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#タナカヒロカズを探して

2023年8月16日 #タナカヒロカズを探して

9.世界は広く、所変われば名も変わる。1826人のジム・スミス協会って?

著者: 田中宏和

 前回は日本社会における名づけの流行を追った。今回は世界に眼を向け、各国の名づけ事情から考えてみたい。同姓同名ワールドでは、イギリス発祥の「スミス」が気になる。

イーロン・マスクもキラキラネームをつけていた

 平成ニッポンで一世を風靡したキラキラネームは、親が子にオンリーワンの個性を願うがあまりの難読漢字名であった。

 「名前で我が子にスポットライトを」と意気込む夫婦は海の向こうのアメリカにもいたのである。漢字を使わず子供の名前をキラキラさせた強者、その名は、イーロン・マスク。2022年には米誌フォーブスの世界長者番付のトップにも君臨したテック系起業家、21世紀の時代の寵児である。2020年に妻のアーチストであるグライムスさんとの間に生まれた第一子の男の子の名に、「X AE A-XII Musk」と名づけた。実は当初は「X Æ A-12」と命名されていたが、カリフォルニア州の法律で記号や数字を名前に使用することが認められておらず、変更を加え、出生届を出し直したという。

 「エックス・アッシュ・エー・トゥェルヴ」と読む。グライムスさんがTwitterで明かした新生児の名前に込めた意味は、「Xは、未知の変数」「ÆはAi(日本語の「愛」とAI)」「A-12は、グライムスさんとマスクさんが大好きな航空機SR-71の先駆けとなった航空機」のこと。武器も防御機能もなくて超高速のスペックなのだそう。さらに、「Aにはグライムスさんの大好きな曲「Archangel」という意味も含まれているという。

 と思い入れたっぷりにも関わらず、建設中であったベルリンのテスラ工場を視察したマスクは、記者から「エックス・アッシュ・エー・トゥェルヴは元気ですか?」と尋ねられ、「あぁ!私の子供のことですか(笑)、パスワードのように聞こえる(笑)」と答えたそうだ。アメリカの現地メディアによると、出生証明書では「X」がファーストネームに、「AEA X-II」がミドルネームになっているそう。名字はMusk(マスク)。普段はX(エックス)と呼ばれることが多いとも伝えられている。意外と読みは普通だ。

 ちなみに第二子の女の子につけられた名前は、「Exa Dark Sideræl」(エクサ・ダーク・サイディリール)。妻グライムスさんの言として「つまらない名前なんじゃないかと心配している」と伝えられている。さらに「今は“Y”という名前で呼んでいます。それか“Why”。もしくはただの“?”。行政に認められないけどね。意味は、好奇心。永遠の問い。そんなところ」とわけがわからないが、兄妹で「XY」とまるでコンビ名のようでもある。

タナカヒロカズの会の先輩、アメリカの「ジム・スミス協会」

 アメリカ人の名づけについて触れている『ヤバい経済学』(スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー)で、著者は「子供の命名産業は大繁盛だ。本にウェブサイト、子供の名前コンサルタント。なんだか正しい名前をつけてやらないと子供は絶対幸せになれないなんて、そんなことを信じている親御さんがたくさんいるみたいだ。名前には子供のみてくれや将来まで決めてしまう大変な力があると思っているのである」と命名に関する価値観を述べている。

 そして、カリフォルニア州のデータをもとに、黒人と白人では子供の名前のつけ方が全く違うことを明らかにする。同様に赤ん坊の名前と親の教育水準、親の社会・経済的地位に相関があることを示している。

 例えば、1990年代のデータによると、ブリタニー(Britany)は低所得者の白人家庭に多い女の子の名前ランキングでは5位だが、中所得者のそれでは18位なので、ブリタニーは「圧倒的に安物の名前」と著者は指摘している。つまり、アメリカ人の「正しい命名」とは、人種や社会的地位を示すシグナルとなり、親は子どもの将来の成功への期待を名前に込めるのだと結論づけている。

