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ブレイディみかこ×金原瑞人 「他人の靴」で常識を飛び越えろ!

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ブレイディみかこ

2019/6/21発売

金原
 イギリスには日本と違って、シティズンシップ・エデュケーションやライフスキルズという授業があるというエピソードが面白かったです。
 この二つは日本の中学校教育の中ではほとんど触れられていない部分です。そもそもシティズンシップ・エデュケーションを訳すと「市民教育」ですか。

ブレイディ
 ライフスキルズという科目があるんです。その中でシティズンシップ・エデュケーションとか、セクシャル・エデュケーションなどに分かれている。シティズンシップ・エデュケーションは、日本で言うと一番近いのは公民なのかな。政治や議会のあり方、法についても学びます。でも、日本の公民だと「議会には衆議院と参議院があって、議員定数が何人」という”知識”を正確に記憶させる。
 このシティズンシップ・エデュケーションは違います。今のシステムをまず説明する。その上で、今のシステムに反対する人もいることを伝え、それについてどう思うかを話し合わせたり自分の意見を書かせたりします。
 最近うちの息子が出された問題では、「架空の某教授が『今イギリスの学校ではレイシズムについて教え過ぎだ』と言っている。君はこの説についてどう思うか。この教授は正しいか、間違っているかを最初に書いて、その理由を述べなさい」というのがありました。これを12歳でやる。

金原
 すごいですね。

ブレイディ
 『女たちのテロル』の中にエミリー・デイヴィソンという女性が出てきます。イギリスでの女性参政権運動の中でも過激な活動をしていた「サフラジェット」のメンバーの一人です。この女性参政権運動についても、息子の授業で取り上げられていました。第一次世界大戦で軍需産業が盛んになり、女性も働き手として駆り出された。でも戦争が終わったからといって元の召使のような仕事に戻れといったら不満が爆発するだろうから、女性にも参政権を与えたという説。
 もう一つは、先に説明した「サフラジェット」は女性の参政権獲得に一役買ったという説もあるが、あまりに暴力的なテロに出たので、むしろ後退させた面もあるという意見も出ている。あなたは、女性に参政権をもたらしたのは第一次世界大戦とサフラジェットの運動のどちらだったと思うか、それについて論じなさいという試験問題が出ました。それを見たときに、私は12歳の自分の子どもが学校で習っているようなことを本に書いているのかと少し複雑な思いにもなりましたが…。
 そのシティズンシップ・エデュケーションで今息子は「チャリティのプロジェクトを考えて、みんなでどうやってお金を生み出すか」という課題に取り組んでいます。たとえば家でケーキを焼いてきて、それを放課後に売って作った資金からみんなのバス代を出して、老人ホームにジャズバンドとして演奏をしに行くとか、そういうプロジェクトを作らせて運営するのがシティズンシップ・エデュケーションの一環なのです。そういうことを実際に”地べた”でさせるんですよ。教えて覚えさせるだけではないんです。

金原
 しっかり考えさせて、かつそれを実践の場で形にさせるんですね。

ブレイディ
 だから何かあったらイギリスでは、政府より先にすぐ民間の人たちがボランティアとして働き出したり、支援物資がたくさん集まったりする。学校教育でボランティア精神を刷り込まれているからでしょうね。

金原
 そういう教育って大きいですよね。日本は全然やらないじゃないですか。そこは見習わないと。

ブレイディ
 日本でも慈善活動をしている人たちはいらっしゃるけど、やっている本人にも周りの目にも、なんだか特別なことのように映っていますよね。

金原
 うまく根づいていないんですね。イギリスではそういう気風というか、特に底辺のところでみんなが助け合うという風潮はいつごろできたんですか。そんなに昔からはなかったような気がしますが。

ブレイディ
 先ほどお話ししたエミリー・デイヴィソンも、女性の運動だけではなくて、ふだんから募金を集めたり子どもたちを助けたりしていました。だから連綿と昔からあると思います。イギリスの場合は貧困問題がすごくて、19世紀のディケンズのときから慈善の精神はある。それがどこで生まれたかは私もわかりませんが、十年、二十年でできたものではないでしょう。何世紀にもわたって貧しい人は助けなきゃいけないという精神が社会に根付いているし、貧困は人権問題だという意識も高い。

