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私の同行二人――ふたたびの四国遍路

2024年8月5日 私の同行二人――ふたたびの四国遍路

第12回 遍路とは「辺地」をゆくこと

著者: 黛まどか

俳人・黛まどかは、とてつもなく「歩く人」だ。これまでも国内外の巡礼の道をいくつも歩いてきた。これという定かな理由はない。ただ、仕事と暮らしに追われる日常の中、ときに無性に歩きだしたくなる。旅に出たくなるのだ。今回は二度目の四国八十八ヶ所霊場に加えて別格二十霊場、併せて百八か寺・1600キロを二か月かけて歩く。ときに躓き、道に迷いながらも、歩いて詠む、歩いて書く「同行二人(どうぎょうににん)」の日々――。

ロッジカメリア、民宿久百々

 翌日は朝から雨になった。最初に入ったコンビニで同世代の女性のお遍路さんと一緒になる。徳島からで、初めての遍路のようだ。この先に長いトンネルがあるので一緒に抜けましょうと誘うと、「コーヒーを飲むので、後から追いかけます!」と手を挙げた。

 私の方がかなり前を歩いていたはずだったが、あっという間に追いついてきた。マラソンが趣味で100キロマラソンにも参加するという。速いわけだ。トンネルに入ると彼女が大きな声で言った。「私はトンネルを歩くが大好きよ!」耳を疑った。トンネルのどこがいいのかと訊くと、「涼しくてええわ~」と言う。「でも空気は悪いし、車が怖くないですか?」「ううん、ちっとも怖ないよ」。お遍路さんも百人百様だ。

 しばし一緒に歩いた後、次の休憩所でお弁当を食べるので先に行ってくれと彼女。至ってマイペースなのだが嫌味がなく付き合いやすい。

 下ノ加江川に沿ってしばらく歩いていくと、懐かしい建物が目に飛び込んできた。「ロッジカメリア」だ。当時のままの姿で下ノ加江の交差点のところに建っている。ただオーナーのご夫妻がいないだけだ。

在りし日のままの「ロッジカメリア」

 一泊三千円で、清潔で快適なベッドルームや風呂を提供。カレーライスの夕食とパンの朝食は御接待で無料だった。お遍路さんに大人気だったが、コロナ禍で廃業を決めた。

 2021年、「悲報、ロッジカメリア廃業」とSNSでニュースが流れた。すぐに電話をするとおとうさんが出た。「がんばっとったけど、お遍路さん一人も来んもんね。もうワシも年やし」。ご夫妻はお遍路の経験者で、「恩送り」のため大阪から移住してきて遍路宿を開いた。前回宿泊した折にはセルフサービスのコーヒーを飲みながらご夫妻を交えてお遍路さんたちとおしゃべりを楽しんだ。出立する私を「また来てね」と手を振ってここで見送ってくださったのに…これも「空」なのだろうか。

 2時前、ずぶ濡れで「民宿久百々(くもも)」に到着した。「雨で大変だったねぇ」人柄が温かいと人気の宿のおかあさんが笑顔で迎えてくださった。

 幸運にも私の部屋は海側だった。夕食の席でマラソンの女性、逆打ちの70代のご夫婦、70代とおぼしき男性のお遍路さんと一緒になった。逆打ちのこと、マラソンのこと、別格霊場のことと話題は次々に変わり賑やかな夕食だ。ただ男性のお遍路さんだけがテレビを観ていて話の輪に入らない。眉間に皺を寄せ、気難しそうだ。人と関りを持ちたくないのだろうと、こちらも距離をとる。

 「あちらの方はもう10回目だそうですよ。お話聞きたいけど、テレビ観てらっしゃるから」マラソンの彼女が例の調子で屈託なく言った。すると男性が彼女を見た。「ね、もう10回も歩いてらっしゃるんですよね?」。男性は耳に手を当てて「え?」と聞き返した。「ベテランなんですねぇ」夫婦が言うと、顔の前で手を小さく振り、「そんなもんじゃないですよ」と困ったように笑った。一変してとても柔和な表情だ。

 男性は横川さんとおっしゃった。30年間かけて区切りで10回巡拝し、別格霊場も二度歩いて詣でたそうだ。別格のことを教えていただけないかとお願いすると、後で地図を見ながら話しましょう、と快く言ってくださった。

