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2008年10月4日 小林秀雄賞

第七回小林秀雄賞

『寡黙なる巨人』多田富雄

著者:

インタビュー 多田富雄

受賞した多田富雄氏は式江夫人に伴われて、スーツに蝶ネクタイ、という多田氏ならではのスタイルで現れた。記者会見場は静かな熱気につつまれた。

——多田さん、きょうはお越しいただきまして、どうもありがとうございます。本日はまことにおめでとうございます。

 それではご到着になりましたので、第七回小林秀雄賞を、『寡黙なる巨人』で受賞されました多田富雄さんのご受賞の言葉をちょうだいした上で、そのまま記者会見に入らせていただきます。

(注・多田富雄氏は、持参した卓上機器「トーキングエイド」のキーボードを左手の指で一語一語押し、一文を完成させると、コンピュータの合成音声がその文章を一括して読み上げる、という方法で会話をおこなった)

多田 小林秀雄は、僕の批評体験、というより美学的体験の原点でした。だから本当にうれしい、光栄です。

——どうもありがとうございます。それでは、ひきつづきご質問をいただければと思います。

——受賞作のなかに小林秀雄さんについて触れた章があります。小林さんをめぐっての美学体験の原点で、多田さんにとって一番大切なもの、大切な言葉があったら教えていただければと思います。

多田 「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」

——新聞などでエッセイを発表されたりして、読ませていただいておりますけれども、最近はどんな生活を送られているのでしょうか。

多田 修道僧みたいに書くことが生きがいです。起きてから寝るまでパソコンに向かって考えています。

——最近、ご自身の内なる「巨人」の中で新たに発見して、自分にはこんな面があるのかと驚いたりされたことは何かありましたでしょうか。

多田 正確には言えませんが、やさしい気持ちを持続できるようになったことです。

——二年ほど前に書かれたもので、この本には収録されていないのですけれども、PR誌の「青春と読書」で「羽化登仙の記」というのを書かれていました。ちょうど前立腺ガンの手術を終えられたあとのことで、「玉取物語」というのをお書きになっているのを読んで大爆笑したのですが、とにかくご自身が、こんなもののために煩悩を持っていたのかと思うとか、青年のように好奇心が旺盛で、大変面白く拝読しました。今回の受賞作でもやはり、特に自分のからだというものについての新しい発見、あるいは世の中のこととか、好奇心が非常に旺盛だなと思ったのですけれども、多田さんにとって、その好奇心のもとにあるものは何なのでしょうか。

多田 好奇心は昔から強かった。事なかれでなくて事あれ主義でした。アフリカでも危険なスラムを好んで歩いた。

——この受賞作の中で、「私のように日の当たるところを歩いてきたものは、逆境には弱い」、そして病気をされたあと、涙を流され「非常に涙もろくなったりした」というふうに素直にお書きになっているのを読んで感銘を受けたのですけれども、ご病気をされて一番変わったことはどんなところでしょうか。もうひとつは、支えてくれたものは、やはりご家族、奥様なのでしょうか。

多田 病気のあとで自分が強くなったと思う。あらゆる権威や権力が怖くなくなった。自由になったのです。今はごらんのとおり、妻が命綱です。妻なしでは寝起きもできない。

——先ほど選考委員を代表して橋本治さんが会見されまして、書くということの辛さ、苦しさ、しんどさということ、そして書くことというのは思考の持続力が要るということを、受賞作は教えてくれる、そういうまさに文章の力が小林賞にふさわしい、というような授賞理由をお話しになりました。たった今も、一語一語文章を打っておられますが、文章を書くときに多田さんが肝に銘じていること、心がけていることなどがあれば教えていただきたいと思います。

多田 白洲正子さんに、「書くことが辛いのは当たり前よ」と教えられました。彼女でさえそうでした。だから渾身で書いています。

——恐縮ですが、奥様にも一言おうかがいいたします。この本の中にも奥様の献身的な介護があってこそ生きる力を与えられたということが書いてありますが、今回のご受賞の感想をおきかせください。そしてもう一つ、先ほど多田さんが最近やさしい気持ちを持続できるようになったとおっしゃいましたけれども、奥様にとって多田さん像というものは、いかがなものでございましょうか。

多田式江 まず、『寡黙なる巨人』が小林秀雄賞の候補になっているということを全然存じませんで、思いがけない受賞でした。お知らせをいただいたときは多田はお風呂に入っていて、どうしましょうという感じで出てまいりました。でも、この人は昔から、科学者としてはすごくいい文章を書く人だと思っておりましたから、本当に嬉しいと思います。

