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大西巨人『歴史の総合者として』(幻戯書房)刊行記念トークイベント「歴史の総合者とは何か?」

男性A これまでのアカデミックな話とは全然関係ないんですけれども、國分さんと石橋さんが、学生時代に大西先生が好きで家まで訪ねていったという話がすごく面白くて。実は私は國分先生よりずっと前に大学を卒業したんですけど、この『神聖喜劇』は挫折してずっと読んでないんですよ。全く取っかかりがなくて。なので、『神聖喜劇』の魅力を今現在どのように考えてるか、語っていただきたいと思います。

國分  なかなか答えるのが難しい、直球の質問ですね。大西さんのもとを訪ねていた時のこと、少しだけお話ししますね。本当はですね、大西さんに会うために行ったわけではなくて──といっても、大西さんのことは好きだったので、会いたかったんですが(笑)──、一応口実があってですね、僕ら、「中野重治問題研究会」というのをやっていたんです。で、大西さんは中野重治のお宅にお住まいだったこともありますし、お会いしたらいろいろ教えてもらえるんじゃないかという浅はかな考えで、「話を聞きたい」とお手紙をお送りしたんです。そうしたら石橋くんのうちに奥様から電話があったんですよ。

石橋  奥様ではなく、ご本人から直々にお電話が。

國分  ああ、そうでした。すみません、大西さんご本人でした。ご自宅までの道順の説明をされたのが美智子さんでしたか。

石橋  いやいや、ご本人が道順の説明も全部してくださったんです。

國分  そうか。記憶が本当に不確かですみません(笑)。非常に細かい道順の説明でしたね。あれは何と言ったかな、大宮駅からタクシーに乗って、降りるときの目印の建物は…。

山口  日本サーボの社宅ですね。

國分  ああ、それです! 日本サーボの社宅の前でタクシー降りてという説明を受けました。多分自宅に来る編集者などに毎回そう説明なさっていたんでしょうね。だから、非常に詳しい道順を滔々と説明なさった。

石橋  説明だけ聞くと大長編みたいだけど、行ってみると実はすごく簡単でしたね。

國分  確かに説明は大長編だったね。でも簡単だった(笑)。さいたま市内、円阿弥えんなみのお宅にお伺いしました。非常に丁寧にお話ししていただきました。僕らはその後、実は何回もお話を伺いに行きました。非常に仲よくしていただいた。本当に幸福な思い出です。いつも美智子さんがちょっとしたお菓子なんかを出して下さるんですが、それが実に上品で、毎回、すこしだけそれを楽しみにしてしまったりして(笑)。一度、庭の木の葉っぱを飾りにして和菓子を出して下さったことがありました。本当に素敵なんです。
 大西さんとの面談で覚えていることというと、大西さんってしゃべっていて乗ってくると、椅子の上にあぐらをかきだすんです(笑)。で、椅子の上であぐらでどんどんしゃべっていく。さっき大西さんにとっての引用は記憶だという話がありましたけど、本当に話をしながら、ある本の一節を何も見ないでサラサラサラっと引用し出したりするんですよ。あれは驚きましたね。そうやってお話を伺って、夕方になると「ありがとうございました」って帰っていたんです。僕らは本当に幸せなことを体験しました。

男性A そのとき、既に大西先生の本は全部読んでいたんですか。

國分  石橋くんは大体読んでましたけど、僕は全部ではありませんでした。『神聖喜劇』は読んでいましたけれども。あと、もちろん、中野重治についてもいろいろお話を伺いました。確か室生犀星が死んだ時の話だったか、文部省からお金がもらえるとかいうんで、中野は文部省にそれをもらいに行ったりしているんですけど、大西さんはそれを指して、「中野さんって人はそういうところがあるんだよ」ってちょっと非難調で言ったりしてましたね。何もかも、お話は本当に面白かったですけど。

男性A 今はどうですか。今やっぱり『神聖喜劇』って読むべき小説なんですかね。

國分  いい質問ですね。今『神聖喜劇』は読むべき本なのか? 皆さん、どうですか。

石橋  それは一言、読むべき本だというに尽きます。

國分  「なぜですか?」とあえて聞かれたら何て答える?