 英語圏内の同姓同名、よく引き合いに出される一般的な人名としてジョン・スミス(John Smith)がある。わたしとしては、かねてより注目しているのがアメリカに拠点を置く、ジム・スミスによるジム・スミス協会(The Jim Smith Society)だ。ジョン(John)は正式名称で、ジャック(Jack)やジャッキー(Jacky/Jackie)、ジョニー(Johnny など)の愛称があるのに対して、ジム(Jim)は愛称でジェイムズ(James)が正式名称になる。他にジミー(Jimmy)やジェイミー(Jamieなど)がジェイムズの愛称となる。

 さて、あらためてホームページを見てみると、モットーは"We Don't Shun Fun!"(楽しまずにいられない!)。まず、この理念には強く共感できるではないか。

ジム・スミス協会HPより(http://www.jimsmithsociety.org/)

 1969年にアメリカのペンシルベニア州キャンプヒルで、ジェイムズ・スミス、そのジュニアと妻の3人で設立されていた。今ではアメリカ、カナダ、ウェールズ、アイルランド、イングランド、ニュージーランド、南アメリカに1,826人のメンバーがいるというではないか。なんと現在のタナカヒロカズの会の7倍以上。入会の条件を調べてみよう。名前がジム・スミスであること。

 ジムやジェイムズなど「ジム」と呼べるバリエーションなら入会資格があるのみならず、ジム・スミスさんの親族や友人も会員になれるそうだ。

 大義は無く、資金集め目的でも無く、政治・宗教との関わりも無く、ただ単にお互いに楽しみたいだけなのだと謳っている。いいぞ、その純な同姓同名つながり感! 毎年7月にアメリカのどこかでFUN FEST(楽しいお祭り)を開催と、年に一回の楽しい定期総会はタナカヒロカズの会も見習いたいものだ。2022年はウエストヴァージニア州のフェイエットビルで行われたようである。

 とはいえ、そのレポート記事を読むと、9人のジム・スミスさんたちと奥様方が参加したのみ。しかも全員が70歳は超えているだろう悠々自適なシニア白人たちである。どうやら年ごとに変わるアメリカの開催地をせいぜい20人くらいで観光する団体ツアーのようなのである。

 あらためて入会についてチェックすると、会費が設定されていた。一生涯の会費は10ドル、10歳以下のジュニア会員は3ドル、女性の入会には補助という名目でなんと1ドルのみ。今やハーバード大学の学長が黒人女性の時代に、圧倒的に古びた価値観を感じてしまうのである。いずれも入会後の1年間は年4回のニュースレターが届くが、以降も購読する場合は15ドルの支払いが必要になるのだそうだ。

 同姓同名の集まりの親族、友人まで拡大して会費制にするという点において、どうも違和感がある。千年後のタナカヒロカズの会の存続を願う立場としては、ジム・スミス協会の今後の発展性に興味がある。さらに、セルビアと立ち上げた国際同姓同名連盟の共同設立者としても、ジム・スミス協会のプレジデントに近いうちにコンタクトしてみたい。

鍛冶屋「スミス」より多い、世界の名字

 この「スミス」という名前。イギリス発祥の「鍛冶屋」を意味し、10世紀に後半に登場する最も古い職業名であり、最も多い名字である。職業に由来する英語姓としては他に「ミラー(Miller)」の粉屋、「テイラー(Taylor)」の仕立て屋、「ベイカー(Baker)」のパン屋、「ライト(Wright)」「カーペンター(Carpenter)」の大工、「ターナー(Turner)」の旋盤工と挙げだすときりがない。ちなみに「ウォーカー(Walker)」は? 歩く人ではなかった。織物の目を詰めるために布を踏み洗いする織工が由来。そう知ると、ジョニー・ウォーカーのウィスキーの味も変わる。

