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千葉雅也×岸政彦「書くってどういうこと?――学問と文学の間で」

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抽象次元での形の操作

千葉 学問と文学ということでちょっと違う角度から話をすると、最初に西さんがカチッとした論文から崩していく中で小説の文体を発見したんじゃないか、という見方をされていたじゃないですか。確かにそう言える部分はあって、僕は一時期、文章を神経質に磨き上げすぎることでかなり息苦しくなっていたんですよ。特に最初の本である『動きすぎてはいけない』を書いていた頃はその極みだと思っていて。いま考えてみると句読点の使い方にも病的なほどのこだわりがあったし、断言を回避するための微妙な語尾の言い回しも、細部に至るまで厳密にコントロールしていました。

 すごいなあ。僕は基本的に推敲はしないし、原稿全体の98パーセントは最初に出てきた文章そのままで通すから。凝った表現をしようと思ったこともないし、そもそもできない。面白いエピソードを書くことが優先されるんです。例えばこれは実話ですけど、学生の頃、夜中にひとりで散歩をしていたら向こうから素っ裸のおじいさんが歩いてきたことがあったんです。それで、すれ違いざまに見るとそのひとは手に洗面器を持ってたから、銭湯の帰りなんやと分かって。全裸で銭湯に行くなんて、なんて合理的やと感動した、みたいな(笑)。

千葉 文章を書くとき、常に内容が先にあるという感じですかね。言葉そのものに主眼があるというよりは。

 そうですね。そのおじいさんを説明するときに「彼が手に持っている洗面器はベージュ色で、六角形をしていた」とか、そんな細部の描写は正直言ってどうでもいい。

西 おそらく岸さんは写真や絵に近いイメージで文章表現を捉えているんでしょうね。逆に千葉さんの場合、音楽的というのかな。正確に言うと、たまに変な音が入っている音楽。

千葉 そうかもしれません。それに『意味がない無意味』というタイトルの論集を出したように、僕は意味よりも無意味に惹かれる人間なんです。音の構造やリズム、本の版面をパッと見たときの視覚的な白っぽさや黒っぽさといった抽象次元での形の操作に、ずっと関心がありました。
 で、少し話を戻すと、さっき説明したような神経質な文体で書き続けていると辛すぎることに途中で気が付いて。だから『勉強の哲学』の前後あたりから、もっと風通しのよい文章の書き方を考えるようになったんです。それは精神分析的に言えば、神経症から脱するための治療なわけですよ。僕は、もともとすごく秩序志向が強い人間なので。

西 ひょっとして、その変化は千葉さんが関西へ来たこととも関係がありますか? 転地療養の結果、散文としての小説が書けるようになったというような。

千葉 それもあるかもしれません。いま振り返ってみると、東京は異様に神経質な空間だった。僕は大学院にいたとき、京都大学の研究会に初めて呼ばれたんです。そしたら、京大の同年代の院生は全体的にのほほんとしていて、最初はものすごくイライラした。東大の人間って、まず喋るスピードが普通のひとの1.5倍とか2倍の速さで、非常にとげとげしいわけですよ。だから当時は僕も京大の院生たちに、こいつら、こんなんで生き残れると思ってるのか、という怒りすら感じてたんですけど(笑)。でも、立命館大学に就職して自分も関西のノリで過ごすようになってからは以前の違和感が自然と溶けていき、楽になったような気がします。

 その話を聞いていて思い出したんやけど、僕も若い頃、東大の社会学研究科が出していた学術誌の「ソシオロゴス」に論文を書いたことがあったんです。あそこは寄稿者が相互に査読するという慣習があり、その当時、90年代の東大の研究会って、議論になるとどちらかが泣くまでやるんです。僕はそういう場面で実は燃え上がるタイプで、後から「岸さん、あのとき相手をボロカスに言い負かしてましたね」なんて言われたけど、自分が大学院に籍を置いていた大阪市立大学には全然そんな文化はなかったから、新鮮でした。

