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住職はシングルファザー!

希薄になった檀家さんとのつながり

 前回書いたように、このようなお寺のライフスタイルは、本当に生きにくいものなのか。

 意外に思われるだろうが、これほど休日やプライベートが欠如していても、私の肌感覚としては「ブラック」どころか完璧に「ホワイト」であった。

 なぜかというと、子供時代に見ていた父親の僧侶としての生き様のほうが、比べものにならないほどブラックだったからである。

 携帯電話が普及する前、父は必ず固定電話の受話器のそばで寝ていた。いつ訪れるともわからない檀家さんの訃報を、確実に受け取るためである。実際、檀家さんは、深夜1時や2時でも、朝方の5時でも電話をかけてきた。いまなら留守電機能もあれば、着信履歴も残るが、黒電話には通話する以外の機能がない。眠りが深くて受話器を取れなければ、もう一度受話器が鳴るまで、誰がどんな用件でかけてきたのかを知るすべがない。

 私の父は、住職としての責任感と、私たち家族を起こさないようにという気遣いからだろう、ワンコールかツーコールぐらいですぐに飛び起きて受話器を取っていた。そして、ひととおり話を聞いたら、どんなに疲れているはずの夜でも、ガサゴソと法衣に着替えて読経しにでかけていった。なにを手伝うこともできない私は、布団に息をひそめてピリッとした空気を受け止めているだけだった。

 それがスマートフォンの普及によって、どう変わったか。

 時間をかまわず深夜でも届く通知は、檀家さんの訃報よりはるかにどうでもいい、友達からのLINEなどである。檀家さんの身内がなくなっても、すぐに住職に知らせようとするケースは少なく、だいたい朝7時ぐらいまで待ってから電話をかけてこられる(逆に言うと朝7時きっかりに鳴る電話はほぼ確実に訃報である)。夜はぐっすり寝られるのはありがたいが、一方で虚しさを禁じ得ない。スマートフォンという文明の利器によって私たちはいつでもどこでもつながれる―そう思いがちだが、24時間365日ずっと檀家さんと深くつながっている感覚は、黒電話時代よりずいぶん希薄になった。

 週末ごとの法事も、以前は家族に大きな負担がかかっていた。本堂での読経と墓回向はせいぜい1時間で終わるが、そのあとの座敷での会食が長かったからである。久しぶりに親族一同が集まりお酒が入ると、ここぞとばかりに陽気なおじさんたちがどんちゃん騒ぎを始める。私の父は宴席が苦手だったが、お寺の住職という立場上、巻き込まれざるをえない。

 「お父さん、どうしてるかな…」と気がかりでも、私たち家族が宴席に近づいたら「坊ちゃんええところに来た」と拉致されるのがわかりきっている。賑やかに響く声が庫裏(くり)のほうまで漏れてくるのを聞きながら、「いつ終わるんだろう…」と待ち続けるほかない。「すみません、そろそろ…」と切り出せる空気になるのは、日が暮れそうになってからだった。

 いまや檀家さんの法事への熱量は明らかに下がった。参列者も少なく、近親者のみでいとなまれることが増えたし、その後お寺で会食があったとしても、1時間程度でお開きになる。飲酒運転も厳罰化されたから、「ワシの酒が飲めんのか」と強要されても「今日車で来てますので…」とあっさり断れるようになった。終始上品なトークが続くのみで、おじさんたちが歌ったり踊ったりする懐かしい光景はもう拝みたくても拝めない。つくづく味気ない時代になったなぁと思う。

 それでももちろん、サラリーマン家庭と比較すれば、絶句するぐらいプライベートが存在しない。妻にとっては、週末でも檀家さんが生活のなかに入ってくることや、オフもオンもなく仕事の電話をずっと受け続けるライフスタイルが異常に映ったにちがいない。私の考え方を尊重し、本人なりに極力合わせようとしたのだろうが、どうしても無理だったのだろう。

 ただ、私としては、住職になってみて、拍子抜けするほど気楽に暮らしてきた。こんなに檀家さんと距離が離れてしまってお寺の存在意義はあるのだろうかと、不安に思うほどである。

障害物競走の日々

 お寺の姿が、妻が言っていたようにブラックなのか、私の感じるようにホワイトなのか。夫婦のあいだにできた太い溝は最後まで埋まらなかった。

 ふと思い当たったのが、「この世のすべては人間の心によって作られている(一切唯心造)」という、子供の頃から何千回と唱えてきた経典の言葉である。

 まったくその通りではないか。

 同じ生活でも、妻のようにネガティブな心で「ブラック」と思うなら、ネガティブな空気に毒されていく。逆に、私のようにポジティブに「ホワイト」ととらえられたら、まるで気分は楽になる。どちらの受け止め方も、間違いではない。しかし、どんな困難な局面においてさえ、前を向いて生きる心を持つことができればよい未来が開かれる、というのが経典の言葉が示唆するところだろう。

