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村井さんちの生活

2022年10月24日 村井さんちの生活

今を生きる義母と、過去を追う義父

著者: 村井理子

前回までのあらすじ

 認知症の義母と義父を日中数時間でも引き離さないと、双方倒れてしまうと判断し、義母は毎日デイサービスに通うことに。

 しかし、日中、家で一人過ごすことになった義父は「わしの気持ちを考えろ!」と激昂。義母を迎えに来るデイサービスのスタッフに攻撃的な態度を見せ、義母がデイサービスに行けなくなる事態にまで発展。

 義父の言動が理解できなかった村井さんは夫とともに義父母の家へ向かう。「デイサービスの人たちが勝手にかあさんを連れて行こうとしたんや」と義父が言った瞬間、日ごろ滅多に怒らない夫が激怒。義父も認知症が始まったのではないかと疑問を抱きつつ、村井さんは東京出張へ――。

 とにかくすべて夫に丸投げして東京に向かった。

 夫に頼んだのは二点だ。転院を視野に入れ、わが家に近い(送迎しやすい)総合病院で予定されていた精密検査に義父を必ず連れて行くこと。そして、難しいとは思うけれど、義父と和解することだった。もうすぐ九十歳という父親と喧嘩するなんて、理由がどうであれ、正しいこととは思えない。

 一方で、ケアマネさん宛てにはメールを出していた。義父が感情のバランスを失っていること、介護サービスの全てを拒否していること、少なくとも一週間はデイサービスをお休みさせてもらい、冷却期間を置き、その後、再びデイサービスのスケジュールを検討してもらいたいと書いたのだ。

 東京行きの新幹線のなかで、ケアマネさんから着電した。急いで通路まで移動して、ここ数日の経緯を説明した。彼女も初めてのケースで戸惑っていたようだった。ケアマネさんは私と夫の願いを聞き入れデイサービスの日程を調整してくれただけで、何も間違ったことはしていない。しかし、今度はすべてのサービスをストップして欲しいと伝えられたのだから、彼女が戸惑うのも無理はなかった。

 正直言って、なにもかもが面倒になってしまった。よくよく考えてみれば、義父はいつもこうだった。私に何かを頼み、私がそれを聞き入れ準備をすると、最後の最後で、やっぱり辞めたと計画をひっくり返してきた。今までに、何度もそんな場面はあった。それが今回も起きたということだけなのだが、徒労感は強かった。なにより、一番被害を被っているのは認知症の義母だというのが辛かった。

 辛いときは格闘技

 東京に到着し、駅近くのホテルにチェックインした。美しい東京の夜景を見ても、なかなか気分は晴れない。友人に連絡をしてどこかで夕食でも…と考えていたのだが、そんな気分にもなれない。仕方がないからコンビニに行っておにぎりを買って部屋に戻った私のもとに、夫から連絡が入った。義父との仲直りはすでに終わり、そのうえ、義父と二人きりで話合いをしたという。早いな。こういう時、実の親子は修復が早いのだなと考えた。私だったらそう簡単には許さないけどな…。夫からのLINEには、こうあった。

  看護師さんだよ。かあさんが看護師さんを気にいっちゃったことがすべての原因。
 親父がそれに腹を立てた。

  えええええええ! ホテルの部屋で思わず声が出た。私は慌てて返信した。

  ということは、夫婦はいつも一緒とかいうのは、ただの束縛?
 それがすべての理由?

  夫の返信はこうだった。

  うーん、束縛なのかな。とにかく、看護師さんは家に入れたくないと言っている。本当に申し訳ない。

  そもそも、男性看護師さんをお願いした理由は、女性だと義母が浮気妄想で義父を責めてしまうからだった。看護師さんにも申し訳ないことだが、苦労して計画を立ててくれたケアマネさんにも申し訳ない。とにかく、まずは自分の仕事を終わらせなくてはならない。老夫婦は後回しだ。私はそう考えると、LINEの画面を閉じて、YouTubeで格闘技を見はじめた(プラス思考)。