 それから、確かに多田富雄は、すごい暴君で、我が家は専制君主国で、お殿様でおらなければいけない人だったのですけれども、病気になりましてから、近づけなかった子供たちも近づいて看護してくれるようになりましたから、家族一体になってここまで来られたのが一番嬉しかったと思います。そういう点では本当にやさしくなりました。

 それから、いわゆる障害者になって、そういう人たちに向ける目もすごくやさしくなったことは確かだと思います。ですからリハビリ中止に対する反対運動をしたり、それから医療の矛盾を突く文章で闘っていく姿勢は尊敬しております。

多田 こんなところで本音が出た。ざまあみろというところです。
(会場笑い)

——では、これで会見を終えさせていただきます。多田さん、どうもありがとうございました。そしておめでとうございます。皆さんどうもありがとうございました。(拍手)

(受賞者プロフィール)
1934年茨城県生まれ。千葉大学医学部卒。東京大学名誉教授。免疫学者。71年、免疫反応を抑制するサプレッサーT細胞を発見し、世界の免疫学界に大きな影響を与えた。野口英世記念医学賞、朝日賞、エミール・フォン・ベーリング賞など多数受賞。84年、文化功労者に選ばれる。著書に『免疫の意味論』(第20回大佛次郎賞受賞)、『独酌余滴』(第48回日本エッセイスト・クラブ賞受賞)、『生命の意味論』『わたしのリハビリ闘争』など多数。2010年没。

 

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選評

ことばの靴音

加藤典洋

 受賞作の多田富雄さんによる『寡黙なる巨人』は、普通に言うならば、ある日突然脳梗塞に倒れ、右半身不随、言葉も操れなくなった高名な免疫学者の書いた悽愴な闘病記ということになるだろう。けれども、よく読むと、ここに書かれたものがそれとは微細に異なる声の響きをもつようであることが、わたしの注意をひいた。
 表題の「寡黙なる巨人」というのは、誰かがこの闘病する人を形容してそう言うのではない。「そのとき突然ひらめいたことがあった」と「脳梗塞の人」は書いている。「それは電撃のように私の脳を駆け巡った」と。どう考えても脳梗塞で倒れたとき、ある自分は死んでしまった、その自分はもう帰ってこない。しかし自分は生きている。その生きている自分を、しかし自分はそう感じられない。自分ではない誰かが、新たに自分の中に生まれ、その生まれた命が、自分の中にうごめいている。「もし万が一、私の右手が動いて何かを掴むんだとしたら、それは私ではない何者かが掴むのだ」。「私はかすかに動いた右足の親指を眺めながら、これを動かしている人間はどんなやつだろうとひそかに思った」。「私には、彼が縛られたまま沈黙している巨人のように思われた」。
 この本の著者は、言葉を操れない。話せない。かろうじて、いまはワープロとトーキングマシンという文明の利器の助けがあるため、「書き言葉」の形で、声を発し、文章を書く。利器がなければこれらの言葉は「存在しなかった」。そう想像が「促される」、そのことを通じ、この本は私にジャック・デリダの『声と現象』という著作を思いださせる。そこに書かれていることに関連して、私は、勤める大学でこの本について話すときいつも、学生に、書き言葉では存在するが、話し言葉では存在しない「ことば」がある、それは何か、例を出してごらんなさい、とたずねる。多くの学生が困った顔をする。私の念頭にあるのは、「私は死んだ」ということばなのだが、この声=ことばは、ふつう、闘病記の本からは聞こえない。闘病記は、「死ななかった」人に書かれる、「生きている人」の記述だから。
 しかし、「私には、彼が縛られたまま沈黙している巨人のように思われた」と書いているのは、「死んだ人」なのではないだろうか。自分のなかに「生」がうごめいているが、それは自分ではない、と感じているのは、書くことが存立させる「死んでいる人」なのではないだろうか。ここには、「死んでいる人」がいて、もう誰にも会えないし、誰にも話しかけられないので、「書いている」。そういう感じを私は受ける。
 私は多田さんの『免疫の意味論』という本を読んだことがある。流麗な文で書かれていて、大いに啓発された。しかし、今度の本の言葉は打って変わって「ごつごつしている」。「ごつごつ」という靴の音をたてて、先の本に説かれたことが、身をもって生きられている、と思う。