 現在「スミス」は、イギリスよりもアメリカで人口が多くなっている。その理由としては、同じ「鍛冶屋」の意味を持つ各国からのアメリカへの移民のほとんどが「スミス」に改名したからだとか。例えば、ドイツの「シュミット(Schmidt)」、ポーランドの「コバルスキ(Kowalski)」、イタリアの「フェラーロ(Ferraro)」、フランスの「ルフェーブル(Lefevre)」や派生した「ファーブル(Fabre)」などが、「鍛冶屋」名としてアメリカにやって来て「スミス」になったということだ。そのため「スミス」が、世界で多い姓名ランキングで8位、約400万人以上になったというのだ。世界で多い姓名、名字のランキングについてはネットで検索しても正式な統計は見つけられないが、どうやら1位は1億人以上いる「李」、続いて2位は「張」、3位「王」と中国由来の姓がトップ3、4位は意外やベトナムの「グエン(Nguyễn)」でベトナム人の約4割が「グエン」さんだそうだ。同姓同名の最大の集いの潜在的ライバルがここにいた。この人数ボリュームの多さの理由は、二つあると言う。一つは、陳王朝期(13世紀初頭から15世紀初頭)に前王朝名である李姓を名乗ることが禁止され、阮(グエン)姓への改姓が強制されたこと。もう一つは、阮(グエン)朝期(19世紀初頭から20世紀中葉)に、先の黎(レ)朝時代に重臣であった鄭氏の姓を名乗っていた人々がベトナム史最後の王朝である阮王朝の報復を恐れ、阮姓に改姓したことだそうだ。内乱や侵略による政権交代ごとに改姓が起こったベトナム史の遺物として、グエンさんが国民の4割を占めるのである。そのためベトナム人の姓は血縁関係を表すものではなく、社会的にはそれほど重要な意味を持っておらず、女性は結婚しても夫の姓を名乗らないそうだ。

 5位はスペインのバスク地方が起源といわれる「ガルシア」、6位は同じくスペイン発祥の「ゴンザレス」と、ここまでで一千万人以上の姓名となる。7位のスペイン、ポルトガルから世界に広がった「エルナンデス(ヘルナンデス)」までは「スミス」を上回る人口の姓ということになる。

世界の姓名の成り立ちには共通パターンがあった

 世界で最初に「姓」(家名、名字)が生まれたのは中国と言われている。

 紀元前5世紀頃、すでに平民が世襲制の「姓」を広く使用していた事例が確認されている。「女が生む」と表記する「姓」の文字に見られる通り、子供を生む女性つまり母親の家にあたえられた標識で、古代母系社会の名残りなのだそうだ。「古くから家単位による血族関係を重んじた漢族は、とりわけ姓を尊重する気風が強く、洗礼名を最優先する西洋のキリスト教国とは正反対の価値観をうち出してきた」と『人名の世界史』の筆者である辻原康夫は述べている。

 また辻原は、世界の姓の成り立ちは4つに類型化できるとし、①地理的名称、②職業名、③あだ名、④父称を挙げている。

 ①の地理的名称は地形的特徴や地名に由来する。我が「田中」(名字ランキング4位)がそうであるように、「高橋」(同3位)、「山本」(同7位)、「中村」(同8位)、「小林」(同9位)、「山田」(同12位)と日本では85パーセント前後を占めるという。

 英語圏では、ヒル(Hill)やウッド(Wood)、つまり「丘」や「森」という姓になる。ブルック(Brook)は、「小川」を意味し、ドイツ語になると「バッハ」(Bach)で、IOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長も“音楽の父”ヨハン・セバスチャン・バッハも小川さんだ。ヒルにトン(-ton)のtown「柵で囲った地」を意味する接尾辞がついてヒルトン(Hilton)で「丘の町」などのように、2語の組み合わせで新しい姓となっているケースも多い。万有引力の法則を発見したニュートン(Newton)は、「新町」の意味だが、イギリスにはこの地名が100以上あるのだそうな。

