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不敵な薔薇を咲かせるために

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イベントチケットは発売直後に完売。会場も超満員。

國分    先ほどのブレイディさんの話を聞いて思い出したのは、2年前の2015年、「立憲デモクラシーの危機と東アジアの思想文化」というシンポジウム(その1)(その2)でご一緒させていただいた時の、憲法学者樋口陽一先生の発言です。あくまでも僕の記憶による引用ですが、樋口先生はかつて魯迅が中国人を評して口にした「中国人は砂のようになってしまった」という言葉を引き、「今の日本もそうなっているのではないか」と問いかけました。右に傾ければザーッと右に行くし、左に傾ければ今度もザーッと左に行く。掴もうと思っても掴めない。
 僕はこれに強く心を打たれました。今はすべてが極端な方向に流れてしまう。ネバネバした粘性がなくなっている。ある種の保守性が消えてしまったと言い換えてもいい。だから、これまで大事にしてきたことを容易に葬り去ってしまう。実際、第二次安倍政権が発足した2012年以降、これまでだったらあり得ないことがいくつも現実のものとなりました。2013年12月には激しい反対にもかかわらず特定秘密保護法が成立。2014年4月にはこれまで日本政府が則ってきた「武器輸出三原則」を閣議決定によって緩和。同年7月には、集団的自衛権をめぐる政府の憲法解釈という戦後の日本政治の最大の論点の一つも、同じく閣議決定によって易々と変更しています。2015年9月には、いわゆる安保法案が成立。このときは激しい抗議運動がありました。今年、2017年6月には、これまで何度俎上に載せられても斥けられてきた共謀罪法案がついに成立しています。
 他方、安倍政権は今年に入ってから大規模な疑獄事件で追及されています。だから野党も、憲法の規定に基づいて臨時国会の開催を要望した。けれども与党側は素知らぬふりをしてそれに応じない。3ヶ月たってようやく臨時国会が開かれたと思ったら、突然「国難だから選挙をやります」と言い出して、臨時国会を100秒で解散してしまう。
 あまりにもメチャクチャで、政治のルールも何もない、発展途上国の独裁政府のような、法治国家とは思えないようなことを今の政府はやってきています。それを批判する声は確かにある。けれども結局、選挙では今の政府が政権を維持する。
 こんなに絶望的な そんな状況ですから、いっそ砂のように流されたくなる気分は僕だって分からなくはない。僕自身、絶望のどん底でした。2015年の渡英も、一度、日本を離れたいという強い気持ちが根底にはありました。あのとき本当に「もうダメだ」と思っていました。
 今もその気持ちは変わりません。ただ今思うのは、この状況に対して一喜一憂してはいけないということ、したがって、簡単に「希望」なんて掲げちゃいけないということです。僕が研究している哲学者のスピノザは、「希望なき恐怖はなく、恐怖なき希望はない」と言っています。希望は未来の予測ができないことへの不安と強く結びついています。人はその不安をごまかすために「希望」という言葉を使うんです。だから彼は「希望」など少しも認めなかった。
 とはいえ、それは非常に難しいことであって、こんな酷い状況にあれば、ちょっとした可能性を見ただけでも人は「希望」と口にしてしまうでしょう。それは分かります。僕もそうだった。イギリスに行った時は、半ば日本から亡命するような気持ちでしたから。でも、イギリスに行って本当によかったなと思うのは、絶望してすっかり落ち込んだ状態でイギリスにたどり着いたわけですが、テレビで英国議会の様子を見ていたら、「なにこれ、超面白いじゃん」とゲラゲラ笑って復活できたという。何か、よく分からないけれども、前向きになったんです。

ブレイディ いや、イギリスも2010年に保守党が政権を握り、緊縮財政が始まってからの数年間は辛かったんですよ。2014年頃までは本当に世の中が暗くて、ちょうど國分さんがいらっしゃった前後にようやく光が射してきたという感じでした。スコットランド独立を問う住民投票が行われ、それによって本土の方も激動し始めて、だんだんと政治が面白くなってきた。そういえば、昨年の夏に國分さんと下北沢のB&Bで対談したとき、イギリスのEU離脱の話になりましたよね。国民投票で離脱派が勝ち、日本でも「イギリスはどうなってしまうのか」という声が多く聞かれましたが、私は「イギリスのことは心配してない」と言ってましたよね。というのも、イギリスは一時的に右に振れようが左に振れようが、最終的にはどこかスティッキーな(ネバネバした)部分があるんですね。つまり全体としては保守的な国民性だから、必ず揺り戻しが起きるだろうと。なので、今年6月の選挙ではコービン率いる労働党が躍進したことも、驚きではありませんでした。そうやってバランスを取っていくんだと思います。
 反対に、日本は大変だと思います。私も実を言うと日本については書きにくいし、喋りにくい。砂のように短期的にザーザーと流れるだけなので。目の前に一見好印象を与える政治家や政党が現れたとき、それがどんな思想や政策を持っているのかをじっくりと落ち着いて考える必要があるのに、それをしていない。本来なら、この政策の実現にはひょっとすると10年〜20年かかるかもしれないけどやっぱりこれが最善だといったように、長期的なスパンで細かく検討しなければいけないはずでしょう。イギリスは、そうした歴史の積み重ねの上に今がある。

