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#タナカヒロカズを探して

2023年6月7日 #タナカヒロカズを探して

4. 別の田中宏和とのファースト・コンタクトという奇跡

著者: 田中宏和

同姓同名年賀状を世界に送り出した

 同姓同名年賀状を1995年から送り続けてきた。転機が訪れたのは、2002年の末のことだ。

 Webサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」を主宰する糸井重里さんからの連絡だ。

 年末年始、12月28日から1月5日まで、臨時で1日編集長を立てる『留守番番長』期間にしたい。ついては、12月30日の担当になってもらえないだろうか、と。

 思いがけない話に正直たじろいだ。「ほぼ日刊イトイ新聞」が立ち上がったのは1998年。仕事でのご縁があり、糸井さんおっしゃる所の「感心力の鬼」として評価されていたのだ。

 これは糸井さんが見込んでくださったのだから、引き受ける他無い。「ほぼ日」読者にとってみれば「誰やねん?!」に違いないが、何かしらのアピールの場である。

当日の「ほぼ日刊イトイ新聞」のトップページ。

 そう、この日のために用意した数々のコンテンツに加え、年末だからとおまけのように足したのが、「田中宏和・年賀状の軌跡」だった。「今日から年賀状を書く方にぜひお薦めしたいアイデアです。世界中の『田中宏和』情報をお待ちしています!」としっかりと書き添えつつ、これまでの同姓同名年賀状シリーズ計7枚をネットに公開したのだ

2002年12月30日に世界に向けて同姓同名年賀状シリーズを公開した。

ついに田中宏和は、田中宏和と会う

 予想以上に感想メールが多く届いたのもうれしかったが、その中でも「旦那が田中宏和です」「上司が田中宏和です」「小学校の同級生に田中宏和くんがいた」などの数々の田中宏和情報には、インターネットのパワーを感じた。今では当たり前だろうが、当時はネット接続が電話回線からADSLに移行し、ようやく常時接続が当たり前になったような時代だ。

 中でも衝撃的だったのは、「ほぼ日」担当者から転送してもらったメールのタイトルを見た時だ。

 「田中宏和さんご本人がいました! 渋谷!」

 まるで、火星人発見の報告だ。

 

はじめまして。(中略)

「田中宏和」…それは私の名前です。

最初は何で「ほぼ日」で自分の名前を見つけるんだろうと我が目を疑いましたが、状況が飲み込めるにつれ年末の「ほぼ日」ではこんなことになっていたのかと、リアルタイムで読めなかったことを後悔しました。

それにしても自分の名前でこれだけ遊んでる人も珍しいですよ。って言うか、「田中宏和」って名前、そんなに遊び甲斐があったんですね。近鉄の田中宏和さん、ゲーム音楽の田中宏和さん、くらいは私も存じ上げていましたが、他にこんなにおもしろネタがあったとは。なんだか少し自分の名前が輝いている感じがしてきましたよ。見た目が四角くって、書くときにもバランスをとりづらいし、なんだか普通っぽいしなんて思ってましたが結構遊べる、いや遊んでいる人の出現に自分の名前の認識が改まった気がします。そういう私自身は渋谷でデザイン事務所を経営している田中宏和(37)です。

 

 お正月にメールを読んで、心臓はバクバク、汗ばむのを感じた。うれしい発見なのだけども、すぐ近くに別の田中宏和が生きていて、普通に寝起きしていることに何とも言えぬ薄気味悪さを感じた。すぐに返信するか。しかし、そのがっつき感がどう受け止められるだろう。そもそも会って何を話せばいいのか。「田中宏和です」「田中宏和です」で、ハイ終わり。その先の会話のイメージができなかった。まだ来年の年賀状制作までは時間がある。

 それから寝かせること約1年。2003年の12月に入った頃、満を持してメールを書いた。もちろんこの書き出しは、いつか送ってみたかった念願の文章だ。

 

田中宏和さま

突然のメールで失礼いたします。同姓同名の田中宏和と申します。

今年の初めにわたくしの留守番番長企画をご覧いただき、また「ほぼ日」まで名乗りを挙げるメールをいただきまして、どうもありがとうございました。「ほぼ日」からの知らせが入った時は、そうとう興奮しました。

一年近く経って、不躾ながらメールを差し上げましたのは、来年のわたくしの年賀状の制作にご協力いただけないでしょうか、というお願いであります。同姓同名年賀状シリーズ初のご本人との対面を実現したく思っています。

