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住職はシングルファザー!

新米シングルファザーの難関

 もう一つ、規律正しい生活の柱にすえたのが、食事だった。

 サラリーマン家庭に暮らす人には想像しがたいだろうが、お寺に暮らしていると、仕事と育児がひとりでに両立してしまう。家庭と仕事場が同じ空間にあるからである。

 遠くまで電車通勤しているサラリーマンなら、平日は子供が起きる前に出かけ、帰るのは子供が寝静まってからということも珍しくないだろう。しかし、お寺の住職は通勤時間ゼロ分である。朝食も夕食も同じ時間に食べられるし、学校が休みの日は昼食ももちろん一緒である。しかし、それゆえに、子供が幼いうちは仕事になかなか集中できないともいえるのだが。

 せっかく、いつも一緒にご飯を食べられるのだから、この時間を大事にしようと思った。

 お寺のなかでは、ご飯は単に空腹を満たすためのものではない。ひとつの立派な修行である。修行道場に入っているときには、アツアツのご飯が目の前にあっても、すぐに「いただきます!」と箸を手に取ってはならない。食作法といって、般若心経を唱えたり、食の恵みへの感謝の言葉を述べたり、ご飯を少しだけ取り分けて他の生き物におすそわけしたりという一連の作法がすべて終わってはじめて、「いただきます」である。しかし、厳寒の日などは、食作法のうちもご飯は容赦なく刻々と冷めていく。すべての作法が終わったときには、もう湯気も立ちのぼらなくなっている。

 家庭での食事ではそこまで丁寧に行わないが、心構えは変わらない。

 私の子供時代には食卓に家族がそろったら合掌し、「本当に生きんがためにいまこの食をいただきます。与えられたる天地の恵みに感謝いたします」と唱え、さらに「南無阿弥陀仏」を10回唱えてからようやく「いただきます」であった。

 幼き日の私にはこれが退屈で仕方なかった。学校の給食のように「いただきます」だけで、せいぜい十分だと苛々していた。いや、「いただきます」を言わなくても、食事の味は変わらないとさえ思った。

 しかし、シングルファザーになったいま、修行時代よりも食事の大切さが身に染みてわかった。

 家事のなかで、洗濯や掃除よりも、圧倒的にプライオリティーが高いのが、食事である。食事の時間が遅くなり、空腹に耐えられなくなってくると、子供たちの機嫌が悪くなる。それは要するに、私たちの身体が、他の動植物の命を欲しているという重たい事実があるからに他ならない。だが、新米のシングルファザーには、毎日定刻に食事を用意するなんて、極めてハードルの高い課題である。子供のご機嫌を取るために、ファストフードやコンビニ弁当を多用して時間に間に合わせることもひとつの選択肢だったかもしれない。でも、私はせっかくなら食事を通じて、手を合わせて「いただきます」と唱える意味を、教えたいと思った。

「外食は月に1回」という約束

 そのためには、私がとことん調理に向き合わざるをえない。

 学校から帰ってきた子供たちに「遊ぶより先に宿題をやりなさい」と言うならば、親だって、たとえしんどいときでも料理を作るべきである。離婚前は夫婦げんかで煮詰まった日などはピザを取ったり外食したりして調理から目を背けることもしょっちゅうだったが、そういう親の背中をもう見せたくはない。だから、心を鬼にして「外食はしない。出前も取らない」と子供たちに宣言した。

 「ちゃぶ台を囲む」という古き良き日本の風景のように(お寺もさすがにダイニングテーブルで食事をしているが)、家族3人で食卓を囲み、嫌いなものが出てきても、残さずきちんと食べる。そして、家族で会話をする。これをきっちりと1か月続けたら、「好きなレストランに連れて行ってあげる」と約束した。ご褒美の外食のお店は、私が一切不満を言わないのがルールである。ファストフードでもファミレスでも子供たちのお望みのお店に連れていった。本当は、「お父さんだって1か月我慢したから選ぶ権利がある」と思ったけれど、ぐっとこらえた。この約束事によって、ずいぶん規律のある生活になった。

 ただし、お寺らしい突発的な事情で、どうしても夕食が作れない日がある。檀家さんが亡くなったときである。18時からの通夜であれば、17時ぐらいから支度して出かけ、読経を終えて帰ってきたら19時を過ぎる。調理に費やす時間がゴソッと抜けるので、お通夜が入ったときばかりは、帰りがけにマクドナルドのドライブスルーでハッピーセットを買って戻ってきてもよいルールにした。

 事情がわからない子供たちは素直なもので、「今日はお通夜が入った」というと、「マックの日だ!」と目をキラキラさせて喜ぶようになった。「こら! 檀家さんが亡くなってるんだぞ」と不謹慎な発言をたしなめたが、まだ身内の死を体験したことのない子供に理解が及ばないのも仕方ない。お通夜で放ったらかしになる時間、寂しさと空腹をこらえて待っていてくれるのだから、2人にとってはささやかな楽しみだと思った。

 そのような例外を除けば、外食は月1回だけに決め、他の日は原則として、私が料理を作る。野菜を刻む時間を省略するために、生協が届けてくれる食材セットを使うこともしょっちゅうだが、レトルトや冷凍食品は使わず、必ず自分できちんと火を通して調味するルールにした。そして、食事前のキッチンで調理をしている時間を積極的に活用して、宿題を見たり、子供と他愛ない話をしたりするように努めた。

