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#タナカヒロカズを探して

2023年5月3日 #タナカヒロカズを探して

2. 98日天下が、国際平和のNGOを生んだ。 

著者: 田中宏和

「自分で選んだわけじゃない」運命 

 仏壇の前でギネス世界記録公式認定証を持ち、84歳の母と一緒に京都の実家で記念写真を撮ったのは、記録達成から62日後のことだ。なにしろ「名付けてくれて、ありがとう。」である。元旦には、白味噌丸餅のお雑煮を口にしながら、なぜ「田中宏和」と名付けたのかを問うてみた。 

 仏壇の中の小物入れ的引き出しには、京都の東山にあった四柱推命占いの鑑定結果が残っていた。「田中宏幸 吉」「田中宏明 吉」「田中宏和 大吉」「田中明宏 吉」「田中俊宏 大吉」と記されている。 

 決め手となったのは、祖父母の時代から月参りをしていたという醍醐寺塔頭(たっちゅう)、真言宗醍醐派の別格本山の理性院(りしょういん)の当時の壁瀬灌雄(かべせかんゆう)御住職のお言葉だと言う。平安時代に創建され、宮中で鎮護国家を祈祷する太元帥明王(たいげんみょうおう)の秘仏を本尊とする非公開寺院である。有力案として候補に挙がっていたのはふたつ、「田中宏秀」と「田中宏和」。 

 母曰く「『宏秀』やったら学者になる言わはったけど、『宏和』のほうが目上の人に引き立てられて運命的にええて言われて、努力して学者になるより楽なんちゃうかと『宏和』にしたんや。」とのこと。霊験あらたかなお告げに、子供が楽そうなほうの名前にしたというリアリズムに苦笑しつつも、今やその子供は「名前学」でも立ち上げかねない急峻な道を進もうとしている。 

 命名の候補すべてに「宏」が入っているのは、父の名が「田中宏直」だったからである。生前は折り合いの悪い親子であったが、余計な押し付けとも言える「宏」の字を息子にもという気持ちが、結果わたしをギネスレコードホルダーにしてくれた。2010年にリリースしたオリジナルソング『田中宏和のうた』の歌いだしは、「自分で選んだわけじゃない」。社会学者の大澤真幸さんは、名前の本質を衝いた歌詞とご高評くださった。 

 今となってようやく、親への感謝の念が湧いている。 

7歳児撮影なので斜めっているのはご愛嬌。さすがに大きな額は持参できなかった(写真すべて著者提供)

広がる「同じ名前コミュニティ」 

 ギネス世界記録報道をきっかけに、この、名前という宿命に魅せられた人たちからの連絡が入ってくるようになった。 

 最初は「加藤の会」だ。加藤姓は全国名字ランキングで10位の約90万人。仙台市、千葉市の約100万人都市に近い人口だから、実現すればかなりの大規模コミュニティだ。 

 Twitterでは「【公式】加藤会@加藤に拡散希望」というアカウントで活動をはじめたと報告を受けた。プロフィールでは、「加藤が作る、加藤による、加藤の為の会。『加藤が加藤を助けよう』をコンセプトに加藤に関する事しかあげません。ご希望あれば加藤さんの告知等もどんどんリツイートします。そして加藤さんしかフォローしません(無言フォローごめん)『加藤に生まれて良かった』と思える世の中にするからとりあえず加藤おいで。」とのこと。 

 続いて、北村さんである。Twitterではじまった「【公式】全国の『北村さん』と繋がりたい〜 拡散希望 〜」。「世界初!きたむら専用コミュニティ / 読みが #きたむら さんはフォローお願いします!漢字は何でもOKです【目標】①「きたむら」だらけでギネス記録挑戦 ②親戚じゃない「きたむら」同士で相互扶助を築く / 詳しくは ▽よくある質問▽ をご覧下さい / 無言フォロー失礼します / RT・いいね励みになります」。北村さんは、全国に15万人ほど。「きたむら」の漢字のバリエーションは、他に「喜多村」「喜田村」「貴田村」「木田村」あたりを足しても15万人と推定される 

 やはり今の時代の情報拡散ツールはTwitterなのだろう。 

 「【公式】よしえさんと繋がりたい【拡散希望】」は、「下のお名前が #よしえ さんと繋がりたいです♪漢字は何でも◎タナカヒロカズさんや北村さんの会に刺激を受けました|【目標】1️よしえさんオフ会 2️よしえさんあるある100個 3️いろんなよしえさんの名前の由来を知る4よしえさんの歌を作る 5よしえさんの漫画を描く|無言フォロー失礼します」と。「漫画を描く」は、われわれタナカヒロカズには無かった着眼点だ。ファーストネームのみでの集まりのギネス世界記録は、2017年にボスニア・ヘルツェゴビナで行われたIvan(イヴァン)さん2,325人の集いの記録がある。「よしえさん」なら充分に狙える数字ではないか。 

