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今福龍太×真木悠介「宮沢賢治の気流に吹かれて」

2020年11月1日

今福龍太×真木悠介「宮沢賢治の気流に吹かれて」

第3回 賢治が夢見たユートピア

著者: 今福龍太 , 真木悠介

宮沢賢治 デクノボーの叡知』(新潮選書)の著者・今福龍太さんが、第30回宮沢賢治賞に続き、今年度の第18回角川財団学芸賞を受賞されました。これを記念して、「新潮」2020年1月号に掲載された真木悠介(見田宗介)さんとの特別対談をウェブでも公開いたします。真木さんがお書きになった『気流の鳴る音―交響するコミューン』に影響を受け、若い頃にメキシコ行きを決めたという今福さん。インディオ、石牟礼道子、グレタ・トゥンベリ、そして他ならぬ宮沢賢治をめぐって大いに盛り上がったこの初めての対話を、是非お二人の著書とあわせてお楽しみください。

第2回へ戻る)

今福 気流の鳴る音』には、「(とう)(ぎょ)された愚」と題された章がありますね。人間が何かをするということはそれ自体すでに愚行なのだけれども、知者はそのことをちゃんと自覚している―インディオの呪術師ドン・ファンの言葉から、真木さんはそうした結論を導き出します。ドン・ファンは、自分の行為にたいして意味や価値を求めるなんて愚かなことだと言うわけですね。だから、それが愚行であることを知り、コントロールしなければいけないと。「統禦された愚」という概念は、「知ある無知」ともとても近い考えだと思います。そしていかに知者であろうとも、解脱と執着のあいだで完全に解脱の方に振り切るのは不可能である。デタッチメントとアタッチメントの狭間で、自らが中間状態にいるという自覚のもとで生きるしかないのだと真木さんは書かれていましたね。
 賢治が夢見たユートピアも、決して彼方にある理想郷ではなく、修羅と楽園とのあいだの中間状態を最後まで生き抜くという覚悟の上でかろうじて感知できる希望のようなものだったと思うんです。それを「無主の希望」、つまり誰のものでもない希望と言い換えてもいいかもしれません。ぼくは今度の本で、賢治が全作品を通して「希望」という言葉をナイーヴに使用することはなかったと書きましたが、彼が万国共通語を目指すエスペラント語に惹かれていたことは無視できない。ある時期から「イーハトーブ」を「イーハトーヴォ」とエスペラント風に言い直したりもしています。ご存知の通り、エスペラント語は言語学者のザメンホフが考案した人工言語ですが、その名称はロマンス語系の単語に由来するもので「希望を持つ者」という意味です。万国共通の普遍言語を作るんだという思いに込められたコミュニズムやユートピアニズムの希望を、賢治は深いところで受け止めていたと見ることもできるでしょう。

真木 そもそも、岩手という極限的にローカルな場所をエスペラントという普遍的な表現によって捉え直したのが、賢治が理想郷として描くイーハトーヴォですよね。

今福 賢治はイーハトーヴォのことをドリームランドとも呼んでいますが、賢治は物語を通して現実にたいする一種の夢のような平行世界を追い求めていた。代表作の一つである長篇「ポラーノの広場」では、コミューンを再興しようとする若者たちの姿が描かれます。最終的にそれが成功したのかどうかわからない、判断の難しい書き方になっていますけれども、賢治は理想と現実のあいだにかすかな希望を感じていたのではないでしょうか。ぼくも真木さんについて書いた「非情のユートピアニズム」(『現代思想』二〇一六年一月臨時増刊号、総特集:見田宗介=真木悠介)という文章のなかで「挫折」という言葉を使ってしまいましたが、七〇年代のコミューン運動が果たして挫折に終わったのかどうかという点は、今では簡単には結論が出せないように思います。一九六八年の学生運動にしてもそうですね。二〇一八年は六八年からちょうど五〇年ということで様々な総括がされましたが、日本ではほとんど政治運動の挫折という文脈で語られていました。でも、それが本当に正しいのか。

真木 宮沢賢治にしても、生涯を通して挫折の連続だったという見方をされがちですが、ぼくもその評価は違うんじゃないかという違和感を持ち続けてきました。

今福 岩手の宮沢賢治から遠く隔たった熊本に石牟礼道子という人が生れてきて、賢治が描いた無主の希望を受け継いだのかもしれません。あるいは山尾三省のように、ひとり屋久島で誰の持ち物でもない希望を引き受けようとした人もいる。もちろん真木さんも同じ希望を見ていらっしゃいます。ぼくも今回の『宮沢賢治 デクノボーの叡知』を通して、賢治から繋がるこの不可能な希望を受け継げたらという思いがありました。