心を開く、ご飯づくり

 世間一般のイメージとしてはお坊さんの食事イコール精進料理がまず浮かぶかもしれないが、マクドナルドがときに夕食に登場すると書いたことからもわかるように、我が家では肉食を禁じているわけではない。海の幸であれ、山の幸であれ、おいしいものをおいしくいただくスタイルをとっている。

 修行時代には、私も肉を口にしない精進生活を送っていた。その経験から言うと、食生活が身心に及ぼす影響は思いのほか大きかった。肉を食べなければ、胃腸への負担が少なく、便通もよくなる。心は穏やかに落ち着き、さとりの境地に近づく気がする。しかし、勝負に勝つために「カツ丼」を食べることがよく示すように、野菜よりも肉を食べたほうが闘争心が高まる。私自身、お坊さんとして布教活動に精を出そうとすればするほど、体がどうも肉を欲する感覚がある。

 もともと、仏教において肉食を禁止するようになった理由は、動物の命を大切にすることを通じて、生きとし生けるものへの慈愛の念を育むためである。なるほどと思う一方で、植物に命を認めなかった時代のインドだから通用した食習慣であることは否定できない。

 日本人にしてみれば植物もやはり命をもって生きている。肉食をひかえて精進生活にしたところで、生きものの命をいただくことで私たちの体が養われていることに変わりはない。そうであれば、フードロスをできるだけ減らし、またご飯を食べた分だけしっかり生きようとつとめることこそ、仏教らしい考え方だと私は理解している。お釈迦さまや初期の仏教徒は、村を訪ねて托鉢でもらった食事は肉であれ野菜であれ、なんでもおいしくいただいたと言われるが、このスタイルのほうが私の食生活の指標には近しい。

 ただ、「お寺らしい食生活」の何たるかなど、子供たちにはどうでもいい。

 それよりもはるかに問題なのは、「お父さんの料理の腕」である。

 私は、結婚してからの9年間、ずっと妻に料理を任せていた。いちどだけ、体調不良の妻に代わって、娘が幼稚園に持っていくお弁当を担当したことがある。娘には心配をかけるまいと「お父さんだってお弁当ぐらい詰められる」と強がってみせたが、最寄りのコンビニで買ってきたお弁当を、お弁当箱にそのまま詰め込んだだけだった。さすがに娘もあまりの手抜き感に気づき、父親の料理の出来なさ加減に絶句したらしい。

 結婚する前の一人暮らし時代には多少なり料理をしていたが、当時の料理などいい加減なものである。自分の時間が欲しかったから、冬場などおでんを土鍋で作って1週間ぐらい食べ続ける生活。炒め物などは、栄養バランスよりもガンガンにスパイスを入れて好みの味付けにしていた。子供が好きなお子様ランチ的なメニューとはまるで対極である。

 だから、娘だけではなく、周囲もふくめてもっとも心配していたのが、「アイツ料理大丈夫か?」ということだった。

 もちろん、自分の腕のなさは、自分がいちばん知っている。

 食べてもらう相手が大人だったら、少々失敗しても我慢して食べてくれるが、子供は正直である。塩加減に失敗したら「お父さん、辛い!食べられない!」と容赦なく言われ、一瞬でゲームオーバーになる。

 でも、私には勝算があった。

 別れた妻は、一日中でもキッチンに立っていられるぐらい料理が好きだった。求道者のように美味しいご飯を絶えず追求していた。幼稚園の運動会のときにはその熱が高じて、パエリア鍋でパエリアを作りタクシーでその鍋ごと持ち込み、ランチ会場が異様な空気に包まれたこともあった。お堂の屋根を葺き換えるための分厚い瓦を見たときも、「お肉が美味しく焼けそうね」と喜んでいたほどだ。

 私には、料理に対するそれほどの熱量もなければ腕もない。費やせる時間も限られている。

 絶体絶命にも見える状況だが、「自分の好み」を捨てて「子供の好み」に合わせようとすれば、なんとかなるように思われた。まさしく、「自我」を捨てて、「無我」の世界を生きる仏教らしい子育てである。

 私は、お子様ランチを真似たご飯を作ることにした。子供の目が輝いた。狙い通りである。夕食は来る日も来る日も、唐揚げ、ハンバーグ、グラタン、オムライス、カレー。私の好みからすればカレーは辛口にしたいし、特売の鶏肉の唐揚げばっかりではなくてたまには地鶏の塩焼きも食べたかったが、子供たちに食事への安心感を持ってもらうのが先決である。カレーは容赦なく甘口にしたし、鶏肉も繰り返し唐揚げにした。

 しばらくすると、朝、学校に行く前に、「お父さん、今日の晩御飯なに?」と聞いてくるようになった。私の料理の腕への信頼を勝ち取った瞬間であった。

 

*次回は、9月1日金曜日に配信の予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池口龍法

僧侶。浄土宗・龍岸寺住職。2児の父。1980年兵庫県生まれ。京都大学卒業後、浄土宗総本山知恩院に奉職。2009年、フリーマガジン「フリースタイルな僧侶たち」を創刊。2014年より現職。念仏フェス「超十夜祭」や浄土系アイドル「てら*ぱるむす」運営などに携わる。著書に『お寺に行こう!  坊主が選んだ「寺」の処方箋』が、共著に『ともに生きる仏教 お寺の社会活動最前線』がある。『スター坊主めくり 僧侶31人による仏教法語集』の監修もつとめる。Twitter: @senrenja

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