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ふしぎな中国語――日本語からその謎を解く

はじめに

 日本にとって、中国語は縁の深い言語である。「漢文」(古典中国語)はかつて、必須の教養であった。
 しかし、「漢文」が教養とされた時代は過ぎ去り、中学・高校での扱いも年々縮小され続け、「なぜ学ぶかわからない」ものの代表のようにされてしまっている。どうせ学ぶのであれば、「漢文」よりも「現代中国語」ではないか、という声もしばしば聞かれるようになった。
 そういう意見を言う人で、実際に現代中国語に堪能な方がどれだけいるのかはよくわからないが、日本に暮らす私たちにとって現代中国ならびに中国語が身近なものになってきているのは確かだろう。では、その「新たな教養」たる現代中国語とはどのような言語なのだろうか。
 多言語を学んだ私からすると、どの言語も面白い。とりわけ中国語は面白い。日本語や英語だけ見ていてはわからない面白さが、たくさんある。日本語と似ているところもたくさんあるのに、やはり根本的に異なる言語である。そんな不思議な中国語の深い森へと、案内していくことにしよう。

甲骨文から草書・楷書へ

 中国の文字と言えば、漢字である。日本語では漢字に仮名を混ぜて書くけれども、中国語では基本的に漢字のみを使用する。日本語での読み書きができる人間にとって、漢字を使用する中国語は親しみやすい。見るだけで意味がわかるからだ。
 ところが、実際に勉強を始めようと思って中国語の教科書を開くと、そこには見慣れない文字が並んでいることに気がつく。というのも現在、中華人民共和国では、簡体字と呼ばれる簡略化された字体を使用しているからである。簡略化される前のものを繁体字と呼ぶ。台湾や香港ではまだ繁体字が使用されている。こちらは日本語の旧字体と全く同じではないものの、おおむね重なる。
 日本で現在使われている漢字も、戦後に簡略化されたものであるが、中国の簡体字とは異なっている。このため、学習したてのうちは初めて見る文字の形に戸惑うことになる。“书”は「書」だし、“过”は「過」で、一見したところではわからない。中国語を学習し始めれば、必ず出会うことになるこの簡体字。いかなるものなのか、見てみよう。
 漢字はおおむね甲骨文→金文→篆書→隷書→草書・行書・楷書と発展してきた。甲骨文は殷の時代に使われていたもので、主に骨や甲羅に書かれていたもの。甲骨文は長らく失われていたが、清末に発見され、二〇世紀になってからようやく研究された。
 最初に甲骨文字を世に知らしめたのは劉鉄雲で、一九〇三年に『鉄雲蔵亀』を出版した。薬として服用するための「竜骨」(大型哺乳類の化石化した骨)に文字が書かれているのに気がついたというエピソードがよく語られている。が、事実ではないらしい。こうした出来すぎた物語はたいてい作り話である。
 甲骨文の次の段階である金文は、青銅器に鋳込まれていたもの。中国の古代史研究と言えば、かつては漢代の『史記』などの後世に成立した文献を中心に行うものだったが、最近は発掘調査が進んだので、この金文を中心に行われているという。篆書はさらにその後の時代のもので、さまざまな字体がある。文字の統一を行ったことで有名な秦の始皇帝であるが、その統一された文字はこの篆書の一種で、小篆と呼ばれている。
 篆書体は曲線が多く、書きにくい。これを直線化し、書きやすくしたのが隷書で、漢代になって広まった。この隷書から草書、行書、楷書が発生し、二〇世紀まで使われ続けてきた。
 ちなみに、甲骨文字を世に知らしめた劉鉄雲は小説家でもあり、代表作に『老残遊記』があり、一部日本語訳もある。『鉄雲蔵亀』出版の五年後一九〇八年、横領の疑いをかけられて新疆省(現在の新疆ウイグル自治区)に流刑にされてしまい、翌年その地で没している。ウイグルには私もかつて北京から電車で四十時間以上かけて行ったことがあるが、西安以降はずっと荒涼とした大地である。長時間車窓の外に広がる光景を見ていた時には、あまりにも暇すぎてアヘン戦争後に新疆へ流刑になった林則徐(アヘン戦争のきっかけとなった清のアヘン取り締まりの責任者)のことを考えていたものだ。
 ところで、「薬として服用するための『竜骨』」と書いたが、なぜ服でもないのに、「服薬」「服用」などと言うのだろうと思っていた。伊藤清司『中国の神獣・悪鬼たち』によると、もともとは、文字通り身体の外側から薬を服のようにつけることを指したという。