 だから私は、「シングルファザー住職」という目の前にある現実を、「なぜ自分だけこんな目に」「お寺の住職やりながら育児もやるなんて無理ゲー」などとネガティブに決めつけるのはやめようと思った。類例がなくてつらい境遇であるが、見方を変えれば、私にしか味わえない唯一無二の体験になる。攻略本のない冒険をもしクリアできれば、自分自身が大きく成長できるし、まわりにも良いインパクトを与えるにちがいない。いま書いてきたようなお寺という舞台を最大限に活用して、子育てをやりきっていこうと心に決めた。

 しかし、そんな風に頭の中では美しい物語を描いて悦に入っていたのは、あくまで机上の話である。いざシングルファザー住職として暮らし始めると、そこに待っていたのは地獄のような日々だった。余裕綽々にホワイトだと眺めていたお寺の生活はもう存在しなかった。

 朝7時ごろ、起床して、山門を開ける。「ギーッ」という扉板がきしむ音が鳴る。いかにも爽やかなお寺の朝の風景であるが、私の脳内には、山門が開く音とともに、「パンパカパーン!」と障害物競走の開始を告げるファンファーレが高らかに鳴り響く。

 普通なら庭の落ち葉を掃き集め―と、気持ちの良いお寺の朝を過ごしたいところだが、そんな悠長なことは許されない。とにかく学校と幼稚園に子供を送り出さないといけない。山門から玄関へと急いで引き返し、リビングに散らかったおもちゃを飛び越え、子供たちの寝室へと長い廊下を猛スピードでダッシュ。「起きなさい!」と布団をはがして、再び長い廊下をダッシュしてキッチンへ。朝食の準備をしていても起きてくる気配がなければ、再び寝室へダッシュ。これを繰り返すごとにだんだんイライラが溜まってくる。キッチンから寝室まで数歩で移動できたマンション生活が心底恋しくなった。

 ちなみに、連載の第4回で「食事を規律正しい生活の柱に」と毎食調理に精を出していたかのように書いたのと矛盾するが、離婚したての頃の朝食は、買いだめした菓子パンと野菜ジュースばかりだった。野菜ジュースのペットボトルに記載された「コップ一杯で一日分の野菜」のようなキャッチコピーを救世主のごとく信じ、栄養バランスの整ったまっとうな朝食を出した気になっていたのだから、いま振り返るとおかしくて仕方ない。

 着替えも食事も終えて、それぞれ小学校と幼稚園に送り出したら、「また散らかしっぱなし…」とぼやきながらキッチンとリビングまわりのお片付け。それが終わったら、ようやくお坊さんらしく庭を掃除し、そして本堂でおつとめする。これで朝の障害物競走の第一関門が終わる。すでに体にはかなりの疲労感。コーヒーでも飲んで少しゆっくりしたいところだがそんな暇もない。檀家さんの家に読経にでかけたり、本山の知恩院に向かったり、あるいはお寺にいる日には原稿を書いたりと、さらにギアをあげてフル稼働である。

 そうこうしているうちに、午後2時過ぎには幼稚園から子供が帰ってくる。庭で遊んだり、自転車の練習のために公園に連れて行ったりすると、あっという間に夕食の時間が迫ってくる。追い立てられるように、お風呂、洗濯と家事をしているうちに、体力は消耗していく。温かい布団に入って子供を寝かせつけていると自分も寝てしまう。離婚前は、寝落ちしていたら妻が肩をトントン叩きに来てくれていたが、いまはもう誰も眠りを覚ましてくれない。気が付いたときには翌朝の障害物競走のスタート時刻だったりすることもしょっちゅうだった。

 これほど極限までタスクが入っていても、緊急の要件が容赦なく割り込んでくる。子供の病気、そして、檀家さんの訃報である。幼稚園児ぐらいだと突発的に発熱することもある。そうすると看病につきっきりになる。檀家さんからの訃報が入れば、かけつけないわけにはいけない。首の皮一枚だけでつながっているようなスリリングな日常。心身ともに片時も休まらない日々だった。

 いまさらだが、別れた妻に「あなたの気持ちがわかりました」「やっぱりブラックでした」と謝りたくなった。

 

*次回は、10月6日金曜日に配信の予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池口龍法

僧侶。浄土宗・龍岸寺住職。2児の父。1980年兵庫県生まれ。京都大学卒業後、浄土宗総本山知恩院に奉職。2009年、フリーマガジン「フリースタイルな僧侶たち」を創刊。2014年より現職。念仏フェス「超十夜祭」や浄土系アイドル「てら*ぱるむす」運営などに携わる。著書に『お寺に行こう!  坊主が選んだ「寺」の処方箋』が、共著に『ともに生きる仏教 お寺の社会活動最前線』がある。『スター坊主めくり 僧侶31人による仏教法語集』の監修もつとめる。Twitter: @senrenja

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