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村井理子×鹿田昌美「『母親になって後悔してる』が巻き起こしたもの」

2022年12月13日

村井理子×鹿田昌美「『母親になって後悔してる』が巻き起こしたもの」

後篇 わたしたちはもっと本音を言ってもいいんじゃないか?

著者: 村井理子 , 鹿田昌美

「今の知識と経験を踏まえて、過去に戻ることができるとしたら、それでも母になりますか?」

 この問いに「いいえ」と答えた女性23人へのインタビューを元に、イスラエルの研究者オルナ・ドーナトが書いた『母親になって後悔してる』。本書が今年(2022年)3月に日本で刊行されるや否や、SNSを中心に大きな反響を呼びました。

 「子どもを産んで後悔してるなんて、絶対に言ってはいけない」「今まで胸に秘めていた想いを代弁してくれた」――真っ二つに割れた議論が意味するものは?

 訳者・鹿田昌美さんと、刊行直後からこの本に熱烈な共感を示し議論を巻き起こした翻訳家・村井理子さんが今回の現象、そして日本社会における「母親」について語ります。

Zoomで行われた今回の対談。初対面のお二人だったが、すぐに意気投合し、話が弾んだ(左から村井理子さん、鹿田昌美さん)

(前篇「『母親』×『後悔』という組み合わせのタブー」へ)

わたしがわたしである時間

村井 「理想的な従業員」として日々生活していると、母でも妻でも翻訳家でもない、素の「わたし」は自分の頭の中にしか存在していない、もはや消えてしまったとすら思います。

鹿田 私もそんな気がします。村井さんにとっては、文章を書かれている時間が自分自身に戻れる時間ですか。

村井 確かに何か書いているときはそうかもしれません。完全に私は一人なのだという感覚に陥ります。

 それから、夜中に不動産サイトを見て回るのが好きなんです。築50年ぐらいの団地のリノベーションとか億ションでの一人暮らしを妄想しています。

鹿田 それはとても楽しそうですね。

 私はときどき家出をしたい衝動にかられます(笑)。外に出て一人で頭を冷やしてきたりして…家に帰るとホッとするんですけどね。居場所があるからそういうことができるのでしょう。もし完全に一人になったら、それはそれでどうしようと戸惑ってしまいます。

 日々の生活で誰かに頼られることが自分の生きる原動力になったり、かえって重荷になったり、そういった揺らぎもあるかと思います。

 この本は、母親になって以来ずっと後悔してる人の本ですが、そこまでいかなくとも「グレーゾーン」の人は実は多いのではないでしょうか。

村井 「後悔」という言葉はタブーだという刷り込みがあるから、ハッキリ言わなくても、モヤモヤはみんな絶対に持っています。口には出さないけれど、「もし子どもがいなかったら―」と妄想したことがある人は結構いると思います。

鹿田 今のお話を聞いて思い出したのが、この本の担当編集者が、刊行前に社内で「母親」である社員数名にヒアリングした際のエピソードです。みんな、話し出したら止まらないのに、全員が最初に「私は後悔してないんだけどね」と前置きをしたんだそうです。口に出すのに勇気がいるテーマであるのは間違いないですね。

世界各地に根を張る「母性神話」

鹿田 この本が書かれたイスラエルは宗教的な規範も厳しく、生涯に子どもを3人以上持つのが奨励されるような国です。日本とはまた違った形で女性に対しての圧力が強い。

 いま私が翻訳している本は、この100年の間における女性の家庭とキャリアの紡ぎ方について、アメリカの女性の経済学者が書いているものです。

 その本を訳していて、国のあり方や政策、景気などに女性のキャリアや妊娠・出産、つまり女性の人生そのものが振り回されていると改めて感じました。私たちは人生を選択しているつもりでも、選択させられている局面もあるのかもしれません。

村井 まさにここ数年のコロナ禍やロシア・ウクライナ戦争にも大きく左右されますよね。でも一方的に「子どもを産め」と言われる状況に変わりはない。

 私の友人にもアメリカやカナダなどさまざまな国の人がいますが、どこの国でも「早く子どもを産め」という周りからのプレッシャーと自分のキャリアを築いていきたいという想いとの板挟みになっていて、日本だけの悩みではないんですよね。

 また、SNSでは女性の人生について先進的な議論がなされているかのようにも思えるのですが、一歩離れて実際の世の中に出ていくと全く変わってない。

鹿田 ただ、タブー視されている「母親になった後悔」を実は世界中の人が持っていると知るだけでも安心できるかもしれません。

 どんなに親しいママ友でも、「後悔したことある?」とはなかなか聞けない。よほどの関係性がないと言えませんね。

村井 たとえば高校入学時にテニス部か軽音楽部に入るか悩んで、テニス部に入ったとします。テニスは好きだけど、朝練がキツくて「やっぱり軽音にしとけばよかったな~」と後悔しつつも、また練習に出る。それは「母親になって後悔する」のと何が違うのか。

 どちらも、人生にたくさんある岐路の一つです。そこに「子ども」という不可逆的な存在があるから、話が難しくなるのですが、「私にも軽音楽部の人生があったかもしれない」と思うくらいは許してほしい。

鹿田 確かにそうですね。母親になっていなかった自分の人生を想像する内心の自由すらタブー視されてきたのが問題ではないでしょうか。

 読者の方から「この本が日本語になったことで、自分の思っていたことが認められたような気がする」という感想をいただいたときに、翻訳の意義を感じてうれしかったですね。

村井 この本が出るまで、そんなことは言えませんでしたよね。

私の母は後悔していたのだろうか?

