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大西巨人『歴史の総合者として』(幻戯書房)刊行記念トークイベント「歴史の総合者とは何か?」

2017年11月10日、池袋丸善2階イベントスペースにて『歴史の総合者として 大西巨人未刊行批評集成』(幻戯書房)刊行記念トークイベント「歴史の総合者とは何か?」(表象文化論学会協賛)が開催された。2014年3月12日に97歳で没した作家・大西巨人は、その博覧強記をもって、戦後日本の社会や文学状況に骨太な問題提起を続けてきた。
知性や教養への軽侮が広がる現在だからこそ、大西巨人の批評を読む意義とは? 『歴史の総合者として』の編者3名(山口直孝、石橋正孝、橋本あゆみ)と、大西巨人の仕事に深い関心を寄せる哲学者・國分功一郎が、それぞれの切り口から迫った。

國分   2014年に亡くなった作家、大西巨人の未刊行批評集成『歴史の総合者として』が発売になりました。大変美しい、すばらしい装丁の本ですが、今日ここに私の隣にいらっしゃる山口直孝さん、石橋正孝さん、橋本あゆみさんがこれを編集なさいました。今日は編者であるお三方からお話を伺いつつ、この本の意義、そして大西文学について大いに語り合うという会です。司会を務めさせていただきます私は國分功一郎と申します。よろしくお願いします。

 
 

歴史の総合者として: 大西巨人未刊行批評集成

大西 巨人/著
山口 直孝/編集
橋本 あゆみ/編集
石橋 正孝/編集
2017/11/8

 私は哲学の研究者でして、たいしてそんな文学も詳しくないのになぜここで司会をやっているのか疑問に思われる方も多いと思うんですけれども、単純に私自身が大西ファンであります。それと、隣にいる石橋くんとは大学院生時代、同じ研究室だったんですが、実はちょっと恥ずかしいんですけれども、大学院生の頃に彼と一緒に大西さんのお宅を訪ねていろいろお話を伺ったりなんてこともしておりました。今回こういう本が出るということで、ぜひイベントをやらないかと石橋くんと話をしていたんですが、それが実現したことをとてもうれしく思っています。
 少しだけ私からこの本についてご紹介したいと思います。大西さんはもしかしたら小説家として一番有名なのかもしれません。ですが、大西さんの読者であれば、大西さんが批評家としてたくさん活躍なさっていたことはご存じだと思います。今日はちょっと腰が痛くなりそうなぐらいたくさん本を持ってきましたが、たとえば、こちらにあります『大西巨人文選』(みすず書房)をはじめとして、評論集というのが何冊かあるわけです。しかし、そこに収録されてないものが実はたくさんある。こんな分厚い評論集になるほど残っていたんですね。
 単行本未収録の文章を集めた本と言いますと、おそらく、一つ一つはたいしたことはないけれども未収録だから集めたという類のものがよくあると思います。しかし、今回『歴史の総合者として』に収録された評論というのは、これまで単行本に収録されていたものに比べても全く遜色がない質のものです。これは出版記念イベントだからそう言うわけではなくて、お読みいただければすぐにそのことは分かると思います。
 そのことを山口先生が解説でこのようにご説明されています。ここに収録された、今までは単行本に入っていなかったこれらの批評は、「単行本に収録されたものと比べて何ら遜色のあるものではない。書籍化の機会に恵まれなかったのは、一巻に収める分量に限界があることや、掲載紙誌が巨人の手元になかったことなど、もっぱら外的な事情に拠るものと推察される」と、そういうわけなのです。全くそのとおりだと思います。本当に非常に読みごたえのあるものでした。大西ファンとして、本当にうれしい一冊が現れたという気持ちです。
 ここにはこんな評論が入っていますよと紹介し出すと本当にきりがないですので、一つだけご紹介しますと、これは今回の評論集の一つの目玉ですけれども、原稿用紙150枚に及ぶ長編評論、「寓話風=牧歌的な様式の秘密」が収録されています。これはコンスタンティン・ヴィルヂル・ゲオルギウっていう人の小説を批判的に論じた評論です。1950年に書かれていますが、ということはつまり、大西さんの有名な評論「俗情との結託」の直前です。非常に読みごたえのあるものでした。私は「俗情との結託」の別バージョンみたいなものとして読んでしまいましたが、これに限らず、大西さんが匿名で出していた文章とか、非常に優しい口調で読書を促すような文章とか、あるいは本当に最初期の『精神の氷点』の頃の決意文、「歴史の縮図―総合者として」など読みどころ満載です。なお、『歴史の総合者として』というタイトルは、この決意文のタイトルから取られています。
 ぜひとも皆さんに手に取って読んでいただきたい本ですが、これについて山口直孝先生、橋本あゆみさん、そして石橋正孝くんの順にお話しいただき、討議、更には質疑応答と進んでいきたいと思います。では最初に山口先生、よろしくお願いします。