漢字の進化論

 ところが、一九世紀末から二〇世紀にかけて、漢字は次第に「劣った文字」と見なされるようになってしまった。アルファベットのような表音文字はせいぜい数十程度覚えればよい。一方で、漢字のような表語文字は、数千も覚える必要がある。効率が悪すぎるから、そのせいで科学の勉強などができなくなる、などと言われるようになった。
 二〇世紀初頭には、中国でもダーウィンの進化論が流行していた。漢字は古代から現代への推移の中で、少しずつ簡略化が図られてきたのであり、現代においてはもっと簡略化された文字へと「進化」すべきだという考えが広まった。さらには、より効率の良い表音文字への移行も歴史的な必然だという考え方まで出てきたのだ。
 一九二二年には、言語学者の銭玄同らが国語統一準備委員会に「現行の漢字の画数削減案」を提出している。銭玄同らが提出した簡略化の方法は、現行の簡体字のものと大差がない。
 そして一九四九年に現在の中華人民共和国が成立する。共産党一党独裁国家であり、マルクス主義の国家である。マルクス主義は発展史観なので、文字の歴史的変化も必然だと考える。象形文字から表音文字に進むのは「客観的な法則」なのであり、漢字は「客観的・科学的」にみて劣った文字と考えられたのだ。ちなみに、マルクス主義者に「何をもって客観的・科学的というのか?」という質問はしてはいけない。
 このように、建国当初の中国は、漢字を捨てアルファベットのような表音文字に全面的に移行しようと考えていたのだ。さすがにすぐさま漢字全廃とはいかないので、ひとまず漢字を簡略化して普及せしめるために、一九五六年に「漢字簡化方案」が公布される。本来の目的は漢字の段階的廃止なので、この法案はとりあえずの第一段階という位置づけで、文字改革をこれで終わりにするつもりではなかった。

「第二次簡化方案」

 そして約二〇年後の一九七七年、漢字のさらなる画数削減を目指し、「第二次簡化方案」の草案が提出されている。
 この「第二次簡化方案」、なかなか過激で眺めているだけでも面白い。たとえば、「芭 巴 粑」はすべて同じ発音なので、“巴”に統合している。文字削減という偉大な目標のために、意味は無視しているのである。また、「雪」は「電」が“电”になるのと同じ法則で“彐”となっている。視力検査みたいな記号になってしまった。「部」は“卩”だけになっているし、「餐」も“歺”となっている。「面 鼻 堂 爽」は、一部分削った結果“  坣 ”となっている。印刷不鮮明になってしまったかのようだ。
 だが、残念なことにというか幸いなことにというか、この「第二次簡化方案」は十年近く実施されないまま、一九八六年に廃案となった。
 それはそうだろう。そんなに頻繁に変わってしまったらたまったものではない。せっかく勉強したのに、また新たに学びなおさなくてはならなくなる。子供はゼロから学ぶのだからいいとしても、大人にとっては大迷惑だ。表記システムはある程度の安定性が求められる。英語だって、発音とつづりの乖離が激しいけれども、だからといっておいそれと変更することはできないでいるのだ。
 以降、さらに漢字を簡単にしようとか、そもそも漢字をやめてローマ字のみにしてしまおうとかいった動きは出ていない。基本的には一九五六年に公布された「漢字簡化方案」で定められた字体が、現在でも使用されている。むしろ古典などでは繁体字回帰も行われている。
 ちなみに、台湾でも漢字を簡略化しようという議論が五〇年代にあったが、こちらは守旧派が勝利したので、今でも繁体字を使っている。
 また、日本でも漢字を制限、もしくは撤廃しようとする動きは戦前からあった。阿辻哲次『戦後日本漢字史』(ちくま学芸文庫、二〇二〇年)によると、一九二三年に漢字制限を目的とする「常用漢字表」が臨時国語調査会によってすでに発表されている。戦後、GHQの政策もあって、漢字が簡略化され、仮名遣いも歴史的仮名遣いから現代仮名遣いになった。一九四六年には「当用漢字」が定められ、それに含まれない漢字の使用が制限されることとなった。
 なお、「当用」は一般には「当座に用いるもの」の意味だとされているが、阿辻によれば、作家の山本有三が「用いるに当てる」の意味として提案したものだという。ただし、漢文としては、「当用」は、「当座に用いる」の意味でもなければ、ましてや「用いるに当てる」の意味にはならず、「まさに用いるべし」としか読めない。
 日本でも漢字を制限しようという話はとんと聞かなくなったから、しばらくその地位は安泰のようである。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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金寿煥

著者プロフィール

橋本陽介

1982年埼玉県生まれ。お茶の水女子大学基幹研究院助教。慶應義塾志木高等学校卒業、慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程単位取得。博士(文学)。専門は中国語を中心とした文体論、テクスト言語学。著書に、『日本語の謎を解く―最新言語学Q&A―』(新潮選書)、『中国語実況講義』(東方書店)、『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)、『中国語における「流水文」の研究 「一つの文」とは何か』(東方書店)など。


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