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私の同行二人――ふたたびの四国遍路

2024年5月20日 私の同行二人――ふたたびの四国遍路

第7回 身体を軸にして見、考えること

著者: 黛まどか

俳人・黛まどかは、とてつもなく「歩く人」だ。これまでも国内外の巡礼の道をいくつも歩いてきた。これという定かな理由はない。ただ、仕事と暮らしに追われる日常の中、ときに無性に歩きだしたくなる。旅に出たくなるのだ。今回は二度目の四国八十八ヶ所霊場に加えて別格二十霊場、併せて百八か寺・1600キロを二か月かけて歩く。ときに躓き、道に迷いながらも、歩いて詠む、歩いて書く「同行二人(どうぎょうににん)」の日々――。

ふと気づくとそこにいる蜘蛛

 スーザンは50代前半、オランダでは禅のインストラクターをしている。これが人生二度目の海外旅行。20年前にニューヨークへ夫と行ったのが一度目だという。彼女が日本へ行くと聞いて、隣人や知人が口を揃えて羨ましがった。「日本へ? なんて素敵なホリデーかしら」。

 しかしホリデーなどではない、と彼女は言う。「これは私にとっての“アドベンチャー”なの!」。夫と一週間以上離れるのは結婚以来初めてとか。「これからは毎日が記録更新よ」とウィンクした。

 以前会った時スーザンは日本の山に魅了されていると言った。「今日は海に魅了されているわ。オランダにも海はあるけれど、こんなに美しい色ではないの」。

 海を眺めながら歩いているうちに、皆と距離が開いた。杖の音と波音を聞きながら歩く。やがて彼女が口を開いた。「日本に来る十日前に母が亡くなったの」。

 今回の遍路で、母を亡くしてこの地へとやって来たお遍路さんは三人目だ。葬儀も何もかも済ませて、予定通り四国に来たのだと言う。「それは辛いわね…。でもこの遍路はお母様からの最後の贈り物だったようにも思うの」。彼女は深く頷いた。「夫からも同じことを言われたわ。もし日本に来てから亡くなったら、私は遍路を中断しなければならなかったから」。

 遅れがちの誰かを必ずいつも誰かが振り返って確認しながら歩く。日和佐の町に入り、厄除橋の袂で皆と別れることになった。間もなく日本を離れるエミリに私はこの一期一会がいかに幸せだったか、そしてまた日本を訪ねてほしいと伝えた。「もちろんです! すぐに遍路の続きをしに戻ります」エミリもまた別れを惜しんでくれた。

 古民家を改築した素泊まりの宿にチェックインする。「8キロ以上あるね。女性にしたらちょっと重いな」と、リュックを部屋まで運んでくれたご主人。荷物が重いことは自覚していた。これまでの旅で5キロ以上のリュックを背負ったことはない。明らかに増えたものは薬類だ。転ばぬ先の杖が重すぎて転んだのでは話にならない。

 入浴すると外に出る気力がなくなり、リュックに入れてあったスナックで夕食にする。一日前を行く濱嶋さんから写真付きでメールが届く。「この旧遍路道は工事中なので国道を行ってください」。一緒に歩いてはいないが、彼女も良き遍路仲間だ。

古民家を改築した日和佐(徳島県美波町)の宿

 翌朝は5時起床。キッチンでコーヒーとパンの朝食を済ませ部屋に戻ると、リュックに小さな蜘蛛が這っていた。

 父が亡くなった後、母と私の前に小さな蜘蛛が現れるようになった。最初に気づいたのは葬儀の翌朝だった。遺影の胸に小さな蜘蛛がいるのを私が見つけた。

 母にそのことを告げると、夜になって食卓の椅子に座っていた母が私を呼び止めた。「遺影にいた蜘蛛ってこれかしら?」母の方に向かって小さな蜘蛛が歩んでいた。

 私が近づくと、今度は向きを一八〇度変えて私の方にまっすぐ歩きはじめた。次の日には骨壺の上にいた。蜘蛛はしばらく祭壇の周辺を離れず、やがて父の書斎や母の部屋に現れるようになった。父が蜘蛛に姿を変えて「ここにいるよ」と呼びかけてくれているようだった。

 蜘蛛はしばらくリュックの上を這うと、ウエストポーチに飛び移った。

 二十三番薬王寺は徳島県最後の札所で、ここから二十四番最御崎寺(ほつみさきじ)までは83.5キロある。8時を過ぎると俄かに暑くなってきたが、しばらくは国道55号に沿って行かねばならない。炎天を逃れがたく歩いていると、稲刈りを終えた田んぼに白鷺が一羽、涼しげに佇んでいた。

「発心の阿波」から「修行の土佐」へ

 翌朝は6時前に宿を出発した。ニュースは全国的に猛暑日の記録が更新されていることを報じている。10時を過ぎると暑さで急に速度が落ちるため、それまでにどれだけ歩けるかが勝負だ。6年前、左膝靭帯の激痛で病院に駆け込んだ海部を通る。海部病院から室戸岬手前の宿「徳増」までは車で移動し、結願後に戻って歩いた区間だ。