革命の文学への道のりを体現した批評集

山口  ただいま國分さんからご紹介をいただいた山口です。よろしくお願いします。司会の國分さんから『歴史の総合者として』の的確なご紹介をいただきました。くり返しになりますが、「未刊行批判集成」と銘打っているように、単行本に入っていなかったものを集めた訳ですから、成り立ちから言えば出がらし集です。出がらしですけれど、しかし、実質的には「精選批評集」と呼ぶのがふさわしい。そのことを少し具体的に説明させていただきたい、と思っています。
 今日は表象文化論学会の協賛イベントとして、よい機会を作っていただきました。大西巨人について議論をする場所であることはもちろんなんですが、丸善が会場であり、販売促進イベントという側面もあります。私としては、本書がいかに魅力的な批評集であるかということを語り、参加者のみなさんに一冊でも多く購入していただければということを切に願って(笑)、お話しさせていただきます。
 本書の著者、大西巨人は残念ながらこの世の人ではもうありません。2014年3月に亡くなり、もう本人の意図を汲んで一書を編むことはできなくなっています。『歴史の総合者として』については、石橋正孝さん、橋本あゆみさん、私が制作のお手伝いをしましたが、相談して、なるべく手を入れないことにしました。大西巨人が生きていたら、テーマ別にするなどの配列もありえたでしょうし、より精確に伝えるために文章にも納得のいくまで手を入れたでしょう。しかし、私たちにはそれはできない。下手に形を整えようとすると、とんでもない改悪をすることになるかもしれない。ということで、初出をそのまま再録するという方針を採りました。漢字の字体だけは現行の字体に直しましたが、仮名づかいは原文通りです。それから、配列は、発表順にしました。「寓話風=牧歌的な様式の秘密」という長編批評だけは、執筆から60年以上経ってから活字になったという特殊事情から執筆時に合わせて処理しましたが、後は発表順です。時期を三つに区分して3章構成にしましたが、それほど深い意味はありません。編集と呼ぶに値するのかいささか怪しい、あまり工夫のない選択をしたわけです。
 けれども手を入れなかったゆえに、つまり、編年体の構成を取ったがゆえに、大西巨人の敗戦後の軌跡、というのはかえって見やすくなったのではないか、と感じています。みすず書房から刊行された『大西巨人文選』も編年体ですが、全4巻で通読はなかなか大変です。本書は1巻ですので、全体を見渡すことが比較的容易だという利点があります。
 これも國分さんから紹介していただきましたが、書名は、初期の批評「歴史の縮図―総合者として」から取りました。「歴史の縮図」は、新日本文学会に入会した大西巨人が『新日本文学』に「わが文学的抱負」という欄で短く決意表明をしているものです。巨人は、マルクス主義が退潮し、ファシズムが猛威をふるう時代に青春を送った自分たちの世代を「肯定と否定との歴史の縮図である」と規定し、「真実の革命的インテリゲンツィア」として「日本文学=文化を世界的規模にまで、真の近代の精神に立脚した場所にまで展開」することを自己の使命とすることを宣言しています。そして「主として小説、必要に応じ批評の仕事をやるつもりである。」と述べて短文を締め括っています。「主として小説」を書こうというのが、1947年の時点での巨人の目標でした。
 けれども、思いとは異なり、巨人は同時期にあまり小説を発表していません。最初の小説『精神の氷点』を発表するのが翌年の1948年、同じ年には周囲の反対で未発表に終わりますが、『地獄篇三部作』の第一部に当たる『笑熱地獄』も執筆しています。同じ年の暮には『白日の序曲』を発表する。ここまでは、まずまず順調な進み行きです。しかし、それから後は、小説に関して言えば停滞期に入ります。次の作品『たたかいの犠牲』が発表されるのは、1953年になります。4年以上の空白は、現実の創作が「歴史の縮図」の宣言通りには行かなかったことを示しています。1950年前後は批評も少なく、スランプと言ってよい状況に巨人は陥っています。小説を書こうとしてなかなか果たせず、批評活動の比重が大きくなり、また、大きな停滞期が訪れることもあったのはなぜか、理由を少し考えてみたいと思います。
 言うまでもありませんが、巨人には『神聖喜劇』という大長編があります。あえて題材の話をするならば、『神聖喜劇』は、アジア太平洋戦争中の作者自身の軍隊経験に基づいています。戦中の話ですから、敗戦後の作者にとっては比較的近い過去のできごとであり、書こうと思えば書けたわけです。敗戦後の現在を進行形のこととして書くよりも、考えようによっては書きやすいとも言える。しかし、巨人はそうしなかった。『精神の氷点』でも、『白日の序曲』でも、主人公の軍隊経験は空白になっており、描かれていません。『神聖喜劇』が書き始められるのは、1955年のことで、そこから延々と書き続けられ、単行本の刊行が終わるのは、1980年になります。あまりに時間がかかりすぎたために、『神聖喜劇』は文芸史的にどこに位置づけてよいのかわからない作品になってしまったという難問を副産物として生みますが、それはさて措いて、戦中のことを敗戦後に書くことがどんどん先延ばしにされていく、大きな迂回路を経て膨張していく成立過程の特異さは、やはり見逃せないものがあります。

考える人編集部

考える人編集部

2002年7月創刊。“シンプルな暮らし、自分の頭で考える力”をモットーに、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

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