「失われた時を求めて」

 僕らは、辿ってきた道が全然違うんですよね。千葉さんは高校を出たあと東大の駒場というアカデミズムの頂点にバーンと入って、僕は愛知の進学校にいたのに受験勉強には全然興味が持てず、特に準備しないまま東京と大阪の大学を適当にいくつか受けた。たまたま受験で大阪にいたとき、泊まっていたホテルの真横の路地でヤクザが発砲事件を起こしたというニュースを見て、面白いとこやな、絶対ここに住もうと決めたんです。高校の同級生はほとんど東京の大学へ進学するから、自分はそれにひとり背を向けて西へ行くんだという気持ちもあった。そのことは『図書室』の単行本に入れた「給水塔」という自伝エッセイでも書きましたが。

西 僕は兵庫の出身なんだけど、母方の祖父母が大阪の大淀区にいて、彼らは東海道線のガード下に住んでいたんですよ。昔はよくおじいちゃんに手を引かれて、淀川の川べりまで遊びに行ったりしていて。だから岸さんの作品で描かれている大阪の風景は自分にとっても原風景で、ジーンとくるんです。そういう気持ちにさせてくれるような大阪小説って、他に読んだことがないかもしれない。

 ありがとうございます。「ビニール傘」を発表したあと、何人かの大阪出身の作家からお褒めの言葉として言ってもらえたのは、あの作品に出てくる西九条や大正区、港区のあたりの風景ってこれまで意外なほど誰も描いてこなかったらしいんですね。実際、大阪と聞くと、みんなもっとコテコテのところを想像するでしょ。

千葉 僕も大阪で生活するようになってから、岸さんの「給水塔」に出てくるお初天神のあたりをよくウロウロしているので、読みながら、あのあたりの文学的なイメージを初めて与えてもらったように感じました。『デッドライン』との共通点を挙げるなら、どちらも地元の閉塞感から別の土地に出たとき、自由さと猥雑さがないまぜになった状況に興奮しているんですよね。岸さんの場合、進学した関西大学のある吹田市のあたりは整った住宅地が広がる理想の生活を象徴していて、都市ならではのゴチャゴチャした感じは、よく酒を飲んでいたという天王寺のあたりに現れている。
 僕が18歳で上京したとき一番最初に住んだのは世田谷線の沿線で、そこからは自転車ですぐ三軒茶屋や池尻大橋のおしゃれなカフェまで行けるわけです。同時に渋谷や新宿の汚い場所も生々しく存在していて、今回『デッドライン』を書くにあたっては僕が2000年前後の東京で過ごしたあの時間を復活させたい、いわば「失われた時を求めて」という動機がありました。しかも当時は実家にまだバブルの残り香があって、僕は大学生の身分なのに車を持たせてもらっていたんですね。だから東京という街を車のスケールで把握していたことが、この小説を書く上では非常に大きかった。逆に言うと自分で車を走らせたことのない大阪の街は、まだそれほどの土地勘はないんですけど。
 それでも「給水塔」を読むと、自分の中の東京の地図と岸さんの中の大阪の地図が反応して、ピピッと繋がるような感覚を持ちました。だから読み終えたときには大阪に対するイメージがすっかり変わっちゃって、そのことに興奮しましたね。

 うわあ、それはすごく嬉しい感想やわ。ところで僕には変な癖があって、近所の台湾のひとがやっているマッサージ屋によく行くんやけど、全身をガーッと強く揉まれているときなぜかいつも、頭の中に大阪の地図が浮かぶんですね。真ん中の背骨のところに御堂筋があって、それと直交するように長堀通があって、というように。たぶん車を運転できない分、身体で覚えてるんやと思う。

西 うん、それ分かります。自分もサンパウロやワルシャワの地図がいつも頭を飛び交ってるもん。

 さすが比較文学者、言うことが違いますね! インテリでかっこええ(笑)。

千葉 二人とも文学的ですね。とはいえ、岸さんが「給水塔」のような文章を小説としてではなく、あくまで実録として書いたのはどうしてだったんですか?