村井 私はこの本を最初は自分のこととして読んでいましたが、途中から、すでに亡くなった自分の母親に思いを馳せたんですね。多分後悔していたんだろうなあと、母に対して理解が深まったかな。

 彼女が今の私みたいに思い悩んでいた時期があったのかもと想像すると、母との距離が近くなる気がします。

鹿田 人間同士として、役割を超えて気持ちを通い合わせられるところがこの本にはありますね。

 私自身は13歳のときに母を病気で亡くしていることもあって、「母親」というキーワードが自分の中でものすごく重たいものになっているんですね。「母」と聞くだけで涙が出たり、子どもを持ち母親という役割を担ってからもこの言葉に揺り動かされる自分をいつも自覚していたりします。

 亡き母と自分を繋ぐために周りの人に話を聞いてきましたが、それでもわからない部分はすごく多い。でも想像力で補うことで、今からでも関係をつかむことができるという意味では、私も一読者として新しく、そしてうれしい体験でした。

 「お母さん」という美化されたアイコンと、実際に生きている人の持つ人間性を区別しようというのも著者のメッセージだと思います。

村井 他者に思いを寄せることができる一冊ですね。たとえば自分の友達やお姉さん、お母さんとか、同じ女性として、母として生きている人の現在や過去について考える手助けをしてくれます。

鹿田 シスターフッドや女性同士の連帯感は大切です。ともすれば女性がグループ分けされて分断されるケースもありますよね。たとえば、子どもを持つ/持たない、キャリアを持つ/持たないとか。

 互いに対する思いやりを想像力で補いながら、繋がりを感じ合えるようになれたらいいですね。

村井 出産、結婚、育児については女性同士で話すのもかなり気を遣いますよね、どこに地雷が埋まっているのかわからない。

 それは地雷を踏むのが怖いのではなくて、相手を傷つけたくないし、誤解されたくないし間違ったことを絶対に言いたくない。出産にはタイムリミットもあるので、お互いが30代の時にはなかなかできない話です。人生も終盤になったころなら、振り返りながら話せるのかもしれませんが。

鹿田 関係が近ければ近いほど、かえって難しいかもしれません。たとえば30代は、同じ年齢だから同じ経験をしているわけではないという違いが一番大きい年代かもしれませんね。

村井 この本は元が学術書なので、かなり読み応えがあります。最初から最後まで読み通せなくても、随所にキラーフレーズがちりばめられている。

 「(母親は)理想的な従業員」のほかにも「後悔は母になったことであり、出産した子どもについては後悔していない」「えんえんと続く説得と絶え間ない威圧によって母になることを強制される」「世界中の女性が、『国に利益をもたらすために子宮を捧げよ』というメッセージからの攻撃に依然としてさらされている」「非母(ノンマザー)への道は、いまだ閉ざされたまま」…付箋を貼りまくりました。

 気になるところを少しずつ拾い読みしていく読み方もいいと思います。そうやって読んでも、人を引き付ける力は全く衰えないですね。

鹿田 おかげさまで、この本をめぐる読書会が全国各地で開かれていて、そこでも、まずは後悔の告白の部分を拾い読みして、共感を覚えて読み進めて下さる方も多いそうです。

村井 自分のそのときの気持ちに合った言葉をピックアップしていけるのは楽しいですね。最初に見つけたときの興奮が消えない本です。

鹿田 今までで訳すのがいちばん大変でしたし、本当に読み応えがある本になりました。著者も、日本でこんなに広く読んでもらえてうれしいとおっしゃっていて、心強かったです。

村井 翻訳者としてはそれが一番うれしいですね。

鹿田 ほっとしたというか、役目をきっちり果たした気分です。

村井 この本は古びずに、長く読み継がれる定番の一冊になっていくような気がします。

鹿田 女性の本音がそこにあるので、大切な人にバトンを渡していくように読み継がれていく本になったらうれしいです。こういった本音を発言することを許可してもらうという言い方は変ですが、せめて自分自身に許可してあげるきっかけになって、楽になれるといいですね。

(おわり)

『母親になって後悔してる』

オルナ・ドーナト/著、鹿田昌美/訳

2022/3/24発売

公式HPはこちら

村井理子

むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『(きみ)がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。

鹿田昌美

国際基督教大学卒。小説、ビジネス書、絵本、子育て本など、70冊以上の翻訳を手掛ける。近年の担当書に『世界を知る101の言葉』(Dr.マンディープ・ライ著、飛鳥新社)、『いまの科学で「絶対にいい!」と断言できる最高の子育てベスト55』(トレーシー・カチロー著、ダイヤモンド社)、『人生を変えるモーニングメソッド』(ハル・エルロッド著、大和書房)、『母親になって後悔してる』(オルナ・ドーナト著、新潮社)などがあるほか、著書に『「自宅だけ」でここまでできる!「子ども英語」超自習法』(飛鳥新社)がある。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

鹿田昌美

国際基督教大学卒。小説、ビジネス書、絵本、子育て本など、70冊以上の翻訳を手掛ける。近年の担当書に『世界を知る101の言葉』(Dr.マンディープ・ライ著、飛鳥新社)、『いまの科学で「絶対にいい!」と断言できる最高の子育てベスト55』(トレーシー・カチロー著、ダイヤモンド社)、『人生を変えるモーニングメソッド』(ハル・エルロッド著、大和書房)、『母親になって後悔してる』(オルナ・ドーナト著、新潮社)などがあるほか、著書に『「自宅だけ」でここまでできる!「子ども英語」超自習法』(飛鳥新社)がある。


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