入浴中の「巨人」

関川夏央

 選考会は長びいた。めずらしいことであったが、紛糾したのではない。例年のごとき「なごやかな座談」に、多少の熱が入ったのである。
 終って、賞を受けていただけるかどうかをうかがうため、係の人がご自宅に連絡した。たまたま入浴中であった多田氏が快諾されたあと、記者会見へのお出ましをお願いしてみた。係の人は、もしよろしければ、というトーンだったのだが、多田氏はお風呂場でうなずかれ、それを奥さまが伝達された。僥倖であった。
 一時間後、車椅子の多田氏が奥さまと到着された。記者たちのみならず、賞に関係する多くの編集者たち、それに私たちまでもが、音声への変換キーを操る「寡黙な巨人」を感動的に目のあたりにすることができた。それは、突然身の内に出現した「巨人」と多田氏が、必死の折合いをつけながら共棲して、実に七年四ヵ月目のことであった。
「少なくとも年よりは若く見られ、身だしなみもきちんと」し、「スマートな老人になることを心がけ」ながら「これからが人生だ」と思っていた多田氏は、六十七歳の五月、脳梗塞の発作に見舞われた。まさに「青天の霹靂」であった。
 命は大丈夫でも身動きはままならず、重い嚥下障害と構音障害が残った。要するに、飲みこめず喋れないのである。が、受難は終らなかった。翌年にはマンションの隣室が全焼、「半身不随の老人一名」として救出された。さらに前立腺癌、尿路結石、MRSA(多剤耐性菌)の院内感染、喘息とつづいた。「老い」とは攻撃的なのである。
 しかし、当初は「縛られたまま沈黙」するばかりであった「巨人」が、やがてリハビリテーションとともに目覚めた。言語表現への強い希求と、「これからが人生だ」という「巨人以前」の多田氏の意志が、目覚めをうながした。
 自身が障害者という少数者のひとりとなったことを自覚して、多数者と、その代表たる「官」の薄情な不作為に対し、発言を重ねた。「巨人」もまた多田氏とおなじく、言葉と多忙さを愛するのである。そんな「彼ら」のなした仕事を、つぶさに読み終えたあとの対面だから、感慨はひとしおであった。
 小林秀雄賞は、いわゆる新人賞ではない。功労賞でも努力賞でもない。フィクション以外の日本語表現で、新しくて野心的、かつ強靱な説得力を内包する作品を顕彰する賞である。
 切実な言語表現の試みでありながら、読む側にいたずらな圧力をかけたり、いらざる緊張を強いないもの、という条件は、事象への、またそれを語る主体(著者自身)への妥当な距離感覚が満たすだろう。それを知性の余裕といい、ユーモアという。
 受賞者の列に、このたび多田富雄氏に加わっていただくことができ、小林秀雄賞はさらに厚みを増した。喜ばしく思う。

「書く」を考える

橋本治

 小林秀雄賞は広い意味で「評論の賞」と心得ますが、多田富雄さんの『寡黙なる巨人』を読んだ時に、「これは論に対する賞ではなく、論を成り立たせる文に対する賞であってもしかるべき」と思いました。
 七年前の脳梗塞の発作以来、多田さんは重い障害を抱えた。声は出せない。文章を書くために動かすことが出来るのは、左手の指一つのみ——それでキイボードを押して文章を書く。思考する自由は脳にあって、しかしその思考を文章という形にするには、想像を絶する不自由がある。「思う」と「書く」の間に存在するあまりにも大きすぎる距離を克服して書かれたのが、この『寡黙なる巨人』である。
『寡黙なる巨人』は、一つの統一された「論」ではない。発作に倒れ、内なる「巨人」の出現を感じ取るまでの闘病記と、その後に新聞や雑誌に発表されたエッセーの集成で出来上がっている。言ってみれば「寄せ集め」である。しかし私は、その「寄せ集め」である文章の質に注目した。
 私自身、昔から「エッセー集」と言われるものを読むのが、好きではない。苦手である。一種の「型」のようなものがあって、退屈さを感じさせられていた。しかし、多田さんの『寡黙なる巨人』を読んでいて、それを感じなかった。「どうして“読む”ということが抵抗なく、可能になってしまうのか?」と、すらすら読んでいる自分に驚いた。「なぜ自分にはこれがすらすらと読めるのか?」と考えて、その理由は一つである。「思う」と「書く」との間の距離を克服する間に、「余分なもの」が落っこちて、消えて行ったからである。
 多田さんの文章は、簡にして要を得ている。力みがない。明快であって、その背後にこれを書く人のユーモラスな「人となり」がはっきり見える。見えるのが「苦闘」ではなくて、その人そのままの明るさである。
 多田さんの文章を読んで、私は能の舞を思った。近世出来の日本舞踊の動きの自由さに比べ、能の舞は「舞えない不自由さ」を表しているようにも思える。しかし、その少ない動きの中で、能の舞はあらゆることを表現する。その動きがなにを表現しているかはどうでもよく、その動きが表現になっている、そのこと自体が重要だ。だから能の「当麻」を見た小林秀雄は、「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」と言う。
 今の我々は、書くことに関して、あまりに自由になりすぎている。「調べる」あるいは「考える」と、それを「書く」ことの間には当然距離がある——にもかかわらず、その距離をあまり意識しない。だから「余分なもの」が溢れる。踏み止まって熟慮があってしかるべきところに停止がなく、そのまま流れてしまう。「書く」を実現させるまでの困難をもう一度思え——私は多田さんの文に、その論を一方的に見た。