真木 今度の今福さんの本でもう一つ重要なのは、副題にもある「デクノボー」、つまり愚者の存在です。今福さんも書かれている通り、ぼくも愚者にこそ希望があると思う。ここで言われている愚者というのは、必ずしも「賢い人」の逆ではないんですよね。「利口な人」の逆とは言えるけれども。元をたどれば誰でも愚者で、つまりそれが我々人間のベースです。しかし、成長するにしたがって利口な知恵がついて近代的な人間へと変化していき、その最終形態がホモ・エコノミクス(経済人)だと言えるでしょう。
 またしても石牟礼さんの話になりますが、愚者と聞いて思い出すのは『苦海浄土』のある一節です。水俣病の患者たちが、チッソの本社前で座り込みをするために初めて上京する。急行や特急に乗れば補償金をもらっているだの何だの言われてしまうから、彼らは鈍行で来るわけです。長い時間をかけてようやく東京駅に着き、まずはお風呂で汗を流そうということで、当時、東京駅にあった東京温泉へ入ります。そして水俣のおばあさんが、たまたま隣り合わせになった若い女性に「きれいな背中してるね」なんて言いながら背中を流してあげるわけですが、女の子は困ったような顔でもぞもぞしている。次第におばあさんにも、善意でやっているこの行為がどうも相手にあまり喜ばれていないことがわかるんです。水俣であれば共同浴場で出会った見ず知らずの相手の背中を流すのは普通のことですが、こちらの人は迷惑そうだと。そのあと、チッソの本社の「ネクタイこんぶ」をした社員たちとの交渉などの中で、東京は人間がたくさんおると聞いてきたが、人間はおらんばいなぁ、と。
 けれども、水俣からやってきた彼らにも、東京で一人だけ惹かれる人がいました。あの時代だから、せっかく東京へ来たんだからと皇居前広場へ行ったところ、一行はぼやっとして座っている青年の周りにハトが群がっているのを見つけます。肩の上から頭まで、それはもうたくさんのハトが留まっているにもかかわらず、その青年はただ恍惚として身を任せている。石牟礼さんは、彼は会社勤めができず、おそらく家族からも見放されてそこでぽつんと一人座っているのだろうと書いていますが、水俣の人たちは、いつまでもその青年を遠巻きにしてなつかしそうに眺めていました。この青年は今福さんと賢治の言葉を借りるとやはり「愚者」であり、デクノボーだと思います。でも、水俣の人たちが彼を見て懐かしく感じたように、実は誰であれ利口な知恵を剥がしていくと、存在の根っこにはそうした愚者が眠っているんじゃないでしょうか。

今福 裏返して言うと、今のお話は当時の水俣の人たちがそうした愚者に反応する直観を自分のなかに守り続けていたことの証左でもありますよね。ぼくは本の中で「(かしこ)さ」ではなく「(さか)しさ」という表現を使いましたが、ホモ・エコノミクスが優位に立つ今の社会においては、生き延びる上である種の悪知恵、狡知が求められるところがある。そうした(さか)しさ、狡知をはたらかせねば生きていけないという抑圧によって、世界に対する感応の力が押さえつけられているという印象は否めません。でも真木さんがおっしゃる通り、本来は誰の中にも愚者は眠っているんですね。それを発掘して表に出すのは容易なことではないかもしれませんが、自分の中にも愚者がいるという気づきはギリギリのところでの希望です。その希望が、賢治が夢見たユートピアに繋がるのかもしれません。
 この対談の最初に、今日は真木さんとぼくが原風景として持っている互いの湖を呼応させるようにしてお話しできたらと申し上げましたが、二つの湖が地下水脈で繋がっていたことが確認できる、素晴らしい結びになったと思います。本当にありがとうございました。

左から今福龍太氏、真木悠介氏

(二〇一九年十月九日収録)

宮沢賢治 デクノボーの叡知

今福龍太 著

2019/9/26発売

今福龍太

今福龍太

いまふく・りゅうた 文化人類学者・批評家。1955年東京に生まれ湘南の海辺で育つ。1980年代初頭よりメキシコ、カリブ海、アメリカ南西部、ブラジルなどに滞在し調査研究に従事。その後、国内外の大学で教鞭をとりつつ、2002年より群島という地勢に遊動的な学び舎を求めて〈奄美自由大学〉を創設し主宰する。著書に『クレオール主義』『群島―世界論』『書物変身譚』『ハーフ・ブリード』『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(読売文学賞受賞)など多数。

真木悠介

社会学者。1937年生まれ。著書に『気流の鳴る音』『自我の起原』『時間の比較社会学』『現代社会の存立構造』など。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

今福龍太
今福龍太

いまふく・りゅうた 文化人類学者・批評家。1955年東京に生まれ湘南の海辺で育つ。1980年代初頭よりメキシコ、カリブ海、アメリカ南西部、ブラジルなどに滞在し調査研究に従事。その後、国内外の大学で教鞭をとりつつ、2002年より群島という地勢に遊動的な学び舎を求めて〈奄美自由大学〉を創設し主宰する。著書に『クレオール主義』『群島―世界論』『書物変身譚』『ハーフ・ブリード』『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』(読売文学賞受賞)など多数。

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社会学者。1937年生まれ。著書に『気流の鳴る音』『自我の起原』『時間の比較社会学』『現代社会の存立構造』など。


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