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住職はシングルファザー!

小学2年生の娘と幼稚園年長の息子

 離婚してまず向き合うべきは、子供の心である。

 私の心ももちろん疲弊していたが、「苦しみは糧にすべきものだ」という理解があるだけで気分に余裕があり、メンタルを病みそうな気配はなかった。

 しかし、子供の心には、そんな余裕はない。

 子供は、寝食をきちんとしていればそれなりに体は大きくなっていくが、心はひとりでに育まれていかない。夫婦仲が荒れていれば、子供の心はその影響をもろに受けてしまう。離婚というのは、大人よりもはるかに子供にとって過酷なものだろう。

 離婚した時点では、私の子供2人の心はまだまだ幼かった。

 まずは小学2年生の長女。

 幼稚園から小学校にあがると、学校の宿題も翌日の授業の準備も、ひとりでできるようにならなければならない。朝は集団登校で出かけても、帰りはひとりで家まで帰ってこなければならない。つまり、親の助けを借りずとも、身の回りのことは「ひとりでできる」という感覚を身につけるのが、小学生になって必要とされることである。

 しかし、娘はどうだったか。夫婦げんかに疲弊した両親にかまってもらえないせいで、生活がグダグダになってしまっていた。お風呂にも入らず、リビングで行き倒れてそのまま朝を迎えることもよくあった。乱れに乱れた生活では朝もうまく起きられない。着替えぐらい年齢的にはもう自分だけでできて普通なのに、親が脱がせて着せてあげないといつまでもパジャマ姿。当然、宿題が終わっているはずもない。もたもたしているうちに、「ピンポーン」と集団登校班の呼び鈴が鳴る。その音は娘を怯えさせるだけで支度を急かす効果はなく、「すみません、今日も先に行ってください」と答える毎日。私が学校まで送り、それで間に合えばいいが、遅刻するのは当たり前。学校に行く気にならないままずっと家に居ることもしょっちゅうだった。

 もともと几帳面なタイプの子だったから、そのような日常にものすごくストレスを感じていたのではないか。子供がうまく生きられていないのを目の当たりにして、その原因が私にあると思うと、心がズキズキ傷んだ。思うにまかせない日常に、キレて泣きじゃくっていたこともよくあった。泣いている娘をなだめすかして、背中を押し、少しずつ忍耐力をつけて乗り越えさせてやるのが親の役割。それを繰り返して、幼稚園児から小学生へと成長していく。しかし、娘はそれができないままであった。

 学校の先生も見るに見かねて、ときどき迎えに来てくれた。学校をあげて娘を気にしてくれている…私にとってはもう申し訳なさ満載の瞬間である。先生が来ると「学校行きたくない」と言っていた娘も、たいていはあきらめて登校していった。学校に行きさえすれば下校まで楽しく過ごし、機嫌よく帰ってくる。家庭訪問の時などに学校での様子を先生に聞くと、「友達と仲良くしてますよ」「勉強も困っている様子はないです」と、不登校に至る原因は見当たらない、という様子だった。

 おそらく先生は「原因は自宅にあるはずだ」「夫婦仲が良くないのかもしれない」などと勘ぐっていただろうが、自宅の生活環境に介入するほどの「おせっかい」まではできない。離婚前、スクールカウンセラーへの相談を勧められて話を聞いてもらいに行ったこともあったし、児童相談所に足を運んだこともあった。もらえたのはせいぜい「夫婦仲良く温かい家庭を作ってください」「忙しくてもお子さんに向き合ってあげてください」という模範解答的なアドバイス。「頑張ります」とお礼を言いつつ、内心では「これができないから相談に来てるんだよなぁ」と虚無を感じて帰宅した。何度もお世話になる気にはとてもなれなかった。

 さて、もう一方の長男は、幼稚園年長。姉とは違ってお調子者。のほほんとした楽天的な性格のムードメーカーで、家庭内不和をものともせず元気に通園し、幼稚園でも友達と仲良く打ち解けていた。

 ただ、楽しく過ごせていればいいわけではない。幼稚園の頃は毎日の宿題はないけれど、集団生活である以上、ルールにのっとって生活することが求められる。いわば「元気にあいさつ」「ありがとうを言える」「嘘はつかない」などのような「しつけ」の基本を学ぶべき時期であろう。

 私は子供の頃に「嘘をついたら閻魔様に舌を抜かれて地獄に堕とされる」と脅され、底知れぬ恐怖を覚えた記憶がある。いまどき閻魔様への恐怖感でしつけを行うのは流行らないかもしれないが、私たちが無数の命の縁によって生かされている以上は、人智を超えたものへの畏怖の念を教えるのは、幼少期に大切なしつけだろう。そこから、親や先生を敬う心がけや、世の中のルールを守る習慣も、おのずと身についてくる。

 しかしながら、離婚前は幼稚園から帰っても親にかまってもらえず、制服のままiPadに没頭して、何時間もYouTube漬け。歯磨きや入浴の習慣もいい加減。幼年期のしつけが疎かだった悪影響が残らなければいいが…と淡い期待を抱いていたが、子育てがそんなに甘いものではないと後々に知ることになるのである。