 横川さんは耳が少し不自由で、テレビや音楽が流れていたりすると人の会話は聴こえないという。宿のおかあさんは常連の横川さんの耳のことをわかっているので、テレビが聴こえるようにあえて音量を上げていたのだろう。それが仇となって会話に入ることができなかったのだ。

 夕食後、横川さんの部屋で地図を拡げた。私が質問するたびに眼鏡を外しては地図に顔を近づけ、確認しながら真摯に応えて下さる。こんなに親切な方を、人と関りを持ちたくないのだと一方的に思い込んでいたことを深く反省した。

 翌朝まだ暗いうちに目を覚ますと、満天の星空がひろがっていた。水平線ぎりぎりに北斗七星が瞬き、明けの明星が燦然と光を放っている。室戸以来17日ぶりに見る金星だ。

 まだそこにいたのか…。吸いこまれるように窓辺に寄った。金星は今日も音がするほどぎらぎらと輝いている。空海は星の音を聴いたに違いない。そう思ったとき、星がひとつ尾を引いて海の彼方へと流れた。我に返ると朝焼けがはじまっていた。

「民宿久百々」から朝焼けをながめる

「身体の声」にしたがうこと

足摺岬より海をのぞむ

 今日はいよいよ足摺岬だ。ここで遍路の約半分になる。私は足摺を「打ち返す」。つまり、今夜は足摺の宿に泊まり、明日岬の西側のルートを通って足摺を一周する形でまたこの宿に戻るのだ。横川さんも同様のようだ。「わからないことがあったら、また明日」横川さんはそう言うと宿を出た。

 今日の道のりは25キロほど。歩きはじめてすぐに台湾人カップルのお遍路さんと出くわした。やがてオーストラリアからの親子のお遍路さんと会った。2歳の娘を連れて歩いている。娘がむずがるとベビーカーに乗せる。「だから人の何倍も時間がかかります」と若き両親は嬉しそうに話す。

オーストラリアから来た親子のお遍路さん

 今日は週末のせいか、いつもより多くのお遍路さんと会う。80歳だという男性のお遍路さんは今回で7回目。来年はサンティアゴ巡礼をする予定で飛行機も予約したそうだ。本や資料を集めて読み込み、宿はもちろん観光地やレストランなども熟知していた。最近は巡礼宿から巡礼宿へリュックを配達するサービスもあるそうだ。サンティアゴは随分様変わりしたと聞いたが、そこまで整備されているとは。

 最近巡礼をしてきた人が、黛さんがいまサンティアゴへ行ったらがっかりしますよ、と言っていた意味がわかった。

 男性は、私が巡礼経験者だとわかると矢継ぎ早に質問をしてきた。が、私が巡礼をしたのは24年前のこと。「その頃はどこも大部屋の三段ベッドで、シャワーはお湯が出ればラッキーという感じでした」。男性は私の話に声を上げて笑った。「お遍路はこれで卒業! サンティアゴに入学だ!」そう言うと意気揚々と去っていった。

 10時、休憩に立ち寄った以布利(いぶり)港でスーザンと再会した。会っていなかった十日間のことなど話に花を咲かせる。足摺岬の宿がスーザンと同じことがわかり、一緒に歩きだす。

 「お母さんはお元気? 一人で大丈夫?」スーザンは母のことをいつも気にかけてくれる。昨夜電話をしたと言うと、寂しがっていたでしょう、とスーザン。「いいえ、“一人を満喫している”と言っていたわ」と言うと、「素晴らしい! かくありたいわ」と絶賛してくれた。

スーザンと著者

 岬の森を抜ける道は、木蔭が多く海風が心地よい。「海、鳥、花、虫、すべてがオランダと違う。その違いを日々楽しんでいるわ!」と終始笑顔だ。そして日本人の印象について話し出した。

 「日本人の多くが未来のことを心配し過ぎている気がするの。今日の昼食のこと、先々の宿の予約のこと、老後のことと、心配ばかりしている。もっと“いま”を生きないと。この鳥の声! こんなに素晴らしいのに、なぜみんな急いで歩くの?」

 多くの日本人にとっては、札所つまり“点”が目的なのだ。なかには“点”が宿になっている人もいる。札所はもちろん大事だが、点と点の“間”にこそむしろ遍路の本質はある。

