2022年10月14日
岸本佐知子×津村記久子「世界文学に関するあれこれをゆる~く語ります」
前篇 『ボヴァリー夫人』は「吉本新喜劇」!?
『華麗なるギャツビー』『ゴドーを待ちながら』『ボヴァリー夫人』……名前は聞いたことあるけど、実は読んだことのない名作ありませんか?
そんな作品たちと真っ向から向き合ったのが作家・津村記久子さん。時にはツッコミを入れながら、古今東西92作の物語のうまみと面白みを引き出した世界文学案内『やりなおし世界文学』の刊行を記念して、翻訳家・岸本佐知子さんとの対談が実現。読み巧者の二人ならではの翻訳文学の楽しみ方を軽妙に語り合いました。
名前は知っているけれど、読んだことのない本
津村 名前は知っているけれど、中身のよくわからない本を読んでみるというのが『やりなおし世界文学』の始まりで、「本の時間」という雑誌でスタートし、その後に「波」、Webマガジン「考える人」で連載していたものが今回一冊にまとまりました。岸本さんはこの本でとりあげたもののなかで、名前は知っていたけれど、読んだことのない本ってありましたか?
岸本 いや、それがいっぱいあって、これを言うと失脚するかもというくらいほとんど読んでいないんです……(笑)。津村さんが本のなかで「じゃらじゃら系」のタイトルと書いていたディックの『流れよわが涙、と警官は言った』も、何十年と気になりつつも、いまだに読んでませんし。
津村 大学生の頃にSFをよく読んでいて、やたらとかっこいいタイトルが流行った時期があったんですよね。ただ、当時わたしは本当に理解して読んでいたのかという疑問もあって、その最たるものがハーラン・エリスンの『世界の中心で愛を叫んだけもの』でした。それで今回また読んでみたんだけど、40代半ばでもまださわりくらいしか理解していない気がするんですよね。
岸本 ジャケ買いってよく言うけれど、津村さんはタイトル買いみたいなところがあるのかな?
津村 SFは特にそういうところがあるかもしれません。フレドリック・ブラウンの『スポンサーから一言』なんて、タイトルだけでは、何の本だか全然わからないじゃないですか。原書のタイトルは『地獄の蜜月旅行(Honeymoon in Hell)』なのに、日本で訳すときに変えたのが画期的だな、と思っていて。表題作の「スポンサーから一言」もそこまで印象に残る話ではないし、それよりわたしは「闘技場」という全裸で宇宙人と地球人が闘う話がめちゃくちゃ好きで、もしかしたらこれまで読んだ短篇でいちばん好きだと言えるかもしれないくらい。
岸本 『闘技場』というタイトルで、フレドリック・ブラウン・コレクションとしても出ていましたよね。ほんとよくこんなこと考えついたなと思うし、よく書いちゃったなとも思うほどに純粋アホ思考の極みですよね。アホ思考って、人間の脳をずっと観察していたら何時間かに一個くらいの頻度で出現するとわたしは信じているんですけど、たいてい理性が働いて忘れるようにしているのを、フレドリック・ブラウンは忘れずにいて、あまつさえそれを書いちゃうのがすばらしいですよね。
津村 そう、それでちゃんとおもしろい小説に仕上がっているのがすごくて、いまも年に一回くらいは読み返しているような気がします。
短篇小説の「セットリスト」
岸本 はじめて『スポンサーから一言』を読んだのは、いつですか?
津村 20代半ばくらいに小説家になりたいと思って、3年だけ新人賞に投稿しようと決めたんです。当時、会社でリストラが横行しはじめて、このままでは自分もやばいという危機感に見舞われたのがきっかけなんですけど、それでたくさん本を買うようになって。ただ、読書家でもないから何を読んだらいいのかわからなくて、タイトルを知っていた『スポンサーから一言』を買ったのが最初でした。その頃に買った本はいまでもよく読んでいて、マーガレット・ミラーとか、岸本さんが翻訳された『さくらんぼの性は』や『オレンジだけが果物じゃない』もその修行時代に読んで、ジャネット・ウィンターソンが大好きになりました。
岸本 うれしいなあ。でもそれって、けっこう前じゃないですか。『スポンサーから一言』は、当時の同じ本をいまも読み返してるんですか?