 もちろんフルネームでの活動開始のお知らせもあった。「渡辺健太コミュニティ」だ。「私は、これまで同姓同名の方が身の回りに多く、“ありきたりな名前”であることにコンプレックスを感じておりました。ただ、ニュースを拝見して、自身の名前に誇りを持てる、非常に素晴らしい活動だと感動しました。」と、こちらはメールを頂戴した。 

 同じ名前を通じた相互扶助の輪が広がっている実感があった。 

 そして、それは、日本だけのことでは無かった。 

まさか、セルビアで、新記録 

 ギネス世界記録達成から98日後、2月9日のことだ。タナカヒロカズ運動ホームページの問い合わせアドレスに1通のメールを受信した。時折、タナカヒロカズ同姓同名情報を寄せてくれる方だ。 

 「残念なお知らせです。2月4日にセルビアにて記録が更新されたとのことです。タナカヒロカズさんの記録を知った後、セルビアで一番多い名前を調べて、Milica Jovanović(ミリツァ・ヨヴァノビッチ)で集合し、256人で達成されたそうです。」 

 ん、セルビア? 何、その名前?? 256人??? で、記録は破られた???? 

 現地メディアの英語報道サイトに飛ぶと、「セルビアがギネス記録を破った。」との見出し記事に、写真に映り込む見慣れたギネスワールドレコードのロゴマーク。場所はベオグラードの「ビッグ・ファッション」という映画館も備えたショッピングモールで、同姓同名の女性たちが集まったようである。 

 もう一つのサイトには動画もあった。インタビューに答えている女性たちは、われわれの挑戦時と同じようにIDを示す書類のチェックを受けていた。そして、同じくネイビーのギネス世界記録公式認定員のブレザーを着た、まさにイングランドな紳士が話している。さまざまな年代の女性たちに、車椅子の方もいる。まさにタナカヒロカズ全国大会のよう。大きな違いは、女性ばかりで、しかも美人が多いぞ。 

 しかし、「おめでとう!」と言われ、記録認定の額を受け取っているのは、スキンヘッドの男だった。記事には、「オーガナイザーは、2022年の10月に日本でヒロカズ・タナカの新記録を知り、このキャンペーンをはじめた」とある。「ヨヴァノビッチ」はセルビアで一番多い苗字、「ミリツァ」は一番多い女性の名前だという。実に戦略的だ。日本で言うなら、「佐藤愛子さん」を意図的に集めたということか。 

記録挑戦会場を映画館にしたのは、ヒロカズ・タナカを参考にしたはずだ。

 早かったなぁ、記録は破られた。98日間、百日天下もならず。 

 ヒロカズ・タナカの記録を伝えたBBCのキャスターは、「ジョン・スミスに破られるだろう」と微笑みながら警告していたが、われわれを抜いたのは、ギネスのお膝元のイギリスでも、ジョン・スミス人口の多そうなアメリカでもなく、中国に30万人はいるという張偉(ジャン・ウェイ)さんでもなく、セルビアだった。たしかに東欧の国の名前と言えば、ストイコビッチとかジョコビッチとか、なんとかビッチが多い。 

 だが、待てよ。更新された記録が同姓同名1,000人規模の記録なら、もう抜くのは難しいと観念し、諦める他ないが、われわれの記録に78人のタナカヒロカズさんが加われば追いつける。タナカヒロカズの会は、もう242人になっているから(当時。現時点では248人)、250人になったら挑戦の具体的プランは発表かな。 

 しかし、前回の渋谷の映画館は定員が200名だから使えないぞなどと思案していたら、小学1年生の長男が帰ってきた。セルビアの女性による同じ名前256人の集まりで、記録を抜かれたことを伝えると、 

 「お父さんなら、またできるよ。あのギネスの額を2つもらえることになるんでしょ? いいなあ。」 

 なんてポジティブなんだ。 

 これぞ、自分が常々心掛けている「問題逆転力」の精神ではないか。ここのところの世の中では「問題解決力」が大事と言うけれど、マイナスをゼロにするだけでなく、むしろマイナスを利用し、かえってプラスにする力。逆に息子に気づかされた。 