 看護師さん、本当にごめんなさい

 東京での仕事を無事終え、帰りの新幹線に飛び乗った。それにしてもじわじわと腹が立つ。夫に聞くと、義父は反省するでもなく、自分の意見が通ってむしろ上機嫌なのだそうだ。義母はデイサービスに行けなくなった。看護師さんの出入りもキャンセル状態なので、服薬も出来なくなっているはずだった。お薬カレンダーの管理や、実際の服薬もそれまで看護師さんがほとんどすべて管理してくれていた。薬を飲むことが出来ている状態の義母は、安定していたから本当に助かっていたのだ。

 当の看護師さんからは、私に何度も連絡が入っていた。穏やかだが、責任感のあるいい人だ。義父がバランスを失っていたことは報告済みだったが、まさかその理由が義母の看護師さんへの好意だとは口が裂けても言えなかった。看護師さんはとても心配してくれていた。お薬カレンダーにはお薬をセットしていますが、そのセットもあと数日で切れてしまいます。訪問させて頂いてセットしたいと思いますが、どうしましょうかと聞かれ、どう答えていいのかわからなかった。

 「とりあえずの分は私がセットします。もう少しだけお時間を下さい」と、新幹線の通路で連絡を入れた。罪悪感が押し寄せてきた。直接自宅まで戻る気になれずに、京都駅伊勢丹の地下で時間を過ごした。長い時間をかけてケアマネさんと一緒に作り上げた介護計画を、すべてひっくり返されてしまった怒りが収まらなかった。その怒りを義父に向けることが間違いなのはわかってはいたが、それでも腹が立って仕方がなかった。義母のためと思ったことはひとつも通らず、義父のエゴだけが堂々とまかり通っている状態なのだ。

 惣菜を買い込んだために重くなってしまったバッグを肩から下げ、ぐったりしながら家まで辿りついた。夫には「実家とはしばらく距離を置いたほうがいいのかもしれないね」と伝えた。夫も「賛成」と言っていた。そして、介護サービスは完全に停止してしまった。

 私が持っていた九十歳のおじいさんのイメージは、なんとなくふわふわしたものだった。ぼんやりしてて、ニコニコしてて、何ごとも気にせず、優しく、穏やかなおじいちゃん。そんな印象だったし、義父もそれに近いのではと思っていた。しかし現実はまったく違って、義父は九十にして実はギラギラの亭主関白だったのだ。その一面が、些細なことがきっかけとなって表面化した。私は面食らう以上に、思い切り引いていた。こんなに恐ろしいことがあるだろうか。まさか、九十歳が八十二歳を束縛するとは! もしかしたら、義母からしたら、それは幸せなことなのだろうか…?

  「え、あたしだったら嫌です、それ」

  東京から戻って三日後、私はいつもの美容室にいた。私の髪のカットをここ数年来担当してくれている二十代後半の女性が、私からことの顛末を聞き、手を止めて言った。彼女には小学生の息子がいて、義理の両親と同居している。わが家の介護がスタートした直後から、ほとんどすべての事情を知っているのが彼女なのだ。

  「いいじゃないですか、看護師さんのことを気に入ったって。なにが悪いんです? あたし、おばあちゃんになってまでそんなことで縛られたくないな。それに、おばあちゃんは楽しんでいたんでしょ? だったらなにが不満なんですかね? っていうか、それっておじいちゃんのただの勝手でしょ? 大変なのはおばあちゃんの方なんですよね? それがわかってるのに、なんで?」と、彼女は呆れるような表情で言った。

  すべて彼女の言う通りだと思った。私が今の義母の状況に陥ってしまったとしたら、全力で逃げたい。八十歳を超えてまで行動を制限されるなんてまっぴらごめんだ。でも、その時、私が認知症だったとしたら? 理解できるだろうか。言いなりになるしかないのだろうか。そうだとしたら、彼女を助けてあげられるのは、私と夫だけなのではないか?

  「それで、どうするんですか? サービスは全部キャンセル?」と聞く彼女に、うーん、どうしようかなあとしか答えられない私だった。

  夫は、サービスの停止を随分迷っていたが、私は実は、あまり不安には思っていなかった。もちろん義母は気の毒だと思ったが、義父のやりたいようにさせるのもひとつの手だと思っていたのだ。

 「本人が嫌だって言うんだから、介護サービスを完全にストップしたらいいんじゃないの? お義母さんの面倒も自分が見るって宣言してたし、そう本人が言うんだったら、一度やってもらったらいいよ。こうなったらサービスは一切なしで行こう」と提案した。