年末のお忙しい時期に恐縮なのですが、近いうちにお時間をいただけないでしょうか。唐突なご依頼で失礼いたしました。

快いお返事をお待ちしております。どうぞ宜しくお願いいたします。

田中宏和

 

 何度も読み返して、強めに送信ボタンを押した。

 ついに賽は投げられたのである。あとは釣り糸を垂れる漁師の心境で待ちながらも、もしこの田中宏和さんが極悪非道な凶悪犯だったらどうしよう、変な印鑑とか壺を買ってくれと言われたら断りきれるのか、さらに新興宗教に勧誘されたらどうするんだ、いやこの同姓同名で会うこと自体がどうかしてるぞ自分などとのとめどない妄想を巡らしたりして待つこと数時間。返信が来た。

 

田中宏和様(抜粋)

来年の年賀状の企画ということで、なんだかとても楽しそうですね。ただ「シリーズ初のご本人との対面」という凄い企画に、私などで良いのかどうか・・・。とはいえ、私も是非もう一人の田中宏和さんに会ってお話ししてみたいという思いがあります。ご足労ですがぜひお越しください。日時に関しては、今週はちょっと都合が付かないんですが来週以降であれば大体大丈夫です。ご都合の良い日時をお知らせください。よろしくお願いいたします。

田中宏和

 

 力士でいえば、土俵上でまわしを探り合うようなもの。すでにここで痺れた。

 いざ、2003年12月の約束の日がやってきた。やはり自分一人だと心細いので、「ほぼ日」の担当者に記録係で同行してもらった。

 渋谷にある他人の田中宏和さんのオフィスのベルを鳴らし、「田中宏和です」と名乗る。迎え入れられた後、初対面のビジネスマンなら取る行動は一つ。次の写真が決定的瞬間だ。

初めての田中宏和同士の名刺交換。右がわたし。写真:西本武司

田中宏和は、固有名詞ではなくなる

 「田中宏和です」と名乗り、名刺を差し出す、わたし。

 「田中宏和です」と名乗り、名刺を差し向ける、お相手。

 名刺と顔を見ながら、きょとんとする他無い。確かに名刺には「田中宏和」と印刷されている。すると、ひょっとして自分は、この名刺に記載された「有限会社マグネットインダストリーの社長の田中宏和」なのではないかという気がしてくる。何だか合わせ鏡の向こうにいるもう一人の自分と対話しているみたいだ。手にしているこの名刺で生きている自分をリアルに想像できるのである。名前が同じというだけで。その後も同姓同名の名刺交換の時には誰彼無しに「この他人の名刺が自分の名刺に見えてくる」と言いだす。名刺という人間の社会的立場を公に示すツールだからこそ、そんな混乱に襲われるのではないか。まるで名刺と一緒に人生を交換したかのような気分になるのである。

 お相手の田中宏和さんもぽかんとしている。互いにそわそわしているのが明らかに感じられる摩訶不思議な時間が流れる。この目の前の人を何と呼べば良いのかわからなくなっている。その気まずさを一旦棚上げにして会話をする。

 「ご連絡をありがとうございました。こうして同姓同名の方に会うのは、はじめてです」

 このいたたまれない空気をあらかじめ想定して、資料を出力してきた。インターネット上の無料の「田中宏和」姓名判断をいくつかである。共通の話題はこれに尽きる。

 実際、それらの鑑定結果はどれも良かったのである。

 「田中宏和は、良い名前ですよね」「そんな気はしてましたが、田中宏和はいいです」

 二人揃って名前馬鹿である。

 「近鉄バファローズのドラフト1位指名の田中宏和さんは知ってます?」

 「ポケモンの主題歌の作曲も田中宏和さんですよね?」

 「小さい頃のあだ名は何でした? わたしは、小学校の時は『たなひろ』でした。

 その後、京都は『田中』が多すぎて、『宏和』と下の名前で呼ばれることが多かったですね。

 東京に出てきてからも、そうですね。」

 「『宏』の漢字は説明しにくいですよね。『久米宏』のとか、ウ冠にカタカナの『ナ』に『ム』で、『平和』の『和』と説明しますね」

 「そうそうそう!」

 同姓同名にしか共感できないネタが続々と出てくる。

 思いきって「社団法人田中宏和を設立したいですね」と提案してみた。

 田中宏和だけが構成員という団体である。

 人数がまとまることでできる独自の活動があるのではないか。

 田中宏和でバスを貸し切りたい。そして、田中宏和で旅館を貸し切りたい。つまり田中宏和だけの団体ツアー!