 ②の職業名は、先に「鍛冶屋」のスミスで触れた通りだが、③のあだ名由来は日本ではなかなかお目にかからない姓名だ。英語圏で挙げると例えば、ケネディ(Kennedy)は、ゲール語で「でこぼこ頭」を意味するキネイディ(Cinneidigh)が英語化したという。同様に他にもキャンベル(Campbell)は「ゆがんだ唇」、キャメロン(Cameron)は「曲がった鼻」を意味するとのこと。代表的な例は、肌や髪の毛の色に由来する、茶髪のブラウン(Brown)、金髪のブライト(Bright)、赤毛や赤ら顔のリード(Read)やラッセル(Russell)、色白のホワイト(White)やホイットマン(Whitman)などがそれにあたる。ちなみにロングフェロー(Longfellow)は「のっぽ」の意。

 タナカヒロカズの会でも「のっぽのタナカヒロカズさん」がいらっしゃる。初めて会った時にその場で決めるあだ名で、181センチのわたしも見上げる57番のタナカヒロカズさんに対し、そう名づけたからだ。他にも49番の「小顔のタナカヒロカズさん」、55番の「黄色のタナカヒロカズさん」、69番の「耳飾りのタナカヒロカズさん」は、同系統の名づけだ。瞬間的に人を識別するとなると、つい外見的な特徴に頼ってしまうものなのだろう。

父方のファミリー・ネーム=姓という常識は、世界には無い

 ④の父祖に由来する姓名のネーミングについては、日本など東アジア以外の世界では広範に見られるものである。

 「誰それの息子」を意味する父称接辞を個人名の前後につけて姓とするスタイルはインドヨーロッパ語系で顕著だ。イングランド系だと接尾辞ソン(-son)をつけてジョン(John)の息子で「ジョンソン(Johnson)」、同様に「ウィルソン(Wilson)」。スカンジナビア系だと-senをつけて「アンデルセン(Andersen)」、フィンランド系だと-nenをつけて「ニッカネン(Nikkanen)」、アイルランド系だとO’-の接頭辞をつけて「オハラ(O’hHara)」、スコットランド・アイルランド系だとMac-の接頭辞をつけて「マクドナルド(MacDonald)」、スペイン系だと-ezをつけて「マルティネス(Martinez)」、フランス系だとDe-をつけて「ドゥルーズ(Deleuze)」、ドイツ系だと-sohnをつけて「メンデルスゾーン(Mendelssohn)」と限りない。タナカヒロカズのギネス世界記録を破った、セルビアのミリツァ・ヨヴァノビッチ(Milica Jovanović)は、南スラブ系の-vićをつけた「ヨヴァンさんの息子」を意味する姓だ。

 アラブ・イスラム圏では世襲制の家名=姓が厳密には存在しないそうだ。「ニスパ」という氏族名または出身地名や宗派などが姓の代わりとなる。それに「イスム」という個人名を父系の先祖の名前と組み合わせて本名とする。順列組み合わせとしては、本人の個人名(イスム)+父親の個人名+祖父の個人名+曽祖父の個人名と順々と連なり、ニスパで打ち止めにするのが名前のフォーマット。個人名のイスムは、「誰それの息子」を意味するイブン(ibn)やビン(bin)の父称の接辞で区切られるらしい。例えば9・11のテロの首謀者とされる「ウサーマ・ビン=ラーディン」の本名は、ウサーマ・ビン=ムハンマド・ビン=アワド・ビン=ラーディン(ラーディン一族のアワドの息子のムハンマドの息子のウサーマ)である。地元では「ライオン」を意味する個人名(イスム)だけの「ウサーマ」と呼ばれていたそうだ。日本人の一般的な感覚では、「ウサーマ」が個人名、「ビン=ラーディン」はファミリー・ネームと思ってしまうが、同姓同名という概念自体がイスラム圏にはないことがわかる。もちろん過激派テロリストが同姓同名最大の集まりのギネス世界記録に挑戦したとは思えないが。

