞ」という評判が立ち、客が増える。彼はますます裕福になり、地元でも尊敬される存在になる。やがて、客が来ること自体が「名誉」と見なされ、過剰なほどの接待が習慣化する…。
 実際には、客がくればよいことがあるという「まれびと信仰」的な心情や、誰もがどこかの氏族に属すというソマリ的な氏族社会では客といえども一時的に氏族に属す必要があるということも関係しているのかもしれないが、大筋では上のような流れで現在に至っているのではないかと私は考えたくなる。

客囲い込みの恐ろしすぎる副作用

 しかし、この「客の囲い込み」はときにひじょうに危険な副作用をもたらす。
 ホストが客の安全と快適を自分の名誉と見なすなら、ホストの敵はどう思うだろうか。
「あいつの名誉をめちゃくちゃにしてやろう。そのためには…客をぶっ殺せばいい!」
 それがホストにとって最大の屈辱になるわけだ。
 実際、南部ソマリアの最前線に連れて行かれたとき、私たちは帰路でアル・シャバーブに待ち伏せされ、めちゃくちゃに砲撃銃撃された。車がロケット砲で三台炎上し、政府軍の兵士三名が負傷した。
 このとき「最大のターゲットは州知事などではなく君だったろう」とソマリ人たちに言われて驚いた。彼ら曰く「君は外国人で政府にとってのゲスト。だから狙われたのさ」
 ゲストになるのも冗談ではなく命がけだ。

 こういう副作用は実はソマリの地以外にも見られるらしい。イスラム圏の辺境部、特にイエメンがすごいと聞いた。
 イエメンは伝統的な氏族社会制度が残っていること、拉致と身代金の支払いが慣習として根付いていること、氏族ごとの復讐の徹底など、話に聞くかぎりソマリにとてもよく似ている。そして客の囲い込みの副作用が激しく見られるらしい。
 スーダン人の友人がかつてこんなことを言っていた。スーダンはかつてイギリスの植民地だったため、英語が上手な人が多い。そこで昔から外貨を稼ぐために政府が他のアラブ諸国へ英語教師として大勢派遣している。イエメンにも行っている。そして現地でとても尊敬されている。
 でも、あるとき、イエメンの二つの氏族(仮にAとBとする)の間でトラブルが発生し、A氏族がB氏族の地域で英語を教えていたスーダン人の先生を殺してしまった。するとB氏族は激怒。A氏族の人間を次々に殺害した。イエメン人もソマリ人と同様、原則的には「一人殺されたら一人やり返す」というルールに基づいて抗争を行うので、A氏族の方から「ルール違反だろう!」という声があがった。だが、B氏族はこう言い返したという。
「いや、こっちはスーダン人の英語の先生を殺されたんだ。ふつうの人間をやられたのとはわけがちがう。こっちは、おまえたちのスーダン人の英語の先生を殺すまで戦いをやめない!」
 いやはや恐ろしい。イエメンで英語の先生なんかになるものではない。
 ソマリ人のきもちという連載だが、ついスーダン人の英語の先生のきもちになってしまうのだった。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

高野秀行

1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。

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