亀裂を埋めるもの

堀江敏幸

 言葉のはずみ、匂いが、思索とひとつに溶けあうまでには、時間がかかる。
 書き手の側からすれば、ながい時間をかけて出来上がった文体(としか呼びようのないもの)が、やがてその文体の範囲内でしか表現できない軛となるという展開は自明であって、物書きはみな、そうとわかっていながら、壊すために一旦、その軛を作る。外側から見て、いかに読みやすい顔をしていたとしても、その読みやすさが異なる表現への軛になることも本人は自覚しているはずで、毒となる言葉のウィルスが、自身の免疫系統からうまく隠れてくれるよう祈るしかない。だから、自覚的な変化を自らに課す場合、外からわからない程度の微量の薬物を混入させて、徐々に内側から変容させていく方策を選ぶ。経年にともなう不可避の現象であったとしても、それは徐々に訪れるものだ。
 ところが、その準備期間が内側から不意に打ち切られてしまう場合がある。多田富雄氏の『寡黙なる巨人』は、そのようにして生まれた作品だ。健康診断では異常がなく、気力、体力とも充実しているとき、一夜にして右半身が麻痺し、構音機能を失い、嚥下障害に見舞われる。当初は自らの置かれている状況に落胆し、泣く、涙する、という言葉を幾度となく繰り返す。夫人の献身的な介護によって絶望の淵から救われた著者は、厳しいリハビリのなかで気づく。失った神経細胞は元に戻らない。機能の回復が望めないとしたら、生き残ったものを新たにつなぎ直して、まったく別の生命維持装置がたちあがるのを見届けるしかない、と。
「私が一歩を踏み出すとしたら、それは失われた私の足を借りて、何者かが歩き始めるのだ」。
 言語機能は、破壊されずに残った。言葉はいま、左手の指一本で操作されたワープロを介して私たちに伝えられている。幅広い知識、明快な論理、自虐まじりのユーモア。弱者となってはじめて理解できた問題の提起だけなら、別の人にもできるだろう。過去の著作を読ませていただいている者の目には、多田さんの文体は、二〇〇一年五月の出来事を境に変化したと映る。本書には、速度を極端に落とした姿のよい言葉と、「伝えたい」という強い思いがある。熱くならず、過度な饒舌に陥らず、科学者の正確な観察に基づいた、しかも必要最小限ではない言葉がある。それらは、多田さんの中の寡黙なる巨人を刺激しつづけるばかりでなく、いくらでも、いつでも書けると思う者の慢心を突き、身体と言葉の亀裂が生きる喜びによって埋められていることを、あらためて教えてくれるだろう。

生きている実感

養老盂司

 多田富雄氏は、私の東大時代の同僚で、同じ建物で働いていた。さまざまなことでご一緒させていただいた仲でもあり、今回の選考では、この作品を推薦はしたものの、なにか特別な問題でも起こらない限り、とくに発言はするまいと思っていた。もちろん選考委員の方々のおおかたの一致があって、素直に授賞が決定したから、余計な説明はいらなかった。他人事ではなく、嬉しい。
 この作品でなにより印象的だった部分は、「病を得てからはじめて生きている実感がある」という内容が書かれたところだった。話はまったく個人的なことになるが、著者が定年で東大を辞められるとき、同じ建物の中で定年を祝う内輪のパーティーがあった。そのとき私には、私と大学を結んでいた紐がもう一本切れた、という思いがあった。私は東大医学部のいってみれば生え抜きで、多田さんは違う。それでも私は異邦人のなかに一人で取り残される、と感じていた。東大時代の多田さんは、免疫学では世界の権威として通用したが、「生きている実感がなかった」のであろう。
 橋本治氏が、選考の席上で、余分のない文章の美しさとはこういうものだと、文章に時間をかけることの必要性を説かれた。その指摘が身にしみた。古い世代には余計なことはいわないという感覚があった。それが想像力を育て、惻隠の情を育てるわけだが、いまは「いわなきゃ、わかんないじゃないか」と叱られる時代であろう。
 授賞決定後の記者会見で、小林秀雄で好きな文章を、と問われて、「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない」と答えておられた。わが意を得た。この国の文化は感性の文化で、それは文学であろうと、自然科学であろうと、同じように大切にすべきものである。その感性がいささか怪しくなってきている時代に、この作品が受賞したのは適切かつ時宜を得ていると思う。

 


 

『寡黙なる巨人』多田富雄

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

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