 実は書き進めていたのが、「ビニール傘」よりも前のことなんです。あるところから「大阪に関する自伝的なエッセイを書いてください」と依頼を受けて、ついに愛する大阪について語れるぞ、とテンションが上がって3日で4万字を一気に書いた。そのあと、ちょっと思うところがあって止めていたんだけど、『図書室』を本にするときにせっかくだから一緒にしようと。原稿の大部分はこれを書いていた5年前のままなんですが、確かに「給水塔」の執筆中は生まれて初めて、自分にも小説書けるんちゃうかな、という感触がありました。

千葉 つまり言ってみれば「小説第0.5作」のような位置づけですよね。僕にとっては『アメリカ紀行』がそれに当たります。あの本は2018年の後半にアメリカに滞在したときの記録を、その延長線上で作品化したものなので。

西 『アメリカ紀行』も素晴らしかった。あの作品があったから小説第一作も生まれたんでしょうね。『デッドライン』に取り掛かったのは日本に帰ってきてからでしたっけ?

千葉 はい、本格的に作業を始めたのは2019年に入ってからでした。当初はもっと前衛的な散文詩のような小説を構想していて、なかなか思うように分量が増えなかったんだけど、修士のときの出来事をモチーフにして書くと決めてからは早かったです。

 やっぱり、最初は漠然としていても中規模構造とその空気感が決まったら、あとはもう勢いで書けちゃうんでしょうね。僕が院生の指導で、君の博論の結論をひとことで言ってみて、とひたすら繰り返すのもそういう理由です。仮にでも論旨を固めないと、先に進めないから。大きな幹を見定めたあとで、細かな枝がそこに合流してくることもある。

千葉 まさにそう。そして結局、設定したフレームに自分で確信が持てるかどうかなんですよ。確信と言ってもそれは外から客観的に正しさが証明できるものではなく、いま行くしかないという瞬間がどこかで訪れる。ひとつの足場を決めたら、最後はそこに思い切ってジャンプする勇気が必要です。

(おわり)

(この原稿は、2019年12月10日に立命館大学衣笠キャンパスで行われたトークイベント「書くってどういうこと?―学問と文学の間で」の内容を再構成したものです)


コーディネイター:西成彦(にし・まさひこ)
1955年生まれ。比較文学者。立命館大学先端総合学術研究科名誉教授。 主な著書に『ラフカディオ・ハーンの耳』『森のゲリラ 宮沢賢治』『耳の悦楽』『外地巡礼―「越境的」日本語文学論』など。

千葉雅也

ちば・まさや 1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。著書に『動きすぎてはいけない―ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』『勉強の哲学―来たるべきバカのために』『意味がない無意味』『アメリカ紀行』など。『デッドライン』が初の小説作品となる。

岸政彦

1967年生まれ。社会学者。著書に『同化と他者化─戦後沖縄の本土就職者たち』『街の人生』『断片的なものの社会学』(紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)『愛と欲望の雑談』(雨宮まみとの共著)『質的社会調査の方法─他者の合理性の理解社会学』(石岡丈昇、丸山里美との共著)『ビニール傘』(第156回芥川賞候補作)『図書室』など。最新刊は『リリアン』(2/25発売)。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

千葉雅也

ちば・まさや 1978年栃木県生まれ。東京大学教養学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。著書に『動きすぎてはいけない―ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』『勉強の哲学―来たるべきバカのために』『意味がない無意味』『アメリカ紀行』など。『デッドライン』が初の小説作品となる。

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岸政彦

1967年生まれ。社会学者。著書に『同化と他者化─戦後沖縄の本土就職者たち』『街の人生』『断片的なものの社会学』(紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)『愛と欲望の雑談』(雨宮まみとの共著)『質的社会調査の方法─他者の合理性の理解社会学』(石岡丈昇、丸山里美との共著)『ビニール傘』(第156回芥川賞候補作)『図書室』など。最新刊は『リリアン』(2/25発売)。

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