津村 そうです。しかも当時、古本で買ったので最初からボロボロだったんですが、大事にずっと読み返しています。何度も読んでいるので内容は覚えていて、あ、ここでゲームチェンジャーのとかげが出てきた、ってニヤニヤしたり。中島敦の『山月記・李陵 他九篇』も何度も読んでいるから、あえて収録作の後ろの「斗南先生」から読み始めて、ヘッドライナーに「李陵」を楽しんだりしています。
岸本 音楽フェスみたいな感覚で読んでいる、と本の中でも書かれていましたよね。何度も読んでいるものは、そうやって自分なりのセットリストを組んで読むのはおもしろそうです。
津村 とくに短編集は、そういう楽しみ方ができますよね。
岸本 前座で別の人をいれたりしてね。
津村 前座に誰を持ってくるのか、すごいいい人が最初に来てもダメだし、かといって全然あかん人がきても困るし。そういう意味では、同じ著者の作品で組んでいく方が考えやすそうな気もします。岸本さん、短編集を訳される時はどうされていますか?
岸本 短編集は原書の収録順に準ずることが多いですが、ものによっては順番を変えることもありますね。
津村 原書と訳書で、順番が違うことがあるんですね。
岸本 日本でまだ知られていない作家の短編集の場合は、冒頭でとっつきが悪かったらそこで終わってしまうので。たとえばリディア・デイヴィスの『ほとんど記憶のない女』は、原書では一篇目が「肉と夫」という、夫に料理させると肉の上に肉を乗せたり肉を肉で巻いた料理ばかりつくって、夫が肉好きすぎて困る、みたいな話だったんです。しかも長さもそれなりにあって、これはけっこう難易度高いんじゃないかと思って、訳書ではもうすこし短くてキャッチーな「十三人めの女」を最初に置くことにしました。ただ、刊行後に「肉と夫」がいちばん好きだった、という人もけっこういたりしたので、作者はそこまで考えて、あえて最初に持ってきていたのかもしれないんですけどね。これは作家の方に聞いてみたかった質問なんですが、短編集をつくる時、津村さんは収録順を気にするほうですか? 一篇目はどうやって決めますか?
津村 年代順にすることはめったにないです。一篇目はその本のなかで自分でもそこそこだと思えるものを持ってくることがやっぱり多いですかね。とりあえず、これを読んで帰ってください、みたいなものを最初にしているような気はします。まあ、迷いますけど。
『ボヴァリー夫人』で大爆笑
津村 『やりなおし世界文学』でとりあげた本で言語は問わずに、岸本さんがこれは自分で訳したかったな、と思ったものはありますか?
岸本 そうですね……フランス語だから実際には訳せないんだけど、フローベールの『ボヴァリー夫人』でしょうか。この本は爆笑しながら読んだ記憶があって、もしかしたら自分ならもっと笑わせられるんじゃないかと……まあやる可能性がないので言えるんですが(笑)。
津村 どんなアンニュイな話なのかと思って読むと、(吉本)新喜劇みたいでもありますよね。夫のタイミングの悪さが絶妙すぎるし。それに、ただの不倫の場面だけだったら読むのがしんどいんだけど、それを外で村のイベントをやっている場面と交互に描いていくからすごい笑えて。これは笑わそうと思って書いていますよね、フローベール。
岸本 絶対そうだと思います。でも世間的には爆笑ものだって知られていないような気がする。
津村 他にも、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』やロレンスの『完訳 チャタレイ夫人の恋人』とか、実際はこんな話だったの?! って思うものは多かったですよ。『完訳 チャタレイ夫人の恋人』はいかにもエロの巨匠みたいなイメージをロレンスに抱いていたんですけど、読んでみたら、実際には余計なおせっかいというか、「偏ったアドバイスをやたら熱心に言ってくるんだけど、基本的には相手のことを思いやってる親切な人」みたいに変な親近感を持ってしまって。
岸本 クソバイスおじさんってことですか?