石橋  そりゃ、単純に面白いからです。

國分  なぜ読むべきなんでしょうか。山口先生どうですか。

山口  「なぜ」ですか、難しいですね。

國分  こういう素朴な質問への答えに意外と真理がありますよ。

山口  短く言えば、「勇気」を与えられるから、になるでしょう。『歴史の総合者として』に収録したアンケート(「私がすすめたい5冊の本」)で、巨人は『神聖喜劇』を挙げて、長大なことが「玉(たま)に瑕(きず)」だけど読めば長大なことが「錦上の花」と感じるだろう、と言っていて、それはその通りだと思います。反射的に行動するのではなく、遠回りしながら理不尽な現実を変えて行こうとする力、「勇気」を与えてくれる本ですので、ぜひ読んでいただければと思います。

國分  橋本さん。なぜ『神聖喜劇』を読むべき。

橋本  私も『神聖喜劇』が大学時代から好きで、論文とかも書いているんですけど、この小説から勇気をもらうというのはそのとおりだと思います。『神聖喜劇』は主人公たちが徴兵されて、兵営で日々過ごす中で困ったこと、例えば風邪を引いたら私物の防寒着を着ていいという規則があるのに、上官がそれを知らないので着られないといった、一見ささいなことから、でも「これはおかしい」って言い出す、いわゆる日常の中の闘争を描いています。身近な苦しさから改善しようというのは、今の社会の中に蔓延している非人道的な働き方を変えていこうという動きと似ているところがあると思いますから、古い作品のようでいてかなり現代性があると私は思います。
 すごく長いし難しい文章もいっぱい出てくるから読みにくいな、っていうのは確かにあるかもしれないんですけど、登場人物を見ていくと、すごく面白いと思うんですよ。東堂二等兵は頭はすごくいいけど、ちょっと世間知らずなところがあって、仲のいい古兵から「育ちのええ東堂」とからかわれたり。大前田軍曹は皆さんご存じのとおり、単なる鬼軍曹ではない、人間味もある魅力的な人ですし、青年将校の村上少尉は皇国思想に染まっているけど、それは真っ直ぐさゆえでもあって悲劇的な雰囲気もある。戦争中、もしかするとこんな人もいたのかもしれないと思わせます。もちろん東堂の仲間の曾根田たちも個性豊かです。そういったキャラクターを楽しむっていうところから入るのも、とてもいいと思います。

國分  私からも一つ。今日はほとんど話せませんでしたが、私は大西さんの笑いがすごく好きなんですよね。大西さんは本当に笑いのセンスがある人なんです。すごくヒューモラスな人だと思うんですよ。大西さんに「私は誰でしょう?」ってラジオ番組を中野重治と一緒に聞いていた時のことを書いたエッセイがあるんです。問題にうまく答えられない中野が「どうもこういうクイズは、低級人種向きのようだね」と悔しがるんだけど(笑)、新聞を読んでいるフリしながら実はこっそり闘志を燃やしていて、答えが分かったと思った瞬間、なかなか名前が出てこないもんだから、喉を詰まらせながら苦しみ始めて、その挙げ句に、「オーミトシロー」って絶叫したってエッセイなんです。近江俊郎のあのエッセイは何だっけ?

石橋  「二、三の挿話」でしょう。

國分  そうそうそれです。『神聖喜劇』の帯にも以前は「抱腹絶倒」と書いてありましたが、笑っちゃうところが本当に多いんですよね。だから、別に難しくないというか、すらすら読めますよ。

男性A ありがとうございました。

國分  いい質問ありがとうございます。ほかはどうでしょう。まだ時間ありますけど。じゃあそちらの方どうぞ。

男性B 引用についてのお話にすごく興奮してしまって、いろいろ考えました。すごく卑近なことを言うんですけども、小学校中学校のとき、私はSMAPが主演のドラマを見ていて、「あのドラマの世界ってSMAPというグループが存在しないのかな」って思いまして、すごく気持ち悪くて。同じように大西巨人の作品には、ほかの作家とか作品は存在するのに、大西巨人と大西巨人の作品は存在しないのかなと思うと非常に気持ち悪くなりまして。あらゆる作品があるのにその関係性、影響関係の中に大西巨人だけがいないとなると、気持ち悪いなと思って、これを考え詰めると、自分も何か書けそうな気がするのでちょっと悩んでみようと思ったんですが。

