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住職はシングルファザー!

2023年11月17日 住職はシングルファザー!

10. 小学3年生の娘が料理デビュー

著者: 池口龍法

子供が親を育てる

 子供と一緒に仕事に出かけることには、もう一つの大切な意味がある。それは、子供と一緒にいてこそ親が育つ、ということである。

 よく言われることだが、女性はお腹に子供を宿した瞬間から母親になる。つわりがあったり、お酒を飲むのを控えたり、マタニティー服を着るようになったり、産休に入るために仕事を引き継いだりと、生活のすべてが生まれてくる赤ちゃん中心になる。赤ちゃん中心の生活を過ごすから、母親としての自覚が芽生える。

 男性にはこの時間が存在しない。子供が生まれたのを見てようやく初対面を果たし、父親としての生活がスタートする。親の自覚という点においては、280日ものあいだお腹のなかで子供を育んできた母親はすでに、背中が見えないほど先を行っている。

 この現実を直視するなら、育休をとって子育てに励むべきなのは、父親のほうだと言えるだろう。子供を背負いながら家事をしたり、オムツが濡れていたら取り替えたり、泣き始めたらあやして寝かせつけるという日々を、1年近くにわたってすべて引き受ければ、ようやく母親の自覚レベルに追いつけることになる。しかし、現実にはそこまで努力する人は珍しい(私自身もそうだったが)から、父親はいつまでも手のかかる「大きな子供」として扱われることになる。

 男性の育休の取得率は、年々高まってきているとはいえ、2022年度で17.13パーセントにしか達していない。さらに踏み込んで言うなら、「子供が生まれたら保育園に預けて職場復帰」という風潮が強いが、もう少し子供と一緒にいる時間を大切にできるよう、社会全体が歩んでいくべきではないか。私のように、突発的な事情があったときには、仕事場に幼稚園児を連れていくことが許されたら、どんなに育児は気楽になるだろうか。

 あまりにも子育てを優先させすぎると会社の業績は一時的に伸び悩むと考える経営者も多いだろうが、長い目で見ればどうか。子育てに積極的に向き合って、「育てる」という感覚を習得することは、会社にとっても案外大切である。上司が部下を育て、同僚同士も育て合うという感覚に直結するからである。「人を育てる」という感覚を大切にする会社の未来はきっと明るい。

 ある日、初めて出会う企業の営業担当者が、約束した時間にお寺を訪ねてきた。

 挨拶も早々に、奥歯にものが挟まったような感じで「お伝えしてなかったんですけど実は3名で参りました。あとの2名も入っていいですか」と言う。あらかじめ聞いてなかったからといって、あとの2人を門前で待たせっぱなしにするなどありえないから、二つ返事で快諾した。それでもまだ申し訳なさそうに、「あの…ひとりは幼い子供なんです」と言う。さすがに多少驚いた。しかし、子供同伴にはそうせざるをえない事情があるのだろうし、同じく子連れでお参りに行っている私が断るのもおかしな話である。「もちろん大丈夫ですよ」と平静を装って答えたら、ようやく安堵した表情を見せ、門前で待つお母さんと子供を呼びに行った。

 子供は思いのほか幼く、生後11か月だった。まだひとりでうまく歩けないから、打合せの間ずっと、お母さんは抱っこひもで子供をおんぶしていた。ぐずったり多少泣いたときもあったから、背中の子供を気にかけながらのプレゼンはきっとハードだったと思う。でも、打合せに大きな影響が出ることはなかった。

 プレゼンを聞きながらふと思った。

 私の子供はもう幼稚園の年長だから、一緒に訪ねていく先々で見る風景から刺激をもらうだろう。しかし、目の前にいる赤ちゃんは、いまお寺でお母さんが一生懸命にプレゼンしている姿をまったく理解できない。記憶にもまったく残らない。では、赤ちゃんがお母さんと一緒にいる意味はないのか。泣き声でプレゼンに合いの手を入れて邪魔をするだけなら、保育園に預けてしまうのが正義なのか。

 たとえ赤ちゃんがいまの時間をすべて忘れてしまったとしても、視点を変えてお母さんにとってみたらどうだろうか。温もりを背中に感じながら、いつグズり始めるかわからない不安を感じながら、それでもなんとかプレゼンを成功させようと必死になったことは、強烈に記憶に残る。むしろそういう時間の積み重ねこそが、親を親らしくさせるはずである。