 そう言う私に夫は、「そんな、ゼロか100かみたいなこと、できないでしょ」と答えた。まあ確かに、ゼロか100みたいなことはすべきではないけれど、めちゃくちゃやってみたい気もする。私のなかの何かが、一回やってみてもいいんじゃないかと大声で言っていた。

 ケアマネさんとは、密に連絡を取り合っていた。すべての事情を知った彼女は、「理子さん、それはまさかの坂ですねえ~! ドラマよりドラマですねえ~!」と明るく言っていた。確かに、ドラマでもこんな展開はあまりないだろう。

  「看護師さんに申し訳がなくて、どうしたらいいのかわからないんですよね」と言う私に、「とにかく、一週間だけサービスをお休みしてもらいましょう。それより長くなってしまうと、お義母さんに気の毒です。デイサービスも一旦行かなくなると、急に症状が進むこともありますから心配です。とにかく、お義父さんの気持ちを確かめながら、もう一度やりなおしましょう」と言ってくれた。

  サービスの停止を望んだ義父は、完全復活を遂げていた。転院先の総合病院で薬の処方が見直され、必要のない薬がカットされ、検査を経て必要だと判断された薬を服薬しはじめた義父は、あっという間に元気を取り戻した。呂律が回らなかった口調も、昼過ぎまで寝ていたのも、眠気という副作用がある薬を午前中に二種も服用してきたからだった。その点が改善され、義父は昔のように精力的に庭の掃除をし、散歩に出かけ、食事を作るようになっていった。そしてなんと、義母の投薬管理までするようになったのだ。

 一方で義母は、あっという間にデイサービスのことを忘れてしまった。義父がデイサービスについて批判的なことを言いはじめると、途端に困惑した表情になり、「そんなことを言われても、私は一度も行ったことがない場所だ」と答えていた。彼女なりに、それは避けなければならない話題と悟ったのだろう。

 サービスが完全に停止して一週間はそれでも生活は回っていたようだ。しかし、そのままにすることはできない。夫に頼んで義父と話し合いの場を持ってもらうことにした。これからは、義母のためだけにサービスを再開する。義母のためのサービスだから、義父には可能な限り協力をして欲しい。そして、今まで来てくれた男性看護師さんは、交代して頂くようケアマネさんに頼んだことを伝えてもらった。義父は納得したようだった。

 そんなこんなで、新しい介護サービスのスケジュールが組まれて、一ヶ月程度が経過した。義父はますます元気になり、デイサービスやヘルパーステーションから送られてくる請求書のチェックに忙しい。薬が変わり元気になったのは良かったが、デイサービスに対する根拠のない不信感は募る一方のようだ。請求書に記された項目に間違いがないか、過剰に請求がされていないか、マーカーで線を引いて確認している。A社から来た請求書をB社の封筒に入れ、請求内容が変わった、おかしい…と首をひねったりしている。それで暇を持て余すことなく、義母を責める時間が減るのであればいいが、余計な電話などをされては困るので、書類はすべてわが家に送付という根回しをするはめになった。もう、踏んだり蹴ったりである。

 それでも、義母がデイサービスに通うことが出来るようになり、私も夫も安堵している。

 私がデイサービスに行きたいかどうかを尋ねると、必ず、「行きたい。だって楽しいもの」と答えていた義母。念願叶って、再び通いはじめた義母は、しっかりと薬も服用できているうえ、入浴のサービスを受け、清潔な状態を保つことが出来ている。とてもありがたいことだ。しかし義父は、今でも入浴のサービスだけは受けさせたくないと反対している(意味がわからない)。

 私と義父の関係はぎくしゃくしたままだ。あちらは気づいていないとは思うけれど、私は今でもしつこく義父に対しては怒りを抱えている。なぜかというと、私には義父が必死になって取り戻そうとしているものの正体がよくわかるからだ。義父は、元気だった頃の完璧な義母を求めている。家事も、自分のサポートも、家計の管理も、すべて完璧にやり遂げていた、あの頃の義母を求めている。それだけの話だ。そして、完璧ではなくなった義母に腹を立てているのだ。しかし、義母の本来の姿が過去の完璧な主婦時代にあるとは私には到底思えない。彼女の本来の姿は、過去の多くを忘れてはいるものの、日々懸命に生きる、まさに今現在の義母のなかにある。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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