國分    本当にそうですよね。僕はブレア政権がよかったと言うつもりはないけれど、1997年にブレアが労働党を勝利に導いた背後には、実は10年以上の取り組みがあった。それまでの労働組合頼みの組織を長い時間をかけて見直し、マニフェストを出したりして、新たなアイデアを着実に実行してきたわけです。そうした努力の末に政権奪還が行われたのであって、瞬間的に風が吹いたわけではありません。
 日本でもそういう取り組みが必要なのに、なかなかそれができない。さっき述べた通り、この数年間は、これまで日本が大事にしてきた原則が非常に短期間のうちにことごとくひっくり返されるという事態が続いていて、のんびりやっている場合ではないという気持ちになるのも分からないではない。なかなか政治を変えられないという無力感もある。だけど、そういうときに大事なのは、そういう政治によって、僕らが変えられないようにすることではないでしょうか。確かに僕らはなかなか政治を変えられない。でも、そのことによって焦って僕らが変えられてしまったら、元も子もないではないか。暗い気持ちにはなりますけどね。
 日本の憲政はいま、最大の混乱期を迎えていると思います。今回の総選挙に至るまでの過程は、将来、政治の混乱期として日本史の教科書に載ってもおかしくないものです。名前を変えながらも20年続いてきた政党が、突如、自分たちの手で破壊されるという事態も起こった。このカオスは1990年代初頭の政治改革時のそれに匹敵するか、あるいはそれ以上であろうと思います。だから、このことをきちんと記憶しておかねばなりません。スティッキーであることは、忘れないということでもあります。

ブレイディ イギリス人は簡単には忘れませんからね。

國分    そういえば、2003年にイギリスがイラク戦争に参戦したことの是非を問う分厚いレポートが、昨年になってようやく公表されましたね。つまり、彼らはそれまでずっと調査を続けてきたわけです。日本はそういった過去の出来事を反省して報告書を作るということを本当に嫌います。でも、それをきちんとやっていかなくてはいけない。スティッキーであること、ネバネバであることが今後の鍵かもしれません。

書籍紹介

中動態の世界 意志と責任の考古学

國分功一郎/著

2017/3/27発売

國分功一郎

1974年千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、東京大学大学院総合文化研究科修士課程に入学。博士(学術)。専攻は哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。2017年、『中動態の世界―意志と責任の考古学』(医学書院)で、第16回小林秀雄賞を受賞。主な著書に『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)、『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、『近代政治哲学 自然・主権・行政』 (ちくま新書)、『スピノザ 読む人の肖像』(岩波新書)など。最新刊は『目的への抵抗 シリーズ哲学講話』(新潮新書)。

ブレイディみかこ

ライター・コラムニスト。1965年生まれ。福岡県出身。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。2017年『子どもたちの階級闘争』で新潮ドキュメント賞を、2019年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でYahoo!ニュース|本屋大賞2019年ノンフィクション本大賞などを受賞。他の著書に『THIS IS JAPAN』『ヨーロッパ・コーリング』『女たちのテロル』『ブロークン・ブリテンに聞け』『女たちのポリティクス』『他者の靴を履く』などがある。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

國分功一郎

1974年千葉県生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、東京大学大学院総合文化研究科修士課程に入学。博士(学術)。専攻は哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。2017年、『中動態の世界―意志と責任の考古学』(医学書院)で、第16回小林秀雄賞を受賞。主な著書に『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫)、『来るべき民主主義 小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』(幻冬舎新書)、『近代政治哲学 自然・主権・行政』 (ちくま新書)、『スピノザ 読む人の肖像』(岩波新書)など。最新刊は『目的への抵抗 シリーズ哲学講話』(新潮新書)。

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ブレイディみかこ

ライター・コラムニスト。1965年生まれ。福岡県出身。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。2017年『子どもたちの階級闘争』で新潮ドキュメント賞を、2019年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でYahoo!ニュース|本屋大賞2019年ノンフィクション本大賞などを受賞。他の著書に『THIS IS JAPAN』『ヨーロッパ・コーリング』『女たちのテロル』『ブロークン・ブリテンに聞け』『女たちのポリティクス』『他者の靴を履く』などがある。

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