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ソマリ人のきもち

 中世の大旅行家イブン・バトゥータがソマリアの首都モガディショを訪れた話の続きである。

 前述したように、イブン・バットゥータは足利尊氏の一つ年上。彼がモガディショを訪ねたのは尊氏が室町幕府を建てる前後のことだ。
 私は以前、『謎の独立国家ソマリランド』にて、モガディショを京都に、ソマリア内戦を応仁の乱に喩えたことがある。日本中世史を専攻する明治大学教授・清水克行氏との対談『世界の辺境とハードボイルド室町時代』では、現代ソマリアと室町時代の共通点を見出したりした。
 だが、イブン・バットゥータが訪れたのは「リアル室町時代」のモガディショだ。それはどんな世界だったのか? 

 イブン・バットゥータの『大旅行記』の記述を見る限り、ひじょうに秩序だった国際都市だったようだ。
 スルタンと呼ばれる王が町を治め、やってくる外国の船や人はイミグレーション(入管)がきちんと管理していた。訳者の家島彦一氏の註によれば、この時代のモガディショは交通の要所、あるいは動物皮革、黒檀、紫檀、象牙、龍涎香といった貴重な商品の輸出港として発達し、イラン系、南アラビア系、アフリカのバントゥー系などさまざまな言語を使用する人々が集まり、共通語としてはアラビア語やペルシア語などが使われていたらしい。
 イメージで言えば、現在のドバイに似ていなくもない。

 面白い習慣もあった。外国船がモガディショの港に到着すると、小舟に乗った若者たちが船にとりつき、船内に入ってくる。彼らは料理がよそられた蓋付きの皿を手にしており、外国の客(たいていは商人)を見つけると皿を差し出し、「このお方は私たちのお客様だ!」と言う。
 すると、その外国人は本当にその若者が接待する家に客として滞在することになる。外国人はいくらでもその家に暮らすことができる。明確に書かれていないが、宿泊費や食費も無料だったらしい。

 接待する側の家は、もちろん目的があって、そうしている。彼らは商人が持ってきたもの(商品)を売りさばいたり、あるいは逆に商人がほしい物を仕入れたりするという。そして、もし他の地元商人がその外国商人と勝手に取引をしたら「不正取引」と見なされた。基本的に外国の商人は地元人とはまったく接触をもたなかったようだ。
 つまり、接待する家は外国商人と独占契約を結んだエージェントとなるのだ。芸能人と芸能事務所の関係にもよく似ている。

 家島氏の註によれば、このように外来商人と地元の定住商人とが交互に「客人」と「主人」の関係を結ぶ商業形態は、ソマリの地のみならず、前近代のイスラム世界の周縁部各地で広く見られたという。
 外来商人は不案内な土地で誰かに騙されたり、犯罪に出くわしたり、言葉の壁に悩まされたりしないで済む。エージェントは外来商人を囲い込むことによって自分の利益を確保することができる。
 家島氏は、こういった商業形態は「無言貿易」(双方が顔を合わさず、順番にモノを置いて立ち去るという原初的な交易)と本格的な商取引(つまり一般の自由な商売)の中間に位置する形態だというふうに述べている。かつて、九州の平戸や出島におけるポルトガル人やオランダ人との交易も似た種類の商業形態だったとのことだ。
 外国人に自由に領内を歩き回らせないというのは、その土地の為政者にとっても安心できることなのだろう。昔の中国はそうだったし、ロシアなどは、今でも旅行会社を通さないと観光旅行さえ許さない。

 しかし、この記述を読んで私が驚いたのは江戸時代の日本と当時のモガディショが似ているということではない。
 ある意味で、「今のモガディショ」とすごくよく似ているのだ。
 私は三度、モガディショに行ったことがあるが、いずれも空港に降り立つと、そこに迎えが来ていた。なにしろ、自分で勝手に外に出たら命の危険がある。最初に行ったときは内戦が続いていたし、その後もイスラム過激派アル・シャバーブによる外国人の拉致や暗殺は頻繁に起きている。
 だいたいにおいて、武装護衛を用意した現地の迎えなしでは、外国人が空港から外に出るのは当局から認められないのだ。

 かくして、私のようなジャーナリストやライターも、国連やNGO関係者も、ビジネスマンや企業の代表者も、すべて現地の受け入れ先を見つけて、そこに全面的に頼ることになる。
 ホテルは刑務所か要塞のようにコンクリートと重火器で守られ、宿泊者がエージェントの許可なく、外部の者と接触するのは御法度である。受け入れ先には当然、こちらから必要経費と謝礼を支払う。私の場合は、地元テレビ局に勤めるジャーナリストの友人たちにお願いをしていたが、私以外のほぼ全ての外国ジャーナリストやライターは、プロのエージェントに依頼をしているようだった。かなり実入りのよい商売らしい。

 あくまで結果的にだが、室町時代のモガディショと現代のモガディショには大きな共通点があると言える。ちがうのは、現代のモガディショは、エージェントに頼んでも、ときにはホテルが自爆テロで吹っ飛ばされたり、イスラム過激派や山賊のような武装集団に拉致されたりする危険性があることだ。室町時代のほうがずっと治安がよさそうである。

 でも、もっと興味深いのは、たとえ治安がよくても、現代のソマリ人にも「客を囲い込む」という文化があることだ。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

高野秀行

1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部在籍時に執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。辺境探検をテーマにしたノンフィクションを中心に『西南シルクロードは密林に消える』『ミャンマーの柳生一族』『アヘン王国潜入記『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた〈サピエンス納豆〉など著書多数。『謎の独立国家ソマリランド』で第35回講談社ノンフィクション賞、第3回梅棹忠夫・山と探検文学賞受賞。

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