津村 ほんとそうなんですよ。逆に、これだけは訳したくない本はありましたか?
岸本 いろいろあるけど、まずとにかく長いという理由で、フレイザーの『金枝篇』だけは死んでもお断りですね(笑)。
津村 それは絶対やめといたほうがいいです。『金枝篇』の訳者の吉川信さんがこの本を訳したのが、いまのわたしの年齢とほぼ同じで、プロフィールを見ると1960年生まれで2003年初版なので、43歳でこれを訳しているんです。
岸本 そうなんですね。ちなみにわたし、吉川さんとタメ年でした。
津村 岸本さん、43歳のときは何を訳されてましたか?
岸本 ニコルソン・ベイカーとかでしょうか。
津村 ニコルソン・ベイカーもある意味、『金枝篇』と似たところありますよね。すごい細かいところとか。
岸本 『金枝篇』、本体は未読なので『やりなおし世界文学』から知ったことですが、話の途中から、フレイザーがいろんなことを思い出してくるんですよね。
津村 そう、そういえばね……みたいな感じで、どんどん思い出していくんです。こういう言い方もあれかもしれないんですが、読んでいると、文化人類学オタクが横にいて、ずーっと話しかけられている感じなんです。年末中それが続いて、結局フレイザーのせいで年賀状を書けませんでした(笑)。
岸本 「年越しフレイザー」したんだ(笑)。しかも、フレイザーさん自身は楽しそうで、なんかいいこと思いついちゃったから話したくて仕方がないみたいな感じがありますよね。
津村 それでたまに、いいことを言ったりして。しかも下巻の最後のあたりで、オーストラリアの昔の習慣で男をこうもり、女を夜鷹に結びつけて考える話のところで突然、フレイザーの弟がジョンで妹がメアリーであることを打ち明けられたりして。それまで自分の話とか全然してこなかったのに、なんでここで?って(笑)。とにかく唐突なんです。もう読んでいる間、ずっとフレイザーと合宿しているみたいなんです。
岸本 フレイザーの思考が脱線しつづけてとまらない感じは、たしかにニコルソン・ベイカーにも通じますよね。現実に流れている時間は一分くらいなんだけど、そういえば、そういえば……って、どこまでも果てしなくいってしまう感じが。
津村 だから、訳者の吉川さん、すごく大変だったろうな、と思います。
長編小説は「合宿」で!
岸本 もうひとつ訳したくないのが『カラマーゾフの兄弟』なんですけど、ちょっと思い出したのは、スヴェトラーナ・ガイヤーさんという、ドストエフスキーの5大長編を80歳を超えてロシア語からドイツ語に全部訳しちゃったおばあさん翻訳家がいるんですよ。その人に密着した「ドストエフスキーと愛に生きる」というドキュメンタリー映画を観たことがあるんですが、その体力はいったいどこから来るんだろうと驚嘆しましたね。
津村 基礎疾患とかなかったんですかね。その人の健康状態が気になります。読むだけでも、やっぱり健康でないと読めないんで。長い小説を読むのは、どこか合宿みたいなところがあるから。
岸本 『やりなおし世界文学』でたとえられていたのは、『カラマーゾフの兄弟』が城で、『荒涼館』が商店街でしたっけ?
津村 そうです。長さでいうと『荒涼館』が今回読んだもののなかではいちばん長いんですけど、朝ドラを見るような感覚で読めるので、あまり長さは感じなかったですね。ヒロインの女の子を中心に、まわりのひとたちが飲んだり食べたり裁判にいったり結婚したりして、いってみれば群像劇なので、合宿感はあまりなくて、むしろ毎日テレビをつけるような気持ちで読めて、読み終わる頃には終わってしまうのがさびしく感じるほどでした。だから、時間ができたら、『デイヴィッド・コパフィールド』とか、ディケンズの長い小説をまた読みたいな、と思っています。
岸本 そうか、もしかして津村さんは長い小説を読むのが好き?