YouTubeの魔力

 そんなわけで、離婚したての私の目の前にあったのは絶望的な状況だった。とにかく、育児初心者でも実践できる当たり前のことから、積み重ねていくしかないと思った。

 「千里の道も一歩から」「ローマは一日にして成らず」という格言に似た言葉で、仏教には「車に乗る人は涅槃に至る」というのがある。いまの自分が、「さとり(涅槃)」というゴールからいくら遥か離れていたとしても、その終着駅に向かう車に乗って生きていれば、やがてはたどりつく。もともとの経典の言葉は実はもう少し長く、「車に乗る人は、男性であれ女性であれ涅槃に至る」と、当時地位の低かった女性にも、さとりが平等に訪れることを説いている。要するに、自分の置かれている境遇や立場などを嘆いたところで無駄で、それよりは前へ向かっていくことのほうがよほど大切なのである。

 私たち家族においては、その最初の一歩は、メリハリのある規律正しい生活だと思った。特に、iPadに育児を任せるのではなく、子供ときちんと向き合うところから始めることにした。

 もちろん、タブレットやスマートフォンが、育児の役に立つと考える家庭もあるだろう。これは、各家庭で判断が分かれるところではないか。

 うちの場合は、タブレットやスマートフォンを、率先して子供に使わせていた。

 長女が誕生したのと同じ2010年に、初代iPadもこの世界に生を受けた。間もなくして我が家にiPadがやってきた。娘はiPadがいつもそばにある環境で育ってきたから、立って歩けるようになると、テレビの画面をiPadのようにタッチしたりスワイプしたりして、なにも反応がないことに驚いていた。私たち夫婦は、娘が驚いているその様子に驚いた。

 iPadを購入したときは、知育アプリで知識を身につけたりするのには便利だし、あわよくば子供が知育アプリを使っているあいだに家事を…という目算があった。ネイティブが歌う「ABCの歌」を繰り返し聞いた娘は、いつの間にか、親よりも綺麗に英語を発音するようになっていた。知育アプリにしかなしえない教育である。だが、子供が従順に知育アプリで学び続けるはずはない。振り返ったときに落胆とともに目にするのは、知育アプリなどそこそこに、いつの間にかYouTubeの沼地にはまり込んで、いつまでもそこから抜け出せない子供たちの姿だった。

  いや、抜け出せないのは子供だけではない。むしろ、YouTubeに依存しているのは、親のほうである。子供たちがYouTubeを見ているあいだは、親は育児から解放される。この解放感には抗しがたい力があり、ついつい子供にYouTubeを見せてしまう。

「30分だけ」とか「1時間だけ」とか、時間を決めて使っていた時期もあったが、そのルールもいつしか失われ、下手をすると家にいるあいだずっとYouTubeをつけっぱなし。私が法事などを終えて帰ってきても、子供たちはiPadに釘づけで挨拶をしようともしない。さすがにイラっとして、「YouTubeばっかりはよくないよ」と子供たちを注意したら、「じゃあ、あなたが子供と遊んでやってね」と背後から妻の冷ややかな声が響く。

 私も、疲れた体を押してでも幼い子供と遊んでやるべきだと頭では理解しながら、YouTubeに子供を任せてホッと一息つきたいという欲望に、しょっちゅう打ち破れた。白旗をあげてしまうと、そのあとは楽なものである。YouTubeの音が家庭ににぎやかに響き、一日がおだやかに過ぎていく。現代では、「子はかすがい」ではなく、「iPadはかすがい」なのである。

 しかし、こんなルーズな生活習慣を続けていたら、子供はどんな風に成長していくだろうか。いい未来は見えなかった。「またYouTubeばっかり見て!」と子供を責めて改善をうながしたが、大人でさえYouTubeを見始めたら関連動画をたどっていくらでも時間を溶かすのに、小学校低学年や幼稚園の子供が、時間を決めてYouTubeを見るなどどうしても無理な話である。

 いっそ取り上げようと決めた。

 何度も修行生活に入っている私は、人間というのは環境が変わっても順応して生活できることを知っている。要らないものを断捨離すれば、やがて心が穏やかになることを知っている。

 「いままで十分YouTube見たからしばらく見んでもええやろ」と告げた。

 子供たちは「友達はみんな見てるのに…」と悲しそうだったが、譲らなかった。ついでにテレビやゲームの時間も極力減らし、親子が会話する時間を増やした。そして、寝不足にならないように、決まった時間に寝て、決まった時間に起きるように心掛けた。生活のリズムを整えていくことが、娘の不登校を解消するためのいちばんの薬にちがいない。そう言い聞かせながら、一日一日を過ごしていった。

 

*次回は、8月18日金曜日に配信の予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池口龍法

僧侶。浄土宗・龍岸寺住職。2児の父。1980年兵庫県生まれ。京都大学卒業後、浄土宗総本山知恩院に奉職。2009年、フリーマガジン「フリースタイルな僧侶たち」を創刊。2014年より現職。念仏フェス「超十夜祭」や浄土系アイドル「てら*ぱるむす」運営などに携わる。著書に『お寺に行こう!  坊主が選んだ「寺」の処方箋』が、共著に『ともに生きる仏教 お寺の社会活動最前線』がある。『スター坊主めくり 僧侶31人による仏教法語集』の監修もつとめる。Twitter: @senrenja

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