 しょんぼり意気消沈しそうになったが、さっそく仲間(と言ってもタナカヒロカズさんたちですが)に情報発信をはじめた。 

 「やりますね! 256人ですか。Milica Jovanović さんの集合写真ありますか。 

 前タイトルホルダーとして『祝福のメッセージ」を送りませんか。」 

 そうそう、同じ同姓同名体験をした仲間には「おめでとう!』と言いたい。 

 と、続々と同じ気持ちの連絡が重なる。 

 さっそくTwitterに記録達成時の喜びをツイートしているミリツァ・ヨヴァノビッチさんがいるのではと検索してみたら、すぐに発見できた。「以前のタイトルホルダーの178人のタナカヒロカズから、256人のミリツァ・ヨヴァノビッチさん、おめでとう」とコメントをつけたら、間もなく「Thank you!」との返事だ。世界は小さくなったものだ。 

タナカヒロカズ運動全国大会にはない華やかさを認めざるを得ない。

 産経新聞メディア営業局からの提案もあり、結果を広告で報告することにした。広告の「公告」的側面だ。 

 掲載日が建国記念の日であったこともあり、好戦的な「再挑戦」ではなく、結局セルビアでの新記録達成への祝意からはじまる内容とした。やられたら、やりかえせの発想は、タナカヒロカズの会っぽくない。 

2023年2月11日の産経新聞朝刊の社会面に掲載された。

転がるように国際平和を謳うNGO設立へ 

 そのうち、ふとアイディアが降りてきた。 

 「国際同姓同名連盟」をつくれたら面白いのではないか。 

 世界の同姓同名の集まりが交流する親睦団体だ。年に一回の総会の最初は、東京・渋谷、第二回は、セルビアのベオグラード。第三回は、われわれの前の記録保持者、マーサ・スチュワートさんが164人の記録をつくった、アメリカのニューヨーク開催、と夢は広がる。 

 週明け13日の月曜日の朝は、汐留の日本テレビのスタジオにいた。記録挑戦前後に2度生出演した『スッキリ』で報告するためだ。週末に担当ディレクターがセルビアでの新記録について、しっかりリサーチしてくれていた。 

 セルビアは人口7百万人に満たず、面積は北海道よりも少し小さい国。 

 首都ベオグラードの会場にはセルビアの4つの地域から無料送迎バスが出されたそうだ。会場となった映画館のあるショッピングセンターとはタイアップで、施設内のマクドナルドの食事券や商品券の提供、ヘアケアメーカーからの無料サンプリングもあったと言う。まさに同姓同名マーケティング・ビジネスだ。この企画、主宰者には学ぶところが多い。MCの加藤浩次さんから感想を尋ねられ、「こんなしょぼいアジアの端っこのオッサンの企画が、世界を動かしたのはちょっとゾクッとしました。『タナカヒロカズ』は男ばっかりなので、ぜひセルビアの『ミリツァ・ヨヴァノビッチ』さんと国際交流もしてみたい」と答えると、「企業から支援してもらって大規模な合コンしようとしてるでしょ」とさすがのツッコミだった。 

 その日は、TBSの報道が続き、『THE TIME」の1週間のニュースを深掘る金曜日のコーナーで、セルビアサイドの主宰者へのインタビュー動画を見ながら、質問に答える依頼を受けた。 

 取材動画を見ると、セルビアのニュースでギネス世界記録認定の額を受け取ったスキンヘッドの男は、Robert  Čoban(ロベルト・チョバン)さんという人物らしい。カラー・メディア・コミュニケーションズという出版を主にするメディア企業のオーナーであり、旧ユーゴスラビア地域で100以上の雑誌を発行し、会議やイベントのオーガナイズもしているとのこと。日本で言うなら、講談社や小学館のオーナー社長か。メディアを動かし、イベント事業も手がけるとは、さすがに今回の記録達成はプロの仕事だ。 

 聞けば、こんな事情だったという。 

 11月1日に娘とテレビを観ていたら、10月29日に東京で178人のヒロカズ・タナカが同姓同名の集まりのギネス世界記録を樹立したニュースに接したと言う。娘に「178人はそんなに大きな数字じゃないし、セルビアなら超えられる。セルビアで一番多い名前を探そう」と言って、PCで調べたらミリツァ・ヨヴァノビッチだった。娘は「学校に二人いるわ」と言った。 すぐにFacebookで調べたら100人以上いたので、「ギネス世界記録を破ろうと思うので、ミリツァ・ヨヴァノビッチを知っていたら連絡をください」と記事にした。すると3日後には400人以上のミリツァ・ヨヴァノビッチが見つかったというのだ。 

 担当ディレクターがこちらの交流の意思を伝えると、「どんな協力もできますよ」と明るい返事だったそうだ。 

 「日本は人口が多いのだから、またすぐに彼らは新たな記録をつくれるんじゃないか。同姓同名の集まりは、実に楽しいエンターテイメントだ。去年はベオグラードの日本大使館に招待され、セルビアと日本の国交樹立 140 年の記念パーティーに出席した。私たちの友好関係を強化できるのは素晴らしいこと。次回の挑戦の幸運をお祈りします」とインタビューを締めくくってくれた。 