 そもそも姓を持たないのは、アラブ・イスラム圏だけでない。ミャンマー人、モンゴル人、チベット人、アイスランド人、ベトナムを除く東南アジアに、アフリカでもそもそも姓を持たない民族が存在する。共通するのは、個人を尊重する文化であったり、母系の大家族制のため男系の家や氏族という単位が希薄だったりということらしい。

 かと思えば、父の姓と母の姓の両方を名字にするのはスペイン語圏だ。スペイン語の人名では、父方の姓と母方の姓の間にイ(英語のandにあたるy)をはさむのが正式な言い方だが、母姓は日常的には省かれるらしい。しかし、画家のピカソ。出生証明書によると、「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・シプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ」。たぶん本人も本名を知らなかったのではないか。そして、20代から父姓のルイスを削って母姓のピカソとだけサインするようになったため、「パブロ・ピカソ」として知られるようになったという。

パブロ・ピカソ(1962年撮影、1881年スペインのマラガに生まれ、1973年フランスのムージャンで没す)(Wikimediaより)

 ピカソの本名にもあるように、キリスト教文化圏では個人名は聖人名から取られることが多いので、冒頭のマスク夫妻の子供のようなキラキラネームは生まれにくい。とりわけフランスでは、1804年に制定されたナポレオン法典で定められた五百ほどの名しかつけてはいけないことになっている。

 言語学者の田中克彦は著書『名前と人間』の中で、「ソ連のニコーノフという名前学者によると、十八、九世紀のロシアの農村では「アンナの娘は二人ともアンナ」、「ガヴリーラの息子アレクセイには娘が三人いる。九歳のエウフィミア、七歳のウエフィミヤ、一歳のエウフィミヤ」というような、同名への好みがあった」と子供に全く同じ名や共通する部分で名づける嗜好を紹介している。著者は、人は名づけにあたって、他人と区別するための弁別性あるいは個別性に加え、共同体への所属性を示すための強い圧力を受けることを指摘している。つまり、自分たちの共同体のメンバーだとわかってもらえるような名づけを子にしているということだ。そこで、1969年にニュースで「ジョン・レノン」の結婚相手が「オノ・ヨーコ」と知り、それがたぶん日本人の名であろうとすぐに推察できたという自身の思い出を紹介している。

 そもそも名前が帯びる共同体性があるからこそ、わたしたちタナカヒロカズの会があると言えるだろう。

争いとともに奪われた名前、つくられた名前、そして名前とは?

 しかしながら、この名前に備わる意味の共同体性は、時に暴力的に人の名前を変えさせることにもつながるのだ。日本の植民地統治下にあった朝鮮半島では、1939年(昭和14年)に「創氏改名」が行われ、それまでの朝鮮姓から日本式の氏姓への改名を強制されたという歴史は、人の名前を考える上で見逃してはならない事実だろう。しかも、創氏改名に至る調査報告書で「同姓同名の者甚しく多きは、他人との識別、称呼たる姓名の本質を失へるものと謂ふべく。郵便の配達、納税告知、裁判、警察其他官公署の呼出等の公事は無論、私交上に於ても種々の不便を来し」と、同姓同名による混乱を日本式への改名の理由に挙げているのは、さすがに同姓同名運動家として心が痛む。何しろ30万の姓があると言われる日本に比べ、韓国は225の姓のみと言われている。同姓同名が多いのは普通のことだったはずだ。

 このような「創氏改名」は、フランスのアルジェリアに対する同化政策として、また、姓を持たなかったメキシコの先住民族アユク族に対する政府の国民統合政策としても行われた。