 組織的な目標としては、一人でも多く世界に田中宏和を増やしていくこと。

 田中姓のお宅に男の子が産まれたら、名前は「宏和」でお願いしますと、田中宏和普及、繁殖活動を続ける。

 世界が田中宏和だけになったらSF的ディストピアである。ありえない世界征服の共謀者を目の前にして話しているような気がする。

 同姓同名の人と会ってみたら、とても初対面とは思えない、この快活な盛り上がり。

 しかし、この妄想はフィクションで終わることなく、2009年に田中宏和バスツアーは実現し、2014年に一般社団法人田中宏和の会を設立することになる。

 それにしても、気になって仕方ないのは、目の前の人のことを互いにどう呼び合うかだ。

 「田中さん」では、わたしも「田中さん」だ。「田中宏和さん」だと、わたしも「田中宏和さん」だ。「社長さん」と呼ぶと、昭和の店の客の呼び込みだ。

 同姓同名で向かいあうがゆえ、自分の名前が固有名として機能しなくなる。自分だけを指し示すためだったはずの名前が、自分の一人の名前では無くなるからである。自分から名前をもぎ取られるような体験なのだ。「田中宏和」という同じ名前のもとで、自分と目の前の他人との境目は消えて、二人で一人の田中宏和を演じる二人羽織状態に陥っている。

 さて、自分の名前、わたしたちの名前に、別の名前をつけないことには、今後の会話やメールのやり取りが成り立たないことに気づく。田中宏和同士のための呼び名、つまりメタ名前が必要だ。つまり、田中宏和だけの世界におけるあだ名だ。

 「渋谷で会社経営で、渋谷にお住まいなんですか?」

 「はい」

 「で、渋谷で生まれ育った?」

 「まぁ、そうですね」

 「では、これから『渋谷の田中宏和さん』とお呼びするのはどうでしょう? 実は、わたしも今は渋谷区に住んではいるのですが」

 「あ、いいですよ。で、こちらは何とお呼びすればいいですか? 言い出しっぺだから『幹事の田中宏和さん』とかどうですか?」

 「『幹事』というほど偉そうなのも違和感あるので、『ほぼ日』きっかけでの出会いですから、『ほぼ幹事の田中宏和』くらいでどうでしょう? 幹事持ち回り制にしてもいいように」

西本カメラマンからの指示で入団会見的なポーズ。

田中宏和運動はここからはじまった。

 こうして、わたしはメタ名前『ほぼ幹事の田中宏和』として生まれ変わり、そのまま、今や20年が経とうとしている。

 この我ら『ほぼ幹事の田中宏和』と『渋谷の田中宏和』の出会いは、2018年10月に渋谷区のコミュニティラジオ、渋谷のラジオで『渋谷の田中宏和』という、二人がMCのレギュラー番組をはじめてしまうことを予言しているかのようだ。

 昨今ビジネスの世界においては0→1、ゼロイチとは、これまで世の中に無い製品やサービス、価値を作り出すことを意味する。そういう意味では、1994年にプロ野球のドラフト会議で近鉄バファローズの第一位指名選手が田中宏和投手で、その衝撃を1995年の元旦に田中宏和同姓同名年賀状として世に出したのが、ゼロイチと言える。その後、ずっと一人で黙々と同姓同名収集を続け、その成果を翌年の年賀状で発表してきた。

 通常ビジネスではそれに続く、1を10にする1→10(イチジュウ)という事業を改善し、ビジネスモデルを磨き、成長するフェーズに入ると言われている。さらに、10が100になる、つまりビジネスがスケール化して成功するというシナリオだ。0→1→10→100という、新規事業が生まれ、段階的に発展して成功を収めるまでのステップ論があるとするなら、田中宏和運動にとっては、この日に1→2(イチニ)になった。1人がいきなり5人や10人になるのではなく、一人が二人になった。今や30年の歴史を持つ事業として、われわれの活動を俯瞰して見た場合、この事実の重みがわかる。最初に出会った田中宏和さん。この良きパートナーとの出会い、コラボレーションの組み合わせが見つかったから、今のタナカヒロカズの会があるのだ。

 2004年の田中宏和同姓同名年賀状は、当然その報告となった。

 

次回に続く

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

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