國分  存在論的な質問ですね。

男性B 大螺狂人作の、『神聖喜劇』をもじった小説は出てきています。

山口  おっしゃる通りですね。作者自身が一つのリミット、限界を体現した存在として登場して居ますね。

男性B 自作を引用するために名前を変える。

山口  そうですね。自己引用をしながら、作品内の存在として区切ろうとする意識がありますね。先ほど話題になった「仮構の独立小宇宙」とも関わってくる問題ですね。

男性B 名前を変なものにしているのは、作品を現実のパラレルワールドというか、そういう感じにしたのかなという気がしました。

石橋  確かにそうですよね。大西さん本人だけですよね、あからさまに虚構化されるのは。ほかの作家は割と実名のまま引用されたり普通にするんですけど。大西さん自身の作品が、山口さんがおっしゃったようにリミットって感じはしますよね。もっと考えていくと面白い問題になっていくと思います。

國分  そこはまだまだいろいろ研究の余地があるってことですね。他にはいかがでしょう。あともう一つぐらいは受けられるかとは思いますけども。

男性C こんにち大西巨人を読むとっていうことで、お話を先ほどからすごく興味深く聞かせていただきました。橋本さんから入試とか教育ということについて聞いたときに思ったんですけど、大西巨人の話で浦高事件とか、あるいはインテリが軍隊で行動を起こすという話は、中等教育や高等教育以降の話になると思うんですけど。例えば浦高事件が1971年ですけど、71年ですよね。

橋本  そうですね。裁判とかは73年に入ってからです。

男性C 大西赤人が浦高を受験したい、入りたいと思ったのはその頃で、ちょうど養護学校(今の特別支援学校)の政策に結構動きがあって、79年には全員就学、要するに障がいがある人でも義務教育を受ける権利を、国が法律として認めていくという時期でもありました。過渡期だったとは思うんですけど、例えば今大学進学率が高くなったり、小学校の先生が全人格労働でいじめられてるとかいう、そういう今日の教育現場とか入試とかから見て大西巨人はどう読めるか、あるいは意義があるかを聞きたいです。

橋本  これは私が答えてよろしいですか。初等教育に直接大西さんが言及したことはなかったように思うんですけれども、例えば今日の話で言えば、年齢とかにかかわらず、その子の個性や能力に合わせて学べるようにする、ちょっと難しいかもしれない本でも読ませてあげるといった知的活動を伸ばそうという姿勢は、高等教育で小学校とかでも共通なんじゃないかなと思います。大西さんの蔵書の中に『赤人文庫』という、大西赤人さんに多分読ませようと思ってとっておいた小説とか戯曲の切り抜き集のような冊子がありました。早いうちから適性があれば、読んでいろいろ感じてもらえるだろうという親心だったんじゃないかなと思います。
 養護学校政策のこと、70年代に事実上の学習機会剝奪だった就学免除・猶予がなくなるっていうご指摘は非常に重要です。2017年7月に活動を閉じるまで長く続いた「障がい者の教育権を実現する会」は、最初は浦高問題の支援から出発したんですけれども、途中から障がいのある児童が一般の小学校へ入学できるようにする運動にシフトしていき、最終的には初等教育の就学支援が活動のメインになって、大西さん親子の問題、高等教育の問題は後退していった経緯があります。もちろん、浦高事件の告訴が不起訴に終わり、入試から時間も経って具体的に運動できる余地がなくなった、という事情もありますが。ただ「実現する会」にはもちろん現場の教師もかかわっていましたし、障がいと教育の歴史、社会運動の歴史からも浦高問題を捉えなおし、大西さんの文学とつなげてその意義を考えられるのではと考えています。これについては既に論文を書いていまして、2018年に臨川書店から出る共著の論文集に収録される予定ですので、よかったら読んでください。

國分  最後にきちんと橋本さんのお仕事も紹介することができてよかったです。そろそろ時間になりましたので閉じたいと思います。これは実は最初に言うべきことでしたが、このイベントは表象文化論学会からご支援を受けておりまして、明日から開催される第12回研究発表集会のプレイベントとして行われています。大西文学に親しむ読者が増えるだけでなく、学会、そして研究者が大西文学に関心をもって研究も進んでいく。そういうこれからの大西文学のあり方を予期させる会になったのではないかと思います。今日はどうもありがとうございました。

考える人編集部

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2002年7月創刊。“シンプルな暮らし、自分の頭で考える力”をモットーに、知の楽しみにあふれたコンテンツをお届けします。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

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金寿煥

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