金原瑞人氏
ブレイディみかこ氏

金原
 なるほど。シティズンシップ・エデュケーションのエピソードで面白かったのは、「シンパシー(sympathy)」と「エンパシー(empathy)」の違い。辞書よりもはるかにわかりやすい説明でした。英和辞典を引くと、シンパシーは「共感」、エンパシーは「感情移入」と出てきますが…。

ブレイディ
 違います。シンパシーとエンパシーの違いというのは、外国人が英語を習うときに引っかかりやすいポイントです。シンパシーは「かわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情」、つまり「感情的状態」ですが、エンパシーは「自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」、つまり「知的作業であり、それができる能力」。「アビリティ(能力)」とはっきり英英辞典に書いてある。

金原
 ある意味、イマジネーションを使ったアクティブな行動なのかなあ。

ブレイディ
 イマジネーションを使った知的作業でもありますよね。シンパシーは感情の動きなので、出ないときは出ないですが、エンパシーは能力なのでトレーニング次第で向上するし、なくならないのです。

金原
 やっぱりそれは大きい。今の日本でも「ちょっとでいいから、まず想像してごらん」といいたくなることが多いですものね。その気持ちがわからないのかなということがよくあるので、ここは印象的です。

ブレイディ
 「シンパシーとエンパシーの違いについて答えよ」という問いに対する、うちの息子の答えは「to put yourself in someone’s shoes」(「他人の立場に立ってみる」という英語の定型表現)。そうか、そうだよなあ、もうこれ以上、出しも引きもできないぐらいパーフェクトな答えだよなあと、私が逆にすごく感心させられました。まさに自分を誰かの靴に入れてみることですよね。
 息子が「そりゃあね、履きたい靴もある。臭いのもあるし、ダサいのもあるし、サイズが合わないかもしれないけど、とりあえず履いてみることがエンパシーなんでしょう」と言っていました。

金原
 ああ、そうですねえ。シンパシーとエンパシーは大学の問題に使おうかなと思っているぐらいおもしろいです。

ブレイディ
 先日、栗原康さんと対談したとき、最後の質疑応答で、観客の方から「エンパシー」の質問が出ました。「他人の靴を履く」と言っても履けない靴もありますが、どうやったら履けるんでしょうねって。確かにそこがポイントですよね。その一頑張りをさせるものが、これからの世界に求められている。その「頑張り」っていったい何なのか、どうすればそれはできるのか。これは私もこれから考えていくし、私自身の宿題です。

(続きは11/8(金)掲載)

撮影 筒口直弘(新潮社写真部)

関連サイト

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』立ち読みはこちらから

https://www.shinchosha.co.jp/ywbg/

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ブレイディみかこ

2019/6/21発売

女たちのテロル

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2019/5/31発売

ブレイディみかこ

ライター・コラムニスト。1965年生まれ。福岡県出身。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。2017年『子どもたちの階級闘争』で新潮ドキュメント賞を、2019年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でYahoo!ニュース|本屋大賞2019年ノンフィクション本大賞などを受賞。他の著書に『THIS IS JAPAN』『ヨーロッパ・コーリング』『女たちのテロル』『ブロークン・ブリテンに聞け』『女たちのポリティクス』『他者の靴を履く』などがある。

金原瑞人

金原瑞人

かねはら・みずひと 1954(昭和29)年岡山県生れ。翻訳家、英文学者。法政大学社会学部教授。エッセイ『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』『サリンジャーに、マティーニを教わった』のほか、ヘミングウェイ『武器よさらば』、モーム『月と六ペンス』、カート・ヴォネガット『国のない男』、アレックス・シアラー『青空のむこう』など訳書多数。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ブレイディみかこ

ライター・コラムニスト。1965年生まれ。福岡県出身。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。2017年『子どもたちの階級闘争』で新潮ドキュメント賞を、2019年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でYahoo!ニュース|本屋大賞2019年ノンフィクション本大賞などを受賞。他の著書に『THIS IS JAPAN』『ヨーロッパ・コーリング』『女たちのテロル』『ブロークン・ブリテンに聞け』『女たちのポリティクス』『他者の靴を履く』などがある。

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かねはら・みずひと 1954(昭和29)年岡山県生れ。翻訳家、英文学者。法政大学社会学部教授。エッセイ『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』『サリンジャーに、マティーニを教わった』のほか、ヘミングウェイ『武器よさらば』、モーム『月と六ペンス』、カート・ヴォネガット『国のない男』、アレックス・シアラー『青空のむこう』など訳書多数。

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