 いい奴! 言わば、われわれのエンターテイメント・コンテンツのフォーマットが海外輸出され、それが国の友好関係や国籍を超えた友情を育むとは、思いもしなかった展開だ。この話せる男に連絡してみよう。 

 週明けの20日(月)の日本時間の夜10時、カタールからオマーンに向かう豪華客船に乗船中のメディア企業オーナーがZoomの画面に現れ、第一声は「ハイ、フレンド!」。メールの2、3度の往復ですっかり気安い間柄になっていた。 

 セルビアについては、『戦争広告代理店〜情報操作とボスニア紛争』という本がある。NHKのドキュメンタリー番組を元にした一冊で、ボスニアは、アメリカのPR会社を雇って「民族浄化」の名のもとにセルビアが蛮行を働いているとのプロパガンダを行ったというのだ。 

 初対面のZoomミーティングではあるものの、このことを思い出し、自己紹介などのあと、「ヒロカズ」の漢字は「広く平和」を意味する。世界で唯一の被爆国であり、平和憲法を掲げる日本と、90年代から紛争が続くバルカン半島のセルビアで、「国際同姓同名連盟」International Same Name Association(ISNA)を立ち上げようと提案した。世界中の同姓同名の集まりの交流で、国や民族の違いを超え、国際平和を願う活動を推進するために。すると、「ビューティフル・イニシアチブ!」と全面的に賛成してくれた。「イニシアチブ」とは、「率先」「主導権」を意味する。確かに目指していることは、国際NGOのそれなのかもしれない。 

初対面のZoomミーティングで国際NGOの共同設立を提案した。

 さらにミリツァ・ヨヴァノビッチさんたちとヒロカズ・タナカたちのZoomミーティングも行おうと言ったら、「同じことを考えていた」と同志は言う。「これは、ミリツァ・タナカが生まれるためのプロジェクトだ」とも。実際「ヒロカズ・ヨヴァノビッチ」も誕生するかもしれない。 

 気づけば4日後の2月24日は、ロシアのウクライナ侵攻からちょうど1年になる。ロシアとウクライナのピヨートル・チャイコフスキーさんが国境あたりで同姓同名の集まりを行ったら、両国の指導者も微笑ましくなって戦争をする気も失せるのではないか。 

 こうして、「Unite, and break our world records with your name.(つながろう。そしてあなたの名前でわたしたちの世界記録を破ってください)」のキャッチコピーで世界に向けて発信した。ISNAのスローガンは「United by the same name.(同姓同名での連帯)」。高邁な国際平和を掲げるNGOであるが、所詮「馬鹿馬鹿しいことをやってる」の原点、その阿呆らしい初心を忘れてはならないと肝に銘じている。 

ISNAからの最初のステートメントを表現したグラフィック。

 実際ISNAのキックオフイベントは、3月31日23時(日本標準時)に、17人のヒロカズ・タナカと11人のミリツァ・ヨヴァノビッチのZoom交流会として実現した。同姓同名の2グループからなる、英語、日本語、セルビア語を駆使してのプレゼンテーション、ファシリテーションは、今までで最もタフなものであった。

 こちらヒロカズ・タナカのグループには、花の田中浩一さんやレコードの田中宏和さんの国際派ビジネスマン、さらにはAVの田中宏和さんは駐在先のマレーシアからの参加の英語が使える組。日本語とジャスチャーとヘルメット姿で笑いを取る杣人の田中宏和さん、念仏の田中寛一さんは自分が住職であることをたどたどしい英語で読み上げての異文化交流。

 一方、セルビアサイドは、歴史の教師だったが引退したミリツァさん、35歳で二人の子持ちのエコノミストのヨヴァノビッチさん、シーメンスに務めるバリキャリのエンジニアのミリツァ・ヨヴァノビッチさんと多彩な顔ぶれ。18歳で学生だという”student”のニックネームを名乗る参加者からは、すぐあとに感謝のメールをいただいた。

 盛り上がった交流会は当初の予定を超えて、日付は変わって4月1日の0時30分に全員が手を振りながら「United by the same name.」と声に出してエンディングを迎えた。中には投げキスをしているミリツァ・ヨヴァノビッチさんまで。

 これはエイプリルフールに起こった世界初の珍事件だと思われるが、まぎれもなく真実の事件だ。

3月31日から4月1日にかけてのISNAキックオフイベントとなるZoom交流会のスクショです。

次回に続く

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

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