 名前という異文化の排除は、文化の混淆時に起こりうる。つまり戦乱期だ。先に紹介した田中克彦『名前と人間』では、第二次世界大戦でユダヤ人たちが大量にアメリカに移住した時代、入国審査官の多くは、聞き慣れないドイツ式やスラブ風の長い名前に困惑し、自分にはこう聞こえた、自分ならこう綴ると、わかりやすくし、意図せずその場で名前をつくったというエピソードが紹介されている。著者によると、それは、彼らの悪意ではなく、「外からやってきた人たちが、その社会にできるだけ、摩擦を少なくして迎え入れられるための手近な手法」として解説している。例えば、「コーエン」「コーヴァチ」「コヴァルスキー」「コロキナス」などの名は、「コール(Cole)」や「ケイ(Kay)」にするといった具合だ。時には、ユダヤ人が名を尋ねられて、「私たちはわかりません」と答えたヘブライ語の「アヌ・ロ・ナイダ」を名前だと思い込んで「ニューダ(Neuda)」と記録してそのまま氏となった例もあると言う。

 このようなアメリカでの入国審査官による名前の改変が、好意によるもので、「名前を変えられる本人にとっても、それほど強い嫌悪感を抱くことはないどころか、好都合にさえ感じられることもあっただろう」という著者の解釈に同意できるのは、1934年にナチス・ドイツの迫害を逃れるためにベルリンから急ぎアメリカに渡った映画監督ビリー・ワイルダーの体験談を思い出したからだ。

 ハリウッドで脚本が売れはじめ、旅行者ビザでアメリカに入国したワイルダーは、移民ビザを取得するためにメキシコに渡り、アメリカ領事館を訪れた。しかし、自分が犯罪者やアナーキストではないと証明するために必要な書類一式はもちろん手元になく、パスポートと出生証明証、自分の無害を保証する何人かのアメリカの友人の手紙があるのみ。新たなビザを得る望みは無かった。「申し訳ありませんが、必要な書類を取りにベルリンにもどるわけにはいかないんです。ユダヤ人には発行してくれません。しかも収容所送りにされてしまいます」と訴えた。長い沈黙の後、領事は「仕事は何をしているのか?」と質問した。「映画の脚本を書いています」それを聞くと領事はワイルダーの背後に回り込むと、またしてもしばらくの沈黙。そして、デスクに戻るや、にっこりと微笑み、書類にバンバンと判子を押し、パスポートを返して一言。「いいシナリオを書いてくれるよな」

 結局、母親ら親戚は強制収容所で亡くなったが、この領事の温情に応え、ワイルダーは映画史に燦然と輝く数々の名作を遺すことができたのだ。

 このような好意的に移民を受け入れる同化のプロセスに、名前の改変があった。田中克彦は「名前の改変はそこの社会と文化への忠誠心を示すもの」としている。

 あらためて、ヒトにとって名づけとは?

 そもそも名前とは自分のものなのか?

 なぜ人の名前は社会的な共同体性を帯びるのか?

 

(参考文献)

アジア経済研究所(企画)、松本脩作、大岩川嫩(編)『第三世界の姓名 人の名前と文化』(明石書店、1994年)

キャメロン・クロウ、宮本高晴 (翻訳)『ワイルダーならどうする? ビリー・ワイルダーとキャメロン・クロウの対話』(キネマ旬報社、2001年)

スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー、望月衛 (翻訳)『ヤバい経済学』(東洋経済新報社、2007年)

田中克彦『名前と人間』(岩波書店、1996年)

辻原康夫『人名の世界史』(平凡社、2005年)

21世紀研究会編『カラー新版 人名の世界地図』(文藝春秋、2021年)

The Jim Smith Society
http://www.jimsmithsociety.org/?page_id=91

https://front-row.jp/_ct/17393140

https://news.yahoo.co.jp/articles/4b046d89ccad91ada788ded6e14b1afb7d34667d

https://www.huffingtonpost.jp/entry/elon-musk-s-baby-name-x-ae-a-12_jp_5eb34ef9c5b652c564723d0e

http://www.theworldgeography.com/2012/02/10-of-most-common-surnames-in-world.html

https://www.youtube.com/watch?v=kebqj_grGC0

名字由来net(https://myoji-yurai.net

次回に続く

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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