津村 そういうわけでもないんですけど。岸本さんはどうですか?
岸本 私はほんとうに本が読めなくて、あの、これただの悩み相談になっちゃうんですけど、1冊最後まで読み終わらないし、途中で寝落ちするし、読み終わったらすぐ忘れるしの三重苦で、さいきんほんとうに困っているんです。津村さん、いつどこでどうやって読んでいるんですか?
津村 いまは連載の仕事ではなくなったので、日曜の昼とかに家で読んでますね。本を読むのは基本的にハードル高いことだと思うんですけど、自分にはそれよりもさらにハードルが高いことがあって、スマホを見ていて、何かの記事を読んだ後に、次にどの記事を読むのかを決めるのがすごい嫌いなんです。その反面、本は読み始めたら、ずっと読み続けられて、次に何を読むのか決めなくていいから、いいんですよね。
(後篇はこちらから)
(協力:本屋B&B、構成:加藤木礼)
津村記久子『やりなおし世界文学』(新潮社)
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津村記久子
1978(昭和53)年大阪市生まれ。2005(平成17)年「マンイーター」(のちに『君は永遠にそいつらより若い』に改題)で太宰治賞を受賞してデビュー。2008年『ミュージック・ブレス・ユー!!』で野間文芸新人賞、2009年「ポトスライムの舟」で芥川賞、2011年『ワーカーズ・ダイジェスト』で織田作之助賞、2013年「給水塔と亀」で川端康成文学賞、2016年『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞、2017年『浮遊霊ブラジル』で紫式部文学賞を受賞。他の作品に『アレグリアとは仕事はできない』『カソウスキの行方』『八番筋カウンシル』『まともな家の子供はいない』『エヴリシング・フロウズ』『ディス・イズ・ザ・デイ』『やりなおし世界文学』など。
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岸本佐知子
翻訳家。訳書にルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書 』『すべての月、すべての年』、リディア・デイヴィス『話の終わり』『ほとんど記憶のない女』、ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』、スティーブン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』、ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』、ジョージ・ソーンダーズ『短くて恐ろしいフィルの時代』『十二月の十日』など多数。編訳書に『変愛小説集』『楽しい夜』『居心地の悪い部屋』ほか、著書に『なんらかの事情』ほか。2007年、『ねにもつタイプ』で講談社エッセイ賞を受賞。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 津村記久子
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1978(昭和53)年大阪市生まれ。2005(平成17)年「マンイーター」(のちに『君は永遠にそいつらより若い』に改題)で太宰治賞を受賞してデビュー。2008年『ミュージック・ブレス・ユー!!』で野間文芸新人賞、2009年「ポトスライムの舟」で芥川賞、2011年『ワーカーズ・ダイジェスト』で織田作之助賞、2013年「給水塔と亀」で川端康成文学賞、2016年『この世にたやすい仕事はない』で芸術選奨新人賞、2017年『浮遊霊ブラジル』で紫式部文学賞を受賞。他の作品に『アレグリアとは仕事はできない』『カソウスキの行方』『八番筋カウンシル』『まともな家の子供はいない』『エヴリシング・フロウズ』『ディス・イズ・ザ・デイ』『やりなおし世界文学』など。
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- 岸本佐知子
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翻訳家。訳書にルシア・ベルリン『掃除婦のための手引き書 』『すべての月、すべての年』、リディア・デイヴィス『話の終わり』『ほとんど記憶のない女』、ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』、スティーブン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』、ジャネット・ウィンターソン『灯台守の話』、ジョージ・ソーンダーズ『短くて恐ろしいフィルの時代』『十二月の十日』など多数。編訳書に『変愛小説集』『楽しい夜』『居心地の悪い部屋』ほか、著書に『なんらかの事情』ほか。2007年、『ねにもつタイプ』で講談社エッセイ賞を受賞。
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