お料理百食チャレンジ

 さて、檀家さんにちやほやされて得意げになっているちびっこ僧侶にジェラシーを覚えたのが、小学3年生になった娘である。「ズルい。私だってご褒美ほしい」としきりにせがんでくる。「チャレンジしてみる?」と聞くと「うん」と頷く。さて、なにに挑んでもらうか。娘と一緒に読経に出かけてもいいのだが、ご年配の檀家さんは「世継ぎは男の子」と勝手に決めている。息子同伴のほうが「お寺の将来も安泰だ」と喜んでくれる。家父長制の強く残るお寺社会には、「ジェンダーフリー」の風は吹き込まないらしい。

 悩んだ末に娘に課したテーマは料理であった。そう、うまくすれば、シンパパ育児に毎日襲い掛かる最大のタスクを軽くできるだろうという下心を抱いたのである。

 「じゃあ、お料理お願いしていい?」とミッションを出してみると、目をすごく輝かせて「やりたい」という。どうやら、料理が好きだったお母さんのイメージが心に強く残っているらしい。「お母さんはハンバーグとかオムライスとか作らなかったじゃん」「お父さんのご飯のほうがおいしいって言ってたのに」と愚痴が思わずこぼれそうになったが、ぐっと我慢。なにげないやりとりのなかで母親への愛が透けて見えるとき、シングルファザーの心はザクザクえぐられるが、娘が意欲に満ちているのだから、前向きにとらえるしかない。

 ご褒美に到達するまでの条件は姉と弟でそろえないといけないので、「百食作ったらおもちゃ」と決まった。壁に掛けられた「おまいり百回チャレンジ」のチェックシートの隣に、新しいシートがもうひとつ貼り付けられた。

 かくして、ちびっこシェフを目指す道のりが始まった。

 まずは毎週生協が届けてくれる食材セットを、添えられたレシピ通りに作ってもらうところから。レシピはもう読める年齢だが、「中火で炒める」と書かれていても、「中火」がどの程度の火力なのかはわからない。「野菜に火が通ったら」という指示も、うっかりすると焦がしそうになる。私は、隣で先輩シェフ(といってもわずか数か月の先輩だが)の風を吹かせ、偉そうな口ぶりで指導しながら、もう一品作ったり、洗い物をしたりする。ひとりでの調理より意外とはかどるし、なにより一緒に作っている感覚にほっこりする。

 書店でふと『10歳からのお料理教室』という子供向けのレシピ本を見かけたので、「まだ8歳だけど大丈夫かなぁ」と不安に思いながらも購入すると、さらに背伸びする感覚が楽しかったらしい。「フレンチトースト作ってみたい」「今日はほうれん草のソテーね」と、メニューをどんどん提案するようになった。

 娘にも、家族の役に立てるという自信が芽生えてきたのかもしれない。ある日のこと、私がお葬式の読経で疲れ果て、「ちょっと休ませて」と横になったら深い眠りに落ちてしまった。2、30分で起きるはずが、きっと2、3時間寝ていたのだろう。ふと私の耳元に響いたのは、「お父さん、晩御飯食べたい」という甘えた声ではなく、「オムライス作ろうと思って野菜刻んでおいたけど、炒めるのこわいからあとはお願い」という大人びた言葉だった。夕食の支度の時間を過ぎても起きてこない異変に、娘も「なにか私にできることをしなきゃ」と思ったのだろう。一気に疲れが吹き飛び、キッチンに向かった。

 自分の子供時代は、母と祖母が一緒にご飯を作っていたから、私がキッチンに出る幕はなかった。お参りに一緒に連れて行ってもらったのも、じっと正座もできれば経本もすらすら読める小学2年か3年になってからだった。そう思えば、ひとり親家庭という子育てに手が回らない過酷な環境は、悪いことばかりをもたらすのではない。かえって子供がたくましく成長することもあるのである。

 

*次回は、12月1日金曜日に更新の予定です。

 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池口龍法

僧侶。浄土宗・龍岸寺住職。2児の父。1980年兵庫県生まれ。京都大学卒業後、浄土宗総本山知恩院に奉職。2009年、フリーマガジン「フリースタイルな僧侶たち」を創刊。2014年より現職。念仏フェス「超十夜祭」や浄土系アイドル「てら*ぱるむす」運営などに携わる。著書に『お寺に行こう!  坊主が選んだ「寺」の処方箋』が、共著に『ともに生きる仏教 お寺の社会活動最前線』がある。『スター坊主めくり 僧侶31人による仏教法語集』の監修もつとめる。Twitter: @senrenja

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