 昨夜は素晴らしい月夜で、海に上がった月を部屋で愛でた。浅川駅の手前で空を仰ぐと大きな鳥が群をつくって幾つも渡っている。こんなに大群を見たのは初めてだ。この鳥たちはどこから来てどこへ行くのだろう。

 Vの字の編隊を組みなしては空を越え、山を越えていく。Vの字に編隊を組むのは、羽ばたきによって生まれる上昇気流を斜め後ろを飛ぶ鳥が利用するためで、最も効率的なのだ。

 渡りには様々な危険が伴うため途中で死ぬ鳥も少なくない。雁は海の上で休むために枝を咥えてやって来るという伝承がある。春にはそれを咥えて帰るので、浜辺に残った枝の数は日本で死んだ雁の数とされる。「雁風呂」は、浜辺に落ちている枝を薪にして風呂を沸かすことで、春の季語だ。別名「雁供養」。生きるための旅と死出の旅は裏表だ。

 

あとさきに濃き風ついて秋遍路    黛 執 

 

 遍路にあると、目の前で起こる一つ一つの事象に仏のはたらきを感じる。日常で渡り鳥を見るのと、痛む脚を引きずりながら見るのでは自ずと感受するものが違う。身体を軸にしてものを見、身体を軸にしてものを考えるからだろうか。空を渡る鳥は自分自身と重なり、いつしか鳥の目となって自身を見つめている。ああ、そこにも同じように汚れ疲れた旅人がいると。鳥は羽根を休めるすべを知っているというのにと。鳥と自身の命が響き合う。鳥も私も「サン・テーレ」だと。

 宍喰(ししくい)では、6年前と同じようにサーファーたちが空と海のあわいで波を待っていた。この区間を共に歩き直したドイツ出身の青年とは遍路後もやりとりが続いたが、そのうち宗教観の違いで交流が途絶えてしまった。

 キリスト教の洗礼を受けた後、彼は二言目にはイエスの言葉を絶対的なものとして持ち出すようになった。遍路中はとてもオープンで多様な価値観を見出していたのに、宗教はもはや壁しか作らないのだろうか。

「道が違いますよ」古目峠の手前で道に迷っていると、通りがかりの人が教えてくれた。遍路中は道に迷ったり危うく違う方に行きかけたりしていると、必ずと言っていいほど誰かが声をかけてくれる。その度に私は父が傍にいてくれているように感じる。或いはお大師様かもしれない。

 ほどなくして高知に入った。甲浦(かんのうら)は昔ながらの古い港町で、遍路の中でも好きな風景の一つだ。“水切り瓦”や外壁をペンキで塗った家々は、外海に面した高知の風土を象徴する。

いよいよ高知県へ。甲浦(高知県東洋町)の入江の風景

 浜辺のホテルに早めにチェックイン。少し身体を休めた後、外へ出た。夕暮迫る渚にはたった一人の波乗りの他は誰もいなかった。今日は待宵だが、午後遅くになって広がりはじめた雲が月をすっかり覆い隠している。

 波音を聞きながら空を見つめていると、父にとって最期となった月が心に浮かんだ。3年前の中秋に父は退院した。

 余命わずかと宣告されての退院だった。前日病室の窓には佳い月が出ていた。「待宵かぁ…。月見の習慣があるというのはいいよなぁ」父はベッドから少し頭を起こして月を見た。

 雲間から月が切れ切れに姿を現す。明日は晴れてほしい。この遍路をはじめる前からどこで中秋の名月を迎えるだろうと考えていた。計算すればある程度は予測できたが、あえてしなかった。きっと天の計らいがあるだろうと思ったからだ。

 その通り、十三夜から遍路は見事に浜辺に入った。きっと明日は名月が叶うに違いない。

 東京では真夏日が九十日を超えているという。遍路は「発心(ほっしん)の阿波」から「修行の土佐」に入った。遍路への厳しさでかつては「土佐は鬼国」という言葉もあったそうだが、さっそく明日は室戸岬への海岸線を一日中歩かなくてはいけない。

 暑さ対策のため早朝にホテルを出発することにして9時前にベッドに入った。その夜、夢に父が現れた。

 

*次回は、6月3日月曜日更新の予定です。

 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

黛まどか

俳人。神奈川県生まれ。1994年、句集『B面の夏』で第40回角川俳句賞奨励賞を受賞。2010年4月より1年間文化庁「文化交流使」として欧州で活動。スペイン・サンティアゴ巡礼道、韓国プサン―ソウル、四国遍路など踏破。「歩いて詠む・歩いて書く」ことをライフワークとしている。オペラの台本執筆、校歌の作詞など多方面で活躍。現在、北里大学・京都橘大学・昭和女子大学客員教授。著書に、句集『北落師門』、随筆『暮らしの中の二十四節気』など多数。(「黛」は正しくは「代」に「黑」)

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