 札所と札所の間の“辺地(へじ)”こそが“遍路”だ。遍満する仏の意思を感受するには、辺地の自然のなかを歩き回らなければならない。そう、鳥の声にも、花にも、星の瞬きにも、小さな蜘蛛にも、仏の意思や宇宙の真理が顕れているのに。多くの人がその“サイン”を見逃している。スーザンはそこがよくわかっているのだ。

 スーザンはオランダの禅仲間のアレンジで、安芸市の禅寺を訪ね、二日間過ごした。ご住職は60代後半、野宿で歩き遍路をした経験を持つ。「その夜は外に食事に連れて行ってくれたのだけれど、ご住職が大ジョッキに何杯もビールを飲むの。肉も食べるし」彼女が驚いていると、「何事もフレキシブルが大事」とご住職。

 寺では朝のお勤めや座禅にも参加した。眺めの良いカフェで朝食をとると、二十七番神峯寺(こうのみねじ)へ車で連れて行ってくれた。ご住職の行動は彼女の“禅”のイメージを一新したようだ。「それまで一度もバスや電車を使っていなかったので、ズルをしたようでとても複雑な気持ちだったわ。自分の足で歩くべきだと」。

 翌日、神峯寺への山道を登り直そうと思ったが、住職の言葉が思い出された。“何事もフレキシブルが大事”。「絶対にこうしなければならないと無理をするのはある意味で“エゴ”だということに気づいたの」。そして憚ることなく次の札所を目指して歩きだしたという。

 窪津の漁港でリュックを置き、それぞれの宿で作ってもらった弁当をひろげた。私は切幡寺から藤井寺近くの宿まで車で送ってもらった話をした。「普段の生活でもそうなのだけれど、頑張りすぎてしまうのね。身体はやめてと言っているのに」スーザンが何度も頷く。「私も全く同じだわ。マスト! マスト! マスト!って。でももっと身体の声に従わないとね。私たちのような“頭人間”は」二人で爆笑した。

 「でも変えるのは難しいのよね」と私が言うと、「無理に変えなくてもいいのでは? そんな自分を客観的に見ていることが大事ではないかしら。するといつか変わっていくと思うわ」と彼女。「あと、ジャッジしないことが大事ね」私の言葉に、「その通り!」と間髪入れずに答えた。私たちは姉妹のように性格も考え方も似ていた。

 スーザンが港を指さした。「見て、あの漁師さんたちを!」数人の漁師がリフトで網を巻き上げていた。「毎日身体を使って、海という大自然から魚を獲って、網を干して…頭より先に身体が動いているんだわ」「そう瞬間的に判断しているのね。身体が覚えているのよ。過去の経験から」私が言うと、「それに比べて都会人は頭しか使っていないものね」と溜息交じりに答えた。

 窪津から後の車道は日向が続いた。私がパレスチナとイスラエルの戦争の話を持ち出すと彼女は驚いたようだった。ずっと報道に接していなかったのだ。「男女の違いを感じるわ。男は自分の敵対するものを許さないけれど、女はやり過ごす。そして自分の道を行くでしょう。それが大きな意味で戦争を避けることに繋がるのではないかしら」。 

 ウクライナとロシア、パレスチナとイスラエル、シリア、アフガニスタン、スーダン、ミャンマー…紛争や内戦でこの瞬間にも命を落としている人がたくさんいるのに、と言いかけると、彼女が言う「私たちはこんなに暢気に遍路をしていていいのかしら?」。しばし無言で歩く。

 やがて彼女は言った。「歩きましょう! 今はこの道を歩き続けることしかないと思う」。

 

 波音のしきりに囃す帰燕かな   まどか

 

 

*次回は、8月19日月曜日更新の予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

黛まどか

俳人。神奈川県生まれ。1994年、句集『B面の夏』で第40回角川俳句賞奨励賞を受賞。2010年4月より1年間文化庁「文化交流使」として欧州で活動。スペイン・サンティアゴ巡礼道、韓国プサン―ソウル、四国遍路など踏破。「歩いて詠む・歩いて書く」ことをライフワークとしている。オペラの台本執筆、校歌の作詞など多方面で活躍。現在、北里大学・京都橘大学・昭和女子大学客員教授。著書に、句集『北落師門』、随筆『暮らしの中の二十四節気』など多数。(「黛」